第十一話 願いの世界

 ここは隔世かくよ現世うつよとあの世の狭間。願いの世界。ここに迷い込むのは願いのある人か咎びとだけ。

 アイはアオイで、それなら僕は? 私は?


「もう全部思い出したんでしょ。ゆっくりでいいよ」


 アオイの顔をして、アオイを名乗るアイが淡々と話し始めた。恐ろしくて、震えが止まらなくって、その顔を見られない。


「きみはあの時、僕に叩かれたのがショックで家を飛び出した」


「ちっ、ちがう、いや、やめて」


「きっと僕なら味方になってくれると思ったんだよね」


「そんな訳ないっ、やめでぇ」


 後悔と恐怖に支配されて涙が溢れているのに話をやめてはくれなかった。


「きみは家を飛び出すと、すぐに崖の木に向かった。僕は両親と手分けして色んな所を探し回って最後にたどり着いたんだ」


「わだじは、わだじは……」


「木に登って、枝にペンダントを引っかけようとした。だけど登れなかったんでしょ?」


「だがらぁ、わたしは、ペンダントを……」


「手に隠し持っていたんだね。僕にも分かっていたよ」


 分かっていた。始めから分かっていて私の嘘に付き合ってくれたの?


「だから僕は木に登って、君の嘘にワザと引っかかったんだ」


「それで、わだじはペンダントを見せて嘘だよっていって、だがら」


「僕が叩いたのと、お相子にしたかったんだね」


「そっ、それで仲直りって、する、つもりだったのに」




 胸の鼓動が全身に後悔を運んでゆく。あの時に川に落ちたのはアオイだ。ならアオイを名乗る私はわたしは、わたしはっ


「もう充分だ。これ以上自分に嘘はつけないだろう?」


「わっ、わた、しは、だれ?」


「君の名前はミドリだ。翡翠というとっても綺麗な宝石から両親がつけてくれた。翠」


「いやぁぁぁぁぁ!!!! うそだっ そんなのうそだぁっ だって、みっミドリは死んだんだ!! 嘘吐きは死んだんだ! 自業自得だったんだぁ!!! アオイがっ! お姉ちゃんが死ぬわけないっ!!!!」


 大声で真実を否定してみたけれど、もうこれ以上自分に嘘をつけない。真実から目を背けられない。私はアオイじゃない。嘘吐きで卑怯者の私が大嫌いなミドリだ。


 そうだ、ミドリが殺したんだ。嘘で殺したんだ。アオイを殺したんだ。


 ここは願いの世界。お姉ちゃんの願いって……お姉ちゃんはとっても怖い顔をしている。それが、こわい こわい こわい こわい 逃げなきゃ、スキをみてどうにか逃げなきゃいけない。




「僕が死んだあとのミドリはとっても酷かったよ」




 ◇◇◇◇◇◇




『うぁぁぁぁぁ! 何でお姉ちゃんが死ななきゃいけないの!!!』


『おちついてミドリっ、お願い』


『うるさいっ! 嘘吐きが死ねば良かったのに! 卑怯者が死ねばよかったのに! 私が死ねば良かったのにっ!!!』


『だっ、だれもそんな事は思ってない』


『うそだっうそだっ、うそだっ! 二人だってそう思ってるに決まってるっ! 完璧なお姉ちゃんじゃなくって、お前が死ねばよかったって!!!!』


『違うそんなことはっ』


『この嘘吐きっ! 私は嘘吐きが大嫌いだっ! 卑怯者が大嫌いだっ! 私はわたしが大っ嫌いだっ!!!!』


『もうやめて、お願い!!!』


「母さんがミドリを優しく抱きしめたけど、きみの心には届かなかった。ずっとずっと自分自身を呪い続けていたね」


『おまえがころした おまえのせいだ おまえがしねばよかったんだ うそつき ひきょうもの おまえが おまえが おまえが ころした ころした ころした』


「何日も何日も自分を責め続けたミドリはどうなったと思う?」


『嘘吐きが死ぬべきだった 卑怯者が死ぬべきなんだ そうだよ。嘘吐きがしねばいいんだ、そうだ、そうだ、そうだそうだそうだそうだじごうじとくなんだ』


「やめて、やめてぇ、聞きたくない……」


 こんな話は聞きたくない。もう逃げ出したい。それなのに身体がふるえて動かない。お姉ちゃんは淡々と事実だけを話す。それが私の心に縛り付いて締め付けて、どうにも耐えられない苦痛だった。はやく……早く逃げ出したい。



「逃げたんだよ。自分にまで嘘をついてね」



『父さん、母さんおはよう!』


『おはようって、ミドリどうしたの? 元気になったの!?』


『何言ってるの母さん。僕はアオイだよ、ミドリのことは残念だったね』


『ミドリ、いったいどうしたんだ?』


『父さんまで……そうか、ミドリが死んだのがショックで少しだけおかしくなっちゃったんだね。ミドリが死んだのは誰も悪くない。あれは事故だったし、ミドリが嘘を吐いたからだ』


『いやぁぁぁっ!!! なんで!? なんでこうなるのよっ!!!! 何で!? なんでなのよあなたっ!! なんとか言ってよ!!! 何で…………なんでぇ!!!! あぁぁぁぁぁぁ』


『そんな事は分からない! 分からないっ! どうしたらいいか分からない……』


『大丈夫だよ父さん! 母さん! 僕がついているから。僕がミドリの分まで二人を支えるから! ミドリのことはとても悲しいけど、仕方のないことだった! これは事故だったから誰も悪くないっ! だから自分を責めないで!』


『なんでぇ、なんでぇ、ミドリいぃぃ、なんでなのよぉ』


『ミドリは嘘吐きだった。だからこれは自業自得だったんだっ! だから、だから父さんも母さんも僕だって、だれも悪くないから!!! だからもう泣かないで母さんっ』




 ◇◇◇◇◇◇




「この後はもちろん病院にいったよ。医者の診断は心的外傷後ストレス障害と自己暗示による記憶の改変。自責の念に堪えられなかったミドリは、自分の心に嘘をついて自分を守った」


「やめで、やめで、聞きたくない、いやだ、いやだ」


 怖い。逃げ出したい。今すぐにここから。お姉ちゃんから。遠くに。遠くに。


「お医者さんは言っていたよ。これは自分の心を守るためだから、無理矢理に真実を突き付けてはいけないって……ゆっくりと自分で気がつかないと駄目だって。だから父さんも母さんもミドリの嘘に付き合ってくれている」


 嘘だ、嘘だ、嘘だ、うそだ、うそだ、うそだ、うそうそうそうそ。私が元気のない二人を支えるって決めて。何時だって元気に振る舞って。お手伝いだって沢山したのに、全部ぜんぶ嘘だった……


「ミドリはバカだなぁ。僕の真似をしたって上手くいく訳がないだろう。君はミドリなんだから。父さんと母さんがやつれていってる事に気がつきもしないで」


「ぞんなの嘘だぁ! 僕がぁ! 私がっ! 二人を支えるって決めたのに! それじゃあ、わだじはぁ、いやぁぁぁ」


「もう充分だ。これで終わりにしよう。さぁ僕をちゃんと見て」


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 全てをさとった。お姉ちゃんは怒っている。これは復讐だ。お姉ちゃんの願いは自分を殺した私に復讐する事だったんだ。こんな回りくどい事をして、全部思い出させてから、苦しめて苦しめて、それから……


 もうここにはいられない。逃げなくちゃ、早く逃げなくちゃ


 私は立ち上がって、振り返らずに全力で走る。そうしようとしたら脚がもつれて勢いよく転がってしまった。それでも立ち上がって、フラフラして走り出すけど、腰に力が入らず上手く立てない。


 早く逃げなきゃいけないのに身体がいうことを聞いてくれない。手も足もかすり傷だらけだ。それでも痛みは感じない。早く立ち上がって逃げなきゃ行けないのに、その度に無様に転げて、立てなくて、地面を這って逃げた。


 そんな私の服をギュッと力強く掴まれた。


「ひいぃっ! だれ? やめてっ! はなしてっ! はっ、はやく逃げないと」


「にっ、逃げたら……だめ、だよ」


 振り返ると私の服を掴んでいたのは…………スイだった。


「なっ、なんでスイが!? わた、し早く逃げないとっ」


「こっ、ここで逃げたら、絶対に、後悔する」


「でも、でもお姉ちゃん凄い怒っててっ! ねえスイ? す……い?」


 焦っていて気がつかなかった。スイの顔が見えた。よく知っている顔だ。


「私のおかお、見えたの?」


「見え……た」


 一番よく知っている顔。それでいて懐かしい。古い写真でも見ているような……その表情は儚げだった。まるでこの世の終焉を予期しているような。今にも泣き出しそうな少女。この少女の顔は私だった……ずっと前の


「スイはミドリだったの?」


「そう、だよ。私は、アオイの願いが作り出した、昔のミドリ……」


「わた……し?」


「そう。ミドリが大嫌いな、嘘吐きで直ぐに逃げる卑怯者のスイミドリだよ」


 スイは昔の私。嘘吐きで直ぐに逃げる卑怯者のミドリスイ。だったら……


「だったら分かるでしょ!? 早く、はやく逃げないと!」


「だっ、大丈夫だから」


 スイは私を抱きしめると優しく頭を撫でてくれた。心が少しだけ落ち着きを取り戻す。胸が熱くなる。


「ミドリには、私の顔が、見えたん、だよね?」


「うっ、うん。そうだけど」


「それは自分と、ちゃんと向き合えたって事だと、おもう」


「でも私はわたしが大嫌いでっ!」


「大丈夫。ミドリはそんな私をちゃんと助けに来てくれたから。たった一人でとっても怖かったのに逃げなかったから……スイのこと、きら……い?」


「すっ、好きだよ。大好きにきまってるっ!」


「じゃあ、もう大丈夫。ミドリは自分の事が好きになれた」


 私はスイが好きだ。その言葉に偽りはない。嘘吐きで直ぐに逃げるけど、それなのに無邪気で素直な所もある。そんなスイが好きだ。好きになった。私はわたしを好きになってもいいのだろうか。それでも、でもっ


「でも、お姉ちゃん怒ってる! こわいよっ」


「ちゃんみて……自分と向き合えたら次はお姉ちゃんだよ」


「こわいっ、いや、にげないとっ」


「逃げたら後悔する……」


「こっ、こうかい?」


「大丈夫……だから。ここは願いの世界。アオイの願いの世界、それから……ミドリの願いの世界」


「ねがい?」


 願いって何だろう。私の願い。お姉ちゃんの願い。それにスイにも願いがあるの?


「だから、ちゃんとお顔を見て。私も一緒だから。ちゃんと一緒に……いっしょに…………から」


 スイはそう言って私を強く抱きしめると、キラキラの粒になって私の中に入っていく。それが心の深奥までたどり着くと、スイと一つになってスイの気持ちが私の心になって温かくなって勇気を貰えた気がした。

 恐怖も後悔も絶望も震えも一向になくなりはしない。それでも私は逃げちゃいけない。逃げられない。


 だって、絶対に逃げないって約束したんだった。アイと……お姉ちゃんと約束したんだ。


 私は意を決して立ち上がった。それからゆっくりと振り返る。お姉ちゃんはすぐ傍にいた。待っててくれたんだ、私のことを。


 逃げない 絶対に逃げたくない。俯く顔を上げると相変わらず恐ろしい顔だった。


「ひぅっ」


『大丈夫……ちゃんとお顔をみて』


 スイが私を応援してくれる。一緒なんだ、スイも。


 わたしも頑張る。


 私は正面からお姉ちゃんを見た。


「やっと、やっと僕の事を見てくれたね」


「うっ、うん……おねえちゃん」


「そんなに怯えないで。ちゃんと顔をみて話すんだ」


 真っ直ぐに顔をみると、相変わらず怖い表情をしている……そのはずなのに、その顔が……表情がユラユラと風に揺らいだ。思わず目をこする。


 その時だった。風がバっと吹いた。あまりの突風に空を薄暗く覆っていた雲は全部なくなって一瞬にして晴れ渡る。太陽の光がシャワーの様に降り注いで全ての闇を洗い流していく。

 やましい心を洗い流すような清らかに澄み渡った空。お姉ちゃんの後ろに陽が輝いて全部の嘘も本当もごちゃまぜになって白日の下に曝け出されていく。


 お姉ちゃんは……


「なっ、泣いているの?」


「ああ、僕は泣いている」


 お姉ちゃんは涙を流していた。何時から泣いているのか、何故泣いているのか分からない。もしかして、アイの顔をみて怖いって思った時お姉ちゃんは……泣いていたの?


「なんで、泣いているの?」


「ミドリを見ていたからだ」


「わっ、私を見ていたの? ずっ、ずっと?」


「そう、ミドリをずっと見ていた……見ていられなかった」


 ずっと、ずっとこの隔世かくよで私の事を見ていてくれた。自分を責めて苦しんで、自分に嘘をついて、お姉ちゃんを演じて、失敗ばかりで、お父さんにもお母さんにも心配をかける私を……だから泣いていたの?


「そっ、それじゃあお姉ちゃんの願いって……」


「僕の願いはたった一つ。たった一つだけミドリに伝えたい言葉がある」


「なっ、なあに? おしえ……て?」


 呆れた顔をされた。愚かな私を諭すように優しく口を開いてゆっくりと言葉を紡いでいく。


「バカだなぁミドリは。きみが先だろう」


 お姉ちゃんはそう言いながら、私の頭を優しく撫でた。柔らかくって、温かくって、その温もりが頭のてっぺんから胸の奥まで降りてくる。


「ミドリの願いは……ミドリは僕に伝えたいことはない?」


 その言葉で全てを理解した。あの時についた嘘と後悔。そのあとの悲しみも苦しみも、罪も罰も、やりばが無くって全て自分と両親にぶつけてしまった。


 時間を戻す事なんてできやしない。それでも。もし。もしも、もう一度だけ、お姉ちゃんに会えたならって。どうしても言いたかった。言わなきゃいけなかったのに、もうそれも出来ないって。


 怒りも、悲しみも、苦痛も、喜びも、言葉にならない感情が胸の奥で折り重なって瞳から零れてしまう。私はもう心も言葉も何もとめられない。

 


「…………ある、よ。ずっと、ずっと言いたかったの」


 もう怖くない。スイも一緒だ。ここは願いの世界……わたしは


「お姉ちゃん…………なざい」


「ミドリ、ちゃんと顔を見て」


「う……ん」


 顔を上げるとお姉ちゃんも涙を流したままだった。優しく微笑みながら。もう絶対に言えないと思っていたのに、伝えられるんだ。怖くない。迷いも無い。


 お姉ちゃん、わたしっ


「ごめんなざいっ!!! わだじ、ずっと嘘吐きでごめんなさいっ! 沢山お姉ちゃんのこと傷つけてっ! 裏切ってっ! お父さんにもお母さんにも沢山心配掛けて、私が嘘ついたせいで、お姉ちゃん死なせちゃって、ごめんなさいっ、ほんとうにほんとうにほんとうに、おねえちゃんっ! ごめんなさいっ ごめんなさいっ……」


 お姉ちゃんは優しく抱きしめてくれた。私に全てを吐き出させるように、何も言わないで、ただ聞いていてくれる。


「ずっと、ずっと、私が死ねばよかったんだって思ってぇ。お母さんもお父さんもお姉ちゃんも皆そう思ってるんだって!!! 優しい皆がそんな事思うわけ無いってじっでだのにぃ。わだじ、自分が絶対にゆるせなくって、そうでも思わないと頭がおかしくなりそうで、おかしくなっちゃて、自分が大嫌いで辛くって、苦しくって、わだじが悪いんだから自業自得なのに、それなのに逃げて逃げてにげてばかりで、ごめんなざいっ。お姉ちゃんのこと大好きだったのに、嫌いなんて嘘ついて、ごめんなさいっ。わだじがぁ。わたじがしねばよかったのにぃ、ごめんなさいっ」


 涙で前が見えない。私はお姉ちゃんの胸に顔をうずめて、泣き続け、喚き続け、謝り続けた。

 大好きだったお姉ちゃんの胸。柔らかくって優しくて温かい感触。むかし、私がスイくらいだった頃の記憶がよみがえる。いつもこうしてお姉ちゃんは私を甘やかしてくれた。

 もう絶対に無理だと思っていた願いが叶ったんだ。お姉ちゃんの胸元をビチョビチョに濡らしてそれから、もう一度お顔をみた……




「ミドリ……僕もやっと言える。ずっと伝えたかったんだ」






「おねぇ……ちゃん?」






「僕はミドリを……ゆるす」





 お姉ちゃんの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちて、私の肩に当たった。その愛憐が音を立てて飛び散ったとき、この世界は静かにはじけ飛んだ。


 あんなに青かった世界は真っ白に変わって私とお姉ちゃんだけが、ふわふわと宙に浮く。飛び散った世界の欠片はダイヤを砕いた粒になって、白の世界にゆっくりと、鮮やかに輝きながら降り注ぐ。優しく、美しくこの世界の終焉を祝福した。


 あんなに沢山あった藍色は、もうどこにもない。生まれたままの姿、お姉ちゃんと二人で抱きしめ合っている。




「おねえちゃん……ふわふわしてる」


「そうだね、この隔世かくよも役目を終えた」


 隔世かくよ……ここは、現世うつよとあの世の狭間。願いの世界だ。


「ねえ、おねえちゃっ」


「いつの間にか、背ぬかれちゃったね」


 私が言いかけたとき、お姉ちゃんはいつもの様に頭を撫でてくれた。


「私もう、あたま撫で撫でしてもらうような年齢じゃないんだからねっ、お姉ちゃんより大きくなっちゃたし……」


「僕からしたらミドリもスイもただの子供だよ」


「もう…………ねぇお姉ちゃん?」


「なんだいミドリ」


「わたしっ、もう嘘つかないよ、逃げもしない! 約束するっ」


「優しい嘘ならついてもいいんだ。父さんと母さんがそうだったろ?」


 お父さんとお母さんは私の嘘に付き合ってくれた。自分がアオイだと信じる私を傷つけないように、アオイと呼び続けてくれた。私を守るための優しい嘘。アイもそうだ。私がゆっくり自分自身を受け入れて、本当の自分に気がつけるように、大好きな藍という名前さえ偽って私を導いてくれた。


「わかった、これからはいい嘘だけにする」


 私も両親みたいに、お姉ちゃんみたいに誰かを守れる様になりたい。強くなりたい。


「それに、どうしても辛いときは逃げたっていい。ただミドリは自分からは逃げないこと。自分を偽らないこと。これだけ約束して」


「うん、約束する」


「だから、自分が死ねばよかったなんて絶対に思ってはだめ」


「で、でもそれは」


「ミドリに悪いところが無かったとは言わない。でもあれは事故だった。木が倒れるなんて思いもしなかった。そうでしょ?」


「そうだけど……」


「ミドリはちゃんと反省して謝って、僕が赦したんだ。この話はこれでおしまい。これでお相子だ」


「おねえちゃん……」


「誰がなんと言おうと僕が赦したんだ。だから誰にもミドリが死ねばよかっただなんて言わせない。ミドリ自身にもだ。僕は間違っているかい?」


「まっ、間違ってない」


「そう! 間違っていない言葉は強く正しい!」


 お姉ちゃんは私から離れると、語気を強めながら決め台詞を宣言した。何か深いことを言っているようだけど、あんまり深くは無い。当たり前のことを言っているだけに思えた。


「わっ、私もお姉ちゃんの真似してみたけど、全然うまくいかなかった」


「それは、ミドリがミドリらしくなかったからさ。いいかい、強く正しい言葉がいつでも最適とは限らない。だから時には本音を隠さなきゃいけない時だってある」


「難しいなぁ」


「難しく考えないっ。正直なだけが全てじゃないってこと」


「分からないけどぉ、あっ、だからお姉ちゃんもアイなんて嘘ついて私の前に現れたの?」


「んー、どうだったかなぁ? あんまり憶えてないやっ」


「なにそれ、なんか適当っ」


「そう、適当でいいんだ。自分を正当化する理由なんて、適当にかき集めて、後から付け足して、ちょっと誤魔化すくらいで丁度いいっ」


 お姉ちゃんはどや顔で、自信満々に適当な事をいう。思わず笑ってしまう。


「あははははっ、なにそれ、超てきとうっ、お姉ちゃんって面白いっ。前は完璧だと思ってたけど、やっぱりなんか違うかもっ」


「何度も言っているだろ、僕は完璧なんかじゃないって。それにミドリ……ミドリの笑う顔、とっても可愛いよ」


「かっ、可愛いって、そんな」


「おっ、照れて赤くなる顔もまた可愛いな」


「おっ、おじさんみたいなこと言わないでっ! もう」


「可愛いっていうのは本当だよ。これで自分を好きになる理由が一つ出来た」


「わっ、わたし……自分のこと……好きになってもいいのかな?」


「当たり前。少なくとも僕も両親もミドリの事が大好きだ。ほら、これで理由が三つ加わったね」


「うっ、うん……ありがとう」


「ミドリはこれからも、まだまだ生きていくんだ。こうやって理由を一つ一つ探してみればいい。ミドリらしくね」


「おねえちゃん私っ!」


 私はこれからも生きていく。ここは願いの世界。それじゃあお姉ちゃんは?


 お姉ちゃんは静かに私から離れた。


 この時がいつまでもつづいて欲しかった。それなのに離れていく。遠ざかってゆく。私は精一杯に手をのばした。離れゆく身体、あの時掴めなかった手、今度は確かに取り合えた。ガッチリと掴んだ。行かせたくないっ。この手の感触だけが、離れゆく二人を繋いでいる。


「おっ、お姉ちゃんお願いっ 行かないでっ」


「ここは願いの世界っ! 僕の願いはもう叶った、そろそろ行かないと」


「でもっ、まだ沢山お話したいよっ」


「大丈夫、ミドリはもう大丈夫だから。それに、ミドリにはやらなきゃいけないことがあるだろう? 僕じゃ出来ないんだ。お願い」


「わかってるっ! ちゃんと分かってるからっ、ちゃんと約束するからっ、私はもう大丈夫だからお姉ちゃんっ あと少しだっ」


「ミドリ、ありがとう……あいしてる」


「おねえちゃん、ありがとう それから、たくさん沢山ごめんなさいっ! わだじも、あいじでる!!!」


 サラサラと穏やかな風に流されて消えてゆく。ただ掴んだ手の感触だけが強烈に残って、意識が白くおちてゆく。


 ただ白く、透明に、彼方へと  ゆっくりと ただ ての かんしょく だけが   


 つよく   あたたかく




 ………………


 …………


 ……






 意識がおぼろげだった。何故かは思い出せないけど、横になった私は手を真上に伸ばしていた。その手を誰かが強く握っている。


「うっ、うぅぅ、お姉ちゃん」


「……っ! …………っ!!」


 重い瞼を持ち上げると、白い壁と私を覗き込む二つの影があった。ここは病院だろうか。思考が段々と纏まってくる。私に必死に声をかけているのは


「アオイ! アオイっ!! 目が覚めたの!?」


「おかあ……さん? おとうさんもっ」


「よかったアオイ! 崖の縁で寝ているのを見つけたんだっ。なのに全然目を覚まさなかったから。そうしたら急に手を伸ばしてっ、よかった」


「あなたまでいなくなったら、私達もう何もなくなっちゃうのよ! だから、あっ、アオイが帰ってきて本当に良かった。目が覚めてよかったぁ」


 二人して私の手を強く握って、泣きながら目覚めを喜んでくれた。お姉ちゃんの言うとおりだ。だれも私のせいだなんて思っていない。お姉ちゃんとの約束。ちゃんと守らないと。


「お父さん、お母さん。あのね、私ね……」


「わたし? ア……オイ? どうしたの?」


「私がね、こんなこと言っても信じて貰えないと思うけどね。私お姉ちゃんに会ってきたの」


 頑張って身体をヨロヨロと起こすと二人が私を支えてくれた。


「お姉ちゃんに会って、ちゃんと謝って仲直りしてきた。だからもう、その名前で呼ばなくても大丈夫、私の嘘に付き合ってくれて……ありがとう」


「ミっ…………ミドリなのか?」


「ミドリ、思い出したの?」


「うん、全部思い出した。お姉ちゃんのおかげで……だからね、私はもう大丈夫だから。お父さんとお母さんに沢山心配掛けてごめんなさい。悪いことも言っちゃってごめんなさいっ」


 お父さんも、お母さんも泣きながら私を抱きしめてくれた。こんなに心配をかけていたなんて気がつかなかった。私が支えるんだって思っていたのに真逆の事をしていたんだ。二人とも私の嘘か真実かも分からない出来事を信じてくれたのだろうか。


「よかったぁ、ミドリが帰ってきてよかったぁ、思い出してくれてよかったぁ」


 泣きながら抱きつくお母さん、力が強すぎて痛いくらいだ。


「ちょっと、お母さん痛いよっ、私の言ってる事信じてくれたの?」


「そんなことどうでもいいのっ」


「どうでもいいって、そんな私はちゃんと謝って」


「ああ、そんなことどうでもいい」


 せっかくお姉ちゃんの話を沢山聞かせたかったのに、私も少しだけ成長して、自分の事をちょっとだけ好きになれたって言いたかったのに、どうでもいいと言われてしまった。少しだけ寂しい。


「どうでもよくないよっ、わたし」


「ミドリが帰ってきただけで、それだけで父さんも母さんも嬉しいんだ」


「………………」


 そっか。そういうものかな。私はわたしらしく、精一杯生きるよお姉ちゃん……


「お父さん、お母さん、それからお姉ちゃん。今まで心配ばかり掛けてごめんなさい。みんなのこと……とってもあいしています」






 藍の言葉をあなたに  ― 完 ―

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