家鳴問答

栄三五

霧崎邸にて

霧崎の屋敷でお手伝いさんにパーティに招かれたことを伝えると、中庭に通された。

広い芝生の上に大きな丸テーブルがいくつも設置されている。

ワインの発表パーティなど来たことがないから、詳しい勝手など分からない。


手持無沙汰で、庭の入り口付近でキョロキョロと見回していると、懐かしい顔を見つけた。


「よ、翔兄」

「お前、勝光か!?デカくなったなぁ」


声をかけると、こちらを認めた須崎翔太がそう言いながら駆け寄ってきた。

翔兄は俺の叔父にあたる人物で、今は自分で商社を興してその若社長という立場だ。


眼鏡の奥で人のよさそうな目が輝いている。今年で25歳だったはずだ。童顔で、俺より5歳も年上には見えない。

昔は翔兄が巨人の様に思えたが、今は俺の方が頭の位置が高くなった。

時がたつのは早いものだ。


「兄貴は元気か?」

「元気過ぎるくらいだよ。今日も酒が飲めるってんで、会議をほったらかしてこっちに来たがってた」


ハハハ、と笑う翔兄はしげしげと俺の服装を頭からつま先まで眺めている。


「それにしても、思いのほか軍服が似合うな。どうだ海軍は?しごきがきつくて逃げだしたくなってるんじゃないか?」

「名前が《勝》に《光》だからね。縁起がいいって重宝されてるよ」


翔兄の言葉に俺はニヤリと笑った。

冗談を言う俺たちの上で軍用機が飛んで行く。


「最近多いな」

「満州事変以降、演習は増えても減ることはないからね」


霧崎邸は演習場が近い。よくある光景なのだろう。


「にしても、霧崎ってワイン作ってたんだね」

「お前知らないのか?」

「気楽な次男坊なもんで」


両手を上げて、降参の手振りをする。

翔兄は嘆息しながらも丁寧に教えてくれた。


霧崎は元々運送業を担っている一族で、霧崎運輸といえば地域でかなりのシェアがある。

だから、8年前社長の霧崎聡太が早逝したニュースは経済界に驚きを持って迎えられた。


当時息子の六太が生まれたばかりだった霧崎夫人は、生まれたばかりの息子と7歳の娘を抱えて、未亡人になった。


新しい経営体制になった霧崎運輸の業績も株価も真綿で首を締める様にじりじりと下落していたが、むしろよく保っていると捉えるべきだろう。

そんな苦境の中、霧崎夫人が霧崎ワイナリーを興し、ワイン業界への参入を発表した時は、8年前と同じくらいの衝撃であった。


「実業家気取りの道楽だ」「女にワインが分かるわけがない」

などと当時既にワイン業界に参入していた連中は鼻で笑ったそうだ。

霧崎夫人は吹き荒れる逆風の中で新規事業に参入したわけだが、これが当たった。


夫が存命の頃から共通の趣味であるワインを嗜んできた夫人のワインを見る目は正しく、霧崎ワインの品質の高さと女性的な感性が活かされたラベルとボトルのデザインは当初から好事家の間で話題であった。

さらに、広告に出演した若手女優が人気となり、その広告が縁で結婚したことでワインを詳しく知らない層にも霧崎ワインの名前は知られるようになった。

女優の結婚式の披露宴でそのワインが振舞われたことで霧崎ワイナリーの知名度は鰻登り。

今や界隈で知らぬ者はいないほどの有名ワイナリーとなったのだ。


ワインを飲めない年齢の若者にも流行りものとして知られているそうで、女学生の間では、男女が霧崎ワインのラベルの前で音楽を聴くと想いが成就する、なんてまじないが流行る程らしい。


当然、そんな新進気鋭のワイナリーの新作パーティともなれば参加している企業関係者は多い。


俺たちのような親戚筋の人間もいるが『これを機にうちでも霧崎ワインの入荷を!』と新しい商売に意気込む企業関係者とは身に纏う熱量が違う。

俺の見覚えのある顔の大半は熱気漂う会場の中心部から離れ、壁際で集まって談笑していた。


「知らないで出席しているのはお前くらいだよ」

「いーや、他にもいるね!なぁ、六太?」

「小学生を巻き込むんじゃない」


かいつまんで話してくれた翔兄から小言が漏れそうになったので、ちょうどこちらに歩いてきた霧崎六太に声をかける。俺の声が届いたのか、六太がこちらに向き直った。


「…えっと」


六太が言葉に窮する。以前会ったのは聡太伯父さんの葬式の時なのだ。当時、六太はまだ赤ん坊。こちらの顔など知りようもない。俺も小言から逃げるため、背格好から六太だろうと推測して声をかけただけだ。


「六太、ご挨拶なさい。こちらのかたは須崎翔太さんと城崎勝光さん。あなたの叔父と従兄弟にあたる方です」


六太の後ろから声がかかる。一抱え程もある桐の箱を抱えた少女が俺達を紹介した。

彼女が霧崎夫人の娘、霧崎芳子だ。すっと鼻筋の通った器量の良さは、見覚えがある。

昔は霧崎の葡萄園で一日中追いかけっこしたものだが、ずいぶんとお淑やかになった。


「初めまして、霧崎六太です。本日はお越しいただきまことにありがとうございます」


姉の言葉を受けて、六太が挨拶をする。おおー、しっかり挨拶できている。後でお菓子を上げよう。


「お久しぶりです。翔太叔父さん、勝光さん」

「芳子ちゃん。大きくなったね」


翔兄が破顔すると、童顔と相まって俺と歳が変わらないくらいに見える。童顔を威厳が出ないと悩む御仁もいるそうだが、若く見えるというのは得ではないだろうか。


「昔みたいに翔太さんでいいよ。叔父さんなんて言われると自分が年を取ったみたいだ」

「実際年は取ってるだろ。痛った!」


叔父さんにわき腹を小突かれた。しっかり挨拶しろ、という目で睨めつけてくる。


「勝継の名代で参りました。城崎勝光です。芳子さんもお久しぶりです。すっかり女性らしくなられていて驚きました。六太さんもどうぞお見知りおきを」


叔父さんに攻撃されないよう、できるだけ爽やかに挨拶をする。

芳子がはにかむように微笑んで、礼を述べた。


「こちらこそ、お忙しい中お越しいただきありがとうございます。父の葬式の際はお世話になりました」


俺は何もしてないけどね。

法事だってこれまでは兄が出席していたのだ。兄が下戸なため、今回は俺にお鉢が回ってきただけだ。兄がワインなぞ飲もうものなら感想を述べる前に卒倒してしまうに違いない。


手短な挨拶を交わしている間にも、別の親戚から六太へ声がかかった。

相手の顔が分からない六太に助け船を出すため、芳子がそちらへ向き直る。


「申し訳ありませんが、母は取引先の方へワインを注ぎに参りますので。皆様にはこの後、私からお注ぎいたしますね」


こちらに一声かけてから芳子が親戚の方へ歩み寄り、六太と共に挨拶をした。

芳子が抱えている桐の箱にワインが入っているのだろう。

芳子たちがこちらに背を向けると、またわき腹に翔兄の肘が飛んで来る。


「ちょっと手加減してよ、

「妙齢の女性に『女性らしく』なったはないんじゃないか?お前がそのまま社会に出ているのがは心配だよ」


根に持ってら。少し年齢で揶揄っただけでこの仕打ちは酷くないかい?

俺が翔兄と遊んでいると、挨拶を終えた六太が芳子の抱えている箱に手を伸ばしていた。


「姉ちゃん、それ貸してよ!」

「やめなさい。もうお客さんがいらしてるのよ」

「どうした、六太もワインが飲みたいのか?」

「ううん、妖怪がいるか確認するの」

「妖怪?」


翔兄が聞き返した。

新作ワインの発表パーティで妖怪なんて場違いな言葉が聞こえてきたら誰だって聞き返す。なんでも和洋折衷すればいいってもんじゃない。


芳子は切り出すべきか迷っていたようだが、俺たちが黙って説明を待っているのを見て、諦めたように話し始めた。


「それが…六太が『箱の中に家鳴りがいる』って言うんです」





「家鳴りって、妖怪の?」


名前くらいは知っている。建物を軋ませる妖怪だったかな。そもそも家鳴りは目の前の箱に入れるくらい小さいのだろうか。


芳子がテーブルの上に抱えている桐の箱をそっと置いた。


「はい。六太が言うにはこの箱の中から音が聴こえたそうなんです」

「ほんとだよ。キィキィ、カリカリって、爪で引っ掻くような音が聞こえたの」

「いい加減にしなさい、六太」


何度も同じやり取りをしているのだろう、芳子がピシャリと言った。

六太が口をとがらせて泣きそうな目になる。


「まあまあ。じゃあ俺たちが箱の中に家鳴りがいないことを証明してみせようじゃないか。家鳴りがいないって分かれば、六太も納得するだろ?」


俺が助け船を出すと、六太がコクリと頷いた。


「証明って、何をどうするんだ?」

「翔兄まかせた」

「おい」


芳子と六太がこちらを見つめているのに気づき、翔兄は観念して喋り始めた。


「まず、箱を開けて確認するというのはダメなのかい?」

「そうですね…、箱を開ければ当然確認はできますが、発表前に箱を開けるわけにはいきません。確認のために席を外すというのも…」


どうやら箱を開けるタイミングがあるらしい。

夫人は会場の中心で人だかりに囲まれており、会場全体を把握できる状態にない。

親戚たちの対応は芳子ひとりで引き受けているようなものだ。少しの間でもホスト側が不在になるのは避けたいのだろう。


「じゃあ、箱を振ってみるのは?家鳴りがいたら堪らず声でも出すんじゃないか?」

「ダメです!飲む前のワインに振動を与えてはいけません」


俺の発言を芳子が慌てて静止した。よっぽどマズイらしい。


「ワインに振動を与えると、飲むときに香りが上手く出ないんだよ」


翔兄が補足した。なるほど、それは慌てもする。新作のワインを台無しにされては堪らないだろう。

では、箱は開けられないし基本的には触れることも良くないということか。言い出しておいてなんだが、いないものいないと証明するのは相当難しい。


「家鳴りがいないことの証明よりも、音の原因を探った方がいいな。六太が音を聴いたのはいつだい?」


翔兄も同じことを考えたのか、六太が音を聞いた時の状況を尋ねた。


「今日の朝、最初に姉ちゃんがワインを箱に入れた時だよ。姉ちゃんが箱にワインを入れた後、音が鳴ってるのが聞こえたの。箱に家鳴りが入ってるって、姉ちゃんに言っても聞いてくれないんだよ」

「いないからに決まってるでしょ」


姉弟喧嘩が始まりそうなので、仲裁がてら状況を掘り下げる。


「芳子さんがワインを入れた後ってことは、音が鳴った時は誰も箱に手を触れてなかったのか?」

「うん。音が鳴ったのは。誰も触ってない時だよ」


六太が答える。箱の軋む音でもあるまい。六太の話が真実なら、箱の中に勝手に音を出す何かがあるということだ。それが何かは見当もつかない。


そうこうしているうちに、会場の中央に設けられた演題に霧崎夫人が登壇し、丁寧な口上を述べ、新作ワインの紹介を始めた。

それに伴い、芳子も箱を開け、ワインを取り出す。


結局、俺たちで家鳴りの正体を突き止めることはできなかった。

まあ、この問答をしている間、六太が箱に手を伸ばすことはなかったのだ。一番の目的は達成したと言えよう。


芳子が取り出したワインを眺める、白地のラベルに金と銀の縁取りがしてある。華美になり過ぎないほど良い色合いだ。先程の翔兄の解説の中にもラベルに関するものがあったはずだ。確かに出来がいい。

箱は蓋が縦にスライドする構造で、中には緩衝材が詰まっていた。


「芳子さん、あれはなに?」


ワインが収まっていた箱の下部には隙間ができないように台座詰めてあったが、よくみるとそれは台座ではなく、小箱の様なもので側面に発条がついている。


「これは…なんでしょう?」


芳子がおもむろに発条を巻くと、小箱から音楽が流れ出した。

自鳴琴オルゴールだ。


「家鳴りの正体はこれか」


翔兄が呟いた。

芳子がしっかり発条を巻きあげた今は音楽が鳴り響いているが、発条を巻いていない時でも時々ほどけきっていない発条が動き、自鳴琴オルゴールが動くことはある。

六太はその音を家鳴りと勘違いしたのだろう。


「ワインを箱に収めたのが暗い部屋だったので台座と間違えて箱に詰めてしまったようです。お騒がせしました」


芳子が頭を下げ、コルクを抜いたワインボトルを差し出す。注ぐ、ということだろう。

テーブルのグラスを持ち、グラスの半分ほどまで注いでもらう。

グラスに鼻を突かづけるだけで果実の香りが鼻孔をくすぐる。宝石を溶かしてグラスに溜めたような色合いも美しい。

グラスを一回ししてから口に含んだ。


「いかがですか?」

「おいしいよ。普段ワインはあまり飲まないが、こんなに香り高いものだとは思わなかった」


本当に驚いた。口に含むと、絶妙な渋みとかすかな果実の甘みが舌の上を通り過ぎていく。喉を通り過ぎた後も芳醇な葡萄の香りが残っている。


自鳴琴オルゴールから流れる音楽の向こう側で、芳子が嬉しそうに微笑んだ。未成年であるし、ホスト側なのだから当然なのだが、ワイン飲めない芳子を前にして自分だけこの芳醇な酒を味わっているのが申し訳なく思えてしまう。


「ワインを飲める歳になったら、芳子さんも一緒に飲もうよ」


思いもよらない言葉だったのか、芳子は目を丸くし、微笑んだ。


「私の場合、飲めるようになるより、造るようになる方が早いかもしれません」


造るとはどういうことだろう。


「私、学校を卒業したら、ワイン造りの修行するつもりなんです」


もう夫人にも了承を得ており、弟子入り先も決めているのだそうだ。

業界のことなど何一つわからない俺であっても、女性のワイン職人など前代未聞であろうことは想像がつく。


確かに霧崎夫人の様に、これまでになかった道を歩む女性も僅かながら、いる。

そういう道もあるだろう。

だが、あるだけだ。獣道と言ってもいい。

暗中に足元も覚束ず、歩を進める度に荊が肌を裂く様な生き方だ。

並の人間に歩ける道じゃない。


そう思っても、止めることはしなかった。

霧崎夫人を隣で見続けてきた、芳子自身が決めたことなのだ。


そもそも、いつかお国のために身命を賭して戦おうって人間が、守られるべき彼らの生き方に口を出すのは無粋ってものだろう。


「うちの葡萄園、今はあの頃よりもっと広くなってるんですよ」


芳子が遠くを見つめるような目になって言った。

もしかすると、彼女の眼には、葡萄の木が作る影の下で二人で追いかけっこをしていた頃の記憶が映っているのかもしれない。

風に揺れる蔓と葡萄の房の影を、小さなふたつの影が通り過ぎる。


想像の中から吹き出でたように、ザァと風が抜けていった。思わず目を細める。



色々なことが、変わっていく。


伸び続けた身長はとうとう翔兄も追い越してしまった。


初めて着たときはまるで借り物の様だった軍服が、袖を通すたびに馴染んでいった。


まだ子供だと思っていた少女が、自分の歩む道を覚悟を持って選び取っていた。


「私がワインを造れるようになったら、そのときは勝光さんも飲みに来てくださいますか?」


空を見上げると、軍用機が空気を裂くような唸りを上げて空を舞っている。かつてこの家で空を見上げた時は、太陽の光を反射した葡萄の房が星々のように揺らめいていた。

今の背丈では同じ光景はもう拝めないだろう。


改めて彼女に向き直り、口を開いた。

その言葉を聞いた芳子の唇が花のようにほころぶ。


「約束ですよ」


キィキィと鳴る家鳴りの音が、軍用機の轟音にかき消されていった。

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家鳴問答 栄三五 @Satona369

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