エピローグ
目が覚めたら、知らない部屋にいた。
……ということではなく。
起きたのはいつもの寝室だった。いつも、と言っても私の自室じゃあないんだけど。
飲み慣れない酒と疲労で意識を失ったらしい。ソファの上で私は寝かされていた。黄土はベッドまで運んでくれるほど優しくはない。
全身に寝汗を掻いてうっとおしい。
「おうどー?」
声を掛けてみるが、返事はない。起き上がり、ダイニングに向かうと昨夜の酒盛りの形跡はきれいさっぱり片付けられており、私のスマホが置かれているだけだった。取り上げて画面を明るくすると、メッセージアプリの通知がいくらか入っている。
ひとつは四辻のもので、今後の仕事に関わる話だった。正式な辞令はまだ先だが、四辻が自身の叔母である社長から聞いた話だと、いよいよ資料室に私たち以外の人間を入れて仕事をすることになりそうだという話である。
もうひとつが黄土のもので、書置き代わりに送られたものだ。何やら用事があるとかであいつは朝早くから出ているらしい。仕事……かどうかは知らない。あれでけっこうな仕事人間なので、休日出勤もまったくいとわないのだ。
「帰るか」
スマホ画面に映る現在時刻は十時過ぎ。昼食でも適当に食べて、それから帰って今日は家でゆっくりしよう。
シャワーを浴び、歯を磨いて外出するのに差しさわりがない程度に化粧をする。必要最低限のものは黄土の家に置いてある。昔私の住んでいたアパートが火事でやられて、しばらくここに身を寄せていたことがあったのでその名残だ。その辺にあった黄土の服を適当に借り、空いているスポーツバッグにスーツを押し込んだ。皴になるとかはあまり考えていない。汚れ仕事の後なので、どうせクリーニングに出すつもりだし。
家を出て、鍵を閉める。当然、合鍵も持っているわけだ。
「黄泉路課長とはどういう関係なんですか?」
昔、四辻に聞かれたことがある。たぶん合鍵を持っている云々の話をしたから飛んできた質問だったはずだ。
「友達以上恋人未満」
「なるほど」
相槌を打つ部下の顔は「こいつまた適当なこと言ってるな」と思っているのがありありと分かった。実際適当だから文句はない。
私と黄土の関係は、ただの同期だ。しいて言うなら私の記憶が定かではない期間、面倒を見てもらったことがあるという関係。じゃあ一方的に私が黄土に借りを作っているのかと言えばそうではなく、あいつが極めて個人的な面倒に巻き込まれた際に助けてやったので、関係性としてはイーブンだ。
ただ世間では私たちの関係はあまりそういう、フラットなものだとは思われていない。男と女が同じ家で寝ることに意味を見出す、中学生みたいな精神性の人間はどこにでもいるし、それが多数派なのだ。
私と黄土の間に恋愛感情はない。お互いがお互いを恋人にしようとは思わない。そのくらいにはお互いを知っているということではある。肉体関係はあるにはあるが、それは何かを思ってのことではなく、私もあいつもその辺の感覚が緩いだけだ。
だから黄土は地元の親に言われて最近は婚活をしている。婚活する前に私を泊めるのをやめるべきだと思うんだけど。本当に恋人ができたときどうする気なんだ。
一方の私は、結婚願望がない……はずだった。今はなあ……。結婚したいとは思わないけれど、このままひとりでずっと、というのは何か収まりが悪い気がする。
ありていに言えば寂しいのだろう。ただ、自分の寂しさのために他人を巻き込むのは筋が通らないから、黄土と違って婚活しようとは思わないのだ。デスゲーム会社で働いて曲がりなりにも高給を取っているのに筋も何もないものだが、案外それは大事なことだ。
百人殺したなら百一人目も同じこととは言うが、そこで開き直るのは自分の魂を悪性に手放す最後の決断である。任侠映画のヤクザが仁義に厚いように、青年漫画の不良がたてつくのは常に強者であるように、デスゲーム会社に勤めるOLも、守るべき一線はある。
それに私が結婚すれば、いよいよ夫となる人の資産力と労働力を当て込んでゴミ兄貴どもが両親の介護を押し付けかねない。私ひとりだって介護をする道理はないが、そこへさらに他人は巻き込めない。仮に結婚するとしても、まずは足元に絡まる電源コードみたいな家族関係を清算するところからだ。
少なくとも、その目途が立たないことには始めてはいけない。
「ごはんたべてかえるかー」
どうせ普段は来ないところまで足を運んだのだから、何か食べて帰りたい。そうは思ったが、結構な頻度で黄土宅の最寄り駅には来ているので今更だ。結局昨日はあまりちゃんと食べていないし、もう少しがっつり食べておきたいと思った。
そういう時、とりあえず入るのはファミレスだ。
結局ここに行きつくのだな、私は。
今の時間なら席は空いているし、何を食べる気分にせよとりあえず外さない。普段使わない店だから何があるかはよく覚えていないが……。
店に入り、適当に席に着く。やはり朝は人が少なく、いるのは暇を持て余していそうな老人くらいだった。
タッチパネルを手に取り、注文を急ぐ。とりあえずドリンクバーと……。
「お待たせしました」
「え」
私がメニューを選んでいると、目の前に料理が置かれる。ハンバーグ。
嫌がらせか?
「昨日はお疲れさまでした」
同時に、するりと私の正面に女性が座る。秘書さんだ。
「そちらは社長からの個人的なお気持ちです」
「いよいよストーカー被害で訴えたら勝てるかもしれませんね」
なんで私がここにいるって分かったんだよ。
「それで昨日の一件について、経過をご報告します」
秘書さんは淡々と自分の伝えるべきことを私に伝える。
「
「ふむ」
そうなったらいいなくらいの気持ちで用意したデコイだったが、警察はそれに乗ったか。まあ元官僚が自分のオフィスで銃殺される事件だものな。誰かしら犯人が出ないといろいろ不都合もあるだろう。
「出野内はどうです? BR社の社員が一緒に死んでいた件は。公社によって殺害された哀れな被害者ということで?」
「出野内、ですか?」
秘書さんは首をかしげる。
「そのような社員は我が社には在籍しておりません」
「……」
「不思議なものでしてね。出野内の両親を名乗る人たちからも電話をもらったのですが。どうして出野内という人間がBR社に勤めていたことになっているのでしょうか」
「…………大企業ですからね。就活に失敗した出野内が故郷の両親に見栄を張ったんでしょう」
「ではそれで」
「あれで羽振りのいい生活もしていましたから、案外半グレと通じた金貸しから借金していたかも」
「採用します」
私の思い付きが採用されたところで、秘書さんは居住まいを正す。
どうやらここからが本題らしい。
「社長も室長を賞賛していました。特にリリーデン氏から投資を引き出したことは大きいようです」
「さいで」
「それでですが」
テーブルの上に、秘書さんがあるものを置いた。
「これは……」
「おめでとうございます」
置かれたのは、一枚の大きなメダル。
「今回の働きによって、幹部会と株主総会の総意によって
「……」
デスゲームの専制開催権。
つまり、以前私が四辻に語った、部長クラスの持つ特権のひとつ。
採算度外視のデスゲームを企画し開催する権利。
どんな内容のゲームでも、誰を参加者にしてもいいデスゲーム会社に勤めるなら誰もが欲しい特権。
「早いですね。昨日のうちに幹部会はともかく株主総会まで?」
「言葉の綾です」
秘書さんは臆面もなく言った。
「以前の幹部会と株主総会で、とっくに室長へこの権限を与えることは決定されていました。企画資料室を立ち上げ、そこで行った業務の価値は皆が認めるところです。デスゲームという新規的な事業において、知見を蓄積し必要に応じ引き出す部署を作り上げた功績は大きいでしょう。いささか、室長当人の性質と力量に依拠しすぎているところはありますが」
「依拠?」
「後進を育ててほしいということです。今の資料室は室長がいなくなれば機能しなくなる危険性が高い構造をしていますので」
四辻がいれば大丈夫な気もするが。
「それはさておき。本来はいつでも渡すことが可能だった権限ですが、それでも室長は昇進の仕方が少々特殊でしたので。形式的には『例外的な部長クラスであり、周囲からの賛同があったため権限を他の部長クラスと同様に与えた』という体裁にする必要がありました」
「その必要性ってのもよく分からないですけどね」
実際、表向きは渉外部の部長である天原は何の権限も持っていなかった。その気になればそういう例外処理はいくらでもできる。
「社長はあなたを、きちんと周囲に評価させたいようです」
「おせっかいですね」
「社長の気遣いです」
まあそこは私と秘書さんの解釈違いだ。
「いずれにせよ、これであなたの目的は達成されました」
「まだスタートラインに立っただけですよ」
「スタートラインに立つまでが一番大変な目的だったでしょう。後はほとんどオマケのようなものです」
「かもしれませんね」
「それではこれで。ハンバーグ、おいしいですよ」
言うだけ言って、秘書さんはその場を去っていく。伝票も残さなかったあたり、気障な演出でもなんでもなくマジのおごりだったらしい。
メダルを手に取り、しばらく弄んでからバッグに突っ込む。このメダル自体は儀式的なもので、これを無くしたら特権を失うわけじゃない。なにせデスゲームを開催すればそれは経緯を含めBR社自身に記録されるからだ。本質的にメダルは不要な代物だ。社長らしい遊び心と実利のバランスがちぐはぐな物体に過ぎない。
「さてと」
ハンバーグを引き寄せ、ナイフとフォークを取る。新メニューと言っていたが、なるほど、初めて見る。ハンバーグ自体は極めて普通のものだが、二枚をパンケーキのように重ね、デミグラスソースとガーリックソースを半々に掛けてある。
ファミレスのハンバーグがどういう仕入れをしているか知らないが、冷凍でも十分クオリティを発揮できるものなのはファストフード店でバイトをした私はよく理解している。この二枚重ねのハンバーグもそういう力学の代物だ。ハンバーグのメニューはどれだけ増やしても厨房の負担はあまり大きくならない。二枚重ねだって楽々だ。たぶん。
とはいえ、ハンバーグが気分じゃない人間にこれは嫌がらせ……。
いや。
「きっとこれからは、もうちょっと気楽に食べられるってことかな」
ナイフを入れていく。
ハンバーグはさておき。
婚活の準備は進めていいらしい。
アラフォーOLのデスゲームごはん 紅藍 @akaai5555
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