最終章 答えは風の中に

     1

 微かな振動。微かな音。何の音だろう。

 揺れ方が激しくなってきた。振動が床から足へ、そして心臓を震わせた。不安と恐れとを包んだ精神が、肉体とともに揺さぶられる。

 ルキロの意識は完全に覚醒していた。全ての感覚が針のように鋭く研ぎ澄まされていた。

 何故なら、彼女は全てを理解したから。


 ルキロは視線を落とした。自分の足下に、男が転がっている。寝転んだまま、幼児のように膝を抱えている。震え、怯えている。声をかけたが、返事はなかった。何やら意味の分からない言葉を呪文のように呟いているだけだった。


「悪いけど、わたしは……もう、行くよ」


 ルキロは躊躇せず、部屋を出た。全力で走り出す。

 全てに決着をつけるために。





 東の空を見る。昇り始めた太陽が、赤黒い無気味な色合いに輝いている。巨大な太陽は、ビルの隙間からルキロを照らし出した。無数の亀裂の入った地面に、淡く長大な少女の影を作り出した。鳥のように舞う無数の影が、少女の影にまとわりつくように交差する。


 アロ・イーグ、ゾ・ヴィムがビルの谷間を縫い、飛んでいる。手にした銃から青や黄色の光が放たれる都度、爆音と共に地が裂け、建物が吹き飛び、崩れた。


 さらに上空へと視線を向ける。両軍の輸送艦であるガ・ガーヌ、キュー・ジ・ヴィの姿が都市へ幾多の影を落としている。そして、それらの遙か上空、雲の隙間からそのほんの一部分をのぞかせているのは、白銀の超大型戦闘艦テオ・リュー・フィルクだ。


 何故ここを攻撃している?

 ルキロはその自問に即座に自答する事で、彼らの目的への理解を確実にした。


 何故ここは彼らの進入を許している?

 ルキロはその自問に自答する事で、ここの人間たちの立場を理解した。


 長老の言葉が浮かぶ。「たとえ天変地異で地球が滅びても、ここは一番最後になるだろう」あの薄黄色の防御幕と、プロトタイプ・ウーズィであるレイ・ウーズ……都市を護るそれらの存在が、まったく機能していない。


 この都市の人間は牢獄の番人。近代の歴史を守護する者。それを今、自ら放棄しようとしている。その考えは理解する事が出来た。だが、ルキロ自身にとっては、番人のその決定ははなはだ不本意なものだった。このままではいけない。これを、阻止しなくてはならない。何故ならば、ここには全てがある。ここには鍵がある。お互いがこれからも悠久に流れていくであろう歴史を築いていくにあたり、障害になるだけかも知れない。だが、乗り越えるだけの価値が、それにはある。

 宇宙は、地球のこの都市がある事を知らなければならないのではないか。


 ルキロは駈けた。爆音の中を、爆煙の中を走った。

 低空を飛行するゾ・ヴィムのソニックブームに、引きちぎられそうな激痛が体を襲う。両手で鼓膜を守りながら、吹き飛ばされそうになるのをこらえた。一呼吸すらつかず、またすぐに走り出す。


 間に合って……。ルキロは念じた。

 この都市の中枢は地下にある。エクシュールなどの攻撃では陥落させる事は出来ないだろう。だが、もし戦艦が主砲で狙ったら……。軍がなりふり構わない行動に出たら……。


 背中から爆風を浴び、軽いその体は宙に舞い上がった。

 地に落ちたルキロは受け身をとり、転がり、立ち上がる。振り返りもせず、駈け続けた。

 また、近くで砲撃による爆発が起きた。間違い無い。ルキロを狙っている。

 それでもルキロは、目的地へ向かう最短距離のコースを駈け続ける。

 自分が彼等に狙われている事など、知っている。今さら驚く必要もない。



     2

 胸部の扉が開くと同時に、乾燥した、黴臭い空気が噴き出した。


 レイ・ウーズの胸部の高さにある金属板の足場に立ち、手動で開けたばかりの操縦席をのぞき込んだ。レイ・ウーズには、人間が乗っていた。レバーを両手でしっかりと握りしめている。だが、その人間は、すでに半ば白骨化、半ばミイラ化していた。骨に、乾燥した真っ黒な肉皮がうっすらとこびりついているだけだった。男か女かも想像つかない。果たしてどんな身分の人間だったのだろう。


 様々な計器が無音で、ただ点滅だけを繰り返している。待機状態のようだ。ルキロは手を伸ばし、エクシュールを操作する時の要領で、操縦レバー付近をまさぐる。

 空調機が作動し始めた。座っていた死体は、見る見るうちに崩れ、驚く余裕すらなかった。塵のように細かな砂となり、舞い上がり、天井に吸い込まれていく。服だけが残った。ルキロは服を横に払いのけ、操縦席に入り込んだ。

 操縦系の確認。エクシュールと同じ要領でいけそうだ。


 先の逃走劇で、「内部のコンピュータか、誘導操縦により動いているに違いない」と、ライスカイスの青年は云った。その通り、自動操縦だった。キーを叩き、それを解除する。


 開いた胸部扉の向こう、前方に壁が見える。赤く大きな文字で「B―3」と書いてある。


 スイッチを入れる。

 左右から回り込むように丸みを帯びた金属板があらわれ、隙間なく合わさる。計器の小さな光を残して、暗闇に包まれる。続いて、上下から同様に薄い金属板が閉じ合わさる。

 切り取った球の一部を裏側から見ているかのような、大きな画面が頭上にある。それが前方に回転した。画像が映る。数瞬前まで肉眼で見えていた光景が映っていた。


 前方の壁、シャッターに爆風による亀裂が入る。外からの攻撃だ。

 丁度いい、とばかりにルキロは微笑む。だが、それは、無理矢理に作り出したような笑みだった。無茶な戦いを前にして、強引に自分の精神を昂揚させようとしていた。


 ペダルを踏み込むと、レイ・ウーズは歩き始めた。壁が近づいてくる。手を伸ばす。さきほどの攻撃により出来た隙間に手を伸ばした。両手で掴み、力任せに左右に広げた。厚さ十センチ以上はあるシャッターの亀裂が、紙切れでも引き裂くように軽々と開いていく。


 やはり……とんでもない力を持っている……

 内部の人間の寿命を縮めるだけの兵器である。そう判断され、量産される事はなかった。だが、無意味な技術であったわけではない。その技術があればこそ、安価な量産機にも十分な性能が備わったのだから。量産型である次世代エクシュール……それがさらに戦略別に分岐し、ジーン・ウーズィなど現行機へと発展していく。


 レイ・ウーズは外へ出た。まだ、両軍の都市への攻撃は続いていた。ルキロは画面が映し出す空を見ていた。

 心をたかぶらせると同時に、心を静めてもいた。これからの事を思い、指を組み、簡易的瞬間的な瞑想術を行う。呼気を整える。


 彼らは、このレイ・ウーズを捉えている事だろう。そして、この都市の産物、仲間を地獄へと叩き込んだこの機体に対しての命令を下すだろう。


 動きがあった。

 ゾ・ヴィムが、そしてアロ・イーグが、こちらに向かって飛んできた。ルキロは……レイ・ウーズは動かない。ゾ・ヴィムが、そしてアロ・イーグが、さらに近づいてくる。そして、構えていた銃を撃つ。


 ルキロは中央のレバーから右手を離し、右膝横のレバーに手をやった。レバーを前に倒した。レイ・ウーズの背中から白い炎が出た。


 ディオとエクシュールの同時攻撃により、レイ・ウーズが立っていた地面、道路は蒸発し、シャッターは溶け大きな穴が空いた。だが、レイ・ウーズはそこにはいなかった。


 空を飛んでいた。操縦席の中、自分の体重の数十倍もの衝撃を体に受け、ルキロは一瞬だけ気を失った。だが、その凄まじい振動、衝撃に、すぐに現に引き戻された。


 レイ・ウーズは宙に静止している。


 ゾ・ヴィムの五機編隊が上空から一斉射撃。当たったかどうか、彼らに確認をする時間はなかった。何故なら、その時すでに、五機のゾ・ヴィムは胴体を真っ二つに両断されていたのだ。レイ・ウーズは彼らの機体よりもさらに上にいた。右手に光る刀を持っていた。刀に細かい霧のような粒子がまとわりつき、それが黄色く輝く光を放っている。

 ルキロの孤独な死闘が始まった。


 群がってくる敵全てを、一撃で葬っていく。ルキロは邪魔する敵を切り伏せながら、ひたすら上を目指していた。上へ。あの雲の隙間……





 ゴ・スィッグ、シル・カル、すべての戦艦の主砲が、都市を狙っていた。

 すでにそれぞれが一度、発砲していた。それにより、地球人どもがこの都市に張ったやわな防御幕は破れたのだ。彼らはそう考えていた。たかが地球人どもの防御機構など、と。


 主砲の冷却は完了し、エネルギーの充填が始まっていた。全艦が放つ次の砲撃で、この都市は完全に滅びるのだ。都市同様に滅びねばならない機体レイ・ウーズ、それが今死神となり、刀を振るい、次々とアロ・イーグとゾ・ヴィムを破壊しながら上昇してくる。空中格闘戦のできるすべての機体がレイ・ウーズを阻止せんと立ちはだかっていた。


 レイ・ウーズの背中から吹き出る炎が、エクシュールやディオを遙かに凌駕すると思われる巨人の幻影を作り出す。その幻影の巨人が、次々と立ち向かう者を飲み込んでいく。





 本来ならばあり得ない事である。シル・カルがレイ・ウーズに向け、主砲を放ったのだ。


 レイ・ウーズの暗い操縦席内が、突然、カメラの捉えた強烈な明かりに照らされ、眩しいほどに明るくなった。赤い髪の奥、ルキロの目は歪み、口元は両端が釣り上がっていた。それは、眩しさ故ではなく、単に笑っていたのだ。ただの微笑なのか、それとも何らかの皮肉による苦笑なのかは分からない。ルキロ本人にすら分かっていないのだから。


 ルキロは中央レバーの根本、右にある大きな赤いボタンに拳を叩き付けた。




 ルキロ・エ・ルは逃亡者から、完全な反逆者になった。そして、標的の一つとして知らされているあの機体、プロトタイプ・ウーズィ。この一撃は、両方を始末する事ができる。プロトタイプはあの通りの性能だ、多少の犠牲はやむをえまい。


 シル・カルの艦長の一人であるフギット・ザイ・ヤーは、そう判断し、そして主砲の発射を命じた。遙か上方のテオ・リュー・フィルク内にいるメルリカ元帥代理には制止されたのだが、彼はたかが小娘と馬鹿にし、命令を無視した。


 エネルギーは十分に蓄えられてはいないが、たかがエクシュール一機、どうとでもなる。そして、手柄をたてれば、申し開きなどどうとでもなる。





 伸びる光はゾ・ヴィムやアロ・イーグを巻き込み、まっすぐにレイ・ウーズへと襲いかかる。レイ・ウーズの性能がたとえ優れていようと、操縦者が優れていようと、逃れるすべはない。「たかがエクシュール一機を主砲で攻撃しておいて、自慢げにほくそ笑んでいた」。フギット艦長は、後生そう云われていたかもしれない。そうならなかったのは、彼にとって幸だったのか不幸だったのか分からない。何故なら彼から感想を聞く事は、もう永久に出来なかったから。


 レイ・ウーズの背中から回っている大砲は、まっすぐシル・カルへと向けられていた。大砲の先端に光が収束しだした。そしてそれは、砲の口径を上回る巨大な毒蛇へと一瞬にして変貌を遂げた。鎌首をもたげ、不意にシル・カルという獲物に襲いかかった。そのうねるように伸びる巨大な光は、シル・カルの主砲が作り出すエネルギーの大きさを遙かに上回っていた。それぞれが、半ば物質化した光である。ぶつかりあい、押し合いになったが、それはほんの一瞬の事だった。全長一キロ弱もあるシル・カルの全体がレイ・ウーズの放った光に完全に飲み込まれていた。


 (捕足)実際には、単純な押し合いが行われていたわけではない。地球に存在していたこのレイ・ウーズには、誰の常識をも撃ち破る科学兵器が多々搭載されていた。一見、戦艦の主砲がそのまま搭載されているように思えるこの兵器も、実はまったく異なる原理の物だった。ブラックホールのように激しい傾斜の重力空間を作り出し、その力で素粒子レベルへの攻撃、つまり空間そのものの破壊を行ったのだ。敵の打ち出した攻撃エネルギーの存在する空間そのものを砕きながら攻撃を行ったのである。視認出来るエネルギーの大小など関係なく、レイ・ウーズが勝つのはごく当然の理屈なのである。





 火山の噴火のように、同時に数百、数千の火柱が立った。あまりの熱量、衝撃に、シル・カル内部の様々な機械が爆発したのだ。誘爆が誘爆を呼び、実にあっけなく、シル・カルは朽ちた。地上へと降下していく途中、大爆発が起きた。


 ルキロは、ボタン一つで数千の命を闇に葬ったのだ。

 鼻で笑い、また口元を歪めてみせる。それは演技であった。邪悪になりきろうとしていた。努めてそうしなければ、彼女の「純真」が耐えられずに砕けてしまう。

 無意識のうちにしてしまう歯ぎしりをおさえているうちに、口元から血が流れた。口を手でおさえる。せき込む。手のひらを見ると、驚くほど多量の血がこびりついていた。

 右手の、親指を抜かす四本の指で、顔の表面を左から右にすべらせる。四条の赤い線がルキロの顔にひかれた。血化粧……。自分への暗示。


 炎上するシル・カル。徐々に小さくなっていく。砂漠の上へと落ち、最後の大爆発を起こした。砂の間欠泉が吹き上がり、続いて嵐のような強烈な風が届いてきた。


 十機のゾ・ヴィムがレイ・ウーズを取り囲んでいる。

 ルキロは応戦した。レイ・ウーズの能力を利用し、敵の後ろへ後ろへと回り込みながら、一機、また一機と首を飛ばしていく。

 十数秒後、ゾ・ヴィムを七機ほどしとめたところで、ルキロはその声を聞いた。


「なんでそのまま逃げなかった。ルキロ」


 アロ・イーグ……。そのすぐ後ろにもう二機が続く。


「ウェル?」


 それと、タゲンとノウヤンか。


「投降しろ。……いや……逃げろ! ルキロ」


 ウェルは叫んだ。捕まれば、もうルキロの運命は決まっている。自分ごときに変えられるわけがない。それならば、逃げてほしい。遠い辺境の惑星だが、死なれるよりは……いや、そうなったら自分もここに残ろう。


「ウェル、馬鹿を云ってんじゃねえ」


 タゲンの叫び声。


「馬鹿なものか」


 三機のゾ・ヴィムを相手にしているレイ・ウーズの動きは鈍っていた。


 ウェル……。ルキロの心の中で、嬉しさと悲しさとが同時に爆発した。やっぱり……わたしの…………てくれた……でも……駄目だよ、ウェル。……どうして、今……


 レイ・ウーズの防御幕は、ゾ・ヴィムの銃撃程度の攻撃には有効だろうが、それは科学反応によりレーザーを拡散させるだけで、体当たりや刀などの攻撃には効果が無い。だから、ルキロはウェルの声に動揺しながらも、必死で戦っていた。レイ・ウーズに乗っていようと、油断をすれば死、という状況はいつもと変わりはないのだ。


 だが……動揺しているせいではなく……レイ・ウーズ自体の動きが……あきらかに鈍ってきていた。無茶をさせすぎたか……それとも、さっきの大砲が……。レイ・ウーズをどう扱えばどうなるのか、それは彼女にはまったくの未知の領域だった。最後のゾ・ヴィムの首をねじ切ったその時、レイ・ウーズの四肢の装甲の隙間から白い煙が吹き出た。


「ルキロ、こんなところで一人で戦い続けていなくていい。はやく逃げるんだ」


「ウェル……ごめん。いろいろと……。でも、わたしは……。ウェル?」


 ウェルの声の様子がおかしい。


「どうした、ウェル」


 タゲンも気づいたようだ。


「……体が……痺れる。……首が……。痛い。頭が割れそうだ……。何だ、この声は?」


「ウェル、しっかり」


 ルキロはうろたえる。……樹脂コンピュータ。ルキロにあの時の記憶が蘇る。エイジと車に乗っていた時。いきなり襲った頭痛。体の痺れ。あれは故障、暴走ではなかった。コンピュータの、もしくは、誰かの意志。裏切りを許さぬ、誰かの意志。


「おまえは何もかもを滅茶苦茶にする」


 ノウヤンの鋭い叫び。アロ・イーグが刀を振り上げレイ・ウーズに斬りかかってきた。


「姉さん」


「そう呼ぶな。あたしが引導を渡してやるよ、ルキロ。どうせ、殺されるのなら、せめて……」


 レイ・ウーズは防戦一方。アロ・イーグは出鱈目に斬りつけてくるだけで、鈍っているとはいえレイ・ウーズがそれをかわすのは造作もなかった。


 もしかしたら、ノウヤンにも……いや、違う。ノウヤンは……


 ルキロは叫んだ。


「聞いて、姉さん、タグザムティアは……」


「うるさい」


「ライスカイスと地球とは……」


「うるさいと云っている」


「大事な話なんだよ」


「お前を殺すほうが遥かに大事さ」


 ルキロはせき込んだ。血を吐いた。意識が朦朧とする。


 目を見開く。画面の中で、アロ・イーグが刀が振り下ろしていた。レイ・ウーズはその攻撃を避ける事が出来なかった。金属と金属がぶつかり合う。金属が金属を引き裂く音。火花が散る。爆発した……


 アロ・イーグが……


 ノウヤン機と、ルキロのレイ・ウーズとの間に、アロ・イーグがもう一機。


「ウェル!」


 ルキロとノウヤン、そしてタゲンの声が同時に響く。ウェル機は、背中を……右肩から左の胴まで切り裂かれていた。火花が激しく散っている。爆風は操縦席内にも及び、ウェルの体にはいくつもの破片が突き刺さり、血を流していた。


「ウェル……なんで……なんでなの。……わたしなんかを……どうして……」


「だって、許嫁だろう。……あの時、君だけがウーズィで出る事がなければ……君がずっと一緒だったなら、こんな事にはならなかったのに。させなかったのに……」


 ルキロは、ただ許嫁の名前を繰り返し叫ぶ事しか出来なかった。


「その声、は、泣いている、の、ルキロ? 笑ってくれよ。ぼく、は、君の笑っているところが、とても大好きだったんだから。君は、天使みたいに、笑うんだ。とても、かわいくて、好きだった。……本当の事を云うと、ぼくが両親に頼ん……」


 再びウェルの乗るアロ・イーグを襲った爆発、それが二人の男女の異星での物語を終わらせる幕となった。



     3

 とめどなくあふれる涙に邪魔をされて、落ちていくアロ・イーグの姿がよく見えない。


「う、裏切り者をかばうからだ。あたしのせいじゃない」


 ノウヤンは何かから逃れようと、必死に声を荒らげる。


 ノウヤンの鼓膜を、そして心を、ぞっとするような不気味なうなり声が震わせる。それはルキロの声だった。誰も聞いたことのない、ルキロの奥底に潜む声だった。


 火山の噴火のように煙をもうもうと出していたレイ・ウーズだったが、もうそれはおさまっている。赤銅色の機体が、ポツンと一機、浮いていた。小さな……それは、アロ・イーグとさほど変わらぬ大きさだったが、この無数にいる敵、エクシュール、ディオ、そして戦艦、その中にあって、とても卑小な存在に見えた。それが一瞬にして変貌した。再びあの悪魔の姿を、いや、それ以上の何かをたくわえ、さらに凄まじい怪物へと変化した。

 熱気と怒気とに支配された空間の中で、ルキロは獣のように吼えた。


 巨大な……とてつもなく巨大な怪物が、両手をふりあげ、突っ込んでくる。ノウヤンには、そう映った。レイ・ウーズがエクシュールとはとても思えぬほどの激しい炎を燃やし噴出しながら、刀をふりあげ、向かって来たのだ。距離を測定レーダーのカウンターが、目で追えぬ速さで変化していく。化け物に飲み込まれる! そんな幻想の中、ノウヤンの体は冷静に現実への対処をしていた。横なぎの一閃を、アロ・イーグは刀で受け止めていた。だがそのまま押される。出力が段違いだ。全くレイ・ウーズに抵抗する事が出来ない。

 レイ・ウーズは、アロ・イーグの体を突き飛ばし、あらためて刀を振り下ろそうとした。タゲンのレ・アロ・イーグが間に入り、その刀を受けた。だが、レ・アロ・イーグの刀は叩き折られ、返す刃でその両腕を切断された。動揺を伝える電流が神経を流れる。それが脳に届いた時、すでにレ・アロ・イーグの首はなかった。


「タゲン、引きな」


 ノウヤンは隊長に命令するように叫ぶ。胴体と脚部だけになったレ・アロ・イーグの横から、ノウヤンのアロ・イーグが飛び出した。銃を構えていた。ノウヤンが、銃を撃つ操作を行うよりも早く、レイ・ウーズの頭部にあるバルカン砲が火を噴いた。一秒間に数百と発射された細かい弾丸は、アロ・イーグの頭部を一瞬にして粉砕し、巨大隕石の雨に襲われた小さな衛星のように滅茶苦茶な形となった。


 エクシュールの差だけではない……あの娘に、こんな潜在力があったとは……。ノウヤンは息を切らしていた。


 レイ・ウーズの刀が振り上げられた。動きがとまる。ほんの数秒。だが、ルキロには、その数秒は、数時間に等しい時間といえた。様々な思い、考えが映像となり、消えていった。両者の間に一触即発の緊張感が高まっていく。寂寞を破ったのはノウヤンの声だった。耐えきれなかったのは、ノウヤンの方だった。


「何してる。……命を助けて、脚の借りを返そうってつもりかい。ふざけんじゃないよ」


 ルキロは抑揚のない声で応えた。


「そんな低次元の話は、どうでもいい」


 切り掛かるレイ・ウーズの残像。レイ・ウーズは上昇した。


 ノウヤンのアロ・イーグは、両腕、両脚を落とされていた。背中に小さな爆発。ただの人を乗せた金属の箱となったアロ・イーグの残骸は、落下を始めた。そして、それを、タゲンの乗る首のないレ・アロ・イーグが二の腕だけで器用に受け止めた。


「操縦席は何ともないかい? 隊長さん」


 ノウヤンは力抜けたように呟く。サブモニターにタゲンの顔が映る。


「ああ。お前も……おい、ノウヤン、お前……」


 ノウヤンの黒かった髪の毛は、すべて真っ白になっていた。



     4

 レクンはただ呆然としていた。隣の少女が訝し気な眼差しで見ていた。


 こんな事になるなんて……。ウェル……


 通信兵であるレクンはウェルとルキロのやりとりをずっと聞いていた。

 ウェルの言葉が蘇る。


 「あの時、君だけがウーズィで出る事がなければ……君がずっと一緒だったなら、こんな事にはならなかった。させなかったのに……


 君だけがウーズィで出る事がなければ……」


 レクンは自分の行為を思い出す。そして、悔やんだ。涙があふれ出す。

 隣にいる通信兵の少女は、ますますふしんがり仕事にならない様子だ。





 仲を引き裂いてしまいたいという気持ちは強くあったが、あの事は、ちょっとした悪戯のつもりだった。大事になるとは思わなかった。大好きな人と、それを奪ってしまう嫌な娘とを引き離す事が出来ればどんなにかいいだろう、と考えていた。

 それを実行する機会がおとずれた。あの日、幼なじみの整備士に声をかけた。彼は担当を転々としていたが、最近は、ウェルやルキロのいるリーアック隊の整備もしていた。

 作戦が始まれば、小隊はいつも一緒だ。あの人が、あんな娘といつも一緒だなんて耐えられない。許せない。どこがいいの、あんな娘。



     5

 ヴィッケ・ン・ボー艦長の視線は、シル・カル操舵室スクリーンに映った驚嘆すべき映像に釘付けになっていた。後々、自身にその運命が訪れなかった事に感謝するのだった。





 ライスカイスの戦艦ゴ・スィッグの一隻が、数十ある副砲をすべて一点に発射したのだ。シル・カルの主砲を撃ち破る能力を、レイ・ウーズが有している事はすでに目にしている。だが、連射は出来まい。大型のジェネレーターを持っている戦艦だって、そうなのだから。そう考えての攻撃だった。レイ・ウーズの姿は眩しい光に包まれた。跡形もなく消滅するはずだった。だが、その光の中から、レイ・ウーズは悠然とあらわれた。


 無傷! ゴ・スィッグへと近付いて行く。両手に掴んだ刀を振り上げ、ゴ・スィッグの装甲に突き立てた。怪物は刀を深々と刺したまま、一瞬にしてゴ・スィッグの上を通過した。そして、ゴ・スィッグは……


「巨大戦艦の副砲塔の一斉射撃をまともに受けてもなんともないほどの防御幕だと?……エクシュールが……ありえん。そんな、馬鹿な。非現実的な」


「防げるとしても、どこからそのエネルギーは……」


「資料では、そこまでの力など……。プロトタイプが……」


「その後……あのシステムを完成させた……と云う事、か」メルリカは一人冷静に分析していた。「未完成、不完全、解析不能……結局我々はその技術は捨てたけども、こちらでは出来上がっていた」



     6

 刀を一振りするたび、ゾ・ヴィムの首が落ち、アロ・イーグの腕が飛ぶ。ある機体は胴を差し貫かれ、または一瞬にして機体を二分され、炎上しながら地獄へと落ちていく。


 ルキロの顔はやつれていた。顔だけではない。それなりにふくよかだった体つきも、不自然に肉が落ちてきていた。レイ・ウーズの乗ってからまだ十分と過ぎていないが、その間にルキロの顔つきは、かなりの変貌を見せていた。目は赤く充血していたが、その光だけは変わらず、ぎらぎらと輝いていた。


 ただ一人の人間が、ただ一機の機体が、すでに数千の個人の運命を変化させていた。だが……違う。そんな事を望んでいるのではない。まだ、自分の望むものは、何も変えていない。それは、まだ、上にいる。それだけを変えたいのだ。何故、邪魔をするのか。何もせずに、自分を行かせてほしい。それでも自分、レイ・ウーズへの攻撃の手は緩む事がない。ゾ・ヴィム、アロ・イーグの執拗な攻撃、追撃がレイ・ウーズを狙う。だが、それは小さな蝶々が、巣を張って待ち構えている毒蜘蛛に向かうのに似ていた。次々と搦めとられ、その羽ばたきを奪われていった。


 レイ・ウーズは雲を抜けた。


 テオ・リュー・フィルクの銀色の影が見えたが、それはすぐに、アロ・イーグの編隊にふさがれる。レイ・ウーズは刀を出鱈目に振り回しながら、その隙間を強引に突破した。


 テオ・リュー・フィルクの副砲塔が、一斉にこちらを向く。それに気付いたルキロはさらにレイ・ウーズを加速させる。機体の耐久度が分からない以上、危険は避けるにこした事はないのだ。


 顔の皮膚がはがれおちそうなほどの痛みが走る。そして急減速。筋肉、臓器など肉体の全てが同時に悲鳴を上げた。だが、

 もうテオ・リュー・フィルクが発砲できぬほどの近くに、レイ・ウーズの姿はあった。

 二キロ近い全長を誇るテオ・リュー・フィルクは、上に降り立ってみると、一つの島と云っても過言ではなかった。その島の中央に、高さ二百メートル強のタワーが小さな突起のように存在していた。レイ・ウーズはそのタワーに沿い、さらに上昇した。最上部で、レイ・ウーズの刀が一閃する。

 突然の衝撃、そして巻き起こる轟風に、オペレーターや警護の兵たちはうろたえた。風にとばされぬよう、必死に何かを掴んで体を支えている。

 オペレーター一人と副艦長が、突然出来たその穴に飲み込まれていった。


 元帥代理メルリカ・カ・レ・ムは中央で、一人平然とした表情を浮かべていた。彼女が座っている椅子は、重力場制御が常にはたらいており、集中砲火を浴びても揺れはほとんど感じない。緊急時には床と天井から空気が吹き出て独自の安全圏を作りだし、室内が突然真空状態になろうと彼女の命だけは確実に保証されるのだ。

 プロトタイプ・ウーズィの攻撃により、壁が斜めに切り裂かれていた。亀裂の向こうに赤銅色の機体が見えた。激しい空気の噴出はもう止まっていた。亀裂がふさがったわけではないが、もう空気の流れは調整されていた。


 メルリカはオペレーターに命令し、レイ・ウーズと回線を繋いだ。同時に、元リーアック隊ルキロ・エ・ルの資料に改めて目を通す。


「わたしと……話し合いに来たの? ルキロ・エ……ル。……ル? 最下層か」


 メルリカは鼻で笑った。


「何をいまさらの事のように。……それに、タグザムティアに上も下もないよ。……なかったんだ」


「何を知ったのか分からないけど……。話しにくい。中に入って」


 ルキロは黙っている。メルリカの言葉が信用出来ないわけではない。ただ、このメルリカの存在そのものが信用出来ないのだ。無邪気で、優しくて、悪戯好きで、よく笑った。そんなメルリカしか、ルキロは知らない。


 メルリカは、ルキロが中に入ってこないのを別の意味に受け取った。全員に部屋の外に出るよう命令した。当然反対されるが、再度の命令により、全員従った。呼ぶまでは何があっても絶対入ってはならないと念を押す。


 レイ・ウーズの胸部のハッチが開いた。ルキロはさらにレイ・ウーズの体を亀裂へと密着させた。耳をろうせんばかりに風の音が激しく唸り続けるが、体には風は全く感じない。赤い髪の毛も全く風になびいてはいない。空気の流れを操る力場が発生しているからだ。


 ルキロはテオ・リュー・フィルク内部に入ってきた。かなり疲労している様子。


「ようこそテオ・リュー・フィルクへ」


 メルリカは椅子から立ち上がり、ルキロへと近づく。メルリカは、ルキロよりもたいぶ身長は低い。だが、その表情は自信にあふれている。


 かたや祖父に全軍の指揮を任され、数万の人間の命、運命を操る者、かたやただ一人で運命に戦いを挑み、直接に人々を地獄に叩き落としながら、ここまではい上がって来た。それは、どちらも少女であった。その二人が、今相対していた。


 ルキロは熱線銃を腰から引き抜き、メルリカの頭部へと向けた。メルリカの表情に全く変化はなく、涼し気な微笑を浮かべている。むしろ、銃を突き付けているルキロのほうが、耐えられずに険しい表情になっていた。


「答えて。何故、地球に来たの」


 ルキロは問う。


「何を云っているの。わたしは、ここに来る前は、ただ元帥の孫娘だというだけで、なんの権限も持ってなかった。知っているでしょう」


「とぼけないで。……とにかく、あなたも知っているはず。ここへ来た目的を……。元帥を殺したのも、あなたかも知れない。指揮権を手に入れるために」


「意味ないよ、だってあの肉体は滅びかけていたのだから。どんなに技術が発展しても、それが生身の肉体である以上、死の運命は避けられない。速度をゆるめる事くらいしか」


「あなた個人やその周囲の事なんて、本当はどうでもいい。わたしが知りたいのは、この計画を考えた者たちの意志。あなたにも、さらに上の者がいるのでしょう」


「それは当然だよ。わたしは元帥代行。軍の権力者の、さらに代理人に過ぎないのだから」


「そうじゃない。政府だなんだ、身分の上下の事を云っているのではなくて……」


 質問の意図は全て理解しているくせに、からかっているのだろうか。


「下で……下の都市で何を知ったの?」


 メルリカは巧みに答えをはぐらかそうとするが、反対に自分は正直に話してしまおう。どうせ、この少女はその事実をとうに知っている。そこから聞き出せる事もあるかも知れない。


「たくさんの、博士たちの意識があった」


「博士たち?」


「この都市は彼らの牢獄で、それが少数の番人に護られていた。それだけじゃない、いろいろな工場があって、研究所があって……数百年前の大戦で、地球は今のようになってしまったのだけれど、その前後の歴史は何かはっきりとしなかった。それが、この都市には、すべての答えがあった。よく調べたわけではないけど、調べれば絶対にその答えがある。そして、タグザムティアやライスカイスにも無関係じゃない」


「それは、どんな?」


「レイ・ウーズ。……エクシュールどころか、ライスカイスがディオと呼んでいる兵器、あれらすべての原形。この地球で作られたものだった。それどころか、わたしたちの科学はすべて、地球のものだった。あの時地球にあった技術のほんの一部。地球がみずから捨てた忌まわしい科学のほんの一部分。わたしたちは最初から地球の足下にも及んでいなかった。そして、それを捨てて生きている今の地球人の心は、我々よりも遙かに気高い」もちろん色々な人間がいるのだが、ルキロは全体を一つの個として語っている。「でも、そんなのはどうでもいい。だって、わたしたちの星の人間はもともと……」


「なんだ。全部、知っちゃったんだ」


 メルリカは笑った。機械人形のような、ぞっとする笑みだった。


「そうだよ。だから来たんだ。実際、地球人たちは、何も知らなかった。星の記憶は、この都市だけに封じ込まれていた。もしも知っていたら……」


「地球を滅ぼしていた」


「そう」


「なぜ、そんな事を」


「わたしたちは、怒っていたんだよ。五百年も前から、ずっとね。……わたしたちにだって、感情はあるんだよ。だって、そう作られているんだから」


 感情がある事くらい分かっている。何をいまさら、とルキロは訝しがる。メルリカはルキロなど眼中にないと云った様子で話し方が熱を帯びてきている。


「パズルの断片のような最低限の情報だけをメモリーされ、生身の空箱に押し込まれ……地球の市民たちが喝采して喜んでいたよ。記憶の風化も何もない。わたし達には、今も昔も全くの同等なのだから。……わたし達が何をした? わたしはただの情報、ただの電流。お前達こそが、あの忌まわしき奴らの子孫だろう。呪われた……汚れた存在め!」


 メルリカは気がふれたように目を見開き、ルキロにつかみかかろうとした。武器を持たない小さな少女だ。恐れる必要はない。だが、ルキロはメルリカが全身にまとった空気に恐怖し、無意識に熱線銃の引き金を引いてしまった。しまった! と心の中で叫ぶルキロ。もう遅い。超高温の熱線が、メルリカの頭部を一瞬にして蒸発させる。……そうなるはずだった。だが……


 メルリカの体はルキロの足下に倒れた。何らかの科学物質の溶ける嫌な匂い。メルリカの頭部は消失してはいなかった。顔を覆う人造の皮がすべて蒸発し、中身が露わになっていた。鉛色の髑髏……。数枚の金属板が集まり、頭部の骨格を作っていた。歯だけが、真っ白に、綺麗な配列で並んでいる。


 そうだったのか……。ルキロは、全身の力が抜けていくのを感じた。


「機械の怨念の復讐劇……でも……確か、二万人の科……」


 ルキロの言葉は途中で遮られた。メルリカの肉体は活動を停止させたわけではなかった。痙攣したように、四肢をつっぱらせた。両腕が動く。手を床につける。空気から物質が作られていくかのように、首からメルリカの人造皮膚が再生していく。肌色の皮膚が顎を覆う。ピンク色の唇が出来る。


「お願い……」メルリカの……機械の唇が動いた。「もう一度、わたしの頭を撃って……完全に破壊して。ルキロお姉ちゃん。わたしを助けて……。早く、撃って……」


 本当の、メルリカの意志……。ルキロはふたたび銃を構える。手が震える。腕が下がる。


「だめだ。……撃てない。ごめん、撃てないよ」


 さきほどは驚いて無意識に指が動いてしまったが、意識的にメルリカを撃つことなどルキロには出来なかった。それがメルリカを永遠に苦しめることになるかも知れない、そう思いながらも、でも撃つ事が出来なかった。


 メルリカの小さな鼻が出来上がり、目の回りが覆われる。額、そして頭頂まで完全に皮膚で覆われた。頭髪が生え始める。弱々しい表情となっていたメルリカの顔が、また先ほどまでの不遜な表情へと戻っていく。


「たかが肉体の記憶ごときが、わたしを操ろうなどと笑止な……」


 メルリカは熱線を浴びる前と寸分変わらぬ姿で立っていた。


 二人は同時に口を開く。だが、言葉が発せられる事はなかった。大きな画面が映し出すその光景に言葉を失っていた。


 都市が爆発したのだ。砲撃による爆発、建物の倒壊は先ほどから目にしていたが、今度のはそれとは全く異なるものだった。噴火のように、内部から吹き上げるように爆発し、巨大な火の柱を幾本も立てていた。火の柱は高層ビルを遙かに上回る高さだ。ビルは炎に飲み込まれ、炎に中に崩れ落ちていく。低い高度にいたゾ・ヴィムやアロ・イーグなどもも炎に飲み込まれていった。爆発は何度も繰り返され、その都度に規模が大きくなっていった。それほど時間がたたないうちに、地上の建物はすべて跡形無く吹き飛んでいた。ルキロはただ黙ってそれを見ていた。


 仲間と戦う事になってでも、仲間を失う事になってでも、残したかったもの。「歴史」であり、「罪」であり、「希望」であったもの。いまは無理でも、時間をかければ分かっていっただろうに……。上も下も……何もないのだという事実が。なにに縛られる必要もないのだと云う安心が。おのれが皆全て自由だという事が……。全ての力が、立ち上る湯気のように体から消えてしまっていた。心臓が動いているのが不思議なほどだ。肉体がどうしようもなく、けだるい。メルリカの声に、ルキロは少しだけ我に返った。彼女は、全軍を地球から退かせる命令を発していた。そして、ルキロに視線をやり、一言、


「行け」


 ルキロはゆっくりとメルリカに視線をやった。


「早く消えろ。それとも残るか。確実に処刑されるだろうがな」


 ルキロは口を閉ざしている。メルリカは続ける。


「わたしにも感情はあると云っただろう……これは、悪戯だよ。……この、地球人め」


 地球人め。その言葉の残響がいつまでもルキロの頭の中をかけめぐっていた。



     7

 ゴ・スィッグの居住区、トキ・ワ・キーレンの部屋である。


 ジ・ク・ジャットは驚きの声を隠す事が出来なかった。ライスカイスの人間で感情を表す叫びなどを発する者は、「異端」を除いてはほとんど例がない。それほどにジャットの驚きは凄まじいものだったのだ。


 キーレンが倒れている。胸部、腹部に大穴を開けられている死骸である。先ほど彼等が殺したのだ。当然、動かない。だが、頭部だけは違っていた。死んでいるはずなのに、何やら音が聞こえるのだ。微かな音だったが、ジャットの聴覚はそれを完全に捉えていた。キーレンの右耳の根本、皮膚が裂けており、そこから鉛色の物が覗いていた。手をかけ、引っ張ってみると、驚くほど簡単に皮膚はそれから剥がれた。それは、人工の頭蓋骨だった。


 トキ・ワ・キーレンは、頭部だけが完全に機械化していたのだ。


 頭蓋骨、額にあたりに、製造情報を示すプレートらしきものがあった。地球の文字を理解している者に、読ませてみる。


「……カリフォルニア支局エドワード・ハイアン。二四九七……」


 その男は最後まで喋る事はできなかった。銃弾がその男の頭部を貫いたからであり、そしてジャット自身も撃ち殺されてしまったのである。


 さらに数発の銃声。的確に、その数だけ、そこにあらたな死体が生まれた。


「それを見たものは、同胞といえども生かしてはおけない」


 五人の男が立っていた。


「旧アメリカ、カリフォルニア州の研究所。ハイアン博士の本物の脳と引き替えに組み込まれた、この頭脳は、たまたま彼だったというだけだが、タグザムティアの肉体を転々とし、そして初めて我々の肉体にも同調できる事を示してくれた。キーレンという男を使って。キーレンはもともと「異端」。脳のいかれていた男だから、摘出し、実験をする事に誰もためらいはなかった。この頭脳、生命体に寄生せねばいきられない仕掛けとなっている。さて、記念すべきこの頭脳を、息絶えさせるわけにはいかん。「異端」は今ここには誰も存在せぬが、さて、次は誰が……」


 一人が一瞬の躊躇も見せず、「自分が」と名乗り出た。



     8

 はたして戦争と呼べるものであったのか。後生の史家から見れば実に馬鹿馬鹿しい争いだったのではないだろうか。たが……宇宙の歴史を考えれば、確かに馬鹿馬鹿しいものではあるが、地球だけに視点を向けると、苦難の歴史はこれからが始まりだった。それはこの大陸だけでなく、全地球に関係するものだった。


 双方が最初から地球に向けて発表していた自分たちの目的。地球の統治。タグザムティア軍元帥代理メルリカ・カ・レ・ムは、ライスカイスの地球統治を認め、自軍を全て引き上げ、宇宙へと去った。


 さて、これらは後日談ではあるが……気弱になっていた地球の国々の大半は、異星人の統治をあっさりと受け入れてしまった。断固反対の意志を貫く国が一国たりとも存在しなかったのである。その上で、へりくだる態度を意地しながら様々な条件交渉を開始し、自分たちの国を有利な展開へと運ぼうとした。


 すっかりと気弱な体質が染み付いてしまっている地球人の、「何があろうと争いはせず……」「攻めず……」「それが平和を守る事だ……」と云う主張、それはあながち間違いでもなかろうし、美点でもあるだろう。だが、戦うべき戦いというものも存在するのではないだろうか。そんな気骨のある者たちは、民間の中からあらわれた。


 まだ水面下の事ではあるが、民衆たちが護民軍らの協力を得て、どこかへ集結しつつあるという。軽い損害のエクシュールやディオを集め、独自の色に塗っているらしい。ライスカイスの統治定着後も「革命の赤」として恐れられ、敬われる色となる。……回収班の連中は、無傷のエクシュールのあまりの多さに、タグザムティアの策ではないかと訝しんだものである。遠方でかく乱していてくれれば、自分たちの戦争がやりやすい……などと考えているのではないか、と。


 異星人の統治が世界へと広がっていく中、地球人達は反乱者達が立ち上がりつつある事を噂には聞いていた。それはさらなる不幸が来るのではないかという恐れ、何らかの幸せをもたらしてくれるのではないかという期待などが入り交じっていたが、相対的には彼等は常に恐れ、混乱していた。すべての時間が牧歌的に流れていき、国もなにもなく、世界はただ自分の周囲だけ。それが、異星人に襲来により「外」「さらなる外」を強制的に認識させられた。混乱しないはずがない。かくして、地球全体を暗い影が覆い始める。



     9

 狭くて暗く、暑く、湿度が高く、本来人間の神経が不快に感じる空間である。それがことさらにルキロの気持ちを落ち込ませていたわけではない。ここは、むしろ彼女にとっては安心できる空間なのだから。


 レイ・ウーズは高度百メートル程の空中に浮いている。推進力はどの方向にも働いておらず、風任せに宙を漂っていた。


 山をそのまま逆さにしたような……蟻地獄のような、大きなクレーターが出来ていた。半径にして三十キロはあるだろうか。広大な、そして水の無い湖である。その中心部、その真上にレイ・ウーズは在った。


 ここには、すべてが在った。溶け、崩れた様々な物の残骸が見える。


 すでに悲しい気持ちはなかった。恋人の死すらも、もう悲しくはなかった。いや、悲しくはあるのだが、すでにその感覚が枯れてしまっていた。悲しいはずなのになぁ……と、自分の心の構造を不思議に思う。だが、体が憶えている記憶はまた別なのか、気がつくと涙が頬を流れていた。やっぱり悲しかったんだ。ルキロはほっとし、しみじみとその涙を流す自分を受け入れた。地球に来て、自分は何度涙を流した事だろう。自分は弱くなってしまったのか。


 つまらぬ事を思考し、自分を誤魔化してみせる。


 弱くなった。そうだ、もう、あの都市の地下で、それは気づいた事じゃないか。あの、ミイラを見て吐き、泣きわめいた時。……それを、あの青年に見られてしまった時。自分の弱さに気づいたじゃないか。


 ……あの青年は、どうなったのだろう。まあ、この状態では、生きているわけもないか。しばらく一緒にいたというのに、名前も聞いていなかったな。名乗らないし、尋ねもしないんだもの。あの青年は、最後、子供のように怯えていた。結局、人はみんな……。結局、みんな人なんだ。


 弱いとは、何だろう。そもそも、強いとは何だろう。


 強い、弱い、能力の有無、勝敗……ただ傲慢なだけの無意味な誇りもそんなところから生まれる。なら、全員が強くなればいいのか。いや、みんなが弱くても、それをみんなで認めあえばいい。庇い合えばいい。


 そうだ。弱いから……小さな存在だから……神でない身だから、すべてに耐えられる。


 まだ……そう、まだわたしは生きられる。


 死ねない。この新しい舞台で、思いきり生きてゆきたい。


 ルキロは叫んだ。言葉とも、ただの唸りともとれる、だがとても楽し気な声。反響する。レバーを倒す。急加速。メインスクリーンに映る真っ赤な空が激しく後ろへと流れ始める。顔を伝う汗が光る。ルキロは急加速に顔をひきつらせながらも顔をほころばせて笑った。声が漏れる。それが大きくなる。とまらなかった。こんなに大笑いをした事など、久し振りだった。何が楽しいのか。自分に問いかける。決まってる。今笑っている事に笑っているんだ。



     10

 エイジは車の屋根の上に座り、呆然としていた。口がだらしなく開いた、文字通り呆けた表情で、定まらない視線で空を見上げていた。目は真っ赤で、周囲にクマが出来ている。


 銃を握りしめている。血の気の引いた青い顔をしていた。




 弟が死んだ。




 強力な薬を打たれ、飲まされたタクに、激しい副作用が訪れた。泣き叫び、血と、意味の滅裂した言葉とを吐きながら、体を痙攣させた。睡眠剤を多量に注射し、かろうじて寝かしつけた。それでも震えや汗はとまらない。呻き、歯軋り、うわごとが絶えない。舌を噛んで血が出てからは、猿ぐつわをかませた。ベッドに大の字に縛られている。


 エイジたち現代の地球人は、肉体に様々な抗体が宿っており、少々汚染された川の水を直接飲む事など、別に気にするほどの事でもなかった。だが、この付近の川の水は危険度が高く、タクには医者の用意した安全な水を飲ませた。





 苦痛から完全に解放されたわけではないのだろうが、とりあえずタクは暴れるのをやめて、おとなしくなった。それに安心したエイジは、そのまま眠ってしまった。医者はその一時間前に、エイジに薬を渡し、自宅へと帰った。


 エイジは無理な姿勢で寝ていた。ベッドの柱を背もたれに、床に座り、脚をのばし、前に倒れ込むようにしている。腹が圧迫されて窮屈だが、看病であまりに疲れていたため、ぐっすりと眠り込んでいた。


 小用で目が覚めたエイジは、それに気付いた。驚愕、焦燥などの思いが、滝のようにどっと脳に飛び込んでくる。タクの姿が消えていたのだ。左手を縛っていた紐がほどかれており、右手を縛っていた紐は輪の形を保っていたが血で赤く染まっていた。エイジはタクの名前を叫びながら、外に飛び出した。


 すぐにみつかった。それは、すでに冷たい体となっていた。川の流れに顔をつっこみ、死んでいたのである。




 直接の死因は、何か分からなかった。水が肺に入り込んでいなかった事を考えると、手で水をすくって飲んでいる最中に、「恐れていた時」が来てしまったのか……




 黄色の海は、あの時と全く変わっていないように見える。実際、朝から晩までいても何の変化も起こらない。ただ……遙か向こうで大爆発が起きた時は、その激しい揺れと風は、本物の海のような波を……津波を起こした。もう、あの戦いの時のアロ・イーグとゾ・ヴィムの残骸は砂に埋もれてしまっており、影も形もない。


 あの戦闘の時にいた、もう一機。赤っぽい色した……。あれがタクを殺したんだ。学校に行けると、喜んでいた弟を……。


 置いてくればよかった……。ルキロに謝って、あの時、二人で帰っていればよかった。


 ルキロ……酷く懐かしく思える。もう、リーアック隊とかいうチームと合流して、自分の星へと帰ってしまったのだろうか。きっとそうなのだろう。婚約者がいるって云ってたし。……結局、地図のあの場所には行けたのだろうか。


 あの機体、なかなか来ないな。あたりまえか。だが、ここにいるしか、おれには出来ない。でも、こんな拳銃が何の役に立つ。誰が乗っているんだろう。誰だろうと、構うものか。ありったけの銃弾をぶちこんでやる。その後、しがみついて、はいのぼって、扉をこじあけて、首をかききってやる。来なければ、こちらから行ってやる。汚れた地だろうと、知ったこっちゃない。


 その時、舞い上がる黄砂の向こう、遠くで何かが光った。


 あれは……


 エイジは、右手の銃の感触を確かめた。エイジの目に光が戻った。



     11

 風をきる。空がどんどん後ろへ流れていく。今までにない気分の昂揚を感じていた。


 すべての鎖から解き放たれ、今、自分は自由だった。


 おさえようとしても笑みがこぼれる。心臓の鼓動がはやまる。自分のために楽し気なビートを刻んでいる。


 地位、血、心、過去、様々なものから解放された。


 ウェルに感謝していた。命を救ってくれただけではなく、これからの希望を与えてくれたのだ。彼の分まで生きようと思う。


 とりあえず、たよる場所。たよる人。すぐにエイジの顔が浮かんだ。行ってみよう。地球人として暮らしたい。素直にそう頼んでみよう。


 ルキロは自分の駆る機体レイ・ウーズと、そして自己の魂とを飛翔させた。トラックや、ゾ・ヴィムに乗ってここまで来たが、それをそのまま戻るつもりだ。ルキロの魂はいまにも爆発しそうなほどに激しく震えていた。沢山の希望と、ちょっぴりの不安とで。


 もうすぐ汚染地帯、黄色の海が終わる。


 レイ・ウーズの速度が落ちた。「奇跡」を、そのカメラが捉えたのだ。


 正面の画面に、エイジの姿が映っていた。ルキロが乗ってきた、あのトラックの屋根に乗っている。疲れたような、暗い顔をしている。


 わたしを待っていてくれたのかな。いろいろと迷惑をかけたな。


 あれ、タクはどこだろう。


 さらに減速をし、地面すれすれの低空飛行をする。


 画面の中、エイジがどんどん大きくなってくる。


 もう、待ちきれない。


 ルキロはレイ・ウーズを静止させるべくレバーを引くと同時に、胸部扉を開けた。身を乗り出し、口を開く。


 エイジ!


 その言葉は一声たりとも発せられる事はなかった。


 ルキロの腹部を何か熱い物が貫いた。続けて心臓を、そして喉を貫いた。


 身を乗り出しかけていた体は、その勢いに押され、見えない巨人の手に押さえ付けられるように激しく操縦席へと座った。


 うなだれたように下を向いた。もう、その目はどこを見てもいなかった。


 光が消えていく。


 「喜び」から「疑問」へと転じ始めるほんの一瞬、そんな表情のままかたまっていた。


 かつてエイジから、死ぬ間際にソーマトーのように過去の印象深い事が全部頭をよぎると聞いた事があった。だが彼女は何も見る事なく、じっくり何を思う事もなく、輝いていた「生」から一瞬にして未来永劫果てなく続く闇の中へと落ちたのである。



     12

 その男の足取りはどうみても病人のそれであった。その表情も虚ろであった。


 生来の白い肌に病的な色が加わり見る人々をぎょっとさせた。


 その青年も、もともとは美しい顔立ちだったのかも知れないが……と地球人たちは想像する。だが今は、頬はこけ、口はだらしなく開き、涎をたらし、薄青色の髪の毛がところどころ抜け落ちて頭皮をのぞかせていた。片方の瞼が晴れ上がっており、目の形がおぞましく変型してしまっている。


 人の賑わっている市場だ。みな、その青年を見ている。


「愚かな地球人に対する、あいつらの統治が始まるんだとよ」


 中年の男が髭でびっしり覆われた面の奥から、まるで汚いものでも見るような目付きで青年を睨み付け、吐き捨てた。


「あいつらに逆らう軍が組織されるらしいぜ」


「なら、今あいつをやっちまうか」


「いや、まて。どうせあいつは……」


 冷静な一人が制止する。


「黄色の海を、歩いて来たんだ……」


「なんで、まだ生きているんだよ」


「でも、もうもたねえんじゃねえか。肌だって、ぼろぼろじゃねえか」


 青年は、肉が完全にそげ落ち、骨と皮だけになっていた。


 よろよろと歩く。みな、避ける。脚をひっかけてやろう、などと思う者もいない。


 青年は笑っていた。


 声をたてて笑っていた。


 それは壊れた機械のような……下手な役者のような……とても自然ではない作り物めいた笑い声だった。


 いつしか人の輪が青年を囲んでいた。


 青年は歩みをとめた。


 高らかに笑いながら、両手を横にひろげた。


 叫んだ。


「みろ。おれ達だって、笑えるのだ。貴様らと、どこがどう違うというのだ」


 男の笑い声がどんどん大きくなっていった。


 涙が頬を伝った。


 それは、真っ赤な血の涙であった。

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アレグリアバンディッツ かつたけい @iidaraze

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