キザな振りした女

トリスバリーヌオ

第1話


 仮にこの文を君が読んだところで、私にとってはその一切が遠いところで等しく無価値で、何ら影響を与えないと思うのは当然だと強く意識していたつもりなのだが、仮にこれを君が、まあ、なんだっていい(ツンデレなどと勝手に言えばいい)。


 最悪とも言える、いや、それがどうなのかはイマイチ検討もつかないかもしれないが、こんな私以外にとっては、円滑に見える書き出しには正直「潤滑液が塗布されたようにつまらない」と思うのは当然のことかもしれない、ここまで面白みのない文を読み進めた君は、まあ、なんというか、すごいと言えるのかもしれない、そう! 君はすごいのだ! こんな稚拙で興味の惹かれないものを読めるなんて!


 なぜ改行しないのか、君は疑問に思うかもしれないだろう。


 なぜ「キザにかもしれない」と言っているのか疑問に思うかもしれないだろう。



 なるほど。


 なるほどの疑問だ。



 だが、安心したまえ、どれもこれも私は君に一生教えることはない。


 後で納得できるはずだ。


 まあ、まて、ことを焦るな、君はこんなくだらない、泥沼のような文をここまで読んだのだ。


 この文章が一体君に何を与えるかもわからない時に、読むのをやめてしまうのは、無意味だ。


 そうだな、私が何を言っているのかわからないであろう。


 そうだとも! 説明不足が否めないのは重々承知しているところだ!


 そんな「狂人だな! 君は!」などと見当外れもいいとこな事を先程から君は思っているはずだ、私が今飲んでいる黄色いジュースを賭けても良い。


 そもそもとして「私が今どう考えているか! わかるはずがない! 君は垢抜けている! 故に変な文体で意味不明なことを言っている!」ふむ、なるほど、一理あるかもしれない。


 それでも、私は賭けてもいいと言ったのだ。


 あくまでこれは断定ではなく推測のようなものだ。


 被害妄想はこのくらいにしよう。


 私は狂人ではないのでな。


 証明完了だ! これに対してなにか反論があるかもしれないが、私はそれのすべてを耳にするつもりも何もない! なぜならば、そうだろう? 私にとってこの文が理解されて、人に指示される必要などHBのシャーペンほどクソみたいなのだからな。


 さて、ここまで読んだとしても何ら一つとして語るものは無かったのだが、ここで一つ何か、文学作品として成り立つために主題となるものを提示しようではないか。


 さて何にするのが君にとって興味のそそられる内容に出来上がるのだろうか。


 私はここで一つそれを考えることにした、あぁ、勘違いしないでくれ、これはあくまで主題となるものを考えるという行動なのであって、これ自体が主題に成り得ることはない。



(念には念を入れるようで気持ちの悪と言えるかもしれない、感受性が豊かといえば良いと、言えるのだが、そもそもとしての、長所は短所であるという、それらの言葉が存在している意味を疑うような、有り体に言うのであれば、様々なところから感化されすぎていて四肢に杭を貫かれて、まあ、賢い君なら、長所短所云々の話は話したところでもう知っていると思うわけだから、この話は割愛して、楽しかったのだがね! 君が退屈だというのだからね! だが我慢をしよう! きっとそれをすることによって君は楽しむことができるかもしれないのだからね)


 ついてきてくれよ?


 そうだ、そうだ。


 言葉というものは卑怯で面白いものだ、なぜならば、私が思っていることをただ書きなぐって、それを君が認識する、その認識が正しいのかどうか、判別のしようがなく、まあ、それは自然科学においてはまったくもって真のものなのだが、例えば「道路の上に橋があって、私はその上に上がった」そうだ! そうだとも!私は極端に2つ以上の解釈が可能である内容を挙げた、だが、君にとっての極端ではないものも「小学生が下校した」これにも解釈が2つ以上存在する。


 私は小学生が下校したと言っているじゃないか。


 なぜわからない!


 まあ、懇切丁寧に説明するだけのエネルギーはある。


 そうだな、何から話していこうか。


 ここは一つ物語を書こう、それで納得してくれると私はありがたい。


 先程から何度も言っている「君が理解しようとしまいと、私にとってはどうでもいい」というのを、今書こうかなと思ったがやめておいたことをここに書こう。



「私は宇宙に行ったのだ。だから地球を見た、それは地球だった」


 ほら! 理解しただろう? 


 私が文を書いてそれを君が今読んでいるわけだ、たった2つの単語を使用した物でも無数に解釈が生まれる(いや、さっき言った通りだぞ? これに2つ以上の解釈があるのは明白だが、まあ、私が考えているものが正確に伝わっていると願っている)。


 私が言葉遊びをしたり、私が何も考えずに、ただ言葉を乱雑に並べているだけで読者は勝手に妄想して、「これはすごい!」「つまらない!」だとかなんだとか、実に面白いものだ。


 話が脱線してしまったのかもしれないな。


 主題だ主題、何の主題が適切か。


 漠然としたジャンル、一貫性のないものは書きづらい、だから私は人間を使った。


 使った結果「地域貢献について」が最も適切であると結論が出た。


 紆余曲折を経てこの結論が出たのだが詳しく聞きたいようだな。


 ここで聞きたくないというのであれば私は潔く口を閉じることを約束する。



 地域貢献という漠然とした、そもそもとしての前提が先程のもので曖昧だと示したため、なんというかこれと行って興味はあまりそそられないが、知的活動という点に置いてはそれを行う価値は十分にあると思うため、無問題だ。


 この言葉を聞いたときに貢献というキーワードがなかなかに解釈という行為を邪魔してくる。


 知っての通り、無償でも優勝でも何かしら有益をもたらすというあれなのだと思うのは当然である。


 しかし、そのような漠然としたものでは満足できないというわけときた。


 満足ができないから、満足できるまで考える。


 とても知的な行動だ。


 それなら、結局の所、自己完結でハイ終わり! みたいな自慰行為に走ってしまうという結果になる。


 この話は面倒だから捨て置こう。


 地域貢献としてまず最初に思い浮かべたものがある。


 お金挙げる。


 もらう。


 やったー


 そんだけ。

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キザな振りした女 トリスバリーヌオ @oobayasiutimata

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