毎日小説No.42  彼女が笑えば

五月雨前線

1話完結


 彼女が笑えば、世界が幸せになる。


 高名な神ゼルテマと、神に等しい力を持つ人間、ニルチェ。その両者の間に生まれた女神マイスは、幼い頃から特別な能力を有していた。


 物を浮遊させる。時間を操る。一時的に重力を無くす。壊れたものを治す。そして、彼女の周りの人間や神々を幸せにする。


 それらの能力を発揮していたマイスを見て、神々は最高神の後継者となる神が生まれたことを確信し、祝いの儀を開いた。しかしマイスは、特別な能力と同時に人間に近い側面を持ち合わせていた。


 この世界には神と人間が存在し、人間は等しく神の奴隷として扱われている。通常、神は奴隷である人間を忌避するのが当たり前だったが、マイスは違った。神々と触れ合うよりも、人間と関わりを持つことに喜びを見出し、事あるごとに神の領域から脱出して人間に会いに行っていたのだ。


 そんなマイスは、蝶よ花よと育てられながら成長していった。神と人間は互いに調和を保ちながら平和を保っていたのだが、ある時その平和を脅かす存在が現れた。


 悪魔である。


 ***

「な、なんと無礼な! 今すぐ訂正したまえ!」


 老齢の神が声を張り上げ、目の前の若い神を睨みつけた。老齢の神の名前はディン、若い神の名前はヴェール。2人を含む多くの神々は広大な会議場に集結し、悪魔との戦いについて激論を交わしていた。


「無礼を承知で申し上げました。なので訂正は致しません」


「ふざけるな! 大体、マイス様を痛めつけるような真似は私が絶対に許さない!!」


「この緊迫した局面で感情的な意見は避けていただきたいですね」


 尚も叫ぼうとするディンを手で制し、ヴェールは集結した神々を見渡した。


「我々の世界に憎き悪魔が侵攻するようになってから、早5年。我々神々が圧勝するとされていた戦争は長期化し、戦争終結の目処が立ちません。それどころか最近は悪魔がより一層力を増し、さらに苦戦を強いられる有様。こうしている間にも、人間、そして神が死んでいっているのです。それをただ黙って見ていていいんですか? 我々には秘密兵器があるというのに!!」


 ヴェールが指を鳴らすと、背後に控えていた複数の神が一斉に飛び上がり、どこかへ消えて行った。


「ヴェール、貴様まさか……!!」


「これ以上被害を拡大させるわけにはいかないのです。分かってください」


「嫌! 離してよ!」


 一瞬で戻ってきた複数の神に抱え込まれるようにして、1人の少女がこの空間に連れてこられた。少女は不安げな面持ちで辺りを見回し、ディンの姿を認めると「ディン!」と叫んで駆け寄った。


「マイス様!!」


「ディン……! これは一体、どういう状況なの……?」


 不安に打ち震えるマイスを抱きしめながら、ディンは血走った目でヴェールを睨みつけた。


「ヴェール!!! マイス様を強引に部屋からお連れするなんて、何を考えているのだ!!」


「こいつの能力を使って悪魔を打ち払うために決まってんだろ」


 突如ヴェールの口調が冷たく変化した。ヴェールが指を鳴らすと、一瞬の内に巨大な火球が出現し、ものすごいスピードで飛んでいってディンの体を包み込んでしまった。


「ぎゃあああああ!!」


 ディンは業火の炎に包まれながら、遥か上空へと連れ去られてしまった。


「ディン!!!」


「おっと、どこに行くんだい、マイス様さんよう」


 ディンの元へ駆け寄ろうとしたマイスの足を払い、ヴェールは冷たい笑みを浮かべた。


「これで厄介なジジイもいなくなったことだし、ちゃちゃっと能力を発動させるか。そうすりゃ厄介な悪魔は消え失せ、平和を取り戻せる」


 ヴェールはマイスの髪を乱暴に掴み、捻り上げた。


「おい、笑え」


「いやっ!!」


「お前が笑えば不思議な力が発動して、悪魔を打ち払うことが出来るんだよ! おら、さっさと笑え!」


「いやああっ!!!」


「や、やめろっ!!」


 弱々しい声がその場に割り込み、ヴェールの意識が僅かにそちらの方へ逸れた。神々が集う空間のど真ん中に佇むその少年は、紛うことなき人間だった。ここは神々が集う聖域であり、人間が迷い込むことは不可能なはずだった。


「何だお前、人間じゃねえか、何で人間がこの場所に来れるんだよ」


「離して、よっ!!」


「ごふっ!?」


 マイスは一瞬の隙を突いてヴェールの腕を振り払うと、ヴェールに全力の前蹴りを叩き込んだ。ヴェールが怯んでいる隙にマイスは少年の元へ駆け寄り、強く抱き合うとともに少年の名前を叫んだ。


「ニコラ……!! 来てくれたのね……!」


「うん。マイスの能力が無理やり利用されてしまうかもしれない、って聞いていてもたってもいられなくて……」


「ニコラが来てくれて本当に嬉しい。ありがとう」


 ニコラの腕の中で、マイスは涙を流しながら笑った。



 その瞬間。



「ヴェ、ヴェール様っ!!」


「いってーなクソガキが……! あ? 何だよ?」


「大変なことが起こってしまいました!」


「だから何だよ」


「悪魔が、滅びました」


「……は?」


「で、ですから! 悪魔が滅んだんですよ! 前線部隊から連絡が入ったんです! 戦場にいたおびただしい数の悪魔が一瞬にして消え失せた、と! 奇跡です! 我々が勝利を収めました!!」


 おおおおおおお、と地鳴りのような歓声が響き渡り、神々は手を取り合って勝利の喜びを分かち合った。皆が涙を流して喜ぶ中、ヴェールはニコラと抱き合うマイスの元へ歩み寄り、神妙な面持ちで尋ねた。


「何をした?」


「悪魔を滅ぼした、って言ってたでしょ?」


「どうやってそんなことを成し遂げたんだ。お前の能力は、それほどまでに強大なものだったのか?」


 マイスはニコラを見やり、「……私にもよく分からない」と続けた。


「ただ、貴方に乱暴されて、それでニコラが助けに来てくれた時、本当に嬉しかった。昔絵本で見た、ピンチの時に助けに来てくれる勇者みたいだったから。大好きなニコラと抱き合った時、嬉しさのあまり自然と笑みが溢れた。その瞬間に、私の体の中で何かが弾けた感覚がしたの」


「『マイスが笑えば不思議な能力が発動し、世界が救われる』……。その伝承通り、お前が笑った結果不思議な力が発動し、悪魔どもを一掃出来たってわけだな。いやあ、よかったよかった。これで平和な日々が戻ってくるぜ」


 さも大仕事をやってのけたような仕草で気取るヴェール。マイスはすたすたと歩み寄り、ヴェールの腹に正拳突きを叩き込んだ。


「いってええええ! 何すんだクソガキ!」


「その『俺は大仕事をやってのけたぜ』みたいな仕草は何! ムカつくんですけど!」


「何だと! ……って、言われてみれば確かにそうか。悪魔を一掃したのはお前で、その能力を発動させたのはそこに突っ立ってる人間のガキだもんな」


「その通り。その上で天空神ヴェールに女神マイスから3つの要求をします」


 マイスは突然背筋を正し、正面からヴェールを見据えた。


「な、何だよ急に」


 ①貴方の力で風神ディンを復活させること

 ②貴方がこの世界の王になった暁には、人間と神の身分の違いを等しく撤廃すること

 ③神法を書き換え、人間と神との結婚を認めること。そしてその第一号として、私とニコラの結婚を認めること


 この3つの要求を受け入れなさい、ヴェール」


 ヴェールは大きく息を呑み、固唾を呑んで状況を見守っていたニコラも「え? え?」と混乱を隠しきれない様子だ。


「ちょ、ちょっと待ってくれマイスさんよ。俺が王になるなんてそんな……」


「貴方も分かっているでしょう。現神王は高齢で、もう国を導くことは出来ません。貴方は正義感が強すぎるきらいがありますが、それは誰よりもこの世界のことを想っている証左でもあります」


「いや、そうはいっても……。ほら、今回も勢いで行動した結果ディンを燃やしちまったし、お前にも乱暴しちゃったし……」


 先程までの勢いはなりを潜め、ヴェールは肩を縮こませてもじもじしている。


「そう思うなら、それを取り返すべくより働きなさい。今この瞬間より、この国は貴方のものになったのです。責任と自覚を持ってください」


 この国は貴方のもの、という言葉を聞いた瞬間に、ヴェールの表情は引き締まった。


「……分かった。いや、分かりました、か? マイス様さんよう」


「分かればよろしい」


「さっきディンを焼いた炎は、見掛け倒しの威嚇の炎だからな。しばらくすりゃディンは戻ってくる。……そんなことよりも」


 ヴェールは呆然とした表情で立ち尽くすニコラに視線を向け、笑った。


「そこで立ち尽くしてる人間のガキにさっさと事情を説明してやれよ。めちゃくちゃ混乱してるじゃねえか」


 そう言い残し、ヴェールはどこかへ飛び立って行った。


「ま、ま、マイス……!」


「何?」


「さっき、僕とマイスが結婚とか、言ってなかった……?」


「言ったよ」


 マイスはニコラの体を優しく抱きしめた。


「やっぱり私は人間が好き。そして、ニコラのことが大好き。ニコラが私の元へ来てくれたから、私は心の底から笑えた。ニコラと一緒にいる時が一番楽しいんだよ」


 マイスの言葉にニコラは胸を打たれ、マイスの小さな体を抱きしめる腕に力が込もった。その後、呆れたヴェールに声をかけられるまで、二人はいつまでも体を寄せ合っていた。



***

 こうして神と人間が結ばれたことで、神と人間の地位の差は徐々に無くなっていき、やがて両者は対等の関係となった。


 悠久の時を経て、神々は実態を伴わないより高次元の存在へと昇華し、天上の世界に身を移して人間を見守ることになった。マイスの発案で「地球」と名付けられたその青く美しい星で、今日も人間は命を繋いでいる。



 ずっと地球を見守っていたマイスだったが、最近少し気がかりな点がある。世界中で疫病が流行した影響で人々が笑顔を浮かべる機会が少なくなり、地球全体に澱んだ空気が漂っているのだ。COVID何とか、と名付けられたウイルスは世界中で猛威を奮い、人々の生活を圧迫している。


 神の力を使って疫病を消滅させたかったが、神々の掟でそのような行為は禁じられていた。だから、マイスは願った。人々に笑顔が戻ってくることを。



 どんなに辛い時でも、どんなに苦しい時でも笑おう。笑顔は自分を、そして周囲を幸せにする。私だってそうだったんだから、きっと貴方達もそうなる。どんなに長い夜もいつかは明ける。だから、頑張れ。人間、頑張れ!



 マイスはそうエールを送る。過去に永遠の愛を誓ったニコラの顔を思い浮かべながら、マイスは今日も人間界を見守っている。


                               完


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