【母の日だから】

片隅シズカ

【母の日だから】

 中学生になった辺りからだろうか。最近、息子が顔を合わさなくなった。


 部活で帰りが遅いからというのもあるが、家にいる時間がめっきり減った。

 家に帰ったら帰ったで、基本的に部屋に籠りきり。部屋に入ろうとすると怒るので、余程の用がない限りは立ち入らないようにしている。


 顔を合わせるのはせいぜいご飯の時くらい。その時だって、私が二言三言話しかけて終わるのが常だ。


 とはいえ、過剰に反抗するわけではない。


 親子関係に亀裂が走るようなことがあったわけではないので、単純に年齢的な隔たりが出来たのだろう。いわゆる思春期というやつだ。


(私にも、そんな時期があったな)


 私もまた、中高生の頃は母から意図的に距離を置いていた。


 さしたる理由はなかった。ただなんとなく、母に世話を焼かれるのが鬱陶しかっただけ。今の息子を見ていると、あの時の私とびっくりするほど重なるのだ。


 だから私は、あえて何も言わない。


 無理に距離を詰めるのではなく、ただ身の回りにいる。そこにいるのが当たり前なくらいに、息子の日常の一部として。


 今は、それで充分なのだ。



 そんなことを考えながら、私はキッチンに立った。



 窓から差し込む朝の光が、二つの弁当箱に降り注いでいる。


 弁当箱は、私と息子の二人分。

 そして私の弁当箱のかたわらには、一枚の紙切れが置いてあった。


 紙切れに手を伸ばす。ボールペンで書かれた字は、どことなくぎこちない。


「――――――」


 私はあえて、それを口に出して読んでみた。ふふと笑いが零れる。


 実際には昨日なんだけどな。そう口にしてみようとも思ったけど、それは止めておいてあげた。親子だからといって、からかい過ぎはよろしくない。


 息子は今、私を物影から見つめている。


 見てみたいのは山々だけど、あえて振り向かない。目を逸らされるのは明白だ。だから、実際に影から覗く息子を目にしたわけではない。


 それでも私には分かるのだ。母親だから何もかもお見通しだなんて、そんな夢のような理由ではない。


 その証拠に、鮮明に浮かび上がってきた。

 懐かしくもこそばゆい、あの朝の光景が。







『……?』


 キッチンに立つ母が振り返った瞬間、私は慌てて身を隠してしまった。


 母はあえてなのか、何事もなかったかのように視線をキッチンへと戻した。隠れてしまったので顔を見ることはできなかったが、多分、笑っていたと思う。


 キッチンには、二つの弁当箱が並んでいた。

 そして母の手元には、一枚の紙切れ。


 紙切れにはボールペンで、こう書かれていた。




【母の日だから】



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【母の日だから】 片隅シズカ @katasumi-novel

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