食わせたがりの姫と断食勇者

真摯夜紳士

食わせたがりの姫と断食勇者

 お父様、お母様が寂しがらないように、したためたふみを化粧箱の中へと忍ばせる。

 わたくしに足りなかったものは覚悟。

 彼の想いに応えるだけの、決意。


 もう、終わらせましょう。


 柔らかな陽光が包む寝室に、別れを告げる。扉を開けると、通路にはバトラーが控えていた。白い眉毛を重たそうに持ち上げ、どこか憐れむ顔を私に見せる。


「姫様、今日も向かわれるので?」

「ええ……頼んでおいた物は、できたかしら」

「つつがなく整っております。しかし、あれだけで宜しいのですか」

「構わないわ。最高級の食材で、一流の料理人に作らせても、彼は口を開こうとしなかったもの」


 私は今までのことを思い出しながら、調理場へ向かった。従者のバトラーも付かず離れずに仕える。


 彼が呪われてから、半年が経った。

 初めの内こそ明るく振る舞っていた彼だけれど、夜を越す度に苦しんでいくのが見て取れた。


 呪王が最期に放った、悪しきけがれ。

 それを全身に浴びた彼は……時が止まってしまった。

 唯一、穢れを取り除くには、何かを食べること。その代償として『最も愛する者の記憶を失くす』と、呪王は死の間際にわらった。


 今、彼をさいなむのは空腹。そして私は、そんな彼に食べさせてあげたいと願う、愚かな姫。


「こちらになります、姫様」

「ありがとう。いつもの通り私が運びます」

「かしこまりました。それでは姫様、お気を付けて」

「国を救った者に会うのです。気を付けることだなんて、ありませんよ」


 そう言って、料理人からふた付きの銀皿を受け取る。バトラーはナプキンに包んだナイフとフォークを手にした。

 料理を届ける、姫と従者。こうしているのも、かれこれ数ヶ月にも及ぶ。お父様お母様は私の熱心な訴えかけに折れ、口を挟まずにいてくださる。この城内に居る者は皆、彼を呪いから解き放つのに協力してくれた。


 回廊を歩き、離れにある小部屋の前で立ち止まる。バトラーは懐から鍵を取り出して、錠を外した。古びた木扉がギィと音を立てる。

 天窓からの頼りない日差しだけが、この部屋の照明。生活に必要な最低限の内装や家具。


 彼は――光が差し込むベッドに腰掛け、うつむいていた。

 くすんだ金髪。城下町の人々と大差ない服を着て。けれど、その内に秘めた力は誰よりも強いことを、私は知っている。


「今日のお食事を持ってまいりました」


 料理と食器をテーブルの上に置くものの、彼は微動だにしない。時折お腹を空かせた音が聞こえてくる。逆上して暴れないだけ、まだ今日は冷静でいられているのでしょう。


「……帰ってくれ」


 王国騎士団長の息子にして国を救った勇者、ロイ=キャンメル。かつての彼を知る者であれば、耳を疑うに違いない、低く掠れた声。


「そういうわけには、まいりません」


 喉の奥が絞られるのを、必死で堪えた。気丈に振る舞わなければ、彼とは話もできないから。


「懲りないな、姫さん。いい加減、もう放って置いてくれないか。俺にかまけるほど暇じゃないだろ、あんたも。そろそろ結婚相手だって見繕われてるんじゃないか? それとも婿むこの貰い手も無いくらい、おてんばだったか」


 テーブルの上で握り締めた手が震える。名前で呼んでくれないのが、何より辛い。


「なあ、ここから出してくれよ」

「お断りします。あなたが料理を食べてくれるまで、出すわけにはいきません」


 わざとらしく舌打ちして、彼は頭を振った。


 飢えの苦しさに耐えかね、私の前から姿を消した彼は、農村の納屋で首を吊っていた。

 死ぬに死ねず、じたばたと空中で足掻くだけでしたけれど。

 見付けた村人の話では……納屋の中には、おびただしい数の自害に使う道具があったそうで。

 それを聞いた私は、すぐさま衛兵に命じて彼を監禁した。


 王国お抱えの学士が言うには、彼には透明な膜が張られていて、どんな干渉も受け付けないと。

 縄が首に食い込むこともなく、剣先は逸れ、水や雷さえ弾く。

 ただ一つ、口からの食事を除いて。それも自らの意志でなければ、拒まれてしまう。


「こうなるなら、あの時に助けるんじゃなかったよ」

「でしたら遠慮せず、お食べになってください」


 私の一言に――彼は、ようやくおもてを上げた。ベッドから立ち上がると、早足に私の正面まで迫る。思わず間に入ろうとしたバトラーを私は目配せで制した。


 半年以上も食事や水分を取っていない顔は、文字通り時間が止まっているかのように、血色が良いまま。眉根を下げて、『どうして分かってくれないんだ』という表情が、全てを物語っていた。

 彼を前にした胸の高鳴りが、今は冷ややかなものとして聞こえてくる。


「何度、こんなことをすれば気が済むんだ! 俺が生きてるだけじゃ駄目なのか!」

「あなたが私との記憶を捨てないように……私も、あなたの苦しみを取り除きたいのです」

「ッ……!」


 心無い罵声の意図に、気付かない私ではない。城から去ったのも、そうしたくなかったと彼が望んだからで。

 そんな愛情の裏返しをされて、どうして諦められるでしょう。だから私も、彼と同じようにするだけ。

 いくら嫌われても構わない。それで彼が楽になるなら。たとえ彼の中から、私の存在が消えてしまったとしても。


 意を決して、銀皿に被さったふたを取る。中から湯気が漏れ、甘い香りを振り撒きながら消えていく。

 器に盛られたのは、リューシュの実をソテーにしたもの。その果肉は黄金色に輝いて、食欲をそそるには申し分ない。固い芯の部分をくり抜き、輪切りにした物をバターで炒めるだけの質素な料理。


 けれど、それだけじゃない。

 リューシュの実は――私と彼の、大切な思い出。


 その料理を一目見て、彼も息を詰まらせた。


『何を食べているのです? ロイ』

『ああ、リューシュですよ。城の庭園に植えられてましたので、一つ拝借しました』

『まあ! 手癖が悪いのではなくて。お父上に叱られますよ』

『姫様が告げ口しなければ、叱られなくても済みますね』

『もう、また他人行儀な呼び方をして。あなたの悪い癖です。ここには私達以外、誰も居ないのですよ?』

『ははは、すまない』

 口では謝りながら、シャリシャリと美味しそうに食べる彼を見て、私は悪知恵を働かせた。

『知っていますか、ロイ。リューシュは古くから認知の実とされてきました。創世記によると、食べた者は己の罪と向き合うのだと言われています。庭園に植えるほど神聖視されてきた果物なのです。汝、罪を認めよと』

『敵わないな……悪かった。あとで親父と庭師に怒られとくよ。せっかく頂いたんだ、食べなきゃ勿体ないだろ?』

『それは、まあ、確かに』

『そうだ、一口かじってみなよ。甘くて瑞々しいぞ』

『……ええと……お父様には、内緒にしてくださいね?』

『もちろん分かってるよ――――』


 思い出すだけでも胸が張り裂けそうな、夢のような日々。

 どこから歯車が狂ってしまったのだろう。

 お互いを想っているのは、変わらないのに。


「認知の実、だったか」


 ぼそりと、彼は独り言のように呟いた。


「そうです。あの日、あなたが私にくれた実。あなたが忘れてしまっても、私は永遠に忘れません。だから、どうか」

「……嫌だ」


 それは私が初めて耳にする、彼の弱音だった。ふいと顔を背け、まぶたを痛いくらいに閉じている。そっと震えた肩を抱きしめられたら、どれほど良かったか。


 どうして、彼を愛してしまうの。

 どうして、あなたでなくてはならないの。


「どうしても、食べてくださいませんか」

「この記憶は、命よりも重いんだ。無くせば俺が俺でなくなってしまう。そんなのは嫌だ。忘れるくらいなら死ぬ方を選んでやる。それが無理なら、せめて楽しかった思い出だけでも君に残して……なあ、頼むよぉ。これ以上、俺を苦しめないでくれ!」


 嗚咽混じりの叫びが、私を奮い立たせた。胸の内を聞けただけで、もう十分。

 私は素早くナプキンに包まれたナイフを、喉元に押し当てた。


「ひ、姫様ぁ!?」

「動かないで、バトラー。止めようとすれば刃を滑らせます。私は本気です」


 プツンと肌が裂け、紅い雫が首筋を伝う。


「なんの、つもりだ」

「あなたが命がけで記憶を守るのなら、私も命をかけて呪いをはらいます。それが私の覚悟。愛する者を失えば、あなたの未練も消えるでしょうから」

「ふざけ、るな……やめろ……馬鹿な真似をするんじゃない!!」


 笑みを作ると、涙が零れ落ちた。こんな状況で止めようとしてくれる彼を、嬉しく思ってしまう。


「二つに一つなのです、ロイ。私が死ぬか、あなたが私を忘れるか。決めてください」

「できない……できないよ……そんなこと、俺にはぁ!」

「いいえ、できます。あなたにしか選べません。誰よりも優しくて強い、あなたにしか」


 心音が浅くなっていく。死が近づいていく。

 震えたナイフの切っ先は、少しずつ傷口を広げていった。


「……どうして、こんなことに……!」


 運命と割り切るには、あまりにも残酷。悲劇と銘打つには、ありふれた筋書き。

 これが呪いの代価なら、私は喜んで受け入れましょう。

 愛しています、ロイ。


「ぐ、ちくしょう……っ!」


 彼が椅子に座り、フォークを手にする。一口大にした果肉を持ち上げ、口元へと運ぶ。

 涙と鼻水で汚れた顔は、とても国を救った勇者には見えなくて。

 ただ一人の、愛する者を失った、男性としか思えない。

 私の愛した人。


 ナイフの切っ先を下げた私は、精一杯の笑顔を作ってみせる。


「ありがとうございます。あなたが私を忘れても、ずっと好きでいてくれますように」

「……っ……忘れるものか。絶対に君を忘れたりしない」


 ああ、どうすれば、あなたに愛を残せるのだろう。

 心に深く刻み込んでくれるのだろう。

 もしも、と言いかけた声は、口の中で小さくなっていく。


 最後に見る彼の顔を、覚えていたくて。

 私は何でもない、別の言葉を紡いだ。


「召し上がれ、ロイ」

「本当、君には敵わないな……いただきます、クレア」


 微笑んで、彼はリューシュの実を口にした。

 とろけそうな食感を、私は自分の記憶と重ねる。舌に触れた時の酸味、それを塗り替えていく芳醇ほうじゅんな甘さ。

 喉元を通り過ぎた瞬間、彼から影のようなものが溢れ、きりの如く消え去った。


 手元からフォークが滑り、銀皿に落ちる。その音を聞いて、私とバトラーは彼の元へ駆けつけた。

 眠るようにして力なく座っている。バトラーが呼吸を確かめると、彼は薄っすらと目を覚ました。


「バト、ラー……?」

「お気付きですか、ロイ様」

「あ、ああ。なんだか、長い夢を見ていたようだ。妙に腹も空いている。それより……ここは?」

「城の離れです、ロイ」


 彼が振り向く。築いてきた愛情も、偽りの憎しみも、何も感じさせない青い瞳。

 どうして私が泣いているのか、不思議そうな顔をして。


「あなた、は?」

「……私は……私は、エリザベート=オータム=クリス。この国の姫です」

「姫? あなた、が。どうして、俺、知ってないといけないはずのに。何一つ、思い出せない」

「まだ今は混乱しているだけでしょう。それより、ほら、せっかくの料理が冷めてしまいますよ」


 彼はテーブルに目をやって、再び私の方を向いた。


「これ……俺が食べても、いいのですか?」

「ええ、あなたの為に、作った物ですから……」

「あ、それじゃあ、姫様を前に無礼ですけれど、いただきます。もう何年も食事をしていないような気がして」


 そうして彼は次々に口へと運んで、とても美味しそうに平らげた。その光景を見ているだけで、私は寂しさと幸せを感じている。

 食べ終えてフォークを置き、一息ついた彼は、何故だか首を傾げた。


「ごちそうさまでした。美味しかったです、この料理。リューシュの実なんて久しぶりで、なんだか懐かしい味がして……そう、まるで誰かと一緒に、食べたような」


 彼を抱きしめる。

 弱い私が、むせび泣く。


 あんなにも大切だった二人の時間が、何も無かったことになってしまう。

 こんなにも好きな気持ちが伝わらないだなんて。

 もう元には戻れない。私を愛してくれた彼とは、もう。

 もしも願いが叶うなら、一つだけ。

 生まれて良かったと感じられた、あの温もりを。


 ふわりと柔らかな手が――私の髪に、触れた。


「……また、親父と庭師に、謝らなくちゃな……クレア」

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