第12話 家族

 アドルフがルイスの養子になってから、二月ほどが経っていた。

 この二月の間で、砦の雰囲気は随分と変わったものになっていた。それは良い方向にだ。


 アシュトン侯爵のおかげで、砦の兵たちの死傷率がぐんと減ったこと。そしてアドルフが上手く立ち回り、ルイスが兵を巻き込んで殺してしまうことがなくなったことに要因する。

 だがそれとは対象的に、アドルフの生家のある東の砦に、こちらの砦の兵が送られることが多くなっていった。


「今日も要請があってね、二人ほど東の砦に行ってもらうことになったよ」

「またですか……。それで、今回は誰を行かせますか?」


 この砦で、ルイスとアドルフの次に発言力のある、武官の貴族家である指揮官が問う。


「そうだな〜。もう直ぐ新兵が入ってくるはずだから、そちらの教育のことを考えると、余り中堅の兵を送るのも困るしな〜」

「いっそ新兵を送ったら良いのではないでしょうか」

「それだとまたすぐに要請が入ってしまうよ」


 肩を竦めたルイスは、小さく息を吐き出した。他の砦からも東の砦に兵を送っているが、その殆どが帰らぬ人となっている事実に、頭を痛めていた。


「アドルフを養子にしたのは、失敗だったかもしれないね。まさかここまで酷くなるとは思わなかったよ」

「ここ数年は、人員の要請はありませんでしたからね。サイラス様も精神的に落ち着いたのだと思っていたのですが、実際はアドルフ様のおかげだったとは……」


 この砦で、アドルフの立ち回りを見ていれば、向こうでも人を死なせないようにしていたのだと容易に想像が出来た。


「それだけではないと、僕は思っている」

「え?」

「三年程前に、アドルフから養子にして欲しいと頼まれてね。まだその時は『あの事』が発覚していなかったから、聞き流していたけれど、アドルフを養子に欲しいとこちらから願い出た際、アドルフが養子になりたがっていたことは伏せておいたんだ。だけど、アドルフが自分で話してしまったらしい」

「はあ……」


 『あの事』とは、少し前にあった事件のことだった。

 ルイスの妻、ダイアナに、子供が出来ないように一人の侍女が薬を盛っていた事件。

 その侍女はルイスの妻になりたかったようで、薬だけではなく、ダイアナに随分と酷い嫌がらせをしていたらしい。


 他の侍女たちも自分たち次女以降の、使用人として育てられた境遇を嘆き、ダイアナへの嫌がらせを、見てみぬふりをしていた。それが数年続き、ついに耐えられなくなったダイアナが、クリスに相談をして発覚した。


 その後、使用人全員がクリスによって処分された。新しく来た使用人は、そのことを聞かされている。つい最近入った若い数人の侍女を除いては。


 そんな理由で、子供が出来ない身体になってしまったダイアナのために、ルイスの兄であるサイラスの息子アドルフを養子にもらった。

 しかもそれはアドルフからの申し出で。

 そのことを隠していた理由も、アドルフ自身が、それを話してしまったことへの影響がどう作用づるのか、いまいち話の見えない指揮官は、曖昧な返事を返す。それに苦笑いを浮かべ、ルイスは言い難そうに口を開いた。


「裏切られた気分だったのだと思う」

「裏切られた? 何故?」

「アドルフは、彼らにとって家族に違いない。家族とは、助け合うものだと、心のどこかでそう思っていたのだろう。ブラッドフォード家は特に、核家族なせいか、家族という概念が強い」


 そのルイスの言葉に、指揮官は頷くことができなかった。

 指揮官の家は、高位貴族であり、その責務は重要だ。砦の指揮官もさることながら、子供をたくさん作り、砦に送るのも一番多くてはならない。指揮官の兄妹は十人いる。

 自分と次男、長女以外は、ほぼ使用人と変わらない扱いだった。そこに家族という概念はない。助け合うなど、以ての外だ。

 次男と長女もまた家の為、国の為にと育てられた。希薄な絆故に、ルイスの言う『家族』と、『裏切られた』という言葉に共感できず、指揮官は首を傾げるしかなかった。

 それでも、ルイスは辛そうに言葉を吐き出した。


「自分たちを捨てたのだと、そう思ったのだと思う」

「それを言ったら、貴族の殆どがそうでしょう」


 砦に子供たちを送ることは、捨てることと同義だと、指揮官は考えていた。砦に送られれば、生きていられたとしても、二度と家に戻ることはない。


 ブラッドフォード家の者は他家に比べて、子供の数は極端に少ない。それはブラッドフォード家の血によるものだが、そのブラッドフォード家の犠牲になるのは、貴族家の子息たちだ。

 だからと言って、ブラッドフォード家の者に、恨みを抱く者はいない。それはそう教育されているだけでなく、ブラッドフォード家がなければ、この国は、そして人間はとっくに滅びていたはずだからだ。

 他国は小国ばかりだ。結界が張れるギリギリの大きさ。

 この国は大国で、他国に魔物が行かないよう、引きつける役目も担っている。薄く結界を張ってはいるが、それさえもブラッドフォード家の者の力を借りている状態だった。


「アドルフは、ブラッドフォード家の者に表れる血の縛りがない。それは私たちからすれば酷く羨ましく、そして焦がれるものだ。もしかしたら、自分たちもこの血の呪縛から解き放たれるのではないかと、そう期待してしまう」

「何故、そう思うのか、私にはよく分からないのですが……」


 砦の『人間』を殺すことも、母親や妻を殺すことにも罪悪感を感じているブラッドフォード家の者は、他家の貴族がそれは『当たり前』だと教育を受けていることを知らない。

 貴族において女は「子供を作るための道具」とみなされていることを、知らない。

 それはブラッドフォード家の為である。皮肉なことに、それを知らないブラッドフォード家の者は、常に罪悪感に苛まれていた。


「そうか……。分からない、か……。君は、死ぬのが怖くないのかい?」

「それは、まあ、怖いですが」

「そうか。僕たちは、この血に呑み込まれることの方が、余程怖いのだよ。年を追うごとに、血に抗えなくなる。そして、本当に呑み込まれてしまうその前に、僕たちは自ら死を選ぶ。人間として死ぬためには、それ以外に方法はない」


 ブラッドフォード家の事情を大体ではあるが把握していた指揮官は、初めてそのブラッドフォード家の『本音』を聞いた。そのことに、少なからず思うところはある。

 人類のために尽くしている一方で、血に呑まれて人を殺めてしまうことに心を痛めていることに、気にする必要はないと言いたいが、言ったところで心が軽くなることもないのだろうと指揮官は躊躇した。


「話が逸れてしまったね。取り敢えず、二人ほど送らなくてはいけない」

「はい。仕方がないので、中堅を送りましょう」

「そうか……そうだね……それしかないだろうね」

「はい」


 重々しい空気の中、二人はそう決断し、腰を上げた。


「後はこちらでやりますので」

「ああ、頼んだよ」

「はい」


 少しばかり疲れた表情を見せるルイスに、指揮官は深く腰を折る。

 そして指揮官が退出すると、ルイスは大きく溜息を吐き出した。


「あの人はもう、駄目かもしれないな」


 年を追うごとに、血に呑み込まれていくこの体質は、人によっては早まることも多い。

 心を壊してしまったサイラスは、それに抗う余力はないのかもしれないと、アドルフを取り上げてしまったことをルイスは酷く後悔していた。


「この血が憎くて堪らないよ」


 一人呟いたルイスは、ただただ苦い想いを募らせた。



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