Episode②

 黄熱ウイルスだと速報が来たのは二時間前。

「まさか……」

 翔は携帯でニュースを観ていた。そして、自分から出た最初の言葉がそれだった。

 今、自分の目の前で苦しむ人たちは黄熱ウイルスの感染者なのか……?本当に?今のこの日本で?次から次へと浮かぶ疑問。だが「NIFSが言うんだから間違いないよな……」それが答えだ。

「刑事さん……」

 手で顔を覆った橋田が近づいてくる。彼は震える手を顔から離した。

「どうかし……」

「鼻血が止まらなくて……もしかしてこれ……」

 間違いなく感染者だった。

「橋田さん、落ち着きましょう。とりあえずはこっちへ。血は他の人の不安を煽りますから……」

 彼は橋田をテントの中へと連れて入る。

「刑事さん、これ……人から人への感染はしないんですよね!?さっきニュースで言ってましたもんね!?なのに何で……」

「分かりません……。あ、橋田さん……」

 翔は彼の耳元で「最近、蚊に刺されたりしてませんか?」と小声で尋ねた。

「蚊……?……あ、三日ほど前にここで刺されましたけど……でも蚊くらい……」

「それが原因かもしれません。ほら、ニュースで言ってたでしょ、虫刺され予防をしてくださいって。蚊に刺されないようにって。黄熱ウイルスは蚊が媒介となって感染してしまうウイルスだったはず。今回の地域感染もそれが……」

 だとすれば、どうして楯河なんだ……ここが始まりなのか……?

 答えの出ないもやが彼の脳内にかかる。

「橋田さん、とりあえずはここでゆっくりしていてください。近くにいますから、何かあったら呼んでください。いいですね?」

 彼はその場を少し離れると、秀一に連絡を取った。せめて現状だけでも伝えておきたい。数コール後にホッとする声が聞こえてきた。

『翔、ちょうどよかった。今ね電話しようとしてたとこ。ニュース見たよね?』

「見た。でも黄熱って……」

『間違いないよ。検体検査だって何回もした。隣の区で同じ症状で亡くなったご遺体の解剖もした。これは間違いなく黄熱だ……』

「隣の区って?」

『北河区。始まりはそこなんだ……詳しくは言えないけど、楯河で起きる前に北河区の総合病院で発生してたようだ。そのあと、突発的に楯河で発生してる。でも……これ、ただの黄熱じゃない気がする。これはまだ公表してないけど、今回の黄熱ウイルス……変異してる箇所があるんだ』

「変異?ウイルスが?」

 翔はテントから離れ、人気の少ない場所へ向かった。

「変異ってどういうこと?」

『いい?ウイルスは、設計図である遺伝子を宿主の細胞に持ち込んで、それを細胞に作らせることで増殖してる。その時に、細胞が間違った設計図を作ってしまうことがあるんだ。それを変異って言うんだけど……今回はそうじゃない可能性がある変異で……』

「分かりやすく言うと……なんだ?」

『人為的な変異かもしれないってことだよ』

「それって……人間が作ったかもしれないウイルスだってこと?」

『そうとしか思えないんだ。病原体登録して検索掛けたけど、何にもヒットしなくて、やっと出たのが黄熱だった。でも……』

「全く同じものではなかったって言いたいんだな……」

『うん。今わかってるのはそれだけだ……。まさか、今の日本で黄熱が出るなんて思ってなかったからさ……当たり前だけど、ワクチンとかも国民分は用意できてない。今から作ったとしても、多分……』

「大勢の人が感染して亡くなるだろうな。大量のワクチンを作るにも、資金が必要だし、それ相応の設備も必要になってくる。もちろん人手も。なあ、秀一……この現状を何とかしようと、今の国が動くと思うか……?」

 電話の向こうで彼のため息が聞こえた。

『……動いてもらうしか方法がないよ。所長も何とかしようと思って色んな研究機関に働きかけてる。でも、どこも黄熱に関する研究はそこまで詳しくないんだよ。だから、海外とかも当たってくれてるみたいだけど……どうなるか……。翔、最初にも言ったけど、今回の黄熱は人為的操作もあり得る。だとすれば、人から人への感染が起きても不思議じゃない。だから、できるだけ感染者とは距離を取っておいてほしい。それと、黄熱の予防に一番良いのは……』

「蚊に刺されないようにすることが大事だって言いたいんだろうけど……良いのか悪いのか、ここは屋外だぞ。蚊を完全に防ぐのは無理だ。現に……今も俺の目の前を飛んで行ったぞ」

 翔はそう言った。

『……せめて、翔だけでもこっちに来てもらえるように何とかしてみる。だから、それまでは絶対に気をつけて』

「気長に待ってるよ。お前も……気を付けろよ」



「刑事さん……」

 テント近くで待機していると、橋田の声が聞こえてきた。

 慌てて中に入ると、橋田は苦しそうな表情で彼を見た。

「どうしました!?」

「あ……私じゃなくて……彼が……」

 橋田は震える腕を伸ばした。その先には、体を大きくしならせる男性の姿がある。

 けいれんか!?

 翔は慌てて駆け寄り、窒息しないよう体位を変えた。

「すぐ収まると思います。大丈夫ですからね」

 そう声を掛けるものの、彼自身も手に汗が滲む。

 俺は医者じゃないんだ……応急手当は出来ても……。そう誰かに言いたいのをぐっとこらえ、震える体を優しく押さえた。

 数分が経ち、男性の体は静かに力が抜けていく。

「怖かったですよね……でもそばにいますから……」

 意識があるのかもわからない男性に、翔は優しく声を掛け、そっと背中をさすった。

「刑事さん……お名前なんでしたっけ……」

「あ……生嶋です。急にどうされたんです?」

「いや……ここまで良くしてもらってるのに、名前も覚えてなくて申し訳ないと思って……。聞いたはずなのに忘れてしまって申し訳ないです」

 翔は笑顔で首を横に振る。

「生嶋さんは、どうして警察官に?」

「……小さいときは、父の警察官としての姿を見て、いつか自分もって思ってたんです。でも……いつからか、あまり話してくれないし、家を空けてばかりの父に腹が立って警察官になりたいとは思わなくなったんですよ」

「それなのに、警察官になった理由って……」

「立派な理由があるわけでもないですが……そうだな……しいて言えば、父の死の真相が知りたくて、自分で突き止めたいって思ったから、ですかね」

「お父様は……お亡くなりに……?」

「ええ。事件に巻き込まれたのかそうじゃないのかは分かりませんけど、自分の中で納得のいかない不可解な死に方をしていて……。それを何とかして、せめて自分が納得できるようにと警察官を目指したんです」

 そう話す彼を、橋田はじっと見ていた。

「ちゃんと立派な理由があるじゃないですか……」

 一瞬だけ、橋田に父を見た。

「少し、ホームを見て回ってきますね。急病人がいたらここに連れてきたいので……」

 半ば逃げるように、彼はテントを後にした。



「大丈夫ですか?体調不良とかないです?」

 翔は警察手帳を手に、ホームを歩き、声を掛け続ける。

「大丈夫なんですけど……一体いつまでここに……?」

「すみません、それは僕にも分からなくて」

「他の警察の人には来てもらえないんですか?」

「救急とかは……」

「食事もしてないし、腹が減って……」

 口々に話す人々。きっとそれぞれが言いたいことが溜まってるはずだ。でも今は……と堪えているに違いない。

「外部と連絡を取るように何度も試みてますが、なかなか取れていないのが現状です。引き続き、連絡はもちろんですが警察や消防の応援要請をしてみますから、もう少し一緒に頑張ってください。あと、少しでも体調に変化があればすぐに教えてください」

 翔はそう声を掛け、再びホームを歩く。

「早く何とかしないと……感染していなくてもこのままじゃ衰弱してしまうぞ……」

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特異事件特別捜査対策課~fileⅠ謎の病原体~(仮) 文月ゆら @yura7

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