第4話 君とあたし4

 「…同じクラスの男子を見ると、あたし、熱を出しちゃうみたいなんだ。だから、お母さんは悪くない。こんな熱、出しちゃうあたしが悪い」

 舌足らずな言葉使いになってしまったが、あたしは簡単に異性を見ると、体が拒絶反応を起こすことを説明した。

 過去に、男性恐怖症みたいになってしまったことはないことも言った。

 親であるお母さんは、唖然としていたが、最後まで聞いてくれた。

「…不思議なこともあるものね。異性を見ると、熱を出しちゃうなんて。でも、特定の異性を見ると、熱を出すのかもしれないわ。これはお母さんの推測だけど」

 若いわねとのんきに相づちを打つ。

「たぶん、お母さんが言っていること、当たっているかも。宮原を見た時だけ、体が熱くなるみたい。でも、エッチなことを想像したわけじゃないから。誤解しないでね?」

「わかっているわよ。それより、早く、寝て。熱を下げてしまわないと。今は夜だから、病院が閉まっているし」

 お薬を後で持ってくるからと言い残して、お母さんは部屋を出て行った。

 あたしは宮原を好きだから、体が熱くなるのかな?

 心が熱くなるからだとは、この時、気づいていなかった。



 翌日、割と朝早くに目が覚めた。

 お母さんの言う通り、早めに寝たから、気分はすっきりしていた。

 まずは顔を洗ってから、着替えようと思い、部屋を出る。

 階段を下りて、一階の洗面所へと向かう。

 お母さんが朝食の用意をしているのか、包丁で何かを刻む音といい匂いがこちらにまで届いてくる。 洗面所に着くと、鏡を見てみた。

「…うわ、むくれてる」

 つい、独り言をしゃべってしまっていた。

「可奈。そんなところで何をしているんだ?」

 後ろから、ふいに声をかけられて、驚きながらも、振り向いた。

 そこには、お父さんが怪訝な表情でこちらを見ていた。

「お父さんだったんだ。一瞬、誰かと思った」

 あたしはほっと、胸をなで下ろした。

 お父さんは困惑した様子で、眉をひそめる。

 髪を短くしていて、目は奥二重で鼻筋も通っている。

 顔立ちは五十近いけど、かっこいい部類に入るだろうか。

「それより、顔は洗わないのか?終わるのを待っているんだけどな」

 あたしは慌てて、ごめんと言いながら、顔を洗った。

 歯磨きもして、お父さんに終わったことを知らせる。

 あたしは部屋へ戻る前に、キッチンに向かった。

 熱を計るためである。

 お母さんに体温計を使うと言うと、少しの間、手を止めて、その方が良いと肯いてくれた。

「昨日は、お母さんも動転していて、熱を計るの、うっかりと忘れていたわね。学校では計らせてもらったの?」

「うん。えっと、三十七度五分はあったと思う。保健の田中先生が早退していいと言ってくれたけど」あたしがいうと、お母さんはそうとだけ、返してきた。

 あたしはそのまま、テーブルの上に置いてあった体温計を手に取った。

 ふたを開けて、ケースから、取り出した。

 パジャマの襟元のボタンをはずして、緩める。

 脇の下に挟んで、しばらく待った。

 一分くらい、じっとしていたら、ピピッと電子音が鳴る。

 脇から、出してみると液晶画面の部分を見てみた。

 そこには、三十六度三分と表示されていた。

 すっかり、平熱に戻っている。

 あたしは昨日、お風呂に入っていないことを思い出した。

「お母さん、ちょっと、シャワーを浴びてくるね」

「…ああ、そうだったわね。熱で汗をかいていると思うから、入ってきなさい」

 お母さんに促されて、バスルームへと行った。


 着替えを持ってきていないことに気がついて、急いで、二階へと上がった。

 今日も学校があるから、早めに準備するのに越したことはない。

 部屋まで小走りで行くと、ドアを勢いよく、開ける。

 クローゼットも開けて、引き出しから、下着類を出して、側にあるハンガーに掛けてある制服もはずして、持って行く。 部屋を出て、ドアを背中で押すようにして、閉めた。

 廊下や階段を急いで、通り過ぎると、脱衣場にたどり着いた。

 既に、お父さんは歯磨きなどを終わらせたらしく、いなかった。

 着替えを洗濯機の上に置いて、パジャマを脱いだ。

「さて、シャワーを浴びて、学校に急いで、行かなきゃ」

 一人でそう言って、バスルームのガラス張りのドアを開ける。

 中に入ると、ドアを閉めて、シャワーの蛇口をひねる。

 さあっと、水が出てきて、最初に髪の毛を濡らして、シャンプーをすることにした。

 そして、リンスをして、ボディソープをスポンジに付けて、体を洗う。

 全身を綺麗にした後、シャワーで、泡を落とす。

 頭もすすいで、蛇口をひねって、水を止める。

 中に持って入ったバスタオルで髪の毛の水気をぬぐう。

 脱衣場に出て、ドアを閉めた。

 ちなみに、あたしは兄弟がいないから、お風呂やその他で困ったことがない。

 一人っ子だと、家にいたりする時は寂しかったりするけれど。

 そして、置いてあった服を着て、制服のリボンを鏡を見ながら、結んだ。

 一応、身支度は済んだので、脱衣場を出て、二階へ行って、鞄を取りに行った。部屋に入って、勉強机の上に積んである教科書やノートなどを鞄に手早く、入れる。

 準備ができあがって、ベッドの側の棚に置いてあるデジタル時計を見ると、七時十五分になっていた。

 鞄を持って、キッチンに向かった。

「可奈、急いで、朝ご飯を食べてね。のんびりしていると、遅刻しちゃうわよ」

 お皿にのせられたトーストには、バターが塗られていて、牛乳とサラダ、目玉焼きが並べられていた。

 あたしはトーストを食べて、サラダと目玉焼きを胃袋にかき込む。

 一気にたいらげると、立ち上がって、お母さんが作ってくれたお弁当を鞄を開けて、押し込んだ。

 体育はないから、体操服は持って行かない。

「行ってきます!」

 走りながら、玄関に行き、靴を履いて、外へ飛び出した。

 息を切らしながら、学校へ駆けていった。


 途中の道を走りながら、通り過ぎる。

 息が切れ切れで苦しい。

 それでも、学校を目指した。

 だが、半分まで来た時だった。

 前方にいる人物を視界に入れたと同時に、固まってしまった。

 そこには、一人でぼんやりとしている宮原の姿があったのだ。

「…宮原、そこで何してんの?」近寄りながら、声をかけてみる。

 我に返ったらしく、宮原は驚いて、こちらを振り返った。

 さらさらとした栗毛色の髪が風に揺れる。

「樋口。おまえこそ、何してんの?」

 あたしは質問で返されたことにかちんときたが、それは押さえて、答えた。

「これから、学校へ行くとこ。早くしないと遅刻しちゃうから」

「…樋口、その。唐突だけど、熱は下がったのか?」

 宮原はあたしに、顔を赤らめながらも訊いてきた。

「ああ、もう下がったけど。心配かけちゃった?だったら、ごめん」

「謝る必要はないよ。でもさ、前から、気になってたんだけどさ。何で、樋口って、よく熱を出すんだ?俺を見たら、大体、体調を悪くしているみたいでさ。実のところ、どうなんだ?」

 あたしはそれを耳に入れた途端、また、体が熱くなるのがわかった。


 「…何で、熱が出るかって言われても。宮原のこと、嫌いだから、そうなるわけじゃないよ?」

 あたしはごまかすように笑いながら、言った。

 宮原はふうんといいながら、うろんげな目で見てくる。

「じゃあ、俺、嫌われてるわけじゃないってことだよな。なのに、相手の姿を見ただけで、熱が出るのって、変だよな?」

「それは、そうだけど」

 宮原はあたしに、そろりと近寄ってきた。

 一歩、二歩と歩いて、あたしのすぐ目の前まで来て、止まった。

 そして、両肩に手を置いて、見つめてくる。

「こうしても、樋口は変になる?」

 低いかすれ声で、耳に囁きかけてきた。あたしは、よけいに顔に熱が集まるのを感じる。

「変って。ちょっと、近すぎだって」

 慌てて、いっても、宮原は全く、動じない。

「…じゃあ、これ以上のことをしても、平気か?」

 あたしを見つめていたかと思った後、いきなり、顔が何かにぶつかった。

 鼻先に布と硬い感触がして、ほのかな良い匂いと温もりで、目が回りそうになる。


 背中と腰に拘束されている感触もあり、抱きしめられていることに気づくのに、数秒かかった。

「宮原、あたし、遅刻しそうなんだけど。放してくれる?」

 懸命に胸元を押して、離れようとする。けれど、相手の方が力が強いので、無駄な抵抗に終わった。 「…樋口、髪の毛、良い匂いがするな。シャンプーしただろ」

「朝方、シャワーしたって、何言ってんの!とにかく、放して!」

 大声をあげて、言うと、宮原は簡単に腕をほどいて、離れた。

「ごめん。あんまり、樋口が顔を赤くして、可愛かったから。つい、抱きしめたくなった」

 からからと笑いながら、そう、のたまった。

「可愛いって。あんた、頭、おかしいんじゃないの!?」

「そんな訳ないだろ。けど、樋口ってさ、俺を見て、体が熱くなるんだよな。だったら、その原因を調べてみないか?」

 そして、宮原は真剣な顔でこう、言ってきた。

「…樋口。俺さ、おまえのこと、好きなんだ。つき合ってくれ」あたしは気絶しそうになるのをこらえるので精一杯で、返事ができなかった。

 その間にも、遅刻ぎりぎりの時間になりつつあった。


 急いで、走りながら、後ろからついてくる宮原を盗み見た。 平然としていて、憎らしいくらいだ。

 あたしは苦しいながらも、学校まで、全力疾走したのであった。



 何とか、ぎりぎりで八時十五分頃に校門に入れた。

 下駄箱で素早く、靴をはきかえて、教室まで、走る。

 引き戸をがらりと音を立てながら、開けた。

 クラス中がしんと静まって、こちらを凝視する。

「…あ、おはよう、可奈。今日はずいぶんと遅かったね」

 近寄ってきて、真っ先に声をかけてきたのは美佐だった。

「おはよう。ちょっと、登校途中で宮原と出くわして。話をしていたら、遅くなっちゃって」

 教室に入りながら、言い訳を言った。

「そうなんだ。ずっと、早かったから。珍しいなと思って」

 窓側の二番目の席にたどり着きながらも、椅子に座り、美佐にそう、と返事をした。

 鞄から、教科書などを出して、机の中にしまい込む。

「…あーあ。遅刻するとこだった。先生に絞られる寸前だったよ」

 ため息をつきながら、後ろから聞こえてきた声に驚いて、振り向いた。

 そこには、宮原が立っていた。

「意外と樋口って、足速いのな。びっくりしたよ」

 あたしはそれに対して、返事をしなかった。

 代わりに、美佐がかみついた。

「意外とって、何よ。あんた、可奈にちょっかい、出したわけ?」

「…出してないよ。あ、でも、樋口に告りはしたけど。その時、樋口、なかなか、面白い顔してたな」

 悪戯っぽく、笑いながら、言ってきて、あたしは呆然としてしまった。

 美佐も驚いたらしく、目を見開いている。

「あんた、それ、本当?!可奈に告ったって、何でなの!」

「…いや、ここでは訳は言いにくいから。昼休みになったら、屋上に二人で来いよ。そうしたら、話してやるよ」

 意味深に笑いながら、宮原は自分の席に行ってしまった。

 そこで、話は打ち切りになったけど、周囲の視線が痛い。

 女子は、何であいつがと、非難を込めているし、男子は面白がるようなにやにやした顔をしている奴がいる。

 そう、あたしと違って、宮原はクラスのムードメーカーで人気者なのだ。

 そして、色素の薄い髪と瞳の為に、かなり、目立つ。

 性格も明るいから、割ともてる。

 目立たない地味なあたしとは段違いだ。

 そんなネガティブなことを考えていると、肩を叩かれた。

 軽くだったけど、我に返る。

 見上げてみると、美佐が真剣な顔でのぞき込んでいた。

「可奈。気にすることないって。宮原は冗談で言っているだけだよ」

 慰めてくれているらしい。

 あたしは笑いながら、首を横に振った。 「…宮原は本気だよ。あたしに、自分を見て、熱が出るんだったら、原因を調べてみないかと言っていたし」

 何でもないことかのように口にしたのに、美佐はかなり、驚いたらしかった。

「それ、本当!?宮原ときたら、そんなセクハラまがいのことを言うなんて。あいつ、可奈に変なこと、するつもりなんじゃない?」

 声を大きくして、美佐が叫んだものだから、クラスメートの視線がさらに、痛くなってくる。

 あたしは仕方なく、静かにと美佐にいった。

 気づいたらしい美佐はごめんと謝りながら、黙って、自分の席に戻っていった。あたしは一時限目の科目を思い出しながら、教科書などを机から出して、準備をしたのであった。


 一時限目が終わり、二時限目が始まろうとしていた。

 あたしは椅子に座って、ため息をついた。

 宮原は教卓のある真ん中の三番目の席である。

 そこで、三人ほどの男子達と話をして、盛り上がっていた。 あたしは席が美佐と離れているから、時間に余裕のある時くらいにしか、話をしない。

 うらやましく、思いながら、それを眺めていた。

 すると、髪をうっすらと茶髪に染めたロングの女子があたしに近づいてきた。

 目は黒でふつうである。

 でも、少し、つり上がっていて、気の強そうな印象を与える。

「…ねえ、樋口さんだったよね?」

 声は高めでアニメの声優みたいな感じだった。

「確かに、あたしは樋口だけど。何か、用があるの?」

「あたしさ、あんたが宮原と抱き合ってるの見たんだよ。真面目そうな顔して、意外とやることはやってるよね」

 やっぱ、見られてたか。

 あたしはつい、宮原を睨みつけそうになった。

「あんた、宮原が女子に人気があるの、知ってるよね?あたしもさ、樋口さんが宮原を苦手なの、気づいてたんだ。だっていうのに、抱き合ったりしてさ。どういうつもりなわけ?」

 あたしはため息をついた。

 この子が言いたいのはそういうことか。


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アツイオモイ 入江 涼子 @irie05

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