大好きな幼馴染と別れることを決意した僕のその後~完璧で高嶺の花な彼女には、相応しい相手と付き合ってほしい~

よこづなパンダ

大好きな幼馴染と別れることを決意した僕のその後~完璧で高嶺の花な彼女には、相応しい相手と付き合ってほしい~

 嶋崎結女ゆめ

 彼女は、僕の幼馴染で、完璧な女の子だ。


 ……そんな子と僕がお付き合いをしていたなんて、誰かに言ったところで1人も信じてくれないとは思うけど。




 今から1年前のこと。

 僕は結女と別れた。


 別れた理由は、方向性の違いだ。

 ……なんて言ったら、イカしたバンドマンみたいで少しは恰好がつくだろうか。




 実際のところは、たまたま幼馴染であったせいで関わりがあったけど、高嶺の花な彼女と僕では、はなから全く釣り合っていなかったというだけ。




 しかし、僕は今、結女に呼び出されて、どういうわけか1年ぶりに彼女と会話をすることになったのだった。




♢♢♢




 僕・松ヶ谷優作と嶋崎結女の出会いは、確か幼稚園の頃だった。

 お互いに大人しい性格で、みんなの輪の中に入ってワイワイするのが苦手だったから、園内の庭で駆け回っている子たちを横目に、お部屋で絵を描いていたりなんかしていることが多かった。

 だから、僕と結女は2人だけで、よく同じ空間を共有していた。

 特に話をするわけではなくても、なんとなく一緒にいる空気感が心地よくて、そのうち気がついたら仲良くなっていたという感じだ。


 小さい頃は、才能の優劣なんて概念はなかった。よくできました、と他人に褒められることはあっても、できなかったからといって怒られることはそんなにない。それが子供というものだ。大人たちは僕らが悪いことをしたらそりゃ怒るけど、失敗しても大体の場合は励ましてくれるし、次頑張ろう、って言ってくれるのだ。

 だから、昔の僕は本当に何も考えていなくて、ただただ自分の好きなことをしていたらそれだけで幸せだった。まあ、僕に限らず子供とは多かれ少なかれ皆そういうものだろう。




 しかし、大きくなるにつれて、優劣の差は如実に現れてくる。

 結女は小さい頃こそ1人でいることが多かったけれど、色々と才能に恵まれていた。基本、何をしてもみんなより上手にできた。当然、大人には褒められるし、同年代の周りのみんなにも注目される。だから、結女の思いやりのある優しい性格を知っているのが僕だけじゃなくなるのは、時間の問題だった。気づけば結女は、皆の人気者になっていた。


 対する僕はと言えば、勉強だけは辛うじて結女と張り合えていたけど、スポーツはダメ、容姿もお世辞にも格好良いとはいえず、クラスの仲間にはまるで相手にされていなかった。

 それも当然だ。休み時間にグラウンドで遊ぼうにも、僕がいれば皆の足を引っ張ってつまらなくなるだけだし、勉強の邪魔になるからと親にゲームを許されていなかったせいで、皆の流行りの話題にはついていけなかったのだから。


 1人でいる時間が多かったこともあって、自由な時間は基本勉強しかしていなかったから、そっちは人並み以上にできたけど、テストの結果はスポーツとかとは違って皆の前で明かされることがないから、クラスメイトから一目置かれることもなく。

 その結果、僕はいわゆる世間で陰キャと呼ばれるような存在となっていった。




 そんな僕は、小さい頃は一緒に遊ぶことも多かった結女のことを、いつしか対等な目で見ることが出来なくなっていた。一緒にいて心地よかった時間は、遠い過去の思い出となり、中学に上がった頃には、時折結女が話しかけてくれたとき以外はすっかり一緒にいることはなくなった。

 結女は僕の友達ではなく、手の届かない憧れの存在へと僕の中で変化していった。


 結女は容姿までもが整っており、中学に上がった頃にはすっかり美少女へと成長していた。だから、結女は女友達が多いにとどまらず、思春期に差し掛かった男子の中でも人気が出て、僕の元にも、よく結女のことを話題にしているクラスメイトの声が耳に入ってきた。


 そしてそんな僕も、結女のことが気になる男子の1人だった。


 結女は、どんなに周りに褒められても決して図に乗ることはなく、冷静に自分と他者を見つめることができる。そういう性格だから、彼女は小さい頃から誰にでも優しかったのだろうな、と思うが、僕はそんな変わらない結女のことを遠目で見ながら、女の子らしく変わった部分に色々と気持ちが揺さぶられてしまっていたのである。




 だから、中3の春に、結女に告白されたときは驚いた。

 僕は結女のことを異性として意識していたけれど、それは叶わない気持ちで、ずっと心に蓋をして生きていくつもりだった。

 しかし結女に告白されて、彼女のことを強く意識した時、僕は彼女のことが好きであるということをはっきりと自覚してしまい、抑え込むことができなくなってしまったのだ。


 両思いだとわかった僕たちは、交際を始めた。

 初めの頃は、ただただ幸せだった。

 僕とはしばらく接点の少なかった結女だけど、やっぱり話してみたら昔と変わらず優しくて、そして黙って一緒にいるだけの時間もどこか心地よくて。

そんな結女が内面的に昔と変わっていた唯一の部分は、以前よりも明るい性格になっていたことだ。

それは、きっと良い変化であった。

なぜなら、彼女と一緒にいるときの僕もまた、結女に引っ張られるように以前では考えられないほど前向きでいられたから。




 中学を卒業した僕と結女は、同じ高校に進学した。

 僕がかなりの努力をしてやっとの思いで合格した進学校に、結女は当然の如く受かってしまうのだから、やっぱり叶わないなあ、と思った。

 あの時の僕はまだ心が幼かったのだろう。当時は、本当にその程度にしか思わなかったのだから。




 僕と結女は同じクラスになった。

 結女は、すぐに皆の注目の的となった。

 地元から少し離れた高校だから、結女のことを知る者は僕以外には誰もいなかった。

 高校生になった結女は、ますます綺麗になっていたことだし、そんなわけで彼女を初めて見た新しいクラスメイト達がうっかり一目惚れしてしまう気持ちも、僕には理解できた。


 結女のことを狙っている、なんてクラスメイトの男子の声が、僕のすぐ傍で聞こえてくる。

 中学の頃とは違って、高校生ともなれば恋愛沙汰の話題には皆が興味を持っていて、そうなれば結女のことが注目されることも今まで以上に多くなる。

 そんなクラスメイト達の声を遠くからぼんやりと聞きながら、僕は考えるのだ。



 きっと彼らは、僕が結女の彼氏だなんて、夢にも思わないのだろう、と。



 僕は少しずつ、現実を見るようになっていった。




 付き合い始めた中3の頃は学校内でも結女と話すことは多かったけれど、高校に入ってからはめっきりなくなった。

 結女は人気者で、いつも彼女の周りには人が集まっていたからだ。

 そんな彼女が中心の輪の中に、陰キャの僕はどうしても入ることができなかった。


 付き合っているって、何なのだろう。

 そう思うことが増えた。


 結女は吹奏楽部に入部した。中学の頃とは違い、高校の部活動はかなりガチで、結女とは一緒に下校する日が減るどころか、朝練もあったために一緒に登校する日すら、いつしかなくなった。



 そんな忙しい結女だったが、時間のあるときはいつでも僕のことを一番に優先してくれるのだった。

 数少ない部活の休みの日は絶対に僕と一緒にいてくれたし、就寝前にはスマホでやり取りなんかをするのもしょっちゅうだった。結女は他にもやりたいことがたくさんあるはずだし、他の友達とも遊びたいはずなのに、優しい彼女はいつでも、僕に気を遣ってくれるのだ。


 初めはそれが嬉しかった。単純に、大好きな女の子と一緒にいられたり、会話できたりするのだから当然だろう。

 だけど、僕は気づいてしまったんだ。

 僕のせいで、結女の自由な時間を奪ってしまっているのではないか、ということに。



 僕と結女では誰がどう見ても釣り合わない。

 それは、高校入学と同時に僕と結女の存在を知らない人たちに囲まれて過ごした1年間で、はっきりとわかったことだった。

 そしてその『結女との差』は、以前とは比べ物にならないほどに膨れ上がっていた。

 ……いや、結女と付き合ったことで『1度距離が縮まった』ように思ってしまった僕が馬鹿で、ずっと勘違いをしていただけなのだろう。


 僕が、結女のことを好きになる理由は沢山あるし、憧れたり尊敬したりする一面は数えきれないほどだ。


 でも、その逆はどうだろうか。


 僕には結女よりも優れていると自信を持てる点が、文字通り何1つない。

 だから、結女が僕に対して、憧れや尊敬の気持ちを抱くことはあり得ないことだった。


 やがて、1つの結論に辿り着く。


『僕は、結女の足枷になっているのではないか』


 そう思ったとき、僕は結女に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。




 そして、高1の最後の日。


「別れよう」


 修了式ということで、部活がなかった結女と久しぶりに一緒に帰ることが出来たのを機に、僕は別れ話を切り出した。


 もはや、憧れの結女と付き合いたての浮かれていたころの自分を思い出しては、恥ずかしくなるだけだ。

 それに、同じクラスのサッカー部でイケメンな木島くんも、結女に好意を抱いていることを僕は知っていた。

 きっと、彼のような存在が結女のことを本当の意味で幸せにしてくれるに違いない。

 誰とでも仲良くなれて、本来自由であるはずの結女の足枷に、僕はこれ以上なりたくなかった。


「どうして……」


 結女は泣いてしまった。結女に悲しむフリをする気遣いまでさせてしまう自分が嫌になる。

 結女は、僕に何度も理由を尋ねた。何か気に障ることがあったら謝るから、もう1度やり直させてほしいとお願いされた。


 しかし僕は、その理由をどうしても知られたくなかった。今思えば、それが当時の僕に残されたわずかなプライドだったのかもしれない。


 結女に落ち度なんて、1つもない。これは結女のためになると思って僕が出した結論であって、彼女にもプライドはあるだろうから、形式上とはいえ振られたという事実を簡単には受け入れられないかもしれない。だが、いずれは僕のことなんかすっかり忘れて、本来送るべき華々しい青春を送ることになるだろう。


「結女は悪くないから」


 だから僕はそう言ったが、それを聞いた結女はただただ泣きじゃくるだけだった。






 高2の春。

 不幸にも、僕と結女はまた同じクラスとなった。

 良かったことといえば、サッカー部の木島くんもまた同じクラスだったことくらいだろう。


 クラスメイトの大半が入れ替わっても、相変わらず結女は皆の人気者であり続けた。

 対する僕はと言えば、これまた相変わらずクラスの隅で窓の外を眺めながら、皆の輪に入ることなく、周囲の会話を耳に入る分だけぼんやりと聞き流していた。


 しかし、1人でいる僕に向かった、以前には感じることのなかった視線を、ときどき感じるようになった。

 それは、結女からのものだった。


 去年も同じクラスだったが、高1のときは皆の輪の中であんなに楽しそうに笑っていた結女が、今でも笑っているのにそれはどこか本心からの笑顔ではないように見えた。

 そして、ときどき僕に向けられる視線。そのときの表情はどこか寂しげに映り、僕はそれが嫌いだった。


 どうして、あんな顔をするのだろう。


 僕は、結女に別れを告げた時、例え嘘でも彼女が泣いてくれたことが、少し嬉しかった。

 こんな風に思ってしまうのは、僕の心が結女とは違って濁っているからなのだろう。

 しかし、それはその場限りのパフォーマンスで、1か月もすれば、結女は僕のことなどすっかり忘れて、彼女らしい高校生活を送るものだとばかり思っていた。

 そしてそれが、僕の願いだった。


 なのに、どうしてあんな顔をするんだよ。


 まるで別れを切り出した僕の方が悪者であるかのように思えて、イライラする。


 結女は僕と目が合えば、ときどき僕に何か話しかけてくるような素振りをみせることすらあったから、そんなときは僕の方から教室を後にし、極力彼女とは交わることがないようにした。




 僕と別れてからの1年。高2になった結女の活躍は目覚ましく、僕といるときと比べ物にならないほど彼女の青春は華々しいものとなった。



 吹奏楽部の大会で金賞を取った。

 球技大会では、結女の2種目における大活躍もあって、クラスが優勝した。

 夏休み中、クラスの仲間と夏祭りに行った。

 文化祭では、結女が木島くんと一緒に作った装飾と、結女自身の演技のクオリティの高さが人気を博し、クラスの出し物のお化け屋敷は最優秀賞を獲得した。

 修学旅行で、結女は木島くんと一緒の班になって恋愛成就のお守りを買っていた。



 僕のクラスは結女の活躍によって、様々な行事で輝かしい功績を残した。クラスのみんなも団結し、ついでに結女と木島くんの仲も1年の頃よりも深まったように見えた。


 何故、僕が何度も木島くんの名前を出すかと言えば、僕は木島くんこそが結女に相応しい男だと思っているからだ。


 彼もまた、結女と同じように、皆の人気者で、誰に対しても優しいから。

 サッカー部では1年の頃からレギュラーで、そんなところも結女と似ている。

 木島くんに同性として嫉妬してしまいそうなくらいだ。



 そして対する僕はといえば、結女と別れたことで、元の陰キャ生活だけが残った。


 毎日帰宅部で自宅と学校を行き来するだけの日々を送り、球技大会は前日に自転車でコケたせいで見学し、夏休み中はクラスメイトからの誘いはなく家でダラダラと過ごし、文化祭はギャル系統の田澤さんを筆頭とするクラスの女子に買い出しを頼まれて往復をしているうちに終了し、修学旅行は田澤さんたちが神社でお守りを選びながら盛り上がっている中、余りとしてそのグループに無理やり押し込まれた僕は1人ぼんやりと木陰で佇んでいたら、いつの間にか彼女たちを見失ってしまったので先にホテルに戻った。


 結女と同じクラスで、同じ空気を吸っているはずなのに、結女と僕の高校生活はこんなにも違うのかと思うと、どこか不思議ですらある。


 だが。

 これまで僕のせいで、結女の青春を汚してしまっていたことはこれで明白となった。


 結女と別れてよかった、と僕は心の底から思った。




 しかし、クリスマス、初詣、バレンタインと年中行事が続いても、なぜか結女と木島くんの仲は進展しなかった。

 それどころか、むしろ距離が開いていったように見えた。

 その原因は、結女にある。

 結女が、木島くんに対して壁を作っているのだ。

 理由はわからない。しかし、木島くんの想いが結女に届いていないことは、クラスの端にいる存在である僕ですらわかることだった。


 そして、そんな高2の終わり。

 僕は、結女に呼び出された。




♢♢♢




 この1年間、僕は結女と全く会話をした覚えがない。

 一時期疎遠になっていた中学の頃ですら、こんなことはなかった。

 結女の視線を感じたときに彼女を避けていたのは僕の方だが、とうとう結女が僕に話しかけてくることは一度もなかったのだから。


 それなのに、どうして急に呼び出してきたのだろう。


 別れてから、今日でちょうど1年になる。

 結女にとって邪魔な存在であるはずの僕に、いったい何を伝えるつもりなのだろうか。






 そんなことを考えつつ、思考がまとまらないまま、僕は放課後の空き教室の扉を開ける。

 結女は1人、教室の隅に立っていて、僕が来るのをずっと待っていたようだった。

 中3の春に、結女に告白されて、舞い上がってしまった昔の馬鹿な自分をうっかり思い出してしまい、気持ちが静む。


 僕の顔を見ると、結女は少しほっとしたような表情を見せた。

 その表情は、相変わらず可愛らしかった。


 僕が呼び出しを無視するとでも思っていたのだろうか。

 1年前に振ったとはいえ、僕は今でも結女のことが好きだ。なので、結女が僕を呼んだのならここに来て当然だ。

 僕はあくまで、結女のためを思って身を引いているだけである。


 だからそんな顔をする結女の心境が僕には全く理解できなかったのだが、信じてもらえていなかったのだとしたら、さすがに少し心外である。




 しかし、結女と向き合ってなお、呼び出してまで僕に伝えたいことが何なのか、僕には皆目見当がつかない。

 僕は結女の邪魔になるようなことは本当にしていないと断言できた。

 だからこそ、いったい何の忠告をしに来たのか、心当たりがないせいで逆に身構えてしまう。


 結女は、僕に何かを言いたそうにしているが、なかなか話を切り出してこない。

 そのまま流れていく時間が僕には非常に長く感じられて、早く終わってほしかった。


 やがて、意を決したかのように結女は口を開いた。

 僕は口には出さないけど、ようやくか、と思った。


 だが……




 結女の口から出た言葉は、あまりに予想外なもので、そんな気持ちはどこかへ飛んでいった。

 僕は、結女の言葉の意味をすぐには理解することができなかった。




「私、やっぱり、どうしても、優作くんのことが、好きです。だから、お願い……もう1度だけ、私にやり直すチャンスをください」




 結女は、そう言ったのだ。

 何かの間違いではないかと、僕は自分の耳を疑ってしまう。

 しかし結女の真っ直ぐな瞳を見て、それは聞き間違いでなかったことを悟る。



 結女のその言葉は、僕の心を揺さぶるには十分すぎた。



 結女の透き通るような綺麗な声は、別れてからも毎日教室で耳にしているはずなのに、なぜだろう。

 凄く懐かしくて、耳から離れない。



 一瞬で、結女と付き合っていて楽しかった頃の思い出が、思い起こされる。

 僕みたいな人間が決して触れるはずのない幸せを与えてもらっていた、あの頃の思い出。

 結女はいつだって、他人を優先してしまう優しさを持っている。

 だから幼かった僕はその甘い蜜を吸って、ただただ結女に甘えた結果、彼女を不幸にしてしまっていた。


 僕は、結女に与えられたものを返さないといけない。何の才能も持っていない僕は、せめて結女みたいに、他者を思いやる心を持った人間でいなければならないのだ。


 だから。


 僕の考えをくみ取ってくれない結女に対して、まるで結女との幸せだった思い出を上書きしていくかのように、別の感情がふつふつと湧き上がってくるのを感じた。



 それは、一年前の僕がプライドで伝えなかったこと。

 決して言ってはいけないこと。



「……なんでだよ」


 こんなこと、結女に言いたくなかったのに。


「……なんで、わかってくれないんだよ!」


 気がついたら、僕は結女に向かってそう叫んでいた。



 結女とは小さい頃から一緒に仲良く遊んで、付き合っていた頃なんかは喧嘩の1つさえしたことがなかった。

 当たり前だ。結女は完璧な女の子で、不満なところなんて何1つないのだから。

 けれど、結女の方は、僕に不満はなかったのだろうか。


 ……そんなの、あったに決まっている。


 それなのに、どうして、僕に何も言ってくれなかったのだろう。


 こんなにも結女と不釣り合いで、冴えない僕のことを、どうして。


 未だに好きだといってしまうのだろう。


「この1年でさ、結女はますます綺麗になったよな」


 僕がそう言うと、結女は可愛らしい顔を赤らめて、恥ずかしそうな表情を浮かべる。

 その表情が、憎い。

 今の僕にとってはそれが憎くて、たまらない。


 結女がそんな顔を向けるべきなのは、僕じゃないんだ。

 だって僕は、こんなにも格好悪くて、冴えなくて、結女のことを幸せになどできない人間なのだから。


 普通の男なら、好きな女の子のこんな表情を見たら、思わず動揺してしまうものかもしれない。

 しかし、そんな表情をする結女に対してでも、僕は話の続きを言わずにはいられなかった。


「結女には友達もいっぱいできた。けど、僕は。何をやっても、うまくできないんだ!友達はいないし、根暗で、都合の良いときだけクラスメイトに利用されることはあっても、本当のところは誰からも必要とされていない、そんな人間なんだよ!何でもできて、みんなの人気者で、そんな結女は僕と住んでいる世界が違うんだよ!僕みたいな何の価値もない人間が一緒にいたら、結女のことを不幸にしてしまうって、どうして」


 そこまで言ってしまって、ふと我に返る。

 結女の顔を見ると、彼女の目には涙が浮かんでいた。

 1年前のあの日、僕が泣き真似と決めつけていた結女のこの表情。

 ……それは噓泣きというにはあまりにも演技力が高すぎて、見ていると胸が締め付けられるような気持ちになる。


 僕は、結女の悲しそうな顔を見るのが嫌いだ。何よりも。ずっとそうだった。

 今となっては、照れている顔も、喜んでいる顔も、僕に向けられる結女の表情は何もかも、嫌い。

 だけど一番は、悲しんでほしくない。そう思っているはずなのに…


 一度動き出した僕の口は、最後まで決して止まってはくれないようだ。


「どうして、わかってくれないんだよ!!」


「もうやめて!」


 しかしそんな僕の言葉を、結女は無理矢理声を上げて遮った。




「……もう、やめてよ……。私、本人の口からでも、大好きな人の悪口なんて、聞きたくないよ……」




 だが、そんな結女の声は徐々に小さくなり、力ないものとなってゆく。




 やがて結女は、膝からがっくりと崩れ落ちた。



 制服のスカートがひらりと揺れて、彼女の綺麗な髪は、整った顔を覆うようにだらりと垂れ下がってしまう。




「……うっ……わたし、こんなに、……こんなに、優作くんのことが好きで、一緒にいられなかったこの1年が……すごく、辛くて……」



 よく言うよ。

 あんなに、クラスの仲間と、毎日笑い合っていたじゃないか。

 あんな日々を送って、辛かった?

 笑わせるなよ。



「……クラスのみんなも優しくしてはくれるけど、やっぱり、私のことを全てわかってくれて、本当の意味で優しくしてくれてたのは優作くんだったって、一緒にいて心地良いのは優作くんなんだなって、改めて気づかされて……」


「……ずっと、何がいけなかったのかな、て、考えて。考えて……でも、どうしてもわからなくて、そんな自分が嫌で、優作くんに嫌われた理由すらわからない馬鹿な私なんかよりずっと、ずっと……」


「……優作くんは」


 結女は、ボソボソと語り続ける。


「小さい頃から優しくて、いつも傍にいてくれて……私が公園で髪飾りをなくしたときも、最後まで一緒に……さがして……くれて……うっ」



 僕との思い出を語りながら、また泣き出してしまう結女。


 結女との思い出は、僕にとっても大切なものばかりだ。

 結女と同じ景色を見ていたときも、確かにあっただろう。




 だけど、それらはすべて。

 過去のことだ。


 もう、終わったことなんだよ。




 小さい頃は、結女と僕との間に差なんてなかった。

 だけど、大きくなっていくにつれて、その差はどんどん大きくなっていった。

 だからこそ、今思えば僕たちは中学の頃、一度疎遠になっていたのだろう。


 それなのに中3のとき、結女が僕に告白してくれた時は、すごく嬉しかった。

 また、昔のように一緒に思い出を作っていけたらな、と思っていた。


 だけど、現実はそう上手くはいかないもので。

 結女と一緒にいるだけで、僕はどんどん惨めな気持ちを味わうようになっていった。

 彼氏として、いつも情けないと感じていた。

 僕は結女の隣に立てるような、人間ではないと。


 だから、僕は……


 ぼ、ぼくは……









 ふと。


 昔を思い出すうちに、僕は胸の奥の奥深くにしまい込んだはずの、醜くてどうしようもない気持ちに、気づいてしまった。



 僕と一緒にいないことが、結女のためだと、そう、自分に言い聞かせてきた。

 だからこそ、僕はこんなにも大好きな結女のことを、自分から遠ざけて、自分自身を結女の世界から除外して、この1年間、教室の隅で結女の笑顔を眺めつつ、結女の幸せを願っていた。


 そのはずだったのに。




 僕は、結女と一緒にいるときの自分が嫌いだっただけなのではないか。

 結女と一緒にいると、自分の不甲斐なさをひしひしと感じさせられて、それに耐えきれなくなって、僕は……




 結女から、逃げたんだ。






 結女のことは、別れた去年の冬も、大好きなままだった。

 それなのに、僕は別れることを選んだのだ。

 なぜなら……


 結女と一緒にいることで、僕の心が壊れてしまいそうだったから。

 大好きな結女と一緒にいることの幸せよりも、自分に対する劣等感による苦痛の方が、いつの間にかどうしようもないほどに大きくなってしまったから。



 それを、僕は、自分の弱さを、認めたくなくて……


 僕の傍から離れることが結女の幸せだから、とか偽善者ぶって。




 僕は、結女と付き合っていた頃の幸せだった気持ちを、今日という日が来るまですっかり忘れてしまっていた。

 結女に改めて告白されて、やっと思い出したんだ。

 本当に、馬鹿だと思う。




 だけど、それならいっそ……




 このまま、忘れたままでいさせて欲しかった。

 思い出したくなんて、なかった。


 ―――だってその幸せは、僕みたいな人間が掴めるはずのないものなのだから。





 だから僕は、結女のことをまた、突き放さねばならない。

 結女と一緒に変わろうとしなかった僕は何も悪くないんだ。

 ただ、本来は生まれる星の違ったはずの僕たちが、どういうわけか近くで生まれて、傍にいてしまった運命が、いけなかったんだ。


 結女は、僕と出会わない方が幸せになれたはずなのに。




「それってさ」


 泣きながら僕との思い出を語り続けていた結女に向かって、僕ははっきりと告げることにした。


「全部、過去の話なんだよね。幼稚園とかの頃の思い出に囚われちゃってさ。大きくなった後の僕の良いところなんて、何一つあげられないよね?」


 それまで、何とかして保っていた結女の気持ちがぷっつりと切れたのがわかった。

 結女は、僕の言葉を聞いて、完全に固まって動かなくなった。


「結女が、昔の思い出を覚えていてくれたことは、嬉しいよ。でもさ、それを理由に、今の思い出を見ないことにしたり、新たな出会いを無視したりするのは、違うと思うんだよね」




 まるで攻めるような言い方をして、僕は最低だ。

 僕の良いところを見つけられない理由を、まるで結女のせいにするかのように言ってしまった。

 こんな言い方になったのは、僕が結女と別れたを僕自身が受け入れられなかったから、というだけなのかもしれない。

 だが、プライドが邪魔をして、僕はもう引き返すことができなかった。




「……それでも」


 涙声でほとんど言葉にならない中で、結女はそれでも、今の僕が良いと言った。



 クラスメイトと話していても、上辺だけの付き合いで、本当の自分のことなんて誰も見てくれていない、と。

 外面的な部分だけを見られて、理想を押し付けられて、辛い。

 内面を知ってくれているのは、僕しかいない、と。



 結女がそんなことを漏らしたのは初めてで、意外だった。



 ……だが、それだけ。

 僕にはそんな結女の悩みを理解できるほどの外面的な良さは持ち合わせていないし、そんな僕を馬鹿にして言っているようにしか思えなかった。

 結女の気持ちは、どうしても理解できなかった。


「ごめん。その気持ちには、応えることはできない。これからも、ずっと、だ。だから」


 意を決した僕は、今年こそ、最後まではっきりと告げるのだ。


「もう、2度と話しかけないでほしい」


 これが、僕の、いや、結女のためになるのだから。











 だけど、


 ……あれ





 僕の頬を、涙が伝っていくのを感じた。


 それと同時に、僕の心の奥底に眠っていて、今日思い出したはずの結女との思い出が全て、二度と思い出せないほどにガタガタと音を立てて崩れていくのを感じた。

 勿論、音なんて出るはずはない。

 だが、劣等感に苛まれ続ける苦痛から逃れられた解放感と同時に……


 全ての幸福も、僕の体内から零れ落ちて……



 何もない、抜け殻のような僕が残っただけだった。





 目の前で、女の子が泣いている。

 僕が、大好きだった女の子。


 彼女は、もう声を上げる力もなく、立ち上がることもできずに、ただただ泣き崩れていた。


 このままでは、きっと家に帰ることもままならないだろう。


 だけど、僕は、僕自身も泣いているという事実を彼女に知られたくない。

 そんなちっぽけなプライドを理由にして、僕は彼女を教室に残したまま、その場を立ち去るんだ。

 彼女は小さい頃から真面目だったから、きっと僕の命令をちゃんと守ってくれることだろう。

 だから、もう彼女とは関わることはない。


 こうして、また理由を作っては、僕は大好きだった女の子のことを置き去りにする。

 決して後ろは振り返らずに。




 ……だって、僕なんかではあの子の何の力にもなれやしないのだから。




 できるのは、ただ、あの子の幸せを願うことだけ。






♢♢♢






 教室を抜け出すと、その横にはサッカー部のジャージを纏った男が座っていた。

 彼は、両手で顔を覆っていたから、僕には誰だったのかわからなかった。

 そう。わからなかったさ。



 きっと彼は、あの子のことがずっと好きで、だがあの子には他に好きな人がいて、自分には気持ちが向いていなかったことをたった今、はっきりと知ってしまったのだろう。



 ……こんなところ、見なければ良かったのに。



 そう思いつつ、彼に掛ける言葉もまた持ち合わせていない僕は、あの子のことを幸せにしてくれるはずだった存在に、君にはまだ諦めないでほしいと、勝手ながら淡い期待を抱くのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大好きな幼馴染と別れることを決意した僕のその後~完璧で高嶺の花な彼女には、相応しい相手と付き合ってほしい~ よこづなパンダ @mrn0309

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ