第二章 増殖

Episode①

 〈黄熱ウイルス、それは蚊やサル、ヒトを宿主として蚊によって媒介されるウイルス感染症である。ヒトが感染すると致死率は高いが、回復すると終生免疫を残す。現在でもアフリカや南米などで地域的流行が発生しており、旅行者が罹患することもある。

 日本では、第二次世界大戦終戦後から感染の報告はない。

 このウイルスは、日本脳炎と同じくフラビウイルス属のウイルスによって引き起こされる。黄熱の主要な脊椎動物の宿主はヒトとサル。アフリカでは、アフリカミドリザルが感染し、中南米では多種にわたるサルが感染しており、感染した場合、致死率は高い。

 潜伏期間は通常で三日から六日ほど。症状は軽症から重症までさまざまあり、人によって異なることも。治療法はなく、対症療法のみ。ワクチン接種や蚊を増やさないことが予防になるが、ワクチンは弱毒化生ワクチンのため鶏卵アレルギーの人には使えない。

 この黄熱ウイルスは四類感染症のため、全数の報告対象となる。そのため、どこの医療機関で何人が感染診断を下されているのか把握しておくことが重要となる。

 また、黄熱ウイルスは将来的にバイオテロに用いられ、大規模に拡散される可能性があると考えられるため、カテゴリーCに分類されている。〉

 

「これが、黄熱ウイルスの簡潔にまとめたものになります。所長、これどうしましょうか。タイミング見て、発表しますか?」

「もちろんだ。私なら、各機関に報告して国民に知らせる。ただ、感染症対策センターのセンター長は……私とは反対意見だと思うね。あいつとは、いつまでたっても分かりあえる気がしない。それにあいつは政治家の端くれだぞ?政府の医療アドバイザーかなんか?をしてる。こっちの言うことなんて聞くわけがない」

 内藤はそう言った。

 彼の友人であり、感染症対策センターの柿部かきべは大学自体からの友人だと聞いていた。学生時代から意見の相違でよくぶつかってきたものの、志は同じであると。目指すところは同じだが、そこに至るまでの経緯が異なるから、言い合いは絶えなかったと内藤は言う。

「とりあえず、現状を柿部さんに報告しなければなりませんし……ここに来てもらいましょうか」

「あいつが来ると思うか?ここの所長が私だって分かったときから、いつも素っ気ないんだぞ?おまけにうちと対策センターが何かしらの……」

「大丈夫ですって。僕が連絡しますから安心してください。僕、そう言うの上手いですから」


六月四日 午後八時二十分 NIFS 法医課


「黄熱ウイルス!?今起こってるこれが!?」

 柿部は驚き、大声を上げた。

「確かに症状や遺体の状態から、そう推測されるかもしれないが……黄熱ウイルスってのは間違いじゃないのか?」

「いいえ。何回調べても黄熱ウイルスで間違いありません。うちの検査課が調べてるんです。僕たちもまさかとは思いましたが、ウイルスの遺伝子配列が黄熱ウイルスで間違いないんです。ただ、若干の変異が見られると先ほど報告がありました」

 秀一はそう伝える。柿部は腕組をしたまま口を開かなかった。

「だとしても、これが黄熱ウイルスによるものだとは発表できない」

「どうしてです!?」

「混乱が起きる。マスコミやらなんやらがこぞって発表すれば、市民に混乱が起きて食料の買いだめやらなにやらが起こる。国外へ出ていく者も出るかもしれない。そうなれば、この国は建て直すのが難しくなる。そう考えはしないのか?」

「ですが、それはあくまで推測の域を出ませんよね?今、この情報を持っているのは我々だけなんです。それを正しく伝えることが出来るのも、これからどうすればいいのかを考える術を持っているのも、我々だけです。だったらきちんと国民に知らせるべきじゃないでしょうか」

 彼は引き下がらない。

 だが、それは柿部も同じだった。

「君は……政治というものがまるで分かってないね。国民に知らせるのは、解決策が見つかってからだ。それまでは、このことは他言無用。いいね?」

 柿部はその場を立つ。だが、それに立ちふさがるように内藤が立った。

「なんだ、何か言いたそうだな」

「国民に知らせる。それが私たちのやり方だ」

「今の話を聞いてなかったのか?私だって、知らせないとは言ってないだろう。知らせるにしても、解決策が見つかってからじゃないと。国の人間は何もできないと思われてしまう。政治とはそう言うものだよ」

「我々は政治家じゃない。この国を守る科学者だ。私たちは現状を国に伝え、国民のために動く使命がある。君たちがそうしたいのならそうすればいい。私たちは私たちのやり方でやらせてもらう。それが嫌なら、君の口から真実を伝えろ」

 内藤はそう言い放つ。

「研究所の所長になると急に威勢が良くなるんだな」

「お前だって同じじゃないのか」

 柿部の顔に怒りの色が表れる。

 そんなことなどお構いなしに、内藤はさらに追い打ちをかけた。

「今ここで決めろ。私たちが発表するか、自分の口で発表するか。選ぶ権利は与えてやる」

 


『それでは、次のニュースです。現在、一部の地域で流行している感染症は黄熱ウイルスによるものと判明しました。このウイルスは……』

 テレビから流れる女性ニュースキャスターの声。テロップはもちろん、携帯にも“号外”と速報が入った。

『このウイルスや症状、対策については国立法科学研究所の所長、内藤圭一郎ないとうけいいちろうさんにご説明いただきます……』

 あの後、柿部は「好きにすればいい。私は国民のことを考えて、今はまだ発表するべきではないと判断したんだ。お前たちが発表するのなら好きにすればいい。ただし……国民の批判は免れないだろうから……この研究所はどうなるか知らんがな」とNIFSニフスをあとにした。

「所長、さすがですね。本当に発表しちゃうんだもん」

「あの人は、やると言えばやる人だからね。いつもほわーんとした人だけど、こういう時はびしっとしてるんだよ。そういえば、あれから連絡は来てる?変異している箇所の追加精査をお願いしてるんだけど……」

「それがまだなんです」

「そう……。ありがとう」

 まだ分かっていないのか……。変異しているところがどこか……。

 そりゃそうだ。これは、今までとは異なるウイルスだから……。

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