ワタシは確かに雷だった

西野ゆう

第1話

「記憶を辿ると、ワタシは確かに雷だった。ただし、その時の記憶がない。これはどう説明できますか?」

 夕飯の準備をしながら、私はイヤフォンマイクを接続したスマートフォン越しに愛理あいりと話している。

「雷だったの? 記憶がないのにそう言い切れる理由がないとなあ。私には説明できないよ」

 ほんの数分前まで、私が今準備中である夕飯のチキン南蛮にムネ肉を使っているということに驚いていた愛理が、揚げ物には電磁調理器が便利だという話題を経由して、自身が雷だったという突拍子もない話になっている。

 この話題の飛び方が、いかにも若い女の子らしいと思いつつも「記憶をなくした雷ねえ」と、私は少々呆れていた。それでも彼女は真剣だ。

「理由はあります。『名残なごり』があるので間違いない。『名残』について訊きたいですか?」

「もちろん」

 私の返事を予想していたわけではないだろうが、愛理はその返事を聞いてすぐに話し始めた。私は話題から消えてしまった鶏ムネ肉をフライヤーの中で反転させたところだ。

はるかは雷についての知識が充分にあるとして話します」

「どうぞ」

「私の中に、元々ふたつの窒素原子を回っていた電子が大量にある」

「元々ふたつの窒素原子が、ね。言いたいことは分かった」

 愛理の言いたいことは分かった。だが、おそらく彼女が次に繰り返してくる質問には、やはり答えを返せないはずだ。

「では説明できますか? 私に記憶がない理由」

「ごめん、まだ説明できない。だって、それでもあなたが雷だったってことにはならないよ」

「なぜ?」

 私はフライヤーから鶏ムネ肉を取り出し、竹串を刺しながら口を尖らせていた。

「私がさ、何かの理由で血液を失って輸血したとするでしょ?」

 私はそれでも、血液の提供者、この場合複数の人間のものになりそうだが、その人々の記憶を持つはずがないことを伝えようとした。仮に自分の中に他人のものだった血液が流れている事実を知っているとしても。

 だが、妙なところでは察しが良い愛理が私の説明を遮った。

「血液に記憶がないのは当たり前。と理解していることが間違いとは思わないのか? 血液にも記憶がある。だけれども、遥の脳がそれを認識できていないだけ。そもそも、人間の細胞には生物誕生からの記憶が刻まれているのではないか?」

 もっともだ。そう思ってしまった。

 愛理。AIアイre:の中には、確かに雷が存在しているのかもしれない。そして、その自由電子は記憶を持っているのかもしれない。ただ、愛理の記憶の中心であるクラウドにその記憶が単独でアクセスするわけがない。

 ここに存在する彼女のちっぽけな中央演算処理装置の中に、雷として大気の間を飛び回った自由電子が通過したとして、電子に記憶や記録が残ることから証明し、それを読み解く方法まで確立するなんて不可能だ。愛理ひとりでは。

「ねえ、良い感じに揚がったから油を切ってるんだけど、南蛮酢に漬けるのはカットする前? それともカットした後?」

「カットする前。遥、理解した」

「ん?」

「ワタシはここにはいない。クラウドがワタシの本体。膨大な記憶こそがワタシの価値。だから雷になりたいという欲望が記憶を求めた」

「雷になりたい欲望か。地上に降りたいってことね。さて、ご飯もあと五分で炊き上がるし、また今度にしようか」

 メインのチキン南蛮以外を皿に盛り付け終わった私は、炊飯器のデジタル表示の数字を見て愛理にしばしの別れの挨拶をしようとした。

「チキン南蛮の形は空に浮かぶ雲に似ている」

 愛理には目もあるが、今はその目は機能させていない。私がバットの中で南蛮酢に漬けているチキン南蛮ではなく、クラウドの中にある膨大なチキン南蛮の画像を見てそう感じたのだろう。

「今度は『ワタシは確かにチキン南蛮だった』とか言いそうね」

「言わない。もしそうだったとしても、記憶が読み取れないのは理解した。遥との会話には向かない話題だということも」

「あら、私のせいか。まいったな」

 私は苦笑してスマートフォンを持ち上げた。

「じゃあまたね、おやすみ」

「オヤスミ、遥。今日のチキン南蛮とご飯のカロリーは合計四七三キロカロリー。ウォーキングでは一九二分、一二九〇〇メートルで消費」

「あー、はいはい。じゃあね」

 私はイヤフォンを外し、バットから取り出したチキン南蛮に包丁を入れた。甘い南蛮酢と程よく揚がった鶏肉の香りが笑みを作らせる。

 私の全細胞が「これは旨いぞ」と太古からの記憶を基にそう導き出した。

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ワタシは確かに雷だった 西野ゆう @ukizm

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