極夜に生きる

 南極や北極の冬季に起こる、一日を通して太陽が昇らない現象のことを極夜という。真昼間であっても、まるで夜のように暗い状態、もしくは薄明が続くのだ。

 私の人生は、11歳頃を境に極夜が続いている。


 きっかけについては「性虐待被害からの回復」をご参照いただきたい。

 ※性虐待に関する具体的な描写がある為ご注意を。


 兄から受けた性虐待の影響は約30年経った今もなお、私の思考回路を歪ませ、人生をも歪ませている。


2022年6月10日。

 この日は今後の人生において間違いなく転機になる日だろう。ずっと避けていたカウンセリングを開始した日だ。

 この日から2023年3月初めまでに19回のセッションを行い、EMDRも受けた。実際、2022年12月頃からは希死念慮を発露することも減り、平穏と言える日々を過ごしていた。

 しかし、19回目のセッションを終えて数日、謎の焦燥感が心の奥底で燻っていることに私は気づいた。

 今のこの、平穏無事な毎日が何故か落ち着かないのだ。


 性虐待経験者は、不特定多数の相手と関係をもつ等、性的な逸脱行為に走ることがある。

 かつての私も、自分をものとして扱ってくれる男たちを相手に援助交際という名の売春をした。

 それが自傷行為であることに気づいてもなおしばらくの間止めることはできなかったが、新型コロナの流行がある意味きっかけとなり止めることができていた。


 しかし心の奥底で燻っていた焦燥感に煽られながら、ついに、過去に退会した出会い系サイトを開いた。



 駄目だと思ってサイトを閉じたが、また開いた。

 最も効率的に自分を傷つける行為を私は知っていたのだ。そして、平穏無事な日々を壊して自分を傷つけたい強い衝動に勝てなかった。


 登録したての女は出会い系サイトでは大人気だ。私を買ってくれる男を見つけるのは容易だった。


 一人目二人目は緊張はしたものの、特に何事もなく終わった。

 そうして会ったうちの三人目、60代くらいの至って普通の、疲れたサラリーマン風の男。


 サイトを通して会う際、必ずNG行為を互いに確認してから会う。三人目も勿論そう。

 必ずコンドームを着用する、乱暴なことはしない。条件はそれだけ。


3月20日、月曜日。

 待ち合わせ場所で落ち合い、ホテルへ向かった。シャワーを浴びて、ベッドに入る。

 最初は穏やかだった愛撫が乱暴になるまではすぐだった。

 あまりの乱暴さに抵抗することも出来ず、早く終わってほしい一心だった。そしていざ挿入という段階になり、男はコンドームを装着しないまま行為をしようとした。



 さすがにこれはダメだと必死に身を捩り逃げようとすると、男は容赦なく平手で身体中を叩き始めた。

 皮膚を打つ乾いた音が聞こえるが、最初は何が起こっているのかわからなかった。しばらくして打たれた箇所が痛みはじめた頃、男は私の両の足首を掴んで乱暴に脚を拡げると何も言わずに挿入してきた。

 覆い被さり容赦のない抽送を続け、耳元で私をいたぶる為の言葉を囁き続ける。


 動けなかった。

 腕も何もかもが強張り、膣内の異物感と肌の熱さと体重を感じるだけ。終わらないように思えた長い長い時間の過ぎた後、ようやく男は私を解放した。


 起き上がると何故か私は笑顔で男をシャワーに誘い、身体を洗った。ホテルを出て別れる時には「お疲れ様でした」とまで言っていた。


 帰宅後。

 感情が絶え果てたように何も感じなかった。

服も下着も全て洗濯機に放り込み、シャワーを使い全身を擦るように洗った。顔を洗っている最中に急に惨めさが襲ってきた。

 泣きながら顔を擦り続けた。念入りに唇を擦った。男の舌が触れたところをずっと擦った。

 頭からシャワーを浴びながら、やっぱり私は汚れたままだと思い知った。


 その後のことは実はあまり覚えていない。数日の間とにかく身体中が痛くてベッドの中で動けなかった。

 それでも律儀に会社にはSlackで欠勤の連絡を入れていたようだ。カーテンを閉め切った部屋で、昼も夜もわからぬままベッドで過ごしていた。


 ようやく動けるようになった私は、出会い系サイトで二回目に会った男とアポイントを取った。

 男に体を貪られることで生きていることを実感しながら、どす黒く心が濁って沈んでいくのを感じていた。


 この汚さが私なんだと。


 3月末は年度末ということもあり、サイトの男たちも忙しかったようで誰とも会えなかった。

 その頃から躁状態になり、平日はずっと眠れずハイな状態で仕事に行き、休日は起き上がれず寝たきりになっていた。

 希死念慮は強まる一方で、誰の優しい言葉も「私にはその価値がない」としか思えなかった。


 4月に入り、カウンセリングの日になった。自分のしでかしたことを話すのが恐ろしくて行きたくなかった。

 しかし約束をすっぽかすことが大嫌いなのでとにかく行くことにした。話すかどうか悩んだものの、カウンセラーを前にすると結局洗いざらい話してしまった。

 いつも通り、カウンセラーは否定することなく、何故そうなったのかを考えさせるよう促しながら、時間を超過しても聴き続けてくれた。


 一段落してセッションを終え、できるだけ早いうちに次回のセッションを組みましょうということになり、次回まで我慢できますか?と尋ねられた。月経が近いこともあり、それが始まってしまえば行為どころではないから大丈夫だと思います、という旨私は答えた。


 しかし、来るはずの月経はいくら待てども来ない。いつもあるPMSすら来ない。



 妊娠した。



 そう思い込んだ。

 自分の年齢では自然妊娠する確率なんて多分1%くらいしかないだろうに、絶対にそうに違いないと思った。あまりに恐ろしかった。

 こんな経緯で妊娠して、出産なんてできるはずもない。絶対に無理だ。


 自分の死後の処理をする人に迷惑をかけることが極力少ないよう、身辺整理を済ませてから死ぬ、というのが昔からの私のポリシーだ。

 去年行った断捨離のおかげで身辺整理は割と早く済みそうだというところだけ安心できた。


 大事な友人にお別れのメッセージを送り、もう心の準備はできた。あとは手段を決めるだけだった。

 明け方まで悩み、決めかねた私はひとまず少し横になることにした。


 少しうとうとした後、違和感とともに目が覚めた。

 腹部の重い鈍痛、そしてあの感覚。

 布団をはね退けベッドを見た。血がついていた。


 めんどくせぇ、と思いながらも安心感を覚えてベッドパッドを洗った。手洗いしたベッドパッドを洗濯機に放り込み、寝直した。

 9時間眠り、ゆっくりとお風呂に入った。

 たくさんの人の優しさがようやく素直に嬉しく思えた。


 私の世界はまだ極夜だけれど、ひとりきりじゃない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

性虐待被害からの回復 木村牡丹 @metamer

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ