第11話 実家
アドルフが生家を出て行ってから、母親であるベシーと使用人たちは、酷く怯えながら日々の生活を送っていた。
「やあ、久しいね、義姉上」
「ご無沙汰しております、ルイス様」
三年ぶりにルイスに会ったベシーは、相変わらずの陽気な挨拶に、少しばかり戸惑ってしまう。
夫であるサイラスとは真逆の性格に、貧乏くじを引かされたという想いが強くなる。同じ兄弟に嫁ぐのならば、断然ルイスの方が良かったと、ベシーは思わずにはいられない。
「アドルフは家で元気にやっているから、心配しなくても大丈夫だよ」
「そうですか。それは、何よりです」
アドルフを返して欲しい、という言葉を呑み込んで、ベシーは当たり障りのない返事をする。
「義姉上からしてみれば、ハワードが嫡男でなければ、アドルフを手元に残して、ハワードを養子に出したかったのでしょうね」
「……そのようなことは…‥」
実際そう思っていたせいか、ベシーは言葉に詰まる。それでも、ハワードもかわいい我が子だと、自身に言い聞かせた。
「アドルフは、この血を受け継いでいないようだから、あの人を止められた。アドルフがいなくなってからは、随分と死人が出ているようだが、使用人たちは大丈夫なのか心配になって、来てみたのだけれどね」
自分の兄を『あの人』と呼ぶルイスに、兄弟の溝の深さを感じ、ベシーは複雑な表情をする。ルイスに相談したとして、それが悪い方向へと進みそうで、躊躇った。
だが実際、砦の方では今まで以上に人数が減ってしまったと、執事から聞いている。
今までは、アドルフが砦の兵に危害が及ばないよう、護っていたのだと知り、驚いたのはつい先日のことだった。その話を聞き、そういえばアドルフが生まれる前までは、使用人がひっきりなしに変わっていたことを思い出し、益々アドルフを返して欲しいとベシーは思うようになっていた。
そしてアドルフがいない今、サイラスの破壊衝動がいつ自分たちへと向くか、気が気ではない。そんな不安を抱えながらの生活に、ベシーは辟易していたところだった。
「義姉上には危害を加えないだろうから問題ないとして、使用人たちに被害が出ていないか気になってね」
自分には危害を加えないというルイスの言葉に、ベシーは耳を疑った。ブラッドフォード家の者は、血に抗えない。その破壊衝動が自分に向かわないとはどういうことなのか、ベシーは訝しげにルイスを見遣る。
「あれ? 話してなかったかな? あの人がどうしてああなったのか」
『ああなった』という意味が分からず、ベシーは戸惑った。昔と今はどう違うのだろうと、疑問が浮かぶ。それでも、それを聞いたところで何も変わらないのだろうとも思う。逆にそれを聞いて、期待を抱いてしまいそうで、ベシーは耳を塞ぎたくなった。
「あの人が、母を殺してしまってからかな」
その話は有名だった。『肉親殺し』はブラッドフォード家につきものだと、誰もが知っている。その殺された肉親は、嫁いできた者に限られていた。『妻殺し』『母殺し』この二つだけだった。
だからこそ、ルイスが自分に手を出さないということが、ベシーには理解出来ない。
「私たち親子は、ブラッドフォード家にしては、とても仲が良かったと自負している。実際、母は私たち兄弟を愛してくれていたし、父のことも愛していた。そして父も私たち家族を大事にしてくれていた。それは母の実家もそうで、祖父母も私たちを可愛がってくれていた。それこそ、普通の他家の家族に引けを取らない程には、私たち孫を可愛がってくれていたよ。だからよく、母の実家にも遊びに行っていたね」
そこで言葉を切ると、ルイスは小さく息を吐き出した。ここから嫌な話になるのだろうと、ベシーは堪らず俯いた。だがルイスの陽気な声音は変わらなかった。
「その日も、母の実家に遊びに行っていた。父は仕事の都合で午後には合流できるからと、先に行って祖父母を喜ばせてやれと言われたよ。私たちは意気揚々と、母を連れて祖父母に会いに行った」
勿論、転移魔法でね、と付け加えるルイスは愉しそうに話す。それを不気味に思いながら、ベシーは相槌さえ打てずに、ただ黙って聞いていた。それでも、俯けていた顔を少し上げる。
「祖父母は天気がいいからと、家から少し離れた小高い丘へと行こうと誘ってくれた。そこにはとても心地良い風が吹いていてね、私たちもお気に入りの場所だった。そしてそこに魔物が現れた。条件反射というのは、恐ろしいものでね。気付けば魔物と一緒に、母の身体も二つに別れていた。一瞬のことだったよ。ただ、私よりもあの人の方が魔物に気づいたのが早かった。もし私の方が早ければ、母を殺したのは私だっただろう。それをあの人に言ったところで、何も変わりはしないけれどね」
母親の死に様を、笑顔を見せて話すルイスに、ベシーは背筋を震わせた。仲の良かった家族だと言っていたが、ブラッドフォード家にしてみれば、と言っていたことを思い出し、『その程度』なのだろうと考えた。
「祖父母は動けずにいたよ。何が起こったのか、理解出来なかったのか、理解したくなかったのか。可愛がっていた孫が、母親であるはずの自分の娘を殺めたことが、信じられなかったのかもしれない。先に動いたのはあの人だった。でもそれは、母に駆け寄るとか、そういうことではなくて、祖父母を、殺したんだ」
微笑みながら、残酷なことを口にするルイスに、ベシーは凍りつく。
「怖かったのだと思う」
「え?」
サイラスとルイスからは、余りにも縁遠い言葉に、ベシーは一瞬何と言ったのかが分からなかった。
「優しかった祖父母が、自分にどういう目を向けるのか、それがとても怖かったのだと思う。だから、その目を向けられる前に、殺してしまおうと思ったのだと思う。私にとっても、それは有り難かった。思い出すのはいつも祖父母の優しい笑顔だけだから」
ここで初めて、ルイスの笑顔が少し悲しそうに陰る。そのことに、ベシーは目を瞠った。ルイスもまた、母親の死を、祖父母の死を悼み、壊れてしまった兄を哀れに思っているのだろう。そう分かったところで、何も出来ないし、何も変えられはしない。
きっとルイスが祖父母のことを思い出すとき、懐かしい笑顔ばかりではなく、必ず最期の瞬間も思い出すのだろう。そう思い至り、自分の中で消化しきれない想いが募っただけだと、ベシーはルイスに恨みがましい目を向けた。
「だから多分、あなたに懐いているハワードと自分自身を重ねて、母親であるあなたには手を出さないと思う」
「ですが、血には抗えないということは、私もまたその対象になり得るということですよね? だとしたら、その確証もない筈です」
「まあ、そうなるね。それでも、あなたに手を出す確率は低いだろうね」
そう言われたところで、アドルフが居た頃のように、安心して生活が送れないことには変わりがなかった。
だが使用人たちの心配をして、こちらに足を運んだというルイスに、ベシーは少しばかり期待してしまう。何か策を講じてくれるのではと、ルイスに問いかけた。
「それで、その……何か回避する方法があるのでしょうか」
「回避出来るかは微妙だが、とりあえず気休め程度にはなるかと思ってね」
そう言って懐から袋を取り出すと、ベシーに差し出した。
「結界石だよ」
「結界石……ですか?」
手にした袋はずっしりと重い。袋の口を開くと、中には小ぶりではあるが、沢山の魔石が入っていた。色とりどりの透明な石は、宝石のように美しく切り出されたものではなく、形は様々で、無骨な印象を受ける。
それでも結界石の使い道を考えれば、十分すぎるほどに美しいものだった。
「確か、数年前から出回り始めた代物だと、認識しておりますが?」
「そう。うちの砦では殆どの兵がそれを持っているよ。効果も保証する。ただ、ブラッドフォード家の力に対抗し得るかは、保証できないけどね」
試したことがないからと付け足して、ルイスは苦笑いを零す。もし試そうとして破壊出来なかった場合、自身を止められなくなるかもしれないと危惧してのことだが、ベシーにはそれが正しく伝わったようで、つい想像してしまい、身震いをした。
「使用人たちに配ってあげてよ。勿論、義姉上も肌身はなさず持っていて欲しい。あの人のためにも」
幸せだった家庭を壊してしまった兄を憐れみながらも、恨んでいるのかもしれないと思っていたベシーだが、それでも恨みきれずにいるルイスもまた、酷く苦しんでいるのだろうと、ブラッドフォード家の血の恐ろしさを改めて感じた。
これから先、ハワードも同じような運命を辿るのかと思うと、ベシーはただ恐怖に呑み込まれる。
夫に殺されるのか、息子に殺されるのか、どちらにしろ寿命は全う出来ないのだと思い知らされた。
嫁いだ時に覚悟をしていたとはいえ、アドルフというブラッドフォード家の異分子に多大な期待を寄せてしまっていただけに、ベシーの落胆は隠せなかった。
「ありがとうございます」
そう言う他にはないと、ベシーはお礼を口にした。
「それと、ハワードのことなのだけれど……」
言い難そうにルイスが切り出す。その様子に訝しげにベシーが視線を合わせると、ルイスは意を決したような表情をする。
「ハワードは、義姉上だけには知られたくないのだろうと思う。それでも、話した方が良いと私は判断した」
「……はい」
嫌な話がまだ続くのかと、ベシーは身構えた。
「昨日ハワードが、初めて人間を殺した」
ルイスの言葉に、ベシーがひゅっと息を呑む。
ブラッドフォード家の者なのだから、それは別に驚くことでもない筈なのに、その事実はベシーに大きな衝撃を与えた。
「今まではアドルフが、それを回避させていたのだろう。だがとうとう、その日が来てしまった。恐らくだが、ハワードはアドルフと自分が『同じ』だと思っていたのだと思う」
「同じ?」
「そう。自分もブラッドフォード家の血を受け継いでいない、受け継いでいたとしても、自制は効くと思っていた。だけど、実際は違っていた。『人間』を殺して初めて、この忌まわしき血に直面し、絶望している」
年を重ねるごとに酷くなる破壊衝動は、ゆっくりとその血を身体に馴染ませるように強くなっていく。
まだ十代前半のハワードにはそれほどの強い破壊衝動はなかったにせよ、その血は確かに受け継がれていた。
父親であるサイラスの強すぎる破壊衝動を目の当たりにしていたせいもあり、自分はこの血を抑え込めるとハワードは本気でそう思っていた。だがそれが勘違いであったと、アドルフがいなくなったことで、ハワードは思い知らされることになる。
「今は砦の一室に、閉じこもっているよ。しばらくは帰って来れないだろうね」
帰って来れないと聞き、ベシーは先程のルイスの話を思い出す。サイラスが祖父母を手にかけたのは、自分を見る目が変わるのが恐ろしかったからだと言っていた。
だとしたら、ハワードも同じように思うのではないかと戦慄する。母親である自分にどういう目で見られるのかと恐怖し、それならば殺してしまおうと思うかもしれない。
目の前の机に置かれた結界石が目に入る。それが何を意味するのか考えて、ベシーは身体を震わせた。
「……ハワードは、私を殺すつもりでしょうか……」
「どうだろうね。今日話した感じだと、それはないかもしれない。どちらかというと、アドルフへの怒りの方が強そうだったし」
「え? アドルフに……怒っている?」
「ハワードは、アドルフに見捨てられたのだと思っているらしい」
「……そう、ですか……」
ベシーもまた、そう思っていた。
アドルフがいなくなれば、この家はどうなってしまうのか、そう思った時にどうしようもないほどに落胆し、母親としての自信を失くした。
元々アドルフはどこかよそよそしく、家族としての絆は希薄であったと感じていたベシーは、それを改善すべく、努力をしていた。
母親にベッタリなハワードのことを大事にしながらも、アドルフにも変わらぬ愛情を注ごうと、自分なりに頑張ってきた。
そんな努力も虚しく、アドルフが養子になることを望んでいたと知った時、ベシーは裏切られたような気持ちになったのだ。
「今までのようにはいかないだろうけど、ハワードのことを愛してやってほしい」
「はい」
即答したベシーに、ルイスはホッとしたように笑顔をみせる。
ここで母親にまで拒絶されたなら、ハワードは兄と同じように心が壊れてしまうのではないかと危惧していた。それを回避出来たことに安堵し、ルイスはその場で立ち上がる。
「では、私はこれで」
「はい。いろいろと、ありがとうございました」
ベシーも立ち上がり、深く腰を折る。顔を上げた時にはもう、ルイスは転移魔法でこの場を去っていた。
どさり、と力なくソファーに崩折れたベシーは、小さく息を吐き出す。酷く疲れてしまった身体を小さく丸め、結界石の入った袋を握りしめる。
「大丈夫、大丈夫よ。私たちは家族だもの……」
そう自身に言い聞かせながらも、実家での三男、四男への家族の扱いを思い出し、嘲笑する。その二人はもう、この世にはいない。奇しくもこの砦に送られてすぐ、夫であるサイラスに殺された。
「何が家族よ……」
二人が殺されたと聞いても、ベシーは何も感じなかった。実家では使用人と同じように扱われ、同じ血が流れていることさえ疎ましく思っていたのだ。
そんな自分が家族の絆などと口にして、殺されないために必死に取り繕う姿は、滑稽以外の何物でもない。
ベシーは自分の浅ましさに、ただ打ちひしがれた。
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