コンビニ強盗

かいばつれい

コンビニ強盗

 三月三一日 日曜日 二三時一七分。コンビニエンスストア。


 商品棚の前には、納品されたぱかりの菓子や雑貨が入った折りたたみ式のコンテナがいくつも並べられており、コピー機の近くには古い掲示物がぎっしり入ったゴミ袋が置かれ、弁当売場の床には番重が積み重ねられている。

 アルバイトの埜上は、酔っ払った若者たちが大量に買っていったチューハイを補充するために、飲料水売場裏のウォークイン冷蔵庫にいた。空の売場を放置することはできない。庫内温度二度の中で、埜上は汗だくになりながら商品を補充していた。


 コンビニにとって月末という日は戦争である。やたらと多いキャンペーンの告知ポップや映画のポスター、ライブチケットの広告、たばこの宣伝用の掲示物(これに関してはペーパークラフトになっていて、軽く図画工作になる)、ギフトのパンフレットの交換等々、日付が変わる深夜〇時までに終わらせなければならない仕事が大量にあった。それに加えて今日は日曜日の夜だ。月曜日の発売日に合わせて、大量の雑誌が間もなく納品される。無論、それらも付録の類いを漏らすことなくすべて同梱し、朝までに陳列するのである。はっきり言って、一人ではとても終わりそうにない。

 さらに最悪なことに、今日の相方は出勤時間を過ぎても現れず、電話にも出なかった。おそらく飛んだのだろう。普段から遅刻が多く、接客態度も良くなかったので当てにはしていなかったが。

 店長や社員は人手が足りない日中をカバーするのに精一杯で疲弊しており、呼んでもこの激務には耐えられそうになく、他のアルバイトも連絡が取れず誰も来ない。とにかく、今日は一人で業務をこなさなければならなかった。

 補充を終え、ウォークインを出ようとした時、缶ビールの箱に目が止まった。箱には値札がたくさん入ったポリ袋がテープで貼られており、店長のメモが箱のあけくちに書かれていた。

 「埜上くんへ、一日から酒の税率がまた上がるそうです。明日までにプライスを全部交換しておいてください」

 埜上は頭が真っ白になった。明日だと?コンビニにとっての明日とは深夜〇時のことだ。これを今からだと?あと数十分で日付が変わるというのに?何故こんな大事なことを口頭で伝えない?何故タイムカードマシンの前にメモを置かない?

 「ふざけんな!」

 袋を箱から引きちぎり、一目散にウォークインを飛び出した。


 考えるより行動だ。三分で値札を付け替えてやる。お客は日々、生活費をやりくりしている人たちばかりなのだ。値段が値札と違っていたら、たちまち信用を失い、店の売上は下がる。そうなれば自分の収入にも影響する。いや、そもそも、店の都合でお客に迷惑をかけるなどもってのほかだ。

 入口のブザーが鳴り、埜上はそちらへ振り向かずに「いらっしゃいませ」と発した。申し訳ないが、今は声だけで勘弁してほしいと心の中で客に詫びた。それでもレジだけには気を配り、埜上は作業を続けた。

 値札をさっさと交換して掲示物を貼り替えよう。コンテナの中身を陳列して番重を片付けたら、雑誌を並べてゴミを捨てて······

 「おい」

 すぐ後ろで声がした。埜上はドキリとしてその場で固まってしまう。

 「振り向くんじゃない。おまえ一人だけか?」

 「はい?」

 せっかくコンビニに来たのに、店員がレジにいなくて腹を立てたのだろうか?

 「お、おまえ一人、だけかと、聞いて、いるん、だ」

 お客の声は少し震えているような気がした。

 「も、申し訳ありません!私一人です」

 埜上は思わず振り向いて頭を下げた。振り向くなと言われていたのに、益々お客に無礼を働いてしまった。

 「い、いきなり振り向くなよ!こ、こっちは包丁を持っているんだ」

 「へ?」

 頭を上げると、黒のジャンパーに黒のニット帽、サングラス、そして白いマスクという格好の男が、包丁をこちらに突きつけていた。

 「か、金を出せ。マネー、マネー」

 「金?マネー?お金ですか?あっ」

 埜上はようやく状況を理解した。強盗だ。この男はコンビニ強盗だ。しかし、世間で騒がれているものとはだいぶイメージが違うと思った。あれほど日本語を喋っておきながら男はカタカナ英語で金を要求してきている。きっと緊張しているのだ。包丁を握っている両手も震えていることから、常習犯ではないようだ。もしかしたら、初犯なのかもしれない。

 「マネー、マネー、プ、プリーズ。た、頼むよ···言うこと聞いてくれ」

 やはり今回が初めてのやつだ。たが、どうしてこんな気弱そうな男がコンビニ強盗など企てたのだろう。よほど何か思い詰めているのかもしれない。自分か身内が重い病気で大金が必要なのか、それとも借金を重ねて後がなくなり暴挙に出たのか、いずれにせよ、すぐに大金が必要で万策尽きてやむを得ず強盗を働くに至ったというわけか。埜上はサングラスをかけている男の眼をじっと見つめた。

 「な、なんだよ。おれはな、男だろうと怯んだりしないぞ。ぜ、絶対に怯まないからな。何としても金を作らなくちゃならないんだ。さぁ、金を出せ。出してくれ」

 未だに震えている男を見て、埜上は男のことを気の毒に思った。この男は人を傷付けるような人間ではない。

 「ちょっと待ってください。あなたみたいな人がなぜこんなことをするのです。コンビニには、あなたが思っているほど大きなお金は置いてないんですよ。今ならまだ間に合います。考え直してください」

 「う、うるさい。おれにはもうこれしかないんだ」

 「そんなことはありません。私でよければ相談に乗ります。訳を聞かせてもらえませんか」

 尚も男は包丁を下ろさない。

 「世の中、辛いことがたくさんあります。私のような青二才には偉そうなことは言えませんが、何か方法があるはずです。そんなものあなたには必要ないでしょう。はやく包丁を捨ててください」

 「う······」

 サングラスの下から涙が流れ、男は声を出して泣いた。そんなに辛かったのか。よほど大変な目に遭ったのか。思わずこっちまで泣いてしまいそうだった。何とかしてこの男を助けてやろう、そのためにも強盗なんてやめさせなくては。包丁をそっと取り上げようと、男に近づいたその時、泣きじゃくった声で男が言った。

 「駄目なんだよ。来週までに金を作らなくちゃ駄目なんだ。そうじゃないとユノちゃんが」

 「ユノちゃん?お子さんですか?」

 埜上は聞いた。

 「ちがう、ちがうよぉ。ユノちゃんは、ユノちゃんはなぁ、おれの、おれの推しだよぉ」

 「推し!?」

 この男は何を言っているのだ?

 「来週の日曜日までに金を作らないと、チェキも撮れないしグッズも買えないんだよぉ」

 「ユノちゃんって何ですか?」

 「地下アイドルだよ。おれ、その子にガチ恋で、ナマポでもらった金をその子のために全部つぎ込んだけど足りないんだ。転売でひと儲けしようと万引きもしたけど、それだけじゃ全然足りないんだよ」

 「ナマポ、転売、万引き···」

 埜上が復唱する。

 「そ、それにおれ、怒鳴られたり人に頭を下げたりするのが嫌いで働いたことなくてさ。そんな目に遭ってまで金を稼ぐなんて馬鹿のすることだと思ってるんだ」

 「ば、馬鹿のすること?」

 「今までパチンコで親を泣かしてたおれにとってユノちゃんは救いの女神なんだ。ユノちゃんのおかげでパチンコをやる意義ができて、彼女には感謝してるんだ。だからユノちゃんと添い遂げるためにも金が必要なんだよ」

 「パチンコ、添い遂げる、は?」

 埜上は脱力した。なんなんだこの男は。先ほどまでの自分の感情はなんだったのだ。この男に同情し、何とか助けてやろうと思った自分が馬鹿らしくなった。その途端、腹の底から熱いものが込み上げてきた。

 「だからさ、早く金を出してくれ。レジにないなら金庫にあるだろ。金さえくれれば、おれはすぐ帰るから」

 男の言葉で堪忍袋の緒が切れた。

 「帰れ」

 それは地獄から聞こえてくるように静かで、そして怒気を込めた声だった。

 「だから金を」

 「帰れと言ってるんだ!」

 「ひぃっ!」

 男が飛び上がる。

 「だいたい、このクソ忙しい日に来るんじゃねぇよ!おまえ、月末の日曜日がどれほど忙しいかわかってんのか。見ろよこの有り様を。こいつらを夜が明けちまう前に片付けなきゃならねぇんだよ!店中のポップを見ろ、端っこに三一日掲示終了って書いてあんだろ、こいつも日付が変わる前に剥がさなきゃなんねぇんだよ。時計見ろ!三一日が終わるまであと四〇分もねぇんだよ!!」

 「そ、そ、そんなのおれの知ったこっちゃない」

 男は完全におびえきっていた。

 「そうだろうな。おまえみたいなカスのクズにはわかるわけねぇよな。オマケに雑誌も届くんだよ、それも大量に。そいつも朝までに並べねぇと客に迷惑が掛かんだよ!」

 包丁が床に落ちる。埜上は落ちた包丁をあさっての方向に蹴飛ばし、男の胸倉を掴んだ。

 「ひとつ教えてやるよ。おまえのようなクズに、誰かと添い遂げる資格なんてこれっぽっちもねぇんだよ!わかったか、この馬鹿野郎!」

 男は激しく揺さぶられ、かくんかくんと首を前後に振った。

 「おまえにいつまでもかまってるヒマはねぇんだ。とっとと出ていきやがれ!!」

 そう言って男を放してやると、男は床に尻もちをついた。その拍子でサングラスが落ち、充血したつぶらな瞳が露になった。直後に尿臭が立ち込め、埜上は男の下半身を見た。スウェットのズボンを履いた股が濡れていた。男は埜上の剣幕で失禁してしまったようだ。

 「仕事増やすんじゃねぇ!失せろ!」

 男は慌てて起き上がり、サングラスも包丁も忘れ、開ききっていない自動ドアにぶつかりながら夜の闇に消えた。

 埜上は男が漏らした小便をモップで拭き取り、包丁とサングラスは取り敢えず事務所の未使用のロッカーにしまい、その後は怒りのままに身を任せて仕事に取り掛かった。


 そして、夜が明けた。


 早朝五時四五分。

 店長が出勤してきた。

 埜上は中華まんを什器に並べている。

 「おはよう埜上くん。鈴木のやつ、バックレたんだって?一人でやらせてすまなかったね。大変だっただろう?」

 「おはようございます、店長。大丈夫ですよ、ワンオペは慣れっこですから。あと、コーヒーマシンとおでん鍋の清掃終わってます。」

 埜上は大きなあくびをした。

 「何から何まですまん。それにしても、珍しく眠そうじゃないか。まぁ、あれだけの仕事を一人でやらせてしまったからな。六時で上がっていいよ。早朝担当の木野くんも来る頃だろうから。はい、これ」

 店長は埜上にエナジードリンクを渡した。

 「ありがとうございます。いえ、ちょっと怒りたくなることがあったんで。ぼく、怒ると眠くなるんですよ」

 「埜上くんも怒りたくなるようなことがあるんだな。ひょっとして酒のプライスの件か?あれは本当に申し訳ない」

 「そんなことじゃありません。店長だって疲れてるんです。そんなの全然怒ってませんから」

 「そうかい?君は良くできた人間だな。鈴木に君の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいよ。何はともあれ、怒りというのは精神的にも身体的にも良くない。もう二度と深夜シフトを一人でやらせたりしないからな」

 「ええ、はい。あの、店長」

 「ん?」

 「お客様に頭を下げてお金を稼ぐことは馬鹿のすることでしょうか」

 埜上の問いに店長はコーヒーをひと口飲んで応えた。

 「何を言ってるんだ。ちっとも馬鹿のすることじゃないぞ。そもそも頭を下げるという考え方がおかしいんだ。我々が商品を売り、買ってくれたお客様に感謝する。お客様も商品を使ったり、召し上がったりして喜んでくれる。お客様が喜んでくれたら我々も嬉しくなる。だからお客様にお礼の気持ちとしてありがとうございましたと言うんだ。その上で、いただいたお代で我々は収入を得る。その収入で暮らす。とても素晴らしいことじゃないか」

 「店長」

 埜上の瞳がだんだん大きくなる。

 「残念なことに、私みたいに考えられる人間が減ってきてしまっているがね。だからせめて、私の店で働いてくれている人間だけでも働くことの大切さをわかってほしいんだ。ちょっと頼りない店長だが」

 「変なことを聞いてすみません。少し気が晴れました。店長の仰る通りです。今後もがんばります。ありがとうございました」

 「こちらこそありがとう。君の問いのおかげで、お客様への感謝を再認識することができた。さぁ、帰ってゆっくり休んでくれ」

 「はい。お疲れ様です」

 「ああ、お疲れ」

 渡されたエナジードリンクを持って埜上は退勤した。


 質問が気になった店長が防犯カメラを確認して強盗の一件に気付いたのは、埜上自身が夢の中にいた時のことである。


 

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