ブルー・マテンロウ

スギモトトオル

本文

 『昭和基地記念公園』に、俺とショウゴの他に人はいなかった。かつて人気観光地だったこの場所も今は閑散としていて、広々とした芝生はところどころ荒れて土が見えている。

 雲一つない五月晴れの気持ちいい風。俺は途中でフケてきた学校のことなど忘れて、ゆっくりと流れる時間に身を任せていた。

「えーっと。『かつてこの大地を氷が覆っていた頃、南極大陸には各国の観測所が設置されていました。この昭和基地は日本が建設し運用していた観測所です。地球温暖化により南極の氷が溶けた現在は、歴史的資料として保存されています。』か。ふーん、学校でやったとおりね」

「おいおい、こんなとこまできてオベンキョーかよ」

 芝生に寝転んだショウゴが不平の声を漏らす。俺は錆びついた案内板から視線を離し、

「違うって。ここ何にもなさすぎて暇なんだよ」

鴇藤ときとうトウマ君は優秀生だからなあ。将来はお医者様だし」

「仕方ねーだろ。親父は病院継いで欲しがってるし、俺にはそれだけの能力があるんだからよ」

「あーあー、やだね。決まったレール。決まった人生」

 皮肉っぽく笑うショウゴ。口の端を歪めて芝生から身を起こす。

「ま、実際ここはヒマではあるな。50年前はここらも一面雪景色だったらしいが……ん?」

 辺りを見渡したショウゴの視線がある一点に留まった。すうっと目を細め、『元昭和基地』の建物の方を見やる。

「……ペンギン?」

「は?」

 つられて俺もそっちを見る。手入れのされていない芝生広場の中に、観測基地というよりは宇宙船とでも言われた方がしっくりくるようなヘンテコな建造物が建っている、見慣れた風景だ。

「何もいないが」

「いや、いま確かにあの窓からペンギンがこっち見てたんだよ」

「寝ぼけてんじゃねえの?ペンギンなんて何十年も前に絶滅してるだろ。今の地球のどこに奴らが住める環境があるんだよ」

「嘘じゃねえって。ちょっと探してくるわ」

「は?おい、ちょっと!」

 ショウゴは「見つけたら大発見じゃん」と呟きながら立ち上がって、真っすぐ建物の方へ歩いていく。

 俺は周囲を見回した。誰もいない。それもそうだ。この場所で誰か他人を見かけたことの方が少ない。ため息を吐いて、ショウゴの後を追った。

「おいトウマ。これどこから入るんだよ」

「知るかよ。あそこに扉あんだろ、そこからじゃねえの」

「お、マジだ。サンキュ」

 放っておくと窓ガラスとか割って入りかねないので親切に教えてやると、意気揚々と迷いなく入っていく。俺も後から入ろうとすると、肩越しにショウゴが振り返った。

「あれ、なんだかんだ言いながらもついてくるんじゃん」

「お前一人だと何やらかすか分からないからな。お目付け役が必要だろ」

「はいはい。そんじゃワクワクドキドキ探検隊と行こうぜ」

 言いながらショウゴが開いた次の扉の向こうに入ろうとして、その足をぴたりと止めた。

 何事かと背後から覗くと、部屋の中に一人の男性と一羽のペンギンが立っていた。

「待っていたよ、君たちを」

 俺たちとそう変わらない年格好の、円縁メガネを掛けたその人は落ち着いた声でそう喋った。ペンギンが傍らでパタパタと無意味に羽ばたいていた。


 結局、暫く話をしてもその人が何者なのか分からなかった。分かったのはカナマという名前と、大学を休学中のフリーライターであるという事だった。

「で、なんなんスか。そのペンギンは」

「彼はジェンツーペンギンのジェットだ」

「いや名前じゃなくて」

「今日君たちが来ることはジェットから聞いていた」

 カナマはフッと息を漏らして笑い、手招きをした。

「ついてくるといい」


「おいおい、マジに探検じゃねえか」

 基地の床下に開けられた謎の穴から階段を下りながら、ショウゴが呟く。珍しく声が上擦っていた。

 穴は岩盤が剥き出しだけど綺麗に形作られていて、階段の両サイドにツルツルした表面のスロープがある。天井には青く光る不思議な石が嵌め込まれていて、足下は明るかった。

「しかし、君たちが本当に現れるとはね。会うまで信じられなかったよ」

「その、ペンギンが予知したってやつ?何なんスか?」

「ペンギンは夢見る力を元に神通力を使うからね。ちょっとした未来予知なんかお手の物さ」

 さっきからずっとこの調子だ。ショウゴと俺は見合わせて肩をすくめる。

「でも、それでも足りないんだ……」

 ぶつぶつとカナマは呟いていたが、俺たちが何かを問う前に、階段の出口が先に現れた。

「こっちだ。驚くなよ」

 階段を降り切り、カナマの後から角を曲がったところで、俺もショウゴも思わず止まって感嘆の声を上げてしまった。

「何だこれ……」

「スゲェ、ヤベェ……!」

 目の前には地底を流れる川があり、その向こうに広がっていたのは、大きな都市だった。

「『ブルー・マテンロウ』さ。私はそう呼んでいる」

 遥か天井には、一面に青く光る石が敷き詰められていて、地上の空とは違った不思議な明かりで街を照らしている。

「ここはチテイペンギンが建てた街だ。人間が南極に進出するのを予知した彼らが二百年ほど前に移り住んだらしい」

「地底ペンギン?聞いたことないぞそんな動物」

「コウテイペンギンがいるんだ。チテイペンギンがいたっておかしくは無いだろう?」

「何だよその理屈……」

 しかし、よく見れば街の建物はどれも小さい。ミニチュアとまではいかないが、普通の半分くらいの高さで街が作られている。小人の国に迷い込んだみたいだけど、カナマの話を信じるならペンギンの国なのだろう。

「地球温暖化によって極地に住む動物たちは皆住処を失っていったが、その中でペンギンたちはある時期を境に一斉に姿を消している」

 カナマが歩きながら説明を始めた。川に近づいていくと、岩陰や茂みから新たなペンギンがひょっこり表れては、俺たちの足元に寄ってきた。

「突然だよ。まったく一羽の目撃もされなくなったんだ。大量の死骸が上がったわけでもなく、餌となる魚が消えたわけでもないのに。そうして、地球上のペンギンを全てチテイペンギンたちがこの街に収容したわけさ。人間に知られることなく、黙々と同胞のためにその準備を何年も続けていたらしい」

 説明を聞くほどに、なんだか途方もなくてクラクラしてきた。大体、チテイペンギンって何なんだ。人間の技術を真似てこれだけの街を作り、未来に来る気候変動に備えて同胞たちの避難先を設ける。最早、やっていることが人間と同格だ。本当は地底人なんじゃないか?

 そして、ぽかんとしながらカナマの説明に付き合っているうちに、辺りには一面を埋めつくすほどのペンギンが集まっていた。

 ショウゴはペンギンの群れを見てはしゃぎ始めた。

「スゲェ!こんなにペンギンが!おい、トウマ、やべえだろコレ!地上の奴ら、これを知ったらひっくり返るぞ!」

「悪いが、ここでの事は他言無用だ。君が誰かに漏らそうとしたら、その瞬間にペンギンの神通力で君の精神を焼き切ってしまわなくてはならない」

 カナマのぞっとする警告にもショウゴは顔色一つ変えず、

「ったりまえだろ。バカな人間にこんなキレイな街を荒らされてたまっかよ。なあ?」

 しゃがんだショウゴが近くのペンギンに首をかしげると、きょとんとした目で見返されている。「くーっ、かわいー!」とショウゴがまた騒ぐ。

 俺は俺で、信じられない気持ちで辺りを見回していた。

「おい、コウテイペンギンもアデリーペンギンもマカロニペンギンもいるぞ。あっちにはフンボルトもいるじゃねえか。本当に全てのペンギンを集めたんだな」

「詳しいな。地上では絶滅種扱いだろう?」

「別に、ガキの頃そういう図鑑を見たんだよ」

「こいつ、頭いいからな。一回読んだら大体覚えちまうんだよ」

「そうか、それはすごい……しかし、そうなると、少し不安だな」

 カナマが物憂げに思案顔になった。

「なんだよ。トウマが勉強出来たら何かマズいことでもあんのか」

「いや、実はいまこのブルー・マテンロウでは人口、もといペン口増加が深刻な問題になっているんだ」

 アデリーペンギンの一羽を抱えて持ち上げながらカナマは説明する。

「ここはペンギンの楽園さ。だけど、ずっと自然の中で生きてきたペンギンたちを楽園に住まわせたら爆発的に数が増えてしまったようでね。もう、この街ではキャパシティ・オーバーなんだ」

 俺は改めて川の向こうを見る。ずいぶん大きな街に見えたけど、それでも世界中から集めたペンギンがさらに天敵のいない環境で増えまくったら、そりゃパンクもするんだろう。

「そこで、ペンギンたちは宇宙へ帰ることを選択した」

「宇宙に……帰る?」

 今度こそまったく意味が分からなくて、俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。

「ああ。もともとペンギンたちは月から南極に飛来してきた地球外生物だ。ほら、ロケットみたいな姿をしているだろう?」

 俺は改めてわらわらと集まっているペンギンを眺めたが、ちっともロケットには見えなかった。

「初めにも言ったが、彼らは神通力を使う。そして、その力の源は『夢見る思い』だ。そこで、君たちに白羽の矢が立った」

「どうして、俺たちに……?」

 思わず聞き返した俺に、カナマは真っすぐ向き直った。

「本当に、覚えていないのかい?」

「覚えて……?」

 ため息を一つ吐いて、カナマが体を横によけた後ろに立っていたのは、一羽のジェンツーペンギンだ。最初にいた、ジェットとか呼ばれていたやつだ。胸のところに特徴的な黒い模様があるから分かる。

 いや……まてよ……?

「ジェット……そうか、お前、あの時の!」

 記憶の扉が開き、なぜ子供の時の俺が絶滅動物図鑑などという物を読んだのかを思い出した。小学生のとき、その頃から何かあるとここに来ていた俺は、ある日傷ついたペンギンと出会ったんだ。それは数日間の出来事だったけど、子供の俺がビビるほどに弱っていたこいつは、それでも良くなると信じて看病し続けたら、次第に傷も治って、無事に歩けるようになったんだ。

 あれから姿を消したと思っていたけど、ここに帰ってきていたんだ!

「彼は言っていたよ。君が彼のことを信じてくれたから、絶望的な状況からでも立ち上がることが出来たって。君には、それだけ強く思う力があるんだ」

「思う、力……」

「そうだぜトウマ。お前、親父さんの期待されてっから医者になりたいって言ってるけどよ。そんなのプレッシャーに思うことなんてないんだよ。もっと自由で大きな奴だろお前!お前本当は何をやりたいんだよ!」

「俺……俺……」

 手が震えていた。何かに夢中になれた子供のころを思い出していた。最近、家にいると息が詰まるように感じるんだ。参考書や赤本を見る度に、何か気が遠くなる思いがしてた気がした。そういうのから、目を逸らしていた。自分の未来から、将来から、逃げていたんだ。

「トウマ君。ジェットは空を飛べるかい?」

 カナマに促され、ジェットを再び見つめ返す。

 つぶらな黒い瞳。どこまでも黒くて、丸くて、吸い込まれそうだ。

「……飛べる」

 俺は呟いた。ジェットはパタパタと両翼を羽ばたき始めた。それはただの可愛い仕草にしか見えなかったが、俺は確信していた。

「そうだ。飛べる。飛ぶんだジェット!お前なら行ける!最高のファーストペンギンになってやれ!」

 いつの間にか俺は両手を握りしめていた。「クエーッ!!」ジェットが叫んだ。「クエーッ!!クエーッ!!」叫びながら、ジェットは走り始めた。てちてち。とたとた。とたとたとたどどどどどどどどっ!

 怒涛の勢いで仲間の群れをかき分けて、滅茶苦茶なスピードで走る一羽のジェンツーペンギン。ジェットは川沿いに河口まで一気に駆け抜けると、そのまま崖から海に向かって飛んだ。

「翔べーっ!!いけっ!宇宙にとどけええっ!!」

 俺はいつの間にか叫んでいた。訳も分からないくらいの衝動が湧き上がって、拳を突き上げてジェットを応援していた。

 ジェットは海面に落ちることなく、不思議な力で空へと浮かび上がった。キラキラと虹色に輝く光を発しながら、空へと飛んでいく。

「クエーッ!!クエーッ!!」

 周りのペンギンたちがこぞって鳴き始め、ジェットの後を追って次々と崖から翔び立つ。

 地底の壁に空いた僅かな隙間から、ペンギンたちが飛び出していく。どの翼も虹色の帯を引いていて、青かったはずのブルー・マテンロウは七色に照らされていた。

「いっけぇーー!!」

 俺とショウゴは最後の一羽が見えなくなるまで、拳を挙げて叫び続けていた。


<了>

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