第九話 過ち

 今日も手を繋ぎながら、家族の様に楽しく三人で街を歩いた。スイが少し先のお店を指さし、そこに行きたいと駄々をこねる。拒否する理由もないのでスイに手を引かれるまま、その店にたどり着いた。

 そこは……


「みて! キラキラが沢山!! 綺麗な石がいっぱい並んでるよっ」


 店内には、ショーケースに入った青や赤や黄色や緑、キラキラに輝く石が散りばめられている。大きかったり小さかったり、艶があったり無かったり。それが指輪にネックレスに、イヤリングにあしらわれている。

 そう、ここは宝石屋だ。


 スイは色々なキラキラに目移りしてショーケースを次から次に渡り歩いている。ガラスに手と顔をべったりとくっつけてしまうから、くっきりあとが残ってしまう。お店の人に注意されてしまった。


「スイ欲しいものがあったら、一つだけ選んで。まだ星蘭花は残っているから一つくらいなら余裕で交換できる」


 あれだけあった星蘭花も大分減ったけれど、まだ残っている。それでも一つしか選べないのだから、ここにある宝石はそれだけの価値があるのだろう。


「一個だけだったら、わたし、あれっ! アレ欲しいっ」


 スイが指さしたのは、一番奥のショーケース、何やら物々しい真四角のガラスケースに入れられた、とびきりの宝石だった。スイの拳くらいの大きさがあるダイヤモンド……の様に七色に輝く透明感のある石だ。


「すっ、スイ……多分あれは無理、一応聞いてみるけど」


 アイが青人と交渉を始める。残っている星蘭花を全部見せるけれど青人は首を横に振っている。多分足りないのだと思う。


「あれ、欲しぃよぉ」


 スイが涙目になると、青人が何故か僕の方を指さしている。何かを訴えているようだ。アイは強く反論しているように見える。

 心配になったので交渉するアイの元に駆けつけた。


「アイ、どうした。何かもめてるの?」


「なっ、なんでも……ない」


 歯切れが悪く言うと青人は唐突に僕の胸に手を伸ばしてきた。そして、その手で掴まれた。

 僕の青いペンダントを。


「やめてっ、離してっ!」


 そう言って手を振りほどいたけれど、青人は何かを喚き続ける。


「この人ちょっとタチが悪い。もうこのお店は出よう」


「でも、アイ、わたし。あれ欲しい……」


「そうだよ、アイ、せめてなんて言われたかだけでも」


 アイは暫く沈黙を続けてから諦めた様に口を開いた。


「アオイのペンダントだったら、あれと交換するって言ってる。これは大事なものだから駄目って言ってるのに、もうそれ以外とは交換しないって」


「そっ、そんな」


「アオイが持ってるのは、隔世かくよには存在しない石。とっても価値がある」


 僕は思わずペンダントを強く握った。あれだけ贅沢を出来た星蘭花よりも、このペンダントに価値があるなんて思わなかった。

 けれど、これを渡す訳にはいかない。スイの願いも叶えてあげたい。僕はどうしたらいいか分からない。そう思っていたら、スイが僕を見ながら言った。


「だっ、大丈夫だよ。わたし、べつに、あれ、いっ、いらないから」


 星蘭花一輪と小さな宝石を取り替えて宝石店を出た。スイは小さな小さなそれを満足そうに眺めながら歩いている。

 スイは成長している。きっと出会ったばかりの頃なら宝石を盗んででも手に入れようとしただろう。

 スイはもう嘘をつかない。盗みもしない。そう思うと何だか胸の奥が熱くなった。


 だから、ふと思った。もう一度同じ事をしてみようって。理由は自分でも分からない。


「ねえスイ、あの大きな宝石ほんとうにいらなかったの?」


「えっ! わたし、あれ、すごい欲しかったよ」


「それなのに何で諦めたんだい?」


「だって、アオイの、大切な物とは……交換できないから。それに、ペンダント、宝石よりも、素敵、だし」


 相変わらず、たどたどしいしゃべり方だった。それでもスイは人の気持ちがわかる様になった。だから僕はこれからすることに後悔はない。


「スイ。僕のためにありがとう。お礼に渡したいものがある」


 首からペンダントを外した。それをスイの首に掛けてあげる。まだ出会ったばかりの頃に、スイが欲しい欲しいと騒ぎ立てていたことを思い出す。


「なっ、なんで? これアオイの一番大切なもの、なのに」


「一番大切な物だから、スイに渡したいと思ったんだ。これを受け取ったら、スイはもう二度と嘘を吐かないし、人の物を盗まない。そう約束してほしい」


「わたっ、わたしもう、嘘つかないよ! 盗んだりもしないよっ。やっ、約束アオイと……」


 形見のラピスラズリのペンダントを受け取ったスイは、心底嬉しそうにそれを眺めると頬ずりをした。ここまで喜んで貰えると僕も嬉しくなってしまう。

 改めてスイの顔を見てみると……


 あれ、顔が見えないのに、それなのに、モヤモヤが取れそうで、その顔が見えそうな……それでいて見えない。


 あと少しで見えそうなのに、アイもスイも顔が見えない。最初は不気味で怖いと思った二人の顔だけれど、慣れると愛嬌があって可愛いとも思うようになった。

 いつか僕は二人の顔を見られるのだろうか。


「本当にあげて良かったの、アオイ?」


 アイが驚いた様にそんな事を言った。迷いはなかった。それがスイにとって一番いいと思った。スイを救うのがアイの願い。それは僕の願いでもあると思う。


「ああ。何となく、そうしたかったんだ」


 そう言うとアイは僕の頭を撫でてくる。「成長したね」なんて言いながら。心外だ。僕はアイよりも背が高いし成長している。はずだ……


 こうしてアイの部屋まで戻ってきた。


「ねえアイ、この隔世かくよに迷い込んでしまったら、願いを叶えないと帰れないんだよね」


「そう、ここは願いの世界。いきなりどうしたの?」


「スイはここに来た頃よりも立派になった。だから僕の願いもアイの願いも叶ったのだと思うけど、まだ帰れない。どうやったら……」


「それはまだ願いが叶っていないからだと思う。アイの願いも何もかも……」


 アイの願いは咎びとのスイを救う事だと言った。その真意は分からない。そして僕の願いもスイを救うことだと思う。ただどうやったら救ったことになるのかが分からない。


 それに僕はもう……


「ごめんアイ。実はそういうことじゃなくって、その」


「なにか言いづらいこと?」


「その通り……だ。この世界はあまりにも美しくって、楽しいことが沢山あって居心地がいい。なんだか最近は、もうずっとここにいたいって、そう思い始めてる。現世うつよでは嫌な事ばっかりだったから」


 アイは何も言ってくれなかった。下を向いたまま僕の言葉に何も返してはくれない。そうして暫く沈黙がつづいた後にボソッと呟いた。


「……逃げるんだ、アオイは」


「なっ、逃げるとかそういう事じゃなくって。僕はただ」


「ついてきて……」


 そうして手を引っ張られて部屋を連れ出される。


「わっ、わたしも、いく! どこいくの?」


「スイは部屋で待ってて。絶対に外に出ないこと。約束して」


「うっ、うん」


 珍しくアイがスイに強い口調で言った。その迫力にスイも二つ返事だった。そうして、苛立つアイに手を引かれ、小一時間だけ歩いた。星蘭花を採りにいった時と比べればなんて事のない距離だ。


 道を歩いていると気がつく。どこか見たことのある景色だった。

 そうだ、この世界に迷い込んだ時の最初の青色の場所。来たときは気がつかなかったけれど、そこにはぽつんと綺麗で透明な、それでいて大きな水晶があった。

 それに触れてみると、触ったところからポワンと波打つ。感触は堅いのに、水の様に弾ける。不可思議な水晶だ。


「アイ、これはなんだい?」


「これは現世うつよを見るためのもの。ここに来れば何時でも現世を見られる。みたい場所を願いながら触ってみて」


「見たい場所って言われても僕にはとくに」


「はぁ、本当にそう? 大切な人がいるとか言ってなかった?」


 あきれと苛立ちを隠しもせず、溜め息をつきながら言われた。

 その言葉にハッとする。そんな大事なことも忘れていたなんて。僕が支えると心に決めた二人。二人にはもう僕しかいないのに……

 そう思ったら、いてもたってもいられない。二人がどうしているかすぐに確かめたかった。


「見たい所を願いながら両手で触れて」


 言われたとおりに両手で水晶に触った。そうしたら映し出された。鮮明に僕の大切な二人が……


 ああ父さん、母さん……


『なんでえ、なんで二人ともいなくなっちゃうのよぉ! 帰ってきてよ』


『大丈夫だっ! きっと帰って来る! だから信じるしかない』


『そんな事言って帰ってこなかったじゃないっ!!!!!! アオイもミドリもいなくなっちゃって、もう何もないっ!!!!!』




 母さんはミドリが死んでしまった時の様に泣き叫んでいた。父さんも目に涙を浮かべている。母さんはまた、おかしくなってしまって、父さんも限界そうだ。二人にとって僕は唯一の希望だったんだ。僕が支えると決めたのに……


「これで分かったアオイ」


「ああ分かった……僕は絶対に帰らないといけない」


「もう時間がないかもしれない……戻るよ」


 アイはそれだけ言うと無言のまま歩き出す。来た道を小一時間掛けて家まで戻った。機嫌が悪いアイに何も声をかけられなかった。「もう時間が無い」その言葉の意味も聞けない。


 ただこれだけは絶対だ。僕は絶対に家に帰らなくちゃいけない。そのために自分の願いを叶える。僕は絶対に逃げない。そう心に決めた。


「ただいまっ」


 アイが無機質にそう言いながら部屋に入ると、スイが笑って出迎えた。いやこれは苦笑いだ。何かを服の中にさっと隠した。

 いやな予感がする……


「おっ、お帰りぃ!」


「スイ今何を隠したんだい?」


「なな、なにも、かくして、ないよ?」


「スイっ! まさか約束やぶって外にでたの!?」


 アイがそう言うと、ビクっと震えて服の中から大きな宝石がゴロンと落ちてきた。特大の何処かで見た宝石。これは、あの宝石店でみた一際大きいものだ。まさかスイは。


「スイそれは……どうしたんだ?」


「ちっ、違うよっ! わたしは、悪くないっ、違う、や、約束やぶっちゃって外にはいったけど、で、でもわたし、は、わっ、わるくない……」


 スイはどう見ても焦っている。きっと僕の想像のとおりだと思う。信じたくはないけれどスイは……それか、もっともっと悲しい事をしたのかもしれない。まさか……


「ねえスイ。僕があげたペンダントはどこにある?」


「そっ、それは、わたし、悪くないもんっ」


「まさか交換したのかっ!!」


「ひぅぅっ」


 思わず感情が高ぶって、スイに平手を振りかぶった。その手がスイの頬に触れる瞬間……

 涙を浮かべるミドリの顔が脳裏に飛び込んできた。


 僕はなんとか手を止める。同じ過ちを繰り返さない。あの時ミドリを叩いた事は今でも後悔している。ちゃんとスイの話を聞いてからじゃないといけない。


「ごめんスイ、怖がらせてしまって。怒ってないから何があったか聞かせて欲しい」


 そう言ったら、スイは素直に話し始めてくれた。


「わた、わたしね、キラキラの大きい宝石が忘れられなくてね、それで、もう一回いったの、だだ、だから、部屋を出ないって約束やぶっちゃって……それで」


「宝石屋さんで僕のペンダントと交換したのかい?」


 スイは大きく首を横にふった。


「ちちっ、違う、違うの、だってほら」


 そう言いながらスイはポケットからペンダントを出す。あぁ、僕の杞憂だった。スイは僕のあげたペンダントと宝石を交換したりはしていない。


 つまり


「それじゃあ、その宝石は盗んでしまったのかい?」


「ちが……わるくな……わたし、わた」


 スイはしゃべり方が一段と、たどたどしくなってしまった。「私は悪くない」何度も聞いた言葉だ。これを言う時は大抵悪いことをした時。そういう時にスイはいつも謝れなかった。

 どうしたものかと思案していると、アイが優しく抱きしめた。


「スイ……ちゃんとお話して。じゃないとスイが悪いのかどうか分からない。怒ってないから正直に話して」


「うっ、うん……」


 アイのおかげでスイは少しだけ落ち着きを取り戻した。


「あのね、大っきい宝石、近くで見てたらね、店員さんがケースから出してくれたの。そ、それで、何か言いながら、わ、わたしの手のひらに置いてくれて」


「うん、それから」


「それで、『手に持っていいよ』って、言ってくれたんだと思って、握り絞めた」


 そのまま誘惑に負けて持って逃げてしまったのか。だとしたらスイはやっぱり


「そっ、そしたら、店員さんがわたしのペンダント、むっ、無理矢理引っ張って、とっちゃったの」


「なっ、なんだそれは! そんな事って」


「アオイはまだ黙ってて、ちゃんと最後まで聞かないと! それでスイはどうしたの?」


「慌てて返してって言ったんだけど、スイの持ってる宝石指さして、なにか言われてるんだけど何言ってるか分からなくて……返してくれなかった」


「アイ、こんなことゆるされないっ」


「わかってる。それでアイは何でペンダントも宝石も両方持っているの?」


 そうだ、それが肝心だ。あの店員はスイをだまし討ちしてペンダントと宝石を無理矢理交換しようとした。それなのに、結果的にはスイが二つとも手にしている。その理由は


「わたし、取り返さなくちゃって、思って、それで、その、青い人の手に噛みついて、取り返した。それで、ものすごい怒ってるから、怖くなって、全力で逃げて……気がついたら二つとも手に持ってた」


 三人で暫く沈黙した。こんなのスイは悪くない。悪いのは宝石店の店主だ。スイを疑ってしまったことを恥ずかしく思う。ちゃんと最初から話を聞くべきだった。


 ただ結果的にはスイが宝石を盗んでしまったことになる。どうすればいいか分からない。


「スイもアオイも早く準備して……行くよ」


「いっ、行くってどこに?」


「宝石屋に決まってる。スイもアオイも言いたいことは全部分かってる。でもやらなきゃいけないことがある」


 アイには僕の考えが分かるようだ。そして、やらなきゃいけないこと。きっとあれの事だ。スイが始めてこの世界に来たときに犯した過ちの事を思い出す。


「宝石を返しにいくんだね」


「そう。それをして、ちゃんと謝らないと咎が降ってくる」


「いっ、いや、だ、こわい」


 スイは酷く怯えていた。謝るのが怖い、あの店主が怖いのだろう。それでもきっと大丈夫、スイには僕もアイもついている。いまのスイだったらきっと大丈夫だ。


「スイっ、大丈夫。アイも一緒だからね。なにも心配ないよ」


「ほっ、ほんとう、アイも、きっ来てくれる?」


「当たり前。この宝石を返して、それから言いたいこと言ってやる」


 アイは怒っていた。当然だ、僕だって同じ。こんな汚いやり方で騙して、せっかく真面目になったスイに罪を背負わせたんだ。文句の一つも言ってやりたい。


 こうして、怒る二人と怯える一人で宝石店についた。スイは僕たちの後ろに隠れたままだ。


 店に入ると、店主が騒ぎ立てた。何を言っているかはわからなけど想像はつく。スイが申し訳なさそうな顔で宝石を渡すけれど店主は受け取らなかった。首に掛けたペンダントをよこせと言っているようだ。


「アオイどうしよう」


 珍しくアイが焦っている様子だ。話が上手くいっていないようだ。


「どうしたの、店主はなんて言ってる?」


「もう物々交換は成立してるから、返すのは宝石じゃなくってペンダントだって」


「そんなのおかしいだろっ! 無理矢理奪ってそれで成立するなんてっ」


「アオイの言ってる事は正しい! だけど、店主は交換って言いながら宝石を渡したらしい。それで店主もペンダントを手にしたから。それで成立しちゃったっ」


「そんなっ」


「だからペンダントを返さないと咎が降ってくる……」


 そんな事絶対に間違っている。僕はもう気持ちを抑えられなかった。


「おい店主! どう考えてもおかしいだろう、そんなこと!? 成立だかなんだか知らないけど、ペンダントは渡せない。宝石は返す! これで納得してくれ!」


 詰め寄って大きな声で捲し立てた。言葉は通じないけれど、そんな事は関係ない。ただ納得して欲しかった。

 アイも同じ気持ちの様で、大きい声で店主に訴えかけている。もう押し問答になって埒が明かない。


「やっ、やめて、みんなっ!」


 このどうしようもない現状を動かしたのは意外にもスイだった。大きい声なんか出したことのないスイが精一杯叫んで、全員の動きがとまる。皆がスイに注目した。


「わっ、わたし、分かってるよ。ちゃんと、だっ、だから、わたしが、ちゃんと言わなきゃ……だよね」


 スイは何かを覚悟したようだった。静かにだけど、力強く声をだした。そして宝石を握りゆっくり店主に差し出す。


「あっ、あの……ごっ、ごめんな、さい。わたしの、せいで、めいわく掛けちゃって、これ、ちゃんと返すから……だからペンダントは大切な物だから、わたせ、ないの……その、わたしが悪かったです。ごっ、ごめんなさい」


 初めてだった。スイがはじめて謝れた。どんなに言ってもそれだけは出来なかった事。なんど言っても口を噤んで自分は悪くないしか言えなかったスイが……僕やアイが必死に訴える姿がそうさせたのか、スイ自身が変わろうと思ったのか。

 それは分からないけれど、目頭が熱くなった。アイも驚いている。


 その差し出した小さな手にのる大きな宝石……スイの初めての謝罪、その思いのこもった手に店主は手を伸ばすと


「ひゃっ あっ あぁぁ」


 店主は払いのけた。宝石がゴトンと床に落ちて転がる。スイの眼に宿る光が薄らいだ気がした。


「なっ、なんて事するんだっ」


 せっかくのスイの思いを踏みにじられた。これじゃあスイがあんまりだ。声を荒らげて店主の腕を掴んだ。


「いっ行かなきゃ」


 僕が店主に掴みかかり興奮していると、スイは静かに「行かなきゃ」といった。そして、全力で走り出す。


「まっ、まってスイ。何処に行くんだ!!」


 スイは逃げ出した。何がそうさせたのか分からない。初めての謝罪を無碍にされたのが原因か、それ以外の何かか。急いで追わないと。


「アオイ! 絶対にスイを捕まえて! 手遅れになるっ」


「わかった! アイはどうするの?」


「私はここで、交渉する! 上手くいけば咎が降らなくなるから! アオイは早く行って」


 返事もせずに店を飛び出した。「手遅れになる」がどういうことか分からないけれど、直ぐに捕まえられるはずだ。スイはそんなに体力がある訳じゃない。直ぐに追いつける。そう思った。


 店をでると、少し先にスイが走っている。僕は全力で追いかけた。すぐに追いつきそうだけれど、こんな時に限ってやたらと人が多かった。人混みにまぎれてしまったら見つかりにくくなる。


「スイっ、待つんだ! まってくれっ」


 人混みに声が飲み込まれて届いているかは分からない。そんな事とは関係なくスイは走るのをやめなかった。

 大丈夫すぐに追いつく、もうすぐだ。そう思った時にドンっという衝撃がよこから僕を突き飛ばした。


「うわぁっ」


 一際大きな青人とぶつかって僕は吹き飛ばされてしまった。多少かすり傷を負ったけれど関係ない。この人も怪我はなさそうだ。


「急いでるからっ!」


 僕は立ち上がって、謝罪も忘れて再び走る。スイの姿は……


 ……スイの姿が見えない。


「どこにいったスイっ! 戻ってきて」


 大きい声を出して叫びながら走るけれどスイが見つからない。スイが逃げた方向に行くけれど、どこにいるのか分からない。そうこうしていると目の前にあらわれたのは分かれ道だった。


 右にいけばいいのか、左にいけばいいのか。まっすぐに進めばいいのか分からない。


「スイッ!? スイ、どこにいった! なんで? どうして!!」


 右の道をえらんで、全力で走った。走り続けた。なのにスイは見つからない。全力で走って叫んで探し続けて……


「はぁ、はぁ、はぁ……スイ、どこ……にいる。もっ、もう」


 もう走れない。泣き言はいいたくない。だけれど身体はいうことをきいてくれない。その場に蹲ってもう立てなかった。



 僕は完全にスイを見失った。




◇◇◇◇◇◇




 日が暮れて、途方に暮れて、アイの部屋まで戻った。アイも丁度戻ってきた所みたいだった。


「アオイっ、スイは!?」


「……見失ってしまった。アイの方は!?」


 アイは首を横に振った。あの店主を説得できなかったみたいだ。スイは謝る事ができたんだ。説得さえ出来ていれば咎はなくなったのかもしれない。あるいは体力のあるアイがスイを追っていれば……

 いや、そんな事はない。説得は言葉の通じるアイにしか出来なかった。僕のせいだ。


「どうしよう、アイ! 僕のせいでスイは! スイはどこに行ったんだ!?」


 アイはバツが悪そうに顔をそむけた。何かを知っているみたいだ。


「アイ、スイがどこに行ったか分かるのか!?」


「もう……手遅れだと……思う」


「手遅れってどういうこと!? 場所をしっているなら教えてくれ」


「咎びとの行き先は森しかない。咎が降ってきて引っ張られて、たどり着く末路。とっても恐ろしい咎びとの森」


 前に言っていた咎びとの森。たしか咎を払わなければその森に引き寄せられて二度と戻れないという場所だ。

 ただ場所が分かっているなら、助けに行けるはずだ。


「咎を背負っている人はね、遅かれ早かれそこに引き寄せられてしまう。そうなる前に気がついて欲しかったんだけど遅かったみたい」


「気がつくって何にだ!? スイはちゃんと謝れたじゃないか! そんなの絶対におかしい! 間違っている!」


 語気を強めて言った。それなのにアイは俯いたままだ。もう手遅れだと言い続ける。


「アイ、早く準備してっ! 急いで向かおうっ」


「準備って何! どこにっ」


 しっかり者のアイにしては察しが悪い。行く所なんて一つに決まっている。


「スイは咎びとの森に向かったんだろう! 向かった場所が分かるなら簡単じゃないか! 今すぐその森に迎えに行こうっ!」


「アオイ……それ本気でいってるの?」


「当たり前だっ。恐ろしい森だって僕は逃げない! 僕はスイを救いたいんだっ」


「絶対に? アオイは何があっても絶対に逃げない? 約束できる?」


 改めて問われる。僕だってこの世界にきて変わった。スイが変われたように僕だって前より強くなったんだ。決して逃げたりはしない。


「ああ約束だ。僕は絶対に逃げない。一緒にスイを迎えにいこう」


「……わかった」




◇◇◇◇◇◇




 すでに日は沈んでいた。くらい夜道を歩いて、歩いて歩いて森へと向かう。僕もアイも一言も喋らない。背中にリュックを背負ってひたすら歩く。星蘭花を採りに行った道のりに比べればなんて事はない。頼りになるアイも一緒にいる。

 咎びとの森がどれだけ恐ろしい所であろうと大丈夫だ。あのスイが謝る事ができたんだ。僕だって逃げたりはしない。


 そう自分に言い聞かせながら歩いた。人里なんてとっくに離れて、どこにも青人はいない。星明かりだけが街灯の代わりになって燈灯と夜道を照らしている。


 草原をぬけ、丘を越え、輝く花に目もくれず、ただ森を目指した。


「そろそろだよアオイ」


 こんな道をスイは一人で歩いてきたのだろうか。もしそうなのだとしたら、とっても寂しかっただろうに。はやくスイを見つけて抱きしめてあげたい。


 そしてようやくたどり着いた。


 目の前にそびえ立つのは黒々とした漆黒の森だった。薄暗くて、風が吹くと不気味に枝が揺れ、ギィギィと化け物の鳴き声の様に聞こえた。来る者を拒まず、出ようとする者は逃がさない帰らずの森。そんな雰囲気だ。


「この中にスイがいるんだね」


 そう言うと、アイが森の入り口でしゃがみ込んだ。


「ほらアオイこれみて」


 見たさきにあったのは


「クツ。スイの靴だっ。間違いないスイはここにいる! 早く行こう!」


 この不気味な森に入るのは勇気がいる。だけれど、アイも一緒だ。怖くないと言えば嘘になる。それでも逃げるわけにはいかない。アイが一緒なら大丈夫。だから一刻も早く助けに行きたかった。


 のに、アイが僕の服を掴んで止めた。


「どうしたんだ、はやくっ」


「アイはこの森には入れない」


 一刻も早くスイの元にいきたいのに、ここにきてアイはとんでもないことを言った。


「なっ、何言ってるんだ。一緒にスイを助けに行かないとっ」


「この森はアイの世界でも異質な場所。アイの事を拒んでいるからアイは入れない。できるのはここまで案内することだけだった」


「そんなっ」


 アイは森に入れない。入りたくとも入ることが出来ない事情があるようだ。それを今更言うなんて。


「なんで黙ってたんだっ」


「なんども手遅れだって言った。それなのにアオイが助けに行くっていうから……」


 だから案内だけしたということか。


「それじゃあ僕は……」


「スイを探すなら一人で探さないといけない」


 今更アイを責めたりは出来ない。僕が助けに行くと言ったのは事実だからだ。アイは始めから乗り気ではなくて、おかしいと思っていた。

 それにアイを責めたところで僕がたった一人でこの森に入らなければいけない事実は変わらない。


「僕が一人でここに入るのか……」


「怖いの?」


 怖い。暗くて不気味な森、何が潜んでいるか分からない。そんな中一人でこの森を歩きまわらなければいけない。怖くない訳がない。アイが一緒なら何も心配ないと思っていた、僕の決心は早くも折られてしまう。


「いいんだよアオイ。逃げたって」


「ぼっ、僕は……」


「さっきは変な約束させちゃったから。引けなくなったんだよね」


「違うっ、僕はっ!」


「一人で森に入るのが怖い。だから、もうお家に戻ろう」


 アイが僕の手を引いて帰宅を促す。


「それじゃあスイはどうなるんだっ」


「咎びとが己の咎に引っ張られただけ。自業自得だから仕方ない……」


「自業自得だなんて、そんな言い方はっ!」


 そんな言い方は僕が前に言った言葉だった。それが今になって自分に返ってくる。


「仕方ないよ。スイのことは……」


「…………いやだ」


 そう絶対に嫌だ。僕は逃げるのが嫌いだ。それに約束したんだ。絶対に逃げないって。アイはもういいと言っていたけど、僕はイヤだ。自分で自分に嘘をついているみたいだ。

 僕は嘘が嫌いだ。嘘吐きが大嫌いだ。スイだって出来たんだ。謝れたんだ。だったら僕だって出来るっ、逃げたりしないっ!


「僕は絶対に逃げないっ! ひっ、一人でもスイを助けにいくっ」


 そう強く宣言した。自分を鼓舞して無理矢理に決意を固める。そうしたらアイが


「強くなったね……アオイっ」


 僕を抱きしめてくれた。僕の恐怖も迷いも、静かに震えていることさえも、全て見透かすように。優しく温かく。


「アイ……ありがとう」


「じゃあ、もう一度約束して……絶対に逃げないって」


「約束する。僕は絶対に逃げない」


 ずっと、アイとこうしていたかった。だけれど、こうしている間にもスイは一人で寂しがっているはずだ。早くスイの所に行かないといけない。

 僕はアイから離れて言った。


「もう行くよ……スイが泣いてるかもしれない」


「うん……アオイお願いっ、スイを救ってね」


「勿論だ」


 こうして森にゆっくりと足を向けた。その後ろからアイが語りかける。


「咎びとの森は、咎びとがその罪と向き合うところ。咎びとは皆誘い込まれる」


 アイの言うとおり、スイも誘い込まれるように森へ向かっていった。今ごろ自分の罪と向き合っているのだろうか。

 僕はゆっくりと歩みを進める。


「アオイにもし咎があれば、アオイ自身も飲み込まれてしまうかもしれないっ」


 僕に咎があればか……そんな心配はない。


「大丈夫安心して! 僕は誠実に生きてきたんだ。咎なんてないっ」


 ゆっくりと森のなかに一歩踏み込んだ。外との境涯を越えると気温が下がった様に感じる。異世界にいながらまた別の世界に入るような気持ちの悪さ。


「でもアオイっ」


 まだアイの声がとどく。声が届かなくなればたった一人だ。不安が増していく。


「僕は絶対に大丈夫だから安心して」


 自分の不安をかき消すようにアイに返事をした。僕は振り向かない。振り向けば帰りたくなる。

 ゆっくり、ゆっくりと歩を進めた。そうしたら……



「でも……アオイも森に誘い込まれてるよ」



 アイの静かな声にゾクッとしてしまった。そして思わずアイの方を振り向いてしまう。そうしたらアイは……


「ひぃっ」


 不気味に笑っていた

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