第8話
春がきた、だなんて浮かれている場合でないのはやはり学生の本分だろう。もうすぐ期末テストがやってくる。テスト週間前の部活休み期間はもう少し先なのに、授業で先生がテスト範囲の話を小出しにしてくる。ここはテストに出るぞ、と言われると必死にノートにメモしてしまうのは、理系文系に限らない。タケとナベさんと三人で購買から教室への帰り道も、テストの話で持ちきりになる。
「え、まじ?先生そんなこと言ってた?」
「まじだよ。タケ、さっきの古文の授業は船こいでたもんな」
「ナベさん、あとでノート……」
「代わりに生物のノートよろしく」
二人ががっちり握手を交わしたところで、はたと僕も思い当たった。僕もリュウに授業で分からないところを聞いておかなければ。今日はいっくんたち文系クラスに集まっているので、自分のクラスを通りすぎて教室にお邪魔する。いっくんとリュウは二人で先に食べ始めていた。いっくんがはにかんだように笑ったのが見えた。戻ってくるのが少し早かったかなと思いつつも、そのまま二人の周りから椅子を借りて座る。そのとき、じゃあそういうことで、とリュウがいっくんに言った。
「そういうことって?」
ナベさんがリュウにパンの袋を開けながら問いかける。何でもない、とリュウが答えかけたところでいっくんが口を挟んだ。
「リュウの部屋でテスト勉強しようって話になってさ」
「まじ?俺も混ぜてよ」
俺も、とタケも入ったところで、僕は何も言えなくてとりあえずサンドイッチを頬張る。リュウは困った顔をした。
「悪いけど、アパートだしそんなに広くねえから。それに、ナベさんやタケまで来たら騒ぐだろ」
「ええ~、俺もリュウの家行ってみたかった」
また今度な、とリュウはおどけたように笑う。悪いなあ、といっくんも一緒になって笑っていた。すると、タケが僕の方を向いた。
「ユウちゃんのとこは?」
「僕の家ってこと?」
「そうそう。ユウちゃんの家だったら、俺ら皆行ってもいけるんじゃねえ?」
「スペースだけで言うならまあ、リビング使えればいけるとは思うけど」
ナベさんといっくんにも急かされて、家族のグループチャットにお伺いをたてる。リュウやタケは遊びに来たことがあるから、母さん達もきっと分かるだろう。ちょうど昼休みだからなのか、十分も待たずに返事は来たが、相手はまさかの姉ちゃんだった。僕のスマートフォンを覗き込んだナベさんが声をあげた。
「ユウちゃん、姉ちゃんいるの?」
「うん。姉ちゃんがいいって言ってもなあ、母さんから返事まだだから家に呼べるかはまだ分かんないよ」
「いいなあ、姉ちゃん」
「そんなでもねえけど」
「姉ちゃんいる奴はみんなそう言うんだよ」
ナベさんに絡まれていると、予鈴が鳴った。昼食のゴミを片付けながら、いっくんにこっそり話しかける。
「いっくん、なんか……ごめん」
「気にすんなよ」
と、いっくんは本当に気にしていないようだった。でも、と僕が言いたげな目をしていたのがばれていたようで、いっくんは少し吹き出した。
「まじで気にしなくていいって」
リュウの部屋にはまた今度行くからさ。いっくんのにやけ顔は余裕を感じるもので、僕はなんだかどぎまぎしてしまったのだった。
母さんの許可もあっさりおりて、僕の家でテスト勉強会を行うことになった。何かお菓子でも、と母さんがそわそわするのはまだ分かる気がするのだが、
「何で姉ちゃんまでそわそわしてんだよ」
「ユウスケがそんなに友達連れてくるなんて珍しいじゃない」
「あのさ、僕にだって友達いるからな。テスト勉強なんだから姉ちゃんは部屋にでも居てよ」
準備をしてくれる母さんを横目に、姉ちゃんが小さな声で僕にたずねる。
「あの男の子来るの?」
「誰のこと?」
「ほら、この前遊びに来た子」
「この前……ああ、リュウか」
その子よ、と姉ちゃんが浮き足立っている。確かに、この前リュウに漫画を貸すために家に来てもらった。ついでにと僕の部屋で駄弁っていたけれど、そのときたまたま姉ちゃんが家にいた記憶はあるものの、
「姉ちゃん、リュウとなにか喋ったの?」
「コップとかお皿とか、リビングまで持ってきてくれたでしょう。そのときに少しね」
そういえばそんなことあったなあ、とぼんやり思っている僕をよそに、姉ちゃんの目はキラキラと期待に満ちている。リュウも来ることを伝えると、姉ちゃんは見るからに上機嫌になった。
「姉ちゃん、彼氏は?」
「それはそれ、これはこれ。リュウ君、格好いいじゃない。学校でもモテるでしょう?」
「まあ、そうだね」
「同じクラスに居たら目の保養になるわねえ」
リュウには好きな人がいるんだ、なんてわざわざ教えることもない。うきうきしている姉ちゃんをあしらっていると、いっくんから連絡がきた。最寄り駅に着いたらしい。リュウやタケが道を知っているから、と迎えは断られたので、母さん達にそろそろ到着することを伝えておく。迷わなかったようで、そんなに時間がかからずにインターホンが鳴った。
皆を出迎えてすぐにリビングへ案内する。母さん達に挨拶を済ませてすぐ、いっくんが母さんに紙袋を手渡した。母さんは紙袋を少し覗いて、
「あら、ケーキ?」
「はい、良かったら家族の皆さんで」
早速箱を開けてみて、母さんと姉ちゃんが声をあげた。僕も姉ちゃんの後ろから覗いてみたら、フルーツケーキが数種類入っていた。鮮やかな見た目は女性受けも良さそうだ。そういえば先日会話の中で、いっくんに僕達家族が好きなフルーツは何か聞かれたことを思い出した。ケーキに目を輝かせて、母さんは礼を言っていた。
「お気遣いありがとう。美味しそうね」
「その店、俺の家族も好きなんですよ。オススメです」
つまらないもの、とは言わないのがいっくんらしい。四人でお金を出しあって用意してくれたらしいので皆にもお礼を言った。
ようやくリビングのローテーブルにそれぞれ教材を広げた。五人もいれば理系文系どちらもいるので、互いの苦手を補えるのはとても助かる。僕はナベさんに古文を教わっているし、リュウはいっくんとタケに生物で泣きつかれている。テストとは関係無く小論文の課題も出ているので、全員それぞれで唸りながら書いていく。とはいっても、集中力には限界があり、ついにタケが大の字に寝転んだ。
「もう無理、頭パンクする」
「やっぱりギブアップはタケが一番早かったなあ。ほら、ユウちゃん」
ナベさんに言われて、僕は渋々と頷く。大の字のまま、
「なんだよ、二人して」
「誰がギブアップを言い出すのが早いかって、俺とユウちゃんでジュース賭けてたんだよ。俺の勝ちな」
「勝手なことしてんなよ。ユウちゃんは誰に賭けたの?」
「いっくん」
俺かよ、といっくんも大の字になってしまって、リュウとタケも笑っていた。そんなとき、玄関のドアが開いた音がした。母さんが買い物に行くと言っていたので帰ってきたのだろう。リビングに入ってきたのは、単身赴任のはずの父さんだったから驚いた。父さんはあっけらかんとしていて、
「母さんには言ってたんだけどな」
「家族のグループチャットで教えてくれたらいいだろ」
「母さんに言ったからいいかと思って」
追ってリビングにやってきた母さんも特段気にしていない様子だった。おおらかと言うのか、そういう両親なので仕方ない。僕ら家族の会話を聞いて、リュウ達は少し焦ったような顔をしていた。示しあわせたかのようにリュウといっくんが立ち上がって、つられてタケとナベさんも続く。彼らは丁寧に父さんに挨拶をしていて、なんだか気恥ずかしくなる。父さんはビニール袋をガサガサと掲げながら、
「焼き肉食べよう」
と、満面の笑顔で答えた。四人は面食らっていて、その中でリュウが一番反応が早かった。
「俺達は夕方には帰りますので」
四人が頷いている。父さんは少し気まずそうに、
「そうだった、君達の予定も聞かずにすまない」
「いえ、用事があるというわけではなく。ユウスケ君のお父さんが単身赴任中とは聞いていたので、せっかくの家族の時間を邪魔するわけにはいきません」
四人はまた頷いた。確かに父さんは久し振りに帰ってきたが僕にも言っていなかったのが悪いわけで、リュウ達が気にすることはない。そう言おうとしたとき、今度は母さんが感激したようで、
「ユウスケのお友達は本当に良い子達ね。気にしないで、良かったらご飯食べていって」
「いえ、そこまでしていただくわけには……」
「男子高校生っていっぱい食べるだろうから、いっぱい肉を買ってきたんだ」
恐縮しているリュウをよそに、いっくんが父さんの持つビニール袋を覗き込んだ。タケとナベさんに振り返って、
「肉、めちゃくちゃ美味そう」
タケとナベさんの表情が輝く。リュウが引き止めようとしたところに、いっくんが続けた。
「せっかくユウちゃんのお父さんが用意してくれたんだぜ。ありがたく食わせてもらおうよ」
「でも……」
僕も続ける。
「ありがとうリュウ、気にしないでよ。用事ないんだったら、うちで飯食っていって。皆も」
本当に遠慮していただけで皆用事が無かったようだ。それぞれ家に連絡を入れて、まさかの焼き肉パーティーを開催することになった。
頭を使って腹が減っていたので、肉がどんどんなくなっていく。大人数で食べるのは久し振りだと、父さんは嬉しそうだ。母さんもリュウ達の食べっぷりが気持ちいいのか、おかわりを勧めている。
「ナベさん、次焼き肉のタレ貸して」
「どうぞ、タケ溢すなよ」
「溢さねえよ」
「タケ君、次あたしにも貸してくれる?」
「あ、ユウちゃんのお姉さん。ついでに入れましょうか?」
「あら、ありがとう」
四人はそれなりにコミュニケーション力があるから、あっという間に僕の家族と仲良くなっていた。姉ちゃんはタケにタレを小皿に注いでもらっているところで、リュウに話しかける。
「リュウ君、だっけ」
「はい」
「ユウスケと同じクラスなんだよね。ユウスケって学校だとどんな感じなの?」
姉ちゃんやめろよ、と口を挟もうとしたところを、すかさずいっくんに止められた。リュウはそんな僕を見てニヤリと笑いながら、
「そうですね……。普段はのんびりしてるけど、意外と頑固だなって思ってます」
「確かに。一度決めると基本譲らないところあるよな」
「おい、いっくん。僕のどこが頑固なんだよ」
「この前、購買でメロンパン売り切れてたとき、今日はメロンパンの気分なんだって、放課後コンビニで探してたじゃん」
「メロンパンの気分だったんだよ。食べないと気が済まなかったんだ」
僕が言うと、四人達は微笑ましいと言わんばかりに笑う。同い年なのにその態度が気恥ずかしくて睨んでみるけれど、四人は変わらずに笑うだけだった。そんな僕らを、これまた姉さんは微笑ましそうに眺めていて、
「そんな様子じゃ、彼女に笑われちゃうわよ」
と、爆弾のように言葉を落としていった。四人は知っているから笑っているだけだけれど、両親の反応は予想通りだった。父さんから声が漏れた。
「大きくなったなあ」
「親戚のおじさんみたいな言い方しないでよ」
「久しぶりに会ったからなあ」
「僕、どういう反応したらいいの……」
苦笑したリュウが助け船のように言った。
「頑固って言いましたけど、ユウちゃんは本当に良い奴なんですよ。友達想いなんです」
ふふ、と姉さんが、笑った。
「ユウスケ、良い友達に囲まれてるじゃない。こんな良い子達、女の子が放っておかないわ」
僕は反射的にドキリとした。思った通り、姉さんの矛先はリュウに向かった。
「君達は彼女いないの?」
いないっすよう、とタケが嘆いたが、すぐにニヤリと笑いながら、
「リュウもいっくんも、告られてるから時間の問題かもなあ」
「タケ、うるせえぞ」
と、いっくんは笑う。そして、ナベさんに彼女がいることを暴露することで、姉さんの矛先がナベさんに向いてしまった。あとでナベさんに謝ろうと思っていたところで気付いた。リュウの様子がほんの少しだけおかしい。ほんの少し、というのは、それなりに友人関係を続けてきた僕だから分かることだという自負だ。僕は小さい声でリュウにそっと声をかけた。
「リュウ、姉さん……というか、うちの家族がごめん」
「何で謝るんだよ、仲が良くて良い家族じゃん」
そう言うリュウだけれど、なんだかぎこちない態度に見える。僕が言葉を続けようとしたところに、いっくんが入ってきた。
「食い過ぎたんじゃねえの?リュウ、ちょっと外で休ませてもらえよ。ユウちゃん、ちょっと庭に出てもいい?」
「うん、いいよ……」
二人はリビングから続く縁側にそのまま腰掛けていた。二人が何を話していたかは分からないけれど、少なくとも僕が聞いていけないことだけはなんとなく理解した。五分、いや、十分くらいだろうか、二人がリビングには戻ってきた頃にはリュウは、晴れやかな表情とまではいかないが、幾分かマシな顔になっていた。
男子高校生の食欲とは恐ろしいもので、肉は綺麗になくなった。友人達の食べっぷりに満足している家族と一緒に、彼らの帰路を見送る。テスト勉強が実際にどれだけ捗ったかはさておき、いっくん達と夕飯まで仲良く過ごせたのはとても楽しかった。リュウやいっくんの態度に引っ掛かりを多少覚えたものの、焼き肉の後片付けに取り掛かったら忘れてしまった。僕が思い知らされるのは、このあと待ち構える修学旅行のときだった。
シーグラスの箱庭 橘かんな @Kanna-cr
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