【完結】オートマタ

夢火

第1話

 『ダンナサマ、オハヨウ、ゴザイマス』


 ⼈間が滅亡した今も彼⼥は刻まれた命令を繰り返し唱えていた。存在する意義を唱えるかのように無機質な声⾊を響かせて⾒つめている。曇り⼀つない真っすぐな⻘い瞳。その奥に映る⽩い肌を⾒る度に私は胸が痛んだ。


 (おはよう、クロエ)

 

 『…』


 『キョウモ、オテンキガ、スグレナイヨウデス』


 人類が⾒向きもしなかった結果が⽣んだ結末だ。海も、空も、濁りきっている。光が差し込む余地もないほど汚れているのだ。⽊々は枯れ、街は泥⽔のような濁った⽔が悪臭を放ちながら這っている。とても⽣きとし⽣けるものが、かつて居た場所とは到底思えない。


 僅かに⽣き残ったのは、都市機能を維持するための電⼒と、⼈々の⽣活を献⾝的に⽀える⾃動⼈形の残骸だけだ。⽣と死の区別が付かない彼⼥らは、こうして声をかけてくる。


 『ダンナサマ、オショクジハ、ドウナサイマスカ』


 (そうね…美味しいものが⾷べたい)


 『…』


 『カシコマリマシタ』


 お辞儀をして出ていく後ろ姿を、私の瞳が彼⼥を捉えていた頃から何度も⾒送った。⼝がきけない理由を理解できるはずがないのだ。他者に対して⼼を閉ざしたとき、しばしば私たちは⾔葉を発することを諦める。怒りや悲しみ。なぜ、そう感じたのか。なぜ、そう思うのか。


 同じ⼈間であっても理解できないのだ。だから決まって「どうしたの︖」とたずねる。答えてくれたなら、まだ良いほうである。その度に、傷つき、涙を流し、⾔葉の重さを胸にしまうのだ。


 しかし、彼⼥らは私たちの⼼へ踏み込めない。「⼈間を傷つけてはならない」とプログラムされているからだ。刺される痛みを知らない者に、刺された者の痛みは理解できない。故に、形式的な気遣いを繰り返し唱えるしかないのだ。


 扉をノックしている。戻ってきたようだ。


 『ダンナサマ、ショクリョウガ、ナイヨウデス』


 (そうね…買ってきてくれるかしら…︖)


 『…』


 『カシコマリマシタ』


 再び、お辞儀をして部屋を出ていく。随分と動きが不⾃然になったものだ。錆びついているのだろう。時折、きしむ⾳がする。⻑年、メンテナンスしていないせいで、通常よりも早く寿命が来ているようだ。それでも、この街に残る最後の⾃動⼈形ではないかと思うと、彼⼥は寂しくないのだろうか、と思わずにはいられない。仲間も、仕えるべき主も居ない場所で、何が報われるのだろうか。


 クロエと初めて会ったのは、私が13歳の誕⽣⽇を迎えた時だった。病弱で外へ出ることの少なかった私には友達が居なかった。窓辺から眺める景⾊は、他⼈のアルバムを⾒せつけられているかのようで、⼀つも⼼地良いと思ったことはない。朝は他の子らが集まる声。昼ははしゃぐ声。⼣⽅には、溢れる笑い声。その⼀つ⼀つは、どんなに⾜掻いても⼊り込めない場所にあった。


 不憫に思ったのだろう。


 「お前に良いものがあるんだ」と⽗は⾔った。


 半ば強引に部屋から連れ出され、⽞関に辿り着くと、それは置かれていた。⼈と同じくらいの背丈はあるだろう、⼤きさだ。深紅の⽊箱で出来ており、中央に「ローゼンクロイツ製」と書かれている。訝しげに「何︖」と聞いた。


 『お前たち、蓋を取ってくれないか』


 使⽤⼈たちがいそいそと蓋を開ける。固唾を呑んで私は待った。すると、そこに、⼥の⼦が眠っていた。透き通るような肌に、銀⾊の⻑い髪。胸元に薔薇の刺繍が施された、⻘い制服に⾝を包んでいた。


 『…誰…?死んでるの…?』


 『この⼦は"Chloe(クロエ)"だ』


 『⾃動⼈形と⾔ってな、私たちの⾝の世話をしてくれる⼈形なんだ』


 『…』


 ただ、気持ち悪かった。


 『気に⼊ったか?』


 『…』


 ⽗の気遣いが。


 『どうした?具合でも悪いのか?』


 『…』


 気持ち悪かった。


 『今、何と⾔った?』


 『いらない!』


 『何を⾔っているんだ、これは…!』


 『いらない!って⾔ってるでしょ!』


 ⽗を含め、使⽤⼈たちも⽬を丸くして驚いていた。無理もないだろう。⺟がこの世を去ってから、怒ったことも、笑ったことも、泣いたことも、私は無いのだから。惨めな⾃分が許せなかったのだ。普通になれなかった⾃分を認めてしまうようで。抑えきれなかったのだ。


 静かな空間だけが波紋のように広がる。取り繕うような素振りを⾒せながらも、どう接して良いのか分からないようで、誰もが視線を泳がせていた。


 「ああ、なんてことをしてしまったのだろう」と、居たたまれない気持ちに飲み込まれていくのだった。


 静寂を切り裂くようにピッと起動⾳が鳴る。


 『ショキ、セットアップヲ、カイシシマス』


 ⽬が合う。


 『…ダンナサマ?』


 『アナタガ︖ダンナサマ︖デスカ︖』


 それが、クロエとの出会いだった。なぜか私を「旦那様」扱いするクロエに皆が⼾惑ったが、どこか抜けた姿に張り詰めていた⽷が解かれていくのだった。


 『違う!』


 『良く⾒てよ!』


 皆は笑っていたが、恥ずかしさから顔を真っ⾚にして泣きじゃくる私をクロエは不思議そうに⾒つめるのだった。今となっては懐かしい思い出だ。それから、ときどき屋敷を抜け出すようになった。付き添いとしてクロエを引き連れて。新しい友達が出来たようで嬉しかったのだ。


 ある良く晴れた⽇のこと。珍しく、クロエのほうから外へ⾏かないか?と提案があった。街の外れのほうへ⾏きたい、と。


 『この花、シロツメクサって⾔うの』


 『シロツメクサ、デスネ』


 『私が⼀番好きなお花よ、覚えておいてね』


 『カシコマリマシタ』


 幼い頃、⺟に連れられ、街の外れのほうへ良く⾏ったものだ。お医者様から、体を丈夫にするためにも外の空気を吸わせたほうが良いと⾔われていたかららしい。⾞いすに乗せられ、⺟と数⼈の使⽤⼈と共に草原を歩いた記憶がある。


 『かぜがきもちいいー』


 『ふふふ…そうね』


 『ねぇーねぇー、あれ、なあに?』


 『あれは”シロツメクサ”って⾔うの』


 『しろつめくさ?』


 『そう、幸せを運ぶ花よ』


 『ふぅん…』


 それは⺟と過ごした数少ない⼤切な記憶かもしれない。


 あれから、どれだけの時間が過ぎたのだろうか。クロエが要るはずのない⾷料を求めて外へ出ていったっきり帰ってこない。朝も、昼も、夜も分からない、こんな暗闇の中で、過ぎていく時間の⻑さは永遠のようにしか思えない。


 ケガでもしたのだろうか。⼈間じゃあるまいし、と思いながらも、最後に部屋を出ていく際に聞こえた不⾃然な⾳が気になり始めていた。


 がちゃり。


 ノックも無しに現れた。


 『ダンナサマ、オマタセシテ、モウシワケアリマセン』


 『タダイマ、モドリマシタ』


 (クロエ…)


 いつもより遅い帰宅だった。無い胸をなでおろした。


 『オハナガ、サイテイマシタ』


 『ダンナサマ、コチラノ、オハナ』


 『オキニメサレテ、マシタヨネ』


 それは「シロツメクサ」だった。しかし、咲くはずがない。この汚れきった⼤気と⽔の中で⽣きていけるはずがない。


 (クロエ…これは…︖)


 『ワタシハ』


 『ワタシハ、サイゴマデ、ダンナサマト、スゴセテ』


 『シアワセ、デシタ』


 それだけ⾔うとクロエは⽌まってしまった。


 (クロエ…?)


 今まで⾒たこともない、とても優しい眼差しで。どこまでも真っすぐな、その瞳の奥に。⽩くなった私を宿していた。2度と閉じられることがないように。これから永遠の時を映すかのように。


 (私のほうこそ…ありがとう…)


 ⻘い薔薇が⼩さく揺れる。


 もう、この肌で感じることは無い、その⾵は。


 割れた窓の隙間から、流れ込んでいた。






                  完

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