第八話 幸せな日常

 朝になると眩い星々は無くなり、変わりに陽の光芒が降り注いで目覚めを促した。スイがアクビをしながらお腹をさすっているとグゥっと音が鳴る。それにつられるように、僕のお腹も鳴ってしまった。

 昨晩は疲れていたのに、あまりに神々しい景色に興奮して走り回ってしまった。その後は昔の話をアイにして、そのまま眠りに落ちた。

 つまり昨日の昼以来何も食べていないという事になる。


「アイー、おはよー、お腹空いたぁ」


「……」


 すでに目を覚ましていたアイに切実な願いが届けられるが、無言の返答だった。


「アイ、僕もお腹が……昨日は夕飯を食べそびれてしまったからね」


「……れた」


 下を向いて歯切れの悪い感じだ。


「アイ?」


「だから、忘れてたっ。昨日お昼に食べた分でおしまいっ」


「えぇっ、わたし、お腹空いたぁ」


 なんということだ。アイの事だから何かしら食事の事も考えてくれていると思っていた。

 少し動揺しているから、恐らくは本当に忘れていたのだろう。


「つまり、街に戻るまでご飯はない、急いで帰ろう」


 来るときは、丸一日かかってしまった。この道を引き返さないと食事にはありつけないということだ。中々に辛い。


「あっ、アイは昨日のうちに帰るつもりだった。ふっ、二人が遅すぎたから仕方ないっ」


「うそだぁ、そんなのうそだよぉ」


「嘘じゃない、お腹空くから騒がないのっ」


 スイが子供の様に嘘だ嘘だと騒ぎ立て、アイがそれを否定する。だけどこれは嘘だろう。恐らく本当に失念していたに違いない。しかし、アイのミスを咎めるほど厚かましくはなれない。ここまで弁当や飲み水が入った重い荷物を持ってくれた。

 世話焼きで、しっかりもののアイでもミスをしてしまう。そんな事実に少しだけホッとする。


「スイ、ないものはないんだから、諦めるしかない。頑張って戻ってから何か食べよう」


「うわぁーん」


 諦めて来た道をもどる。スイが行きに弁当が入っていた空っぽのリュックを背負い、僕とアイで星蘭花が入ったカゴを背負う。そこまで重量がないのが救いだった。




◇◇◇◇◇◇




「お腹空いたぁ、死んじゃうよぉ」


「あぁ、僕もお腹が空いた」


「あそこに野ねずみがいる。そんなにお腹がすいたなら捕まえて食べればいい」


 アイが指さした先には確かにネズミがいたけれど、僕たちの視線に気がついたのか直ぐに隠れてしまった。


「ネズミさん食べちゃだめぇ。でっ、でも、おなか、すいた」


「いやスイ、そもそも僕たちじゃ捕まえられないよ。ネズミなんてすばしっこい食べ物。じゃなくて生き物」


 空腹も限界まで来て笑えないことを言ってしまった。それでもあと少しだ、この丘を越えて少し歩けば人里にたどり着ける。

 そう思って必死に歩いた。


 そして……


 ようやく街に戻って来る頃には日が沈みかけていた。



「はい。二人ともお仕事よく頑張ったね。それじゃあレストランにでも行こうか」


 アイが元気に言うけれど、僕もスイも限界などとっくに過ぎている。空腹と疲労が重複して思考がままならない。

 僕たちが、こんなに疲れているのにアイは苦しくはないのだろうか。


「レストラン……れすと、らん、いく。もう、げん、かい」


「でもアイ……僕たちはお金を持っていない」


 そんな事を言うとアイがあきれた様に溜め息をついた。


「アオイはもう忘れてる。この世界にお金はない。あなたが背中に背負ってる物はなに?」


 アイに言われてハッと気がついた。というよりは思い出した。疲れすぎてそんな事も忘れてしまっていた。この世界は物々交換だ。交換するために稀少な花を苦労して採りに行ったんだ。この星蘭花がどれほどの価値を秘めているかは分からないけれど。三人の一食分以上にはなるはずだ。


「じゃあいこっか。この町で一番高級なレストランに」


「も、う、どうこでも、いいから、はや、くぅ」


「僕ももぉ、げんかい……」


 そうして連れて来られたお店は店頭に何やら大きい狛犬みたいな金色のオブジェが立っている。扉の前には、きっちりした服を着ている青人がいて僕たち三人を見ている。

 高級感があり、背中にカゴを担いでいる僕たちは、どうみても不釣り合いだった。


「すごいっ、おいし、そう! いぬぅ いぬ料理のお店!?」


「スイ、そんな料理がある訳ないだろう」


 高級店を前にしてそんな事を言っていると、アイが入り口に立つの青人と何やら会話をしている。いやもめている感じだった。


「どうした、のアイ? なにか、あった? ごはんは?」


「うん、アイ達がみずぼらしくって、臭いもするからこの店には相応しくないんだって」


「えっ、えらくストレートに言うんだな、その人。もう少しオブラートに包んで欲しい」


 綺麗な服を着たドアマン青人を見たけれど、そんな事を言う人には見えなかった。ただ納得出来る事もある。僕たちは昨日からお風呂にも入らずに歩き続けてきた。正直汗の臭いはするはずだ。

 もう、この際こんなにいい店でなくてもいい。なんでもいいから早く何かを食べたい、そう思っていたら


「ふん。甘く見られたね、アオイ例の物出して」


「えっ? 例の物って」


 そう言うと、またアオイがあきれた様に溜め息をつく。僕の背中の方を睨みつけた。


「なんの為に苦労して採りに行ったと思ってるっ」


 そこでようやく気がついた。アイだって同じ物を背負っているのに敢えて僕がカゴを下ろした。

 そうしたら青人が目を見開いてその中身を凝視した。生唾をゴクリと飲み込む。

 すかさずアイが何かを言っている。そして、その青人の胸ポケットに星蘭花を一輪だけ挿した。多分「いいからさっさと通しなさい」とでも言ったのだと思う。


 そうして、いままでの態度が嘘みたいに、丁重に奥の部屋まで通された。食事を楽しんでいる青人達の視線がつき刺さるけれど、僕たちが通されたのは個室だった。

 これはゆっくりと食事ができるようにという心遣いだろうか。それとも、単純に臭いがアレだから奥に押し込まれたのか。なんとなく後者な気がした。


 そうこうしていると、すぐに前菜が運ばれてきた。綺麗な器に色とりどりの野菜やハム、それから何かの魚卵に、輝くソース。新鮮な香りはこの上なく僕たちの食欲を掻き立てた。スイは涎を垂らしながら目を見開いている。

 ウェイターがそれをテーブルに置き終えると


「二人とも、ここの料理は最高だから、心して食べてね」


 アイがそう言い終わる前に、スイがご馳走を強引に口へと運んだ。というよりは押し込んだ。がっつき過ぎて下品だと思う反面、なんて美味しそうに食べるんだろうとも思う。


 僕も限界だ、上品になんて食べられない。そう思って手を伸ばしたのに、その手を止められる。すでに食べ始めているスイも中断させられた。


「はい、二人とも。まだやってないことがあるよ?」


「はやく、もっと、たべたい! やって、ないことなんて、ない」


「ぼっ、僕にもわからないよ」


「本当二人はお子様だねえ。食べる前にすることなんて一つだけでしょ」


「あっ」

「ふぁっ」


 そこで僕もスイもやっと理解した。空腹と疲労のあまり、そんな事すら忘れていたことを恥ずかしく思う。


「それじゃあ、みんなで」


 アイがそうかけ声をして三人で口をそろえた。




「いただきます」

「いただきますっ」

「いっただっきまーすっ!」




 思い思いにご馳走にかぶりついた。スイは口についた食べかすなんて気にしない。アイは上品にナイフとフォークを器用に使って食べる。


 僕は目に涙を浮かべながら、この上ない幸せと美味を感じている。キャビアの様な魚卵は口の中ではじけ飛ぶと、春の風と爽やかな若草の香りを運んできた。


 このハムは、んー、香ばしさの中に奥深さがあって、歯ごたえもコリコリで、奥歯のその更に奥へと快感をもたらす。味と香りと食感が重なり合ってこの上ない仕上がりだった。


 そうしていると、スープが運ばれてくる。オレンジがかった透明なスープだ。


「二人ともよく聞いて。一流のお店にはコーンスープなんてない。本物はコンソメスープしかださない」


 アイがいきなりうんちくを語り出した。よくわからないけれど、このスープが美味しいのは間違いない。僕もスイも夢中で口に運んだ。


「おいしいよ! なにこれ、透明でキラキラしてて、すっごい、美味しい」


「ああ、美味しい! こんなに美味しいスープは生まれて初めてだ!! 僕の知ってるコンソメと違う!」


 スイと僕が興奮している横でアイは淡々と何かを説明しはじめる。


「いい、極上のコンソメスープを作るには時間と手間がかかる。具材を厳選して日本語で言う出汁を取るんだけど、牛ひき肉、鶏ガラ、そして野菜、それらを十時間以上煮詰める必要がある。さらに大事なのは温度とアク取り、完全に沸騰させないように気を付けつつ、浮いてくるアクを取り続けなければいけない。しかも出汁に使った食材は口にすることはない。ただ極上のエキスを抽出するためだけのもの。そうして贅沢に時間をかけて作ったスープだからこそ光以上の透明感を帯びて人々に感動を与える。素人に再現できるものじゃない。だからその味わいは何ものにも代え難い……」


「スイ! スープも美味しいけどこのお肉も凄い美味しいっ。外はカリッとしてて中はジューシーだよ!」


「美味しい! 犬の肉、おいしぃっ!」


「多分犬じゃないと思うけど、うん美味しいっ!!! 僕達は幸せだぁ」




「………………まぁいっか」




◇◇◇◇◇◇




 フルコースを食べ終えて、お腹がパンパンになった。最高の空腹に最高の料理を食し、この世の幸せを一身に浴びたようだった。


「はい、次行くよ」


 食べ過ぎて重い身体を何とか起こして店を後にする。支払いの時にアイは星蘭花を三輪だけ渡していた。


 これだけの豪華絢爛な食事をして、たった三輪だけ。カゴにはまだまだ沢山のお花がある。


 僕は息を呑んだ。


「やっほぃ、次行こう、次行こう、つぎは何処に、いく、の?」


「腹ごしらえもしたから次は、綺麗になろうね」


 アイがそう言って連れて行った場所は……




◇◇◇◇◇◇




「すごーい、プールだ!!」


「違うよスイ。ここはプールじゃなくてお風呂だ。温かいだろ?」


 三人で大浴場にきた。広すぎる浴場、マーライオンみたいな動物の口からお湯が流れて湯気が立っている。臭いと言われたのは少しだけショックだったのでお風呂はありがたい。疲れも汚れも流れ落ちてゆく。

 スイがバシャバシャとお湯を舞い上げる。アイはその姿を微笑ましそうに見ていた。そうしたらスイがとんでもないことを言う。


「アオイ! おムネ大きぃ!!」


「おっ、おムネって、僕はそんなの嬉しくない。人と比べたことないから分からないしっ」


 といったのに、スイは僕の胸に飛び込んできた。顔を胸にうずめてグリグリとしてくる。


「ひやっ、んんっ! ちょっ、やめるんだ」


 思わず変な声が出てしまうと、すかさずアイが口を開いた。


「アオイは変な声出さないで。スイはそういうことは言わない方がいい……」


 アイが冷静に諭してくれた。僕もそういう話は苦手だったから助かる。それなのに


「でも、アイの方が、アオイよりちいさいよっ!?」


 空気の読めない一言だった。気温が下がって、お湯につかっているはずなのに寒さを感じた。だから僕はスイに言ったんだ。そうしたら同時にアイも口を開いた。


「スイ、そういう時は嘘を言ってもいいんだよ」

「スイよりは大きいし、アイは胸なんて小さい方がいいと思ってる」


「あはっ、あはははっ、ふたりとも、おもっしろーい!!!」


 スイが腹から笑ってくれたおかげで、なんとかこの場をしのげた。しのげたのだと思いたい。


「こんどはこっちっー」


 僕を離れると、今度はアイの胸に飛び込む。


「あれ、なんか、こっちの方が暖かくて、気持ちいいかもぉ」


「スイは素直ないい子だね」


 胸に潜り込んだスイの頭をアイが優しく撫でると、アイは満足そうにしている。スイもとても幸せそうだ。僕の所にいた時よりも……少しだけ嫉妬してしまう。




◇◇◇◇◇◇




「はい。次は服を買うよ」


 アイがそう言って連れてきたのは、洋服屋さん……というかブティックだ。可愛い服、綺麗な服、お洒落な服にセクシーな服が沢山並んでいる。


「好きなのを選んで。星蘭花はまだ沢山ある」


「これかわいい!! でも、わたしは、これにしようかなぁ! これアオイも着てみて!」


「ぼっ、僕はこんなヒラヒラしたのは着ない! でもスイは似合うんじゃないかな」


 そうして、スイはメイドさんのような、ヒラヒラのワンピースを着た。正直、似合っていると思うし、愛嬌がある。最初にスイを見たときは髪もボサボサで、服も薄汚れていた。

 今はつやつやの黒髪が光っていて、綺麗な服を着たスイを可愛らしいと思う。


「アオイもこういう可愛いいの着てみれば」


 アイがそう言って僕にフリルのついた服を着せようとする。そんな物は断固拒否する。


「イヤだっ!」


「ふーん。誰のおかげで綺麗な景色をみて、美味しいものをお腹いっぱい食べられたんだっけ?」


 返す言葉がみつからなかった。僕はまた負けた。この後はアイの着せかえ人形が如く、女の子した服を着せられる。その姿を鏡で見る度にこっぱずかしくなる。こんな可愛らしい服が僕に似合うわけないっ。


「アイはとっても似合ってると思うけど? スイはどう思う?」


「アオイ可愛いっ!」


「そっ、そんなに言うならアイだってもっと可愛らしい服を着てみてよっ」


「アイは別にそういうのはいい……」


 僕もスイもフリフリのワンピースを着ているのに、アイだけは出かけた時のシャツとズボンのままだった。納得がいかない。




◇◇◇◇◇◇




 帰り道に商店で買った食料品と洋服を袋一杯に詰めて歩いた。袋をパンパンに膨らます品々は中々に重いけれど、この重さが今日という日の満足度を表しているようだった。


「ねえ二人とも? 昨日と今日はどうだった?」


「私は楽しかった! とっても! 美味しかったし、幸せだった! 可愛くもなれたし……こんなの始めて、かもっ」


 短い時間だけれど色々な事があった。一生にの内に経験する物が濃厚に凝縮していた。


「沢山頑張って、その後にご褒美が貰えるのは嬉しいよね?」


「うん嬉しい!」


 アイの問いにスイがそう答えた。きっとアイは


「自分が頑張って手に入れた物を、誰かに盗られたらスイはどう思う?」


「そっ、それはイヤ」


「だったらスイも人の物を盗っちゃ駄目だって、もう分かったよね?」


「うん、わたし、もう絶対に盗んだりしない!!」


 きっとスイにこれを伝えたかったのだと思う。何となくスイに対する愛情が僕にも伝わった。僕も同じ気持ちだ。

 僕はこの世界にきて本当に良かった。アイもスイもとっても良い子だ。スイは確実に成長している。僕だってきっとそうだ。色々な物を見て体験して、自分の価値観が、人生観が変わりつつある。




 それから一週間が過ぎた。




 今日も明日も楽しい日々だ。星蘭花を対価にご飯を食べて、服と交換して、スイが玩具と交換して、広いお風呂に入って、それからまたご飯を食べて三人で寝る。星蘭花が尽きたらまた採りに行けばいい。




 こんなに楽しい日々がいつまでも続くと……そう思っていた。

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