第八章 お前達はみな罪人だ

     1

 金属が硬い地面と触れあう音。それにともなうかすかな衝撃。箱に詰められ深海の底に辿り着いた、そんな異様な緊張感。二人を包んだ小さな空間は、いきなり真っ暗になった。スクリーンの映像が消え、続いて計器の灯りが全て消えた。


 ゾ・ヴィムは機能の全てを停止した。操縦席内の人工重力場がすべて消失し、小物がばらばらとカイに落ちてくる。それはさらに転げ、ルキロに当たった。


 すっかり消失していた自分の体重の感覚が蘇ってきた。


「どうする」


 ルキロが尋ねる。


「お前はどうしたいんだ」


 失念していた。ルキロ自身の冒険だったのだ。自分は何をしたかったのか? ここにある、自分たちの歴史に関係した「すべて」を「知る」ただそれだけだ。ならば、今とるべき行動は一つしかない。ここから出る事だ。


「出るから開けて」


 云い終わると同時に、なにやら物音が真っ暗闇の中でし始めた。金属のレバーを捻る音。錆び付いた金属の立てる、耳障りな嫌な音だ。動力が切れたため、手動で開閉の操作をしているのだろう。ルキロにも馴染みのある音ではあったが、滅多に聞く事はない。


 カイは足下にある左右のレバーを手を伸ばして捻り、ロックを外した。外扉と内扉の間にある、機密性を高めるための、何枚かの薄い金属扉が左右に開いていく音。この原始的、直接物質的な装置と、光学的な要素との組み合わせにより、操縦者の安全を守るのである。


 瞬間的に空気の抜けていく音。そして、外の光が隙間から入り込む。そう何分も闇に包まれていたわけではないのに、ルキロにはそれがとても眩しかった。


 カイは、上体を起こし、足を引き抜き、背もたれの部分にしゃがむ姿勢を取った。ルキロも懸命に体勢を整えようとしているが、なにぶん狭くて思うように動けない。


 緊急時に、未知の場所で、未知の人間に囲まれた場合、咄嗟に動く人間の反応は二種類に大別できるだろう。その囲んでいる人間たちに攻撃をしかけ、叩きのめし、身の安全をとりあえず確保した上で、未知なる部分を解明すべく行動する。もう一つは、単純に両手を上げてしまう、という行動だ。「昔は、自分の事を好戦的だなんて思っていたけど、今考えると後者のほうだったんだな」ルキロは後にそう思った。だが、彼は前者の方に属する人間だった。ゾ・ヴィムにのぼってくる足音。そこから、その重み、性別、性格などに思いをめぐらせるのと、扉をはねのけるように開き、跳躍するのとは同時だった。


 馬鹿……。ルキロは罵る。迎え入れてくれたのだ。自分で、そう云ったじゃないか。

 そして、科学力も未知数なのだ。もしかしたら、地球人ですらないかも知れないのだ。

 そんな相手の地で、戦いを挑んで何の益があるものか。

 だが不思議と物音は何も聞こえなかった。

 ルキロも懸命に手がかりを探し、身を起こし、はいのぼる。開いている外扉の小さな取っ手を掴み、身を引き上げ、外に頭を出した、その瞬間。……落下する感覚? いや、浮遊感? 体が何かに引き上げられるように……実際、浮いていく。ルキロの体が持ち上がっていく。外に出た。さらに宙に上がっていく。カイの体も宙に浮いていた。そして……


 男たち……。地球人? 見た目は自分らと変わらない。おそらく地球人なのだろうが


 変な物を着ている。そうだ、資料にあった。東洋の「僧」の格好。黄色い布きれを体に巻き付けている。頭髪は剃り上げてある。

 一、二……五人。ほとんど同じ背格好をした中肉中背の五人の男。


 ルキロは首をまわし、今いる場所を確認する。広い道路が交わっている地点。そこにゾ・ヴィムは落ちたのだ。さきほどに見た、一番高いビルの多い地点。そこの辺りだ。落下前に、画面に映っていた場所と変わりはない。あの後に、ゾ・ヴィムの位置を怪しげな技術で動かしてはいないという事だ。今いる位置の確認は、ここから逃走する時に役に立つ。


 五人全員の体が宙に浮き、二人と三人、右と左とに別れた。


 ルキロは、一緒に重力の縄に捕縛された道連れを見る。彼なら、発砲しかねない。それをしないのは何故……納得した。彼の頭上、銃が浮いていた。それは、ゆっくりと、ゆっくりと高度を増していった。そして、銃は小さくなり、見えなくなった。


 二つに別れたその中央、遙か向こうから、一人の、やはり黄色い布を体にまいている姿が近づいてきた。宙に浮いている。さらに近づいてくる。老人であった。ルキロたちのすぐそばまで来て、静止した。ルキロと老人はしばらくみつめあった。視線をそらしたのは老人のほうだった。正確には、続いて男のほう、カイに視線をやった、というだけだが。


 老人は口を開く。拍子抜けするほどにカン高い声だった。


「いつかやってくるとは思ってはいたが、まさか、一緒に来ようとはなあ」


「わたし達を知っているのですか」


「知らんよ……おまえさんたち個人はな」


「どういう事だ」


 カイが問う。


「さて」と老人はとぼけてみせる。


「わたしは敵じゃありません。……ただ、すべてを知りたくて来たのです」


「それはいい。知りに来た、か。それはいい」


 ルキロの台詞に老人は笑った。いつまでも笑っていた。



     2


 ソシテスベテガアツマリ。ソシテスベテハウゴキダス。


 ナンノタメニ……。……ソレハ……


「元帥。……元帥代理……」


 足音。声。闇が光へと変わる音。扉の開く音。


 踵を合わせる音。空気が揺れる音。



     3

 薄暗い部屋だった。だが、それ以上に薄暗く、しかも蒸し暑いゾ・ヴィムの中にずっといたのである。それにくらべれば、とても不快とは云えなかった。


 「その地で、自分の身に何が起きるのか」。そんな事は思ってもみなかった。


 ルキロは一人きりだ。二人は引き離され、それぞれ独房と思われる部屋に入れられた。


 地球の建築物に付き物の、穴に透明板を取り付けたような窓は、どこにもない。牢獄だからではないようだ。彼らの居住空間は、どうやらすべて地下にあるらしい。防御幕のドームだけでなく、地面と地下との狭間には厚さ数メートルにも及ぶ特殊な金属が張られている。ここは、ほぼ完璧なシェルターと化していた。地球が天変地異で滅ぶとしても、一番最後に滅ぶのはここだろう、と長老と呼ばれていたあの老人が云っていた。


 もちろん尋問はされた。だが、拷問はされなかった。おおまかには、ルキロたちがどういう存在なのかわかっているようであり、さほど興味もなかったらしい。ルキロは逆に質問を交えもした。だが、ルキロたち個人をとってみると、謎の侵入者であるわけで、いくらルキロがその潜入の目的を話しても、簡単に教えては貰えなかった。「なら、どうしてわたし達が入って来るのを拒まなかったのですか」ルキロの質問も、長老には笑いの対象でしかなかった。実際、笑ってばかりいる老人だった。


 まるでからかわれているかのよう。

 ただ、一つ、どうにも気になる台詞があった。


「来るのは分かっていた。だが、おまえさん達かは知らないし、何かを教えるべきかどうかはまた別問題なんだよ。まあ、教えたものかどうかは彼らが考えるだろ」


「何ですか、彼らとは」


「彼ら、さ。あわせるかどうかは、今から考える」


 その後、一人の女に案内され、ルキロたちは体の自由は相変わらず奪われたまま、宙を飛び、地下都市の中を案内された。そして、そのまま独房へと入れられた。犯罪者として捕らえたというわけでもないのなら、独房に閉じ込める必要もないのだろうが、別にルキロにはまったく文句はなかった。他の、一般の部屋も、粗末さではそれほどかわらなかったのだ。娯楽設備がまったく無いどころか、生活に必要なものも原始的な物ばかりだった。逃げられては困る人物を安全に移動させるためだけに、反重力装置を使用したらしい。


 ルキロは隅にしゃがみ、両膝に顎をのせ、思考していた。

 ここに来てはみたものの、疑問はますます膨らんだ。何故、レイ・ウーズがここにあるのか。彼らは何者なのだろう。


 都市の広さに比べて、実際にここにいる人間は少ないようだ。ほとんど姿をみかけなかった。彼らはここに仕方なくいる。よそから来て、何かのためにいる。ここにある何かを守るために、最低限の人数で。……いろいろな考えがひらめくが、ただの空想で、確たるものはやはり教えてもらわねば分かりそうもない。


 彼にあってみるといい……。教えたものかどうかは彼らが考える……

 彼らとは特殊な階級の人間なのだろうか。それとも、ある具象的な何かをさして……

 足音が響いてきた。静かに歩いているつもりなのだろうが、よく響いた。

 足音が止まる。この部屋の前だ。誰か立っている。


「おい」


 知っている声。ルキロは慌てて立ち上がり、扉に近づく。

 扉が開く。カイの姿がそこにあった。カイは仁王立ち。扉や壁に手を触れた様子もない。何秒もの遅れて開くはずもないし、扉は何に反応して開いたのだろう。独房なのに、内側からだけ反応すると云うのも変な話だ。ルキロの疑問は、もちろんカイにもわかる。


「自分で見ろ。そういう事だろう。……彼に会ってみろ、と」


「彼に……」


 通路へ出る。暗い。壁や床がぼんやりと発光している。唯一の光源だ。足下をみる。自分の足が真っ黒な影として見えるだけで、足の細かい様子までは全く分からない。


 ルキロの体だけに再びあの奇妙な浮遊感が訪れた。ルキロは宙に浮き、進み始めた。


 カイは別段表情も変えず、少女の後を追い、歩き出す。



     4

 さて。


 来るぞ。


 どんな者か。


 もう知っておる。


 ドットで捉えたデータではないぞ。


 我らの内に入れてみた感覚よ。


 長年の間に、何がどうなったか。


 我々の歴史の終結を果たしてつけてくれるのか。


 うむ。


 だがな。


 だがなんだ。


 ちょっと待て。


 あれが近づいて来る。


 確かにあれの反応が感じられる。


 一機、いや二機。だが、なぜあちらにも。


 わしは、どちらかと云うと、こちらのほうが楽しみだったわ。


 さて。


 来るぞ……


 来る……


 く……


 ………………



     5

 壁はあいかわらずほのかに光ってはいるが、弱く、暗闇と変わらない。自分だけふわふわと宙に浮いているなんて、どうもみっともない気がするが、後ろの足音の主の顔をうかがい知る事もできないほどの、それは暗さだった。


「どこへ連れて行くんだろう」


 囁くような、ほとんど呼気とかわらないほどの声の大きさで、ルキロは思いを口にする。


 明かりが見えてきた。そして、ひらけた場所へ出た。牢獄が終わったのだ。出口の左右に、男が一人ずつ立っていた。十字路。だが今までとはうってかわって、明るくかった。照明も完全に動作していたし、壁の色も明るい感じだ。何か別の建物に、あとから、いま通ってきた通路をくり抜いて作ったように思える。地下都市は、地上にあったいろいろな建物の地階を利用しているのだろうか。そもそも、いつ出来たのだろう。


「あの、ドアが勝手に……」


 男はまだこちらを見てもいないと云うのに、ルキロは云いわけがましい事を先に口にする。だが、相変わらず、男達は前方を見据えたままだ。


「云っただろう。出ていいから、扉は開いたんだ」


 ルキロは左へと曲がった。あいかわらず宙に浮いたままだ。





 どこの惑星だったか……アロ・イーグでどの雲よりも遙かに高いところでの空中戦を思い出した。自分がリーアック隊のレクズの命を結果的に奪う事になってしまった戦いだ。


 相手の兵器は地球の「カニ」に似た形状だった。エクシュールより一回り大きい。


 宇宙と呼んでも過言ではない高度。ルキロがエイジに聞いていた昔の地球のような、青い空、そして黒い宇宙空間が紫の細い線をさかいにくっきりと別れている。やられていく敵や味方が、もの凄い速さで地上に引っ張られ始める。かなり重力の強力な星であり、落下を始めた瞬間、もうそれは真っ赤になっている。



 !



 ルキロは声にならない悲鳴をあげた。いきなり体が上昇し、天井に頭を強打したのだ。


「何をしている」


「いや、ちょっと……」


 ルキロは疑問に思った。誰のつまらぬ悪戯だ、と考えたのだが、ここの主が果たしてそのような事をするものか。まさか……。自分は何を考えていた。そう。あの戦い。





 反重力装置の故障だ。宇宙戦闘用エクシュール、リュー・ヴェルグは、操縦席のすぐ真下にその反重力装置がある。被弾し破損した場合、まず爆発し、操縦者も死ぬ。その装置が故障した。さっきの体当たりで……。そして、重力に引き込まれ始めた。


「あ、熱いよ……助けて」


 まだ幼さからやっと脱したばかりという容姿のルキロは、ことさらに背伸びしていたが、時が戻ったかのように……母親に助けを求める幼い娘のように、顔を歪めて泣き叫んだ。


 誰かの機体が背中から抱き着いてきた。誰? ツーの叫びが、それに答えてくれた。


「おい、馬鹿。何やってんだ、レクズ」


 レクズ。背の小さな、嫌な中年男。子供子供と自分を小馬鹿にしていた男。何故?


 温度が下がっていく。速度が落ちていく。


 助けてくれた……レクズが……


 レクズのリュー・ヴェルグが爆発した。背中を撃たれたのだ。遙か上方から。からみあい、落ちてゆくこの二機は、格好の餌食だったのだ。

 爆発の振動に、ルキロは体を震わせた。続いて心ががたがたと震え始めた。

 まだ、レクズ機の機能は活動していた。二機は、ゆっくりと落下していた。


 戦闘終了後、ルキロは雲のすぐ上で回収された。

 タゲンも、ウェルも、誰も何も云わなかった。云えるわけがない。故障だったのだ。そして、ルキロの運命を救ったのは、レクズの命令を無視した行動だったのだ。ノウヤンの視線がルキロの心を貫いた。ノウヤンは口を閉ざしている。「あんたは、あたしの足ばかりじゃなく、レクズの命まで奪ったんだよ」……そう、ルキロは彼女にそう云って欲しかったのだ。責めて欲しかったのだ。ただ黙っているなんて……辛すぎる。





 一瞬の回想だった。あの時ほど、重力が恐ろしいと思った事はない。戦友たちはみな、重力への感覚が麻痺している。そう、自分のその感覚は地球人に近い。


 空へ……。もっと高く……


 強く念じたあの気持ちを無意識に思い出していたのかも知れない。

 ためしに念じて見た。もっと高く上がれ、と。すると、天井が近くなった。


「降りろ」


 重力の縄がたちまちにしてルキロの体をがんじがらめにした。ルキロは床に落ち、うまく着地できず、よろけた。


「この装置は、わたしの心に感応している」


 カイは、興味なさそうに歩き続ける。相手が自分の知らない科学力を持っている事はもう分かっているのだ。


 つまり……ルキロはさらに考える。ただまっすぐ進むだけならともかく、分岐点で自分は左に曲がった。あの扉を開けた時同様に誰かの意思が働いたためなのか、それともなければ……自分はどう進むべきかを知っていた。自分は、ここを知っている。


 知っているよ。おまえさんたち個人は知らないよ……


 長老の言葉。


 遺伝子の記憶……。遺伝子には脳など記憶にならないくらいの個人の記憶が詰まっている。当然である。親の、親の、とすべての記憶が……脳すらも完全に忘却しきった記憶が完全な配列で記録されているのだから。


 そう唱えた学者が、ルキロの星にはいた。


 その記憶が、時折脳に送り返され、時折肉体に流れる。遺伝子は個人の記憶を学習する。配合により生まれた者は、二人分の遺伝子記憶を持つ。その遺伝子の学習が肉体に影響し、起こる現象の一つが「進化」である。


 読み物としては面白い。ただ、感銘を受け、研究しようにも、人類の起源などの歴史はほとんどが政府管理のもので、学習する事ができないのだ。個人で研究する人間から直接話しを聞いた事があるが、どうしても自分らの星では、何の先祖となる生物の化石も発見する事ができない。地球では、「猿」という生物に似たものが進化して現在の人間になったらしい。自分達は何なのだ。今のこの姿のまま、あの星の空気中にいきなりわいて出たのだろうか。自分達は、どれだけの事を秘密にされているのだろう。





 目の前の、斜めになった二枚の扉が、それぞれ右上に左下に音もなくスライドする。


 二人は進む。ルキロはあれからはずっと床の上を歩いていた。自分の体が宙に浮くのはどうも気持ちが悪い。アロ・イーグなどに乗り、浮いている時も、自分の体重は席に押しつけられていた。操縦席中には重力が働いていた。ここに来て初めて無重力を自身で感じたわけで、まだ慣れていない。気持ちが悪い。


 入った先は、部屋と呼ぶのがためらわれるほどの巨大な空間だった。屋根が遙か上に見える。白い明かりが明滅している。何かの作業をする場所だったらしい。錆び付いているが、大小様々な機械の類を目にする事ができた。


 錆びた鉄の匂い。

 もう宙に浮いているわけではないが、ルキロは自分の勘を頼りに進んでいた。自分が何かを知っているのなら、「それ」に会う事を念じながら、自分の意志で進んでいけば、きっとたどり着くはず。そううまくいかなくても、何かしらの導きはあるだろう。ここを出て、それに会うための許可は出ているのだから。


 突き当たる。また扉だ。ただ、今度は、部屋に負けぬくらいのとてつもない大きさの扉だった。二人が立つと、その扉は左右に開いた。

 また同じような空間がそこにある。ただ、今度は殺風景なものである。

 扉が閉まる。ふわりと浮き上がる感覚。またか。いや、違う。この空間が動いているのだ。巨大な昇降機のようだ。なるほど、とルキロは納得する。あの錆びた機械から分かる通り、ここは何かを作る工場だったのだ。地上から見た光景を頭に思い浮かべる。ビルの隣、あのひらべったい建物の下だろうか、と。


 停止した。

 カイは表示板を探した。地球の数字を表す文字は学んだ。表示板があれば、全何回か、いまどの辺りか、などが分かる。それらしき物はみあたらなかった。

 扉は開いた。

 独房のあった通路ほどではないが、かなり薄暗い。その薄暗い明かりの中、ミイラと化した無数の死骸があった。長い長い時を経て室内に溜められてきた腐臭が、一気に解放された。怨霊の群がルキロを襲った。


 ルキロは口元をおさえ、駆けた。近く作業機械の陰に行き、屈む。床に四肢を着く。右手の横に髪の長い死体。彼女は悲鳴をあげかけ、同時に食道をのぼってくる液体を一部気管に入れてしまい、激しくむせた。苦しくて、涙目になっている。むせながらも、吐いた。


 このような時に初めて気がついたのだが、とてつもなく空腹な状態だった。激しい嘔吐感に襲われながらも、出てくるのは胃液だけだった。口の中に残った胃液の嫌な味を唾で流してしまいたかったが、唾が全然出てこなかった。


 自分は色々な障害を乗り越えて、強く成長したと思っていた。だが、この星に来て、それらの気持ちはすべて覆された。自分は弱い。強くなっていたのは、あくまでも、ただ戦争時に常に存在する事物に対してだけだった。ただの敵の死体、味方の死体、そして自分自身を襲う「死」の運命。ただ、それらに関しての感覚が麻痺していただけだったのだ。だが、今は、この周囲の死体が怖い。そして、それ以上に自分の死が怖い。「永遠の無」がとてつもなく怖い。……ここにあるミイラとなった死体のような……あんな姿になりたくない。……死にたくない……


 吐き気がおさまった後も、ルキロは頭を抱え、狂ったように泣き叫んでいた。


 狂気が空気を震わせ、自分へと跳ね返る。より錯乱していく。だが、泣き続けると涙も枯渇するように、ルキロは体中の狂気を放出し尽くしてしまった。今度は静寂が訪れる。「克服」したわけではなかった。弱いままだ。弱いからこそ、それが萎えてしまった。


「そっか……わたしは、こんなに弱いんだ……」


 自分を納得させるようにわざわざ思いを口にした。


「そうだな」後ろにカイが立っていた。「行くぞ」


 カイは歩き出す。


「行こう」


 ルキロは立ち上がった。


 いくつか扉はあったが、ルキロは真っ直ぐ進み、突き当たりの扉の前に立った。開く。狭く長い部屋だった。薄く盛り上がったガラスに覆われた箱が、部屋の端までびっしりと並んでいる。


 中をのぞき込む。人間がいた。人間が立ったまま、カプセルに入っている。そのカプセルが背中合わせに二つ置かれ、それが長い部屋の端から端まで続いているのだった。カプセルの数は五十ほどはあろうか。男と女が交互に並んでいる。どれも、ルキロの感覚では美しかった。とくに女のほうなど、自分など比較の対象にするのもおこがましいと思えてくるほどの美人だった。色が白い。生きているのか死んでいるのかはわからない。


 植物の種のように保存されて目覚めの時、または生誕の時を待っているのか。だが、もう設備は壊れているらしく、彼らが活動を開始する事はあるまい。とはいえ、今にも目を見開き、動きだしそうな生々しさではある。


 ただ、この色の白さ……地球人のものだろうか……


「おれの顔を見るな」


「ごめん」


 ルキロはもう、カイにもカプセルの中の人間にも目をくれず、まっすぐ歩き続けた。突き当たる。そして、次の部屋への扉が開き、進む。扉が閉まり始める。


 カイには珍しい事だが、何か気になり、振り向いた。

 彼らが立っていた。カプセルから抜け出していた。全員、こちらを見ていた。表情のない顔で。ただ、立っていた。


 扉は完全に閉まった。


「どうしたの」


 何か激しい呼気を聞き、ルキロは疑問に思って訊ねた。


「扉が閉まる直前、今のカプセルから抜け出たやつらがこちらを見ていた」


「見間違いでしょう。誰も立ってなんかなかったよ。もう一度、開けてみようか」


「いや。いい」


 みっともないことだが、確かに見間違いだろう。そんな詰まらぬ事はどうでもいい。カイは歩き出す。


「あのさ……何を云ってるのかって思うかも知れないけど、へたな自尊心は、今この場に全部捨てておこう。わたしも今、経験して思った事だけど……自分を弱く無価値なゴミくずのような人間だと思って、この先のぞまないと、とんでもない事になるかも知れないよ」


「無意味な問題にいちいち心を動かし、惑わされ、まぬけな暴走をするお前達や、地球人などに云われる筋合いの事じゃないな」


 何もないこの部屋を抜けると、正面には壁、狭い通路が左右に走っている。


「左だよ」


 もうルキロは自分の直感を信じている。


 左右に扉がある。


「ここじゃない」


 また扉がある。どこまでつづく通路なのか、この薄暗がりではまったく確認できない。


「ここも違う」


 次。右側に扉があった。真っ赤に塗られた扉であった。何かプレートに書いてあるが、二人には分からない。だが、ルキロは心の中で頷いた。


「ここだ」


 ルキロは扉に手を触れる。開く。


 青い光が部屋を照らしている。さほど広くないその部屋の中、床から無数の管が人の腰ほどの高さまで突き出ている。よく見ると管ではなく、さきほどのカプセル同様に何らかの物が収納されているようだ。植物の蔦を連想させるコードで、それぞれが繋がっている。

 何かが上に載っている。半球状のケースの中に、何かがある。


 カイは、水の中を泡がのぼる音を聞いた。ルキロも、水の中を泡がのぼる音を聞いた。そして、その中を見、ああついに来たのだな、という実感を持ったのである。


 半球状のその中には、脳があった。羊水の中の赤子のように、脳が水の中に浮いていた。部屋の青い光に照らされていた。その、脳を載せた柱がさして広くもない部屋の中をみっしりと埋め尽くしていた。

 柱を結ぶ蔦のようなコードが音を立てた。動いているのだ。それらのコードはうねり、集まり、束になった。そして「ヘビ」が鎌首をもたげるように、しゅるりと音を立てて浮かび上がった。二人は用心した。ルキロも、「この部屋なのだ」という実感こそあれ、ここで何が起こるのかは全く分からない。

 だが、その用心は無駄になった。少なくとも一人には。よけきれぬほどの速度、いや目で追う事すら不可能なほどの速度で、それは襲いかかってきたのだ。


 鈍い音がした。より集まったコードの束は、鋭い先端を作り、その赤子の拳大ほどもある先端は、容赦なくルキロの頭蓋骨を砕き、貫き、突き抜けていた。


 ルキロの動きがとまった。力が抜けたように、腕がだらりと下がる。硬直した、そのコードが、ルキロの体を支えていた。そのコードの先端にカイは目をやった。赤と灰色、ピンク色の、どろりとした粘液状の液体がこびりついている。ルキロの頭部から伝わり、赤い液体が一滴、また一滴と先端から床にこぼれおちる。


「死んだか」


 カイが誰にともなく云う。


「当然だ。こんな物で、頭をぶちぬかれたのだから。……結局、何をしに来たのだ。死ぬためか。ゴミくずのように思えだと。そうすれば、死ぬ運命への恐怖も少しはやわらぐと考えたのか。だが、それは、お前だけが思っておけばよい問題だったな。だいたい……」


 いつになく饒舌になっている自分に……いつまでも喋り終えぬ自分に腹が立って仕方がない。この胸くその悪い気分は何なのだ。


 くそったれ。



     6

「助かる可能性は……そうだな……なんとも、云えないね」


 医者はそう云った。


 目の前で、弟のタクが寝ている。


 あの赤銅色の、謎の機体。それを狙ったギ・グルーグがいた。だが、攻撃は跳ね返され、それは反撃に転じた。レーザー砲の類だろうか。やや離れた場所に車をとめていたエイジは、それでも、その攻撃に、光に包まれた感覚を受け、全ての感覚が麻痺し……しばらく呆然としていた。


 車から降りて、戦いの様子を見ていたタクは……まだ小さなタクは、すさまじい風に吹き飛ばされていた。無数の砂が体に皮膚を食い破り、気味の悪い痕になっていた。エイジはぐったりしているタクを抱き上げ、車に乗せた。


 圧倒的な強さを示した赤銅色の謎の機体は、いきなり体から煙を吹き出しはじめ、ゆっくりした飛行で、もと来た場所へと戻っていった。


 エイジの網膜には、その機体の姿はしっかりと焼き付いていた。絶対に忘れる事はない。だが、まずは医者だ。エイジは来た道を引き返し始めた。





 体に食い込んでいた砂は、すべて吸い出した。怪我に対しての応急処置はすべてすませた。だが、体に入り込んだ様々な菌が問題だった。


「破傷風ですか」


「それだけならまだいいよ。……放射線が……」


「放射線」


「あとこの辺まで来れば、まあ放射線で直接って事はないけれど、それらの影響や、他の大気汚染なんかもかなりなものでね。弱っている、しかもよその空気に慣れた人間には耐えられないかも。……と云って、この辺に大きな病院はないし。長く車に揺られるのなんて、こんな状態では絶対に駄目だ……昔の医学ならば、簡単に治せたんだろうけど……」





 ……を犠牲にした事により、我々は心を手にいれたのです。科学の進歩と人類の進歩は同義ではないのです。なぜならば、進歩、そして進化とは、魂がともなわねばならないからなのです。確かに、人に対する善なる行いから、技術が進歩していく事もあるのでしょう。尊くないとは、思いません。だけれども、人の心や命と引き替えにしていいものではないのです。そのために、一人でも救う事が出来ないのならば、もうそれは、価値のないものなのです。進歩は、一人残らず、万人へ幸福をもたらすものであるべきなのです。すなわち、それは、心以外にはありえないのです。

 みなさん、神に祈りましょう。





 エイジは教会で何を話しているのか、神父が何をしているのかに興味を持った時期がある。町へ降りた時に、ふらりとそこへ向かった事がある。もう五年ほど前になる。

 中に入るまでもなく、シスターが外で人々の前で話していた。エイジはそれをつまらなそうに聞いていた。だが、後々思いだし、もっともだと考えていた。だが……


 シスター……。あんたの云う通りなら、心ってやつのほうこそいらないじゃないか。……おれには、今……

 医学や科学を捨てて、心でタクを救えるのかよ。

 あんたの云ってた事なんて、何の役にも立たねえよ!





 タクは、ベッドに縛り付けられた。まだ眠っているが、時々苦しそうな顔をする。起きた時に、もっと苦しい思いをするだろう。そして、暴れ出すだろう。


「強力な薬を使うからね。……悪くすれば、髪の毛が全部抜け落ちるかも知れない」


「苦しくて暴れないように、ですか。かわいそうじゃないですか。苦しいんだから、暴れるくらいなら……」


「いや、抜け出して、空気の悪い外へ出ないようにだ。そして、激しい喉の乾きを覚えるはずだから、それで喉をかきむしったりしないように」


 エイジは力無く頷く。

 なんで、こんなとこまで来たんだっけ……。誰のために。そうだ。そうだった。……。いや……。エイジは苦笑し、首を横に何度も振った。



     7

 戦艦ゴ・スィッグ、船尾のの居住区画、ある一室。

 異端者と呼ばれていた男の一人、トキ・ワ・キーレンが射殺された。


 今、数人の男たちが冷静に死体を見下ろしている。

 死体の胸と腹との二箇所、大きな風穴があいている。ライスカイスの中では、ひときわ表情の豊かな男であったが、今転がっているこの死体の顔は無表情で、何を読みとる事もできなかった。ただ、目を開き、天井を見上げている。半開きにした口から、左頬を伝い、赤い血が床に落ちる。


 敵と内通しているらしい。そのような情報を手に入れ、諜報部が独自に動き出した。銃を突き付けると、奇声を発し、刃物を片手に飛びかかってきたため、やむなく射殺した。



     8

 カイは静寂の中、ただ一人きりとなった。

 青いほのかな光に照らされ、幾多の脳に囲まれている。部屋は暗く、数歩先はもうはっきりとしない。壁自体がはっする小さな光が、この部屋の狭さを教えてくれる。

 目の前に、薄明かりに照らされる少女の死体がある。ただの肉塊だ。そう思いながらも、目をそらす事ができない。

 ?。……今のは見間違いだろうか。少女の口が、かすかに動いたような気がする。……まただ……。見間違いではない。恐怖と驚愕に見開かれていたような少女のその目が、生気を取り戻したように、しかし、ややうつろな感じで、前方を見つめていた。


 また口が小さく開く。生きている……。これは……。超科学……。

 ルキロの右側頭部を貫いたコードは、そのまま左側頭部から飛び出ていた。カイはその飛び出た部分を左手で掴み、右手でルキロの頭を押さえ、一気にコードを引っ張った。


「おれは……」


 なにかを呟きかける。いや、その先は云ってはならない。認めてはならない……


 カイはつかんだその先端を、自分の頭に力一杯に突き立てた。


 血が飛んだ。





 そこは宇宙であった。どこまでも続く空間に、恒星が明滅している。宇宙空間で星が瞬くと云うのも奇妙な話だが、少なくとも彼にはそこは宇宙空間に感じられた。


 どこに視線をやっても自分の姿はなかった。自分の体を確認する事ができなかった。ただ、自分はここにいる、という思いは強烈なものとして、そこにあった。自分は確実に存在している。水に溶けてしまったかのような感覚。ゆらゆらと、ただし確固たる自らの意志を持って、カイは進んだ。カイには分かっていた。いきなりこの世界につれて来られた少女と違い、自分からここに入ってきたのだから。


「誰か……いるの?」


 幼い声。だが、聞き覚えのある声。さきほどの少女の声だ。もっとも、彼女の思念を勝手に「声」として捉えているだけだろうが。


「ああ。いる」


 カイは答えた。少女には、どんな「声」として届くのだろう。精神の世界において、人は赤子から老人までのすべてを持っている。だが、時と感覚を超越したその世界において、人の持つ、本人の望む「個」はただ一つ。彼女の本質は「幼い」のだ。この世界では、それは滅ぶまで変わる事はない。キーレンが楽しそうに話していた事を思い出す。


「怖い……」


 少女の精神が、いつの間にかすぐそばに感じられた。


「本来の精神の居場所ではないからな。おぞましい連中の生み出した世界なのだから」


「云いおるわ……」


 それは、老人の「声」であった。


「おまえは呼んではおらんのだがな」


 また「声」が加わる。


「扉を開けたではないか」


「そうか。うっかりしていたわ。耄碌してな」


「くだらない戯れ言をおっしゃいます。……耄碌など、してみたいものですわ」


 女の「声」が加わった。その「声」からはどのような年齢も想像する事ができなかった。


「ともかく、こやつはどうしようか」


 また一つ「声」。


「殺してしまうか」


 また一つ。


 時間にして、ほんの一瞬なのかも知れない。長い時間が過ぎているのかも知れない。とにかく、様々な「思考」「声」が一気にこの空間内にあらわれる。


「それが慈悲かも知れぬが。まあやめておこう。……出ていくなら、今の内だぞ」


「おれにも知る権利はあるだろう」


「お前さんたち、魂の脆弱な者どもに、こういう領域に入られても迷惑なのだがなあ。震えている子供がおると、繊細で壊れやすいわしらまで影響を受けてしまう」


「それが、望みでもあるのだが、出来るなら、もっと穏やかにやってもらいたいものだ」


「おれは、恐怖などは感じない」


「そうかな。そう思うように作られているだけだからな」


「どんな存在だろうと、狂っているわけではなし、生物が恐怖を感じぬわけがなかろう」


「ウィルスに抵抗する、抗体の正体を知っておるのか?」


「人の科学の源を知っておるのか?」


「人がなぜ笑うか」


「なぜ生きるか」


「そしてなぜ殺すか」


「お前は知るか?」


「お前は知るか?」


「くだらん座興だ。……何なのだ? それが、恐怖だとでも云いたいのか?」


「わかっているじゃないか」


 光の明滅が激しくなる。


 まるで笑っているかのように。


「あなたたちは、一体……」


 少女の「声」。ルキロの思考が、この暗黒の羊水内を駈ける。


「聞きたいか」


「我々は」


「科学の頂点を極めた者」


「それ故、大罪人としての罰を受けた……いや、みずからにその運命をかした者」


「それぞれに、医療や工学、殺傷兵器、様々な物を研究していた者」


「地球規模の、最後の大戦を起こした者」


「地球を汚した者」


「その元凶となった者」


「だが、我々は正しい。間違ってはいない。人類は、幸せをつかんだのだ」


「すべての悪魔は滅び、真の、地球にとって平和な時代が来た」


「地球人類にとっても然りである」


「だが、人々は、このような惑星にした我々を許さなかった……」


 ルキロもカイも、ただ唖然としていた。


「それは大戦時、」


「ときの主力は人造生物である兵士たち」


「強靱な生命力を持ち、恐怖心は脳の奥へとしまい込まれ、」


「勇猛、かつ、残虐な行為を平然となす」


「ただただ、恨みを分散せんと、人間に利用されていただけの存在」


「人形。……ただの道具である」


「そして糞袋である!」


「そんなくだらぬ、そして哀れな道具にすらも、人々は……」


「人形は、さらに感情を押さえられ、ノゥアと呼ばれる箱に押し込まれ、宇宙へと……」


「我々は脳だけとなり、ここで脳が朽ちるまで生きねばならぬ罰を受けている」


「脳には勿論寿命があるが、ここではその時間の流れがまちまちでなあ。それが悩みで」


「同じ処分を受けた仲間は、二万人ほどいた。いまでは、この部屋の三十六人だけだ」


「いや、あいつが今朽ちたぞ」


「地核研究をしていたヤツだ。三十五人になったぞ」


「みんな、祈れ!」


 (略)

 (略)


「脳を取り出された我々の体」


「残った我々の体」


「二万の虚ろな肉体」


「政府と教会は……」


「それは罰であり、疲弊した国民の感情をそらす措置」


 地球にそんな歴史があっただろうか。地球の世界史はルキロもざっと学んだが、そのような事実は聞いた事がない。……地球も、誰かに歴史を操られているのか……


「さて、それは……」


「機械脳」


 キカイノウ!


「頭蓋に機械脳を入れられ、生ける屍と化した罪人たちの肉体は、」


「罪人たちの肉体は、」


「交配用の捕虜、奴隷女数十万人と共に、」


「さきの人形同様に、宇宙へ、」


「生存環境の劣悪と思われる星系へ、」


「さて、その罪人の子孫たちは、今頃、どこでどうしているのやら」


 星が明滅した。


 「声」は聞こえないが、星は激しく明滅を繰り返していた。


 脆弱を破ったのは、カイの「声」だった。カイの叫びだった。


 宇宙が縮小した。星々の残像が中心へと線を描く。巨大な星が、光を遙かに凌駕する速度でとび、軌跡を描き、中心へと小さくなっていく。


 浮遊していたカイの、精神の肉体を何者かが浸食していく。何かが入り込んでくる。悪意の牙を持った無数の粒子が体に食らいつき、浸透していく。めり込んでくる。食い破って入ってくる。突き破り飛び出した物が、戻り、再び突き破る。


 神……

 形は何も見えない。ただ、宇宙と、揺れ動く星があるのみ。

 神の声、悪魔……哄笑、

 笑っている。笑っている……

 神の大きな手に握られ、凝縮された精神が、神の手が離れると同時に砕けた。

 四散した。

 そしてすべてが……





 幻覚だったのだろうか。ルキロは目が覚めた。床に倒れていた。首をぶるぶると横に振る。視線が定まらない。

 青い光がうっすらと部屋を、自分の体を照らしている。

 頭に手を伸ばす。なんともない。ただ頭の両側に、鈍い痛みが感じられた。


 男の呻き声。隣で男が、ルキロ同様に床に倒れ、赤子のように丸くなり、震えていた。歯をガチガチとならしていた。生来の顔の青白さなはずなのだが、ルキロはなにかそれに異質なものが交じっているように思った。


 ルキロはゆっくりと、よろめきながら立ち上がった。


 部屋には無数の柱が立っている。破片が落ちている。ガラスの欠片。すべての……


 そう、柱の上に、水に浮いた脳があった。そのガラスが今はすべて砕け散っていた。

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