第十話 咎びとの森
アイが何故あんな風に笑っていたのかは分からない。いや、笑っている様に見えただけなのかもしれない。
アイは僕と初めて出会った時、辛らつな言葉をぶつけてきた。あの時はアイを苦手だと思ったけれど、そのあとの印象は全く違った。世話焼きで面倒見のいいお姉さん。第一印象とは真逆の、とってもいい子だった。
そんな事を思案しながら。森の奥へと進んだ。まだ十分も進んでいない。それでも振り返れば暗闇しか無かった。もうアイの声も聞こえない。
助けてくれる人はいない。頼りになるアイもいない。
ちがうっ、そうじゃない! 僕がスイを助けに行くんだ。そう自分に言い聞かすけれど心まで否定できない。暗い。怖い。
「ひいぃっ」
風が吹いて木々が擦れる音が悲鳴に聞こえた。この不気味な空間で自分の全てを得体の知れない何かに預けてしまっているような感覚だ。
それでも僕は歩き続けた。夜の森に街灯などあるわけがない。それでも完全なる漆黒という訳でもなかった。なぜなら空を覆う木の枝葉、その間に漏れ出る星々の輝きが僅かに夜道を照らしていた。
それに加えて道には所々に青白い光があった。その光をよく見てみると気がつく。よく知っている花だった。星蘭花の光が星に呼応して、ポツポツと輝いている。アイとスイと行ったあそこに比べれば微々たる光だけれど、この森においては大切な道標だ。
スイはこの暗闇で怯えているはず。だったら、スイもこの光を辿っているかもしれない。この光を辿ればスイの元に行けるかも知れない。そう思った。
「スイー! どこにいる!! もう心配ないから出てきて!!!」
大声で呼びながら点々と光る星蘭花を追いかけた。気がつけば一時間経ったのか二時間経ったのかも分からない。帰り道すら定かではなくなり、いっそうの不安が押し寄せてくる。
「スイッ! お願い出てきて! こっ、怖くないから! 僕も一緒だから。ねっ、スイ!」
自分の恐怖をかき消すようにわざと大きい声を出した。その声がこだまして、ここには誰もいないと伝えてくる。
フクロウのフォーという鳴き声、コウモリのバサッとする羽尾音。空を見上げれば星の間に何かが飛んでいる。
怖い……恐ろしい。早く家に帰りたい。早くアイの暖かい部屋で寝たい。お家に帰りたいっ。
それでも、もう引き返せない。約束したんだ。スイを迎えにいくと。
『アオイはスイを愛してる?』
急にアイの言葉を思い出した。スイを愛しているのか。最初はただの嘘吐きだと思った。とんでもない嘘吐きの泥棒が現れたと。
それから、暫く同じ時を過ごしていたら、とても良い子だと思うようになった。ただ自分に自信が持てなく、弱い自分を守るために嘘をついているのだと分かった。
僕は嘘が嫌いだ。けれどスイの気持ちは理解出来るようになった。
スイは怖いんだ。怒られるのが怖い。自分が悪いと認めるのが怖い。自分の弱さから逃げたいだけだ。
だからきっとスイはたった一人で震えているはず。早くいかないと……
僅かな星蘭花の灯りを辿って、ゆっくり歩く。この導きの光をはずれてしまえば、二度とは戻ってこられないかも知れない。そんな風に錯覚してしまう。
声を沢山だして、ひたすら歩いた。早く抱きしめたい、大切な人の名前をただ叫んだ。
「スイっ! どこだぁ! っうわぁ」
――その瞬間、踏み込んだ足があるはずの地を踏み外して、ずるっと滑ってしまった。ここは崖だったのかもしれない。滑って転ぶと回転しながら下に落ちていく。身体がゴロゴロとまわって、ようやく止まったけれど何も見えない。頭がクラクラする。
「うっ、うぅぅ」
全身が痛くて重い。きしむ身体にムチを入れて何とか起き上がった。ヨロヨロと歩いて近くの大きな木の元に行き、そこに寄りかかって座る。
現状を確認しないといけない。両手は……手のひらをグーパーして、腕を上げ下げした。
「うっうぅ」
痛みはある。だけどなんとか動く。木の元まで歩いて来られたのだから脚も大丈夫だ。全身が痛いけど骨折なんかはしていない。まだ探せる。そう思っていたら、ポツポツと冷たい水が空から降ってきた。
この世界に来て初めての雨。なにもこんな時に降らなくてもいいじゃないか。そんな風に歎いていたらドンドン雨足は強くなり、やがてザァザァと雨が叫び、揺れる木々が悲鳴を上げ始めた。
「なんで、こんな……これじゃぁ」
スイを探しに行けない。唯でさえ視界が悪く、さらに大雨。おまけに全身痛くって踏んだり蹴ったりだ。
すぐに出発するのは無理だ。木の元で脚を抱えながら雨が弱くなるのを待った。
………………
…………
……
「全然やまないじゃないか……もう……嫌だ。うちに帰りたい」
どれだけ待っても雨はやまない。木に向かって弱音を吐いてみたけれど返事は返ってこなかった。
そうしていると、稲光が近くで光り、刹那の間もなく落雷の轟音が響いた。
「ひいっ」
直ぐ近くまで雷がきている。寒さと恐怖で身体が震える。怖い……帰りたい……今すぐ逃げ出したい……
「こわい……こわい……たすけて」
ここには僕しかいない。どれだけ泣き言をいっても誰にもきかれない。脚を抱えて、顔をうずめて沢山泣き言をいった。じゃないと恐怖に押しつぶされてしまいそうだった。
『約束して……絶対に逃げないって』
アイの声が聞こえた様な気がした。錯覚でも少しだけホッとしてしまう。
「分かってるよ……ぼくは逃げたりしない。少し休んでいるだけだ」
休みながら少しだけ昔のことを思い出してみた。スイによく似た妹。ミドリの事を……
◇◇◇◇◇◇
『ねえミドリ。今日も学校にいかないの?』
『行かない! 虐められるからイヤ!』
ミドリはいつも学校をサボっていた。暗くて元気がなくて、僕と両親以外の人と会話するのが苦手なんだ。だから友達と上手く馴染めない。それが嫌で、自分の事を嫌いになってしまった。
『でもいつまで家の中にいるって訳にもいかないし。そうだっ、お姉ちゃんが一緒について行ってあげるよ。ミドリが友達と仲良く出来るように上手く話しするからさっ。明日、あした一緒に行こう』
『ほっ、ほん、と? お姉ちゃんも一緒に?』
『ああ一緒に行こう。それなら頑張れるでしょ?』
『うっ、うん、がんばれる』
『約束だ』
翌朝ミドリはいなくなっていた。いつものように逃げたんだ。
ミドリを見つけた場所は崖の脇に立つ大木の下だった。安全柵を越えた先にあって危険な場所だ。家族で遊びに来て、ミドリが景色が綺麗だととっても喜んでいた、お気に入りの場所。そこにある木に寄りかかって脚を抱えながら震えていた。ミドリは家をでると直ぐにここに向かって、ずっと一人で震えていたんだ。
『ここは危ないから入っちゃ駄目だっていっただろ?』
『でも……が、学校に行く方が、こ、こわい』
『ゆっくりでもいい、だけど逃げるのは良くない。その前にちゃんとお姉ちゃんに言って欲しかったな』
『うっ、うん』
ミドリを抱きしめて頭を撫でると、震えが止まった。
『さぁ、お家に帰ろう』
そう言ってミドリの手を引いて家まで帰った。
◇◇◇◇◇◇
ミドリとスイは本当によく似ている。性格は生き写しの様だ。だけれどミドリのわけがない。ミドリは死んだんだ。仮に生きていたとしても年齢はもっと上だ。スイがミドリの訳がない。
ミドリが死んだ場所。あそこはミドリのお気に入りだった……ミドリは逃げ出したあと直ぐに崖の木に向かったんだ。あの時すぐにそこに向かっていたら、ミドリが木を登る前に止められたかもしれない。
ミドリを救えなかった。
だけど、スイは……スイはまだ救える。きっとミドリと一緒だ。一人で震えて泣いている。手遅れになる前に行かなきゃ。
僕は逃げないっ
自分を鼓舞した。まだ痛む身体を無理矢理立たせて歩き始める。雨は降り止まない。雷だってピカピカと光っている。だからこそ、これ以上スイを一人になんて出来ない。
雨はやまなかったけれど、漆黒の暗闇が僅かに光を取り戻し、薄暗くなってきた。日が昇り始めたのかもしれない。これなら探せる。
薄暗い森の中を雨に濡れながら歩いた。星蘭花は星の光を失っても暫くは輝きを失わない。頼りなく光るそれを道標にスイを探しつづけた。
「スイー! 何処だっ! 助けに来た! うっ、うぅぅ」
大声を張り上げていると。急に頭痛がした。
その頭痛とともに声が聞こえた気がした。
『…の………き』
「だれっ! スイ!? ちかくにいるの!?」
『この……つきっ』
どこからともなく聞こえてくる声。スイの物ではない気がする。何か怒りをはらんだ様な声だった。その声が段々と近くなってくる。段々と聞き取りやすくなる。正体の分からない声は僕にこの上ない恐怖を与えた。
そして
『このうそつきっ!!!』
「いやぁっ」
耳元ではっきりと言われた。「嘘吐き」だと。まわりに人はいない。幻聴や錯覚じゃ無い。はっきりと明確に聞こえた怒りの叫びだ。
僕は怖くなって走り出した。
『うそつき ひきょうもの』
どれだけ走っても、その声からは逃げられなかった。どこまでも耳元についてくる。
「もっ、もうやめて、僕は嘘が嫌いだ!」
『うそつき うそつき うそつき うそつき にげるな ひきょうもの』
「やめてっ、やめてっ もうやめてくれっ」
『おまえだ おまえのせいだ おまえがやったんだ』
僕は頭をかかえて蹲った。この声が怖い。だってそんなはずがない。あり得ないことだ。
『おまえだ おまえだ おまえだっ おまえのせいだっ』
「もうやめてくれっ! ミドリの声で僕を責めるな! みっ、ミドリは僕にそんなこと絶対に言わない!」
怒声はミドリのものだった。ミドリが僕を責めるわけがない。ミドリは僕が大好きで僕もミドリが好きだった。こんな風に僕を責め立てるなんて絶対にない。そう言い切れるのに…………
『お前のせいだっ! お前が殺したんだ 殺した 殺した お前が殺した! お前が死ねばよかったんだ! この人殺しっ!!!』
「いやぁぁぁぁっ!」
僕は誰も殺していない。あれは事故だ。立ち上がって、また走って、自分の大声でミドリの声をかき消すけれど、声は何処までもついてくる。ミドリの声で僕を責め立てるなんて酷すぎる。
「ぢがう ぼぐはぞんなごとじてない みどりはぜっだいに、ぞんなごというはずない」
ありもしない罪を、怒りを理不尽にぶつけられて僕は逃げ回った。逃げ出したいのに逃げ場が無い。どこにいっても声はついてくる。
ここは咎びとの森……僕に咎なんてない。
怖い。森が怖い。声が怖い。咎が怖い。自分が怖い。僕は何もしていない。ミドリを救えなかった事にミドリが怒っているとでもいうのか。どれだけ自問自答を繰り返しても答えは出ない。
『殺した お前が殺した お前のせいだ 嘘吐きが憎い 卑怯者が憎い 許せない』
「僕は嘘吐きが嫌いだ! だけどミドリもスイも大好きなんだ! だから僕は殺したりしてないっ。だから、だからもうやめてくれ!!!」
天に向かって大声で叫んだ。逃げちゃ駄目だ。約束したんだ。逃げちゃだめだっ、逃げちゃだめだっ、逃げちゃだめだっ
『アオイにもし咎があれば、アオイ自身も飲み込まれてしまう』
アイの言葉が今更頭に過った。僕は逃げたりしない。咎なんてない。理不尽な声にも屈しない。大声で叫んだことによって声は静かになった。ミドリは僕が大好きだったんだ。絶対に恨まれたりはしていない。
『直ぐに逃げる卑怯者…………誰が殺したっ……何で殺したっ……誰を殺したっ……』
「うるさいっ! 僕は負けないっ 絶対に逃げないっ!」
今までで一番大きな声で叫ぶと声は遠ざかっていった。僕は勝ったんだ。ミドリの声を使った理不尽な責め苦に耐えた。
はやく……早くスイを探さないと
「スイ、今行くからねっ」
やまない雨。それでも日が昇って明るさを取り戻してきた。明るい方へ明るい方へと歩いた。きっとスイも暗いところより、明るい方が安心するはずだ。
そのうちに川の流れる音が聞こえてくる。流れの速そうな音。そこへ行くと森の木々は無くなり草原が広がっていた。天を仰げば薄暗い色の雲が雨を降らせ続ける。
草原の奥には切れ端があって、近づくとそこが渓谷である事に気がつく。下に落ちれば命は無い。その断崖を奥の方まで目を凝らしてみると、遠くに大木が見えた。崖の際に立つ大きな木だ。
鼓動が波打つ
「ここって……」
見たことのある風景だ。記憶がフラッシュバックする。大きな木に向かって歩いた。段々と近づく。そうすると、その木にもたれ掛かるように人が座っているのが分かった。
「スイっ! スイっ!!」
僕は急いで駆け寄った、痛む身体を無視して全力で走った。近くまでくればもう分かる。間違いない、スイだ。僕は間に合ったんだ!
「スイーっ」
スイは身体も服もボロボロになって木に寄っ掛かったまま寝ていた。寝ているスイを思いきり抱きしめた。頭を撫で、頬ずりをしているとスイは静かに目を覚ます。
「あっ、あれ、ここは、あっ、アオイ?」
「そうだよ僕だっ」
「あおい……アオイぃぃー! うぇーん、怖かったよぉ」
僕だと気がつくとスイは虚ろな目をしたまま泣き出した。そして、僕の胸に顔をうずめる。
「ああ怖かったね。もう大丈夫だ……だから一緒にお家にかえろう」
長かった冒険もこれで終わりだ、これでやっと帰れる。もう一度スイの顔を見ると……いつもの塗り潰されて見えなかった顔がザザザっと揺れ動いた。スイの素顔が見えそうになる。
しかし、それが見えると思った瞬間に強烈な頭痛に襲われた。
「うあぁぁぁっ」
「大丈夫アオイ? くる、しいの?」
「大丈夫……だいじょう、うぅっ」
原因の分からない頭痛、それから吐き気だった。助けに来たスイにまで心配されてしまう。しばらくして落ち着くとスイが話し始めた。
「ねぇ、アオイ……わた、しね」
どこか虚ろな、儚げなしゃべり方だった。
「どうしたんだスイ」
「わた、し。なぜか、この森にいかなきゃって、おもってね」
アイが言っていた。森に誘い込まれるというやつだ。スイは最後虚ろな目をしたまま飛び出した。そのまま導かれるようにここまで来たのだろうか。
「それで、ね。声が聞こえて、私の悪い所とか、他にも色々、私のこと沢山いわれたの」
「僕にもその声は聞こえた! 理不尽なことを沢山言われたんだ! スイはよく耐えられたね」
僕でも耐えがたい苦痛だった。スイなら尚更だったと思う。ただスイは咎びとだ。僕とは状況が違うはず。
「わたしね、自分と、ちゃんと向き合って、みたの。そうしたら、分かったんだ……自分のこと」
「分かったて、何をだ!」
そういえばスイの事をまだちゃんと聞いていなかった。どこから来たのか。普段何をしているのか。この
「わっ、わたしの、役割って、いうのかなぁ……」
「役割? いったい何の事だ!」
「あれ」
スイが真上を指さした。木の枝だった。しかし枝と葉が生い茂るだけで何も無い。
「何もないけど?」
「あのね、アオイから、貰ったペンダント、振り回してたら、手から離れちゃって、あっ、あの枝に引っ掛かっちゃったの……」
心臓がトクンと静かに音を立てた。既視感のある風景と言葉。でも少し違う。あの時とは違う。それに、どれだけ探してもペンダントは木の上には見当たらなかった。
「わっ、わたしじゃ、木に上れないから、お願い、アオイ……とってきて」
嘘だ。これは嘘の話だ。ペンダントを振り回して偶然木の枝に引っかかったなんて嘘に決まっている。スイはまた嘘をついている。でもなんの為に……
『嘘吐きが嫌いだ……』
また耳元で声が聞こえる。もう惑わされることはない。そう思ったのに頭がクラクラしてきた。思考が定まらずふらふらしながらスイの肩を掴んだ。理由は分からない。
『嘘吐きが憎い……』
違う。僕は憎くない。嘘は嫌いだけどスイは好きだ。ミドリだって大好きだ。
『お前が殺した』
「ころしてない、うぅ、ころして……わたし……ころした?」
耳元で囁く声はドンドン僕の心の奥まで入っていって身体が自由に動かない。スイの肩に乗せる手が震えた。スイは僕の顔を見上げるだけだ。
『この人殺し……わたしは嘘吐きが憎い、卑怯者が憎い……ミドリがにくい……』
「違う……そんなことはない」
『お前が殺したっ 殺した ころした ころした ころした ころした』
「わたしが ころした ころした ころした だっだれを うぅぅ」
頭がぐらぐらして、声が心の根っこを揺さぶってくる。全身から汗が溢れるように出て、手のひらだって、びちょびちょだ。心をナイフで突き刺してくる。何か大事な事を思い出しそうになるけれど、頭にモヤがかかって出てこない。
僕は、わたしは、殺した……ころした……ころす
「だっ、大丈夫、すごい、あせ、だよ?」
スイの言葉で、ハっとして我に返った。心臓は激しく脈打ち、息は切れ切れになっている。たった今何を考えていたのかさえ曖昧だった。
何を考えていたのか。何を思い出すべきなのか。何をしようとしていたのかを必死に思い出す。
「ねえ木の枝に、引っかかったペンダントとってきて」
そうだ、僕はスイに頼まれて木の枝に引っかかったペンダントを取りに行くんだった。
「僕にまかせて」
木に取りついて、脚を引っかけ登り始めた。疲労と怪我で全身が痛むけれど僕はこの木に登らなければいけない。手を伸ばして枝を掴み身体を持ち上げる。そうしたら脚を上げてもっと上の枝を掴んで高く高く登り続けた。
スイではこの木に登るのは不可能だろう。だから僕に頼んだ。だけれどペンダントが引っかかったなんて嘘だ。きっと上まで登ったら手に隠し持っていたペンダントを見せつけるつもりだ。
なっ、なんのために?
『アオイも森に誘い込まれてるよ?』
また声だ……でもこれは今までの物とは違う。これは……アイだ。
アイの言っていることが分からない。とにかく僕は登らなきゃいけない。もう二、三メートルは登っただろうか。下を見るのは怖い。スイが指さした所までもう少しだ。
きしむ身体にムチを打ってさらに木を登る。
『ねぇアオイ? そのお話、少しだけおかしくない?』
またアイの声が話しかけてきた。疲労が見せる幻聴なのか言っていることが理解出来ない。
「何を言っているのか分からない」
『小さくて運動の苦手なミドリが、どうやって木に登ったの?』
「うぅっあぁっぁ」
また頭痛だ。吐き気もする、今にも吐いてしまいそうだけど、我慢だ。
「そっ、そんなこと僕は知らない」
登らないと、登らないと、早く登らないといけない。速くこの嘘を終わらせたい。そう思って急いで登った。
『ミドリが直ぐに崖際の木に向かったなんて、なんで知っているの?』
「うるさいっ、うるさいっ、うるさいっ! そんなの知らないっ」
アイの声が酷いノイズに聞こえる。それを自分の声でかき消す。目的地はもうそこだ。そこについたら、スイは私に言うんだ。「嘘だよっ。本当はペンダントは私が持ってました」ってそう言うんだ。それで仲直りのはずだったんだ。
『ねぇ、なんで』
「うるさいっ!!!!」
私は木の上についた。登り終えた。どこにもペンダントなんてありはしない。やっぱりスイの嘘だ。これで終わりだ。これでこの嘘の話も……
『何でミドリは川に落ちて二度と見つからなかったのに、ペンダントがまだあるの?』
「そんなの決まっている。私が手に握ってたからだっ」
頭が痛い。割れそうだ。上についてスイを見下ろすと、心臓が破裂しそうになる。あの時、あの時とは違う。あの時とは逆で、アオイが下でミドリが上で、あれ、うえアオイ、したは、すい、みどり
「うぅぅ、いたいいたいいたい、いやだぁ」
『……嘘吐きはね、自分に嘘をつくんだよ。嘘で自分を塗り固めて、自分がついた嘘を本当だと信じて、そうやって弱い自分を守る』
上につくと、木がミシミシと音を立てて傾きだした。あの時と同じだ。これはあの時の再現だというのか。
このままでは木と一緒に崖に落ちてしまう。どうすればいい……スローで景色が流れる。今までの記憶が走馬灯の様に流れる。スイに向かって必死に手を伸ばした……スイも僕に手を伸ばしている。それなのに指先が少し触れただけで届かなかった。
『お姉ちゃん!? おねぇちゃん!? 何で? いやぁ! いやぁぁぁ!!!!』
そうか。あの時叫んだんだ。あの時と一緒だ。それじゃああの時……嘘だ。いやだ。そんな事は信じたくない。嘘であって欲しい。
静かに遠ざかるスイの手。過ちも咎も恐怖も後悔もすべてが終わったことだ。このまま川に流れて無に返る。それでおしまい……それも悪くない。
私はそう思ったのに、それを赦してはもらえなかった。
「危なかったねアオイっ」
アイが腕を力強く掴んで、崖の上へと引き上げてくれた。
「なっ、なんで……」
「どうしたの、そんなに怯えて。何でってなぁに?」
「だっ、だって、アイは、この、森には入れないって……」
尻餅をついて座ったまま身体が動かない。身体の震えを抑えられない。
「森に入れないなんて、そんなのアイの嘘。ここはアイの願いの世界。アイに入れない場所なんてない」
アイが嘘をつく意味が分からない。震えながらアイの顔を見上げた。そこにはもうグチャグチャに塗り潰されたモヤはなく、はっきりと顔が見えた。
憤怒の形相だ……
だけど、それよりも、もっともっと恐ろしいのは……
「なっ、なんでアイが、わっ、私の顔をして……いるの?」
私は自分の顔を触って、掻きむしって確かめた。そんなことをしても確かめられないのは分かっているけど、いつも身近にあって、それなのにあまり見ない自分の顔がアイに付いている。その不可解な現象を理解したくなかった。
「やっと顔、見えたんだね。もう全部思い出したんでしょ?」
「おもい、だした、なっ何言っているの、ア、ィ?」
「アイの名前はアイじゃないっ。僕の名前はアオイだっ!」
その仕草に、その言葉に、その表情に。言葉では表し得ない、絶望と後悔と恐怖に心が包まれてゆく。
『誰がころした? なにで殺した? 誰をころした?』
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