第3話 メイド、メイドになる

 キッチンに滑り込んで、レシピを探した時に見かけたペティナイフを拝借する。わずかに遅れて追いかけてきた黒衣の男その三の鼻に肘鉄を喰らわせて、さらにキッチンの奥へと向かった。

 ドアを開ければ、そこそこ広さのあるぎっしりと棚の並んだ倉庫で、逃げ場もないが、容易には囲まれそうにない。途中で右に左に進路を変えながら、使えそうなものに目星を付けておいた。

 香辛料の袋にナイフを突き立て、引き寄せてから、中身を背後の追手の顔にぶちまけてまず一人。

 油の瓶を二つほど手にして、荷物の陰に身をひそめる。

 賊が近づいたところで、瓶を投げ、払いのけられる前にナイフで叩き割る。服や肌についたそれを拭おうとしてくれればめっけものだ。残った油は床にも撒いておく。ごついナイフも握りがしっかりしていなければ恐れることはない。繰り出されるナイフを避けつつ、油だまりに誘い込み、日々の柔軟の成果を見せつけるがごとく腕から鼻先までを蹴り上げ、二人目も潰す。

 もうひとり、いたはず。と、辺りに視線を走らせて振り返った鼻先に銃口が突き付けられた。


「……やはり、お前なのか」

「なんのこと?」

「『歌わない歌姫』。普通の娘を仕留めきれないわけがない」


 とぼけて小首を傾げて見せるけれど、男に効果はないようだった。


「生死は問わない。その顔を持ってきた者に賞金を。だったな。その首、今度こそ俺がもらい受ける」


 引き金にかかった指先を食い入るように見つめる。この距離で避けられるかは微妙だけど、諦めるのは主義じゃない。

 男の指先に力がこもるのと、私が身体を傾けるのと、男の額に穴が開くのは、ほぼ同時だった。


「……え?」


 銃声はしなかった。なんなら、人の気配も。

 どさりと倒れ込む黒衣の男に呆気に取られているうちに、倉庫の入り口から誰かが入ってくる。棚に積まれた物のおかげで、その姿は見えない。ペタペタと気の抜けた足音を隠す気もなく、だから、逃げようと思うよりはその正体が気になって、私はその人物が棚陰から姿を見せるのを待ってしまった。

 のちに、私はこのことを一生後悔する。


「困るなぁ。僕のクロテッドクリーム、まだできてないんだから」


 バスローブ一枚で、裸足のまま、なんなら髪から水も滴っている。

 モノクルはかけたままだけど、手に拳銃もない。思わず振り返って、当然のように誰もいないのを確認して(潜める場所もない)、ようやくぶるりと体が震えた。

 ヘムリグヘート男爵のもう一つの噂。

 『男爵は銃の名手である。しかし、銃を撃つところを誰も見たことがない』

 どんなトリックなのか、皆目見当もつかない。しかしたぶん恐らく、私は今、彼に助けられたのだ。


「掃除の片づけは後回しにして、そろそろ取り掛かってよ。ね?」


 クロテッドクリームのために。

 思わず頷いて、死体を飛び越えた。


「んん~。やっぱり、スコーンも欲しいかなぁ」

「はい」

「小麦粉は、ほら、君たちが落としたの拾っておいたんだよ」

「はい」

「バターはさ、ハナコがいるから」

「……」

「そうなると、ジャムも欲しいかなぁ。コケモモは庭になるんだよ。あ、洗濯物はその横に干す場所が」


 ちょっと冷静になって我に返ったのは、数日経って白いシーツの皺を伸ばしながら干している時だった。よく考えたら、私のことを助けたとか、何かしたとか、アイツは一言も言ってない。言葉巧みに要求の終了を引き延ばして、自分の世話をさせてるだけじゃ?!

 いや、こんなはずじゃ。

 近くの川で魚を釣ってきて「今夜のおかずー」なんて笑ってる男爵に、意を決して片手を差し出す。


「ナイフを、返してください」


 ふふん、と鼻で笑って、彼は久々に胡散臭い笑顔を貼り付けた。


「あー。気付いちゃった」


 一瞬、身構えたのだけど、男爵はいつもの能天気な調子でポケットからナイフを取り出して、私の手の上に乗せた。いつ用意したのか、ちゃんと革の鞘がついている。


「男爵……」


 油断ならない変人だと思っていたけれど、約束を守る気はあったのか。これで、心置きなくここを去れる。

 少しだけ、ほんの少しだけ私が感慨にふけっている間に、男爵は早足で家の中へと消えた。さよならも言わないのは、彼もまた寂しいからだろうか。変人だが、悪い人ではなかった……かもしれない。

 閉まったドアに一礼していると、隣の部屋の開いていた窓から彼が顔を出した。


「『歌わない歌姫』、結構な賞金額になってたね! 頑張って!」


 バタン、と閉まる窓の音に眉を寄せて顔を上げる。

 と、耳元を風を切る音が通り過ぎた。

 ドアに突き立つ、一本の矢。


「……ちょ……」


 慌てて家に入ろうとしても、ドアは固く閉ざされている。


「ちょっと!! 開けなさいよ!!」

「だって、もう出ていくんだろう? じゃあ、僕には関わりのないことだ」


 拗ねたような声を出しているけど、どう考えてもタイミングが良すぎる。


「アンタ、情報ばらまいたわね?!」


 言いながら、体を丸めて横に転がり、飛んでくる矢を避ける。


「どうだったかなぁ」

「何のつもりよ! いくらで売ったの!?」


 今さっき返してもらった愛用のナイフを取り出し、目の前に来た矢を払い落す。反射する光が思った以上にギラギラして、切れ味が上がっている。研ぎ直したのが嫌でもわかって、若干混乱する。


「売ってないよ? そんな一時しのぎのお金は要らないからね」


 人の懸賞金を一時しのぎとか!

 移動しても声がついてくるあたり、本当にいやらしい性格をしている。


「じゃあ、何が目的よ!」

「いやぁ。前回君を狙った賊の持ち物、けっこういいもの持っててさ」


 あ、なんとなく解った気がする。解りたくないけど。

 茂みから飛び出してきた男に回転蹴りを喰らわせて、吹っ飛ぶそいつを飛び出したもう一人にぶつけてやる。矢を射ているのは一人みたいだけど、追撃するには邪魔だ。バックステップで避けて、窓に張り付く。


「言ったでしょ? しばらく働きなよって」

「私は餌ってわけ?」

「やだなぁ。メイドさんでしょ」


 笑いを含んだ声がムカつく。とはいえ、彼のトリックを見破れるチャンスかもしれない。何かの切り札にはなるかも。


「わかったって言ったら、助けてくれるんでしょうね?」

「えー。僕の助けは必要なさそうだけど?」

「こいつら以上の実力者が網にかかった時にどうすんのかってことよ。ヘムリグヘート男爵がかくまってるなんて噂が広まったら、アンタだってただじゃいられないでしょ」

「へぇ。僕の実力を試そうっての? 悪いけど、腕力も体力もないからねぇ」

「射撃の名手って聞いたけど?」

「あ、は! ノーコンなんだけどね」


 どういう意味? と、瞬間気を取られて、飛んできた二本の矢のもう一本に気付き損ねた。あっと思う暇もなかった。窓が開いて、頭の横に男爵の腕が突き出される。何も持っていなかったその手に、ふっとリボルバー式の拳銃が現れた。

 一度、二度、三度。引き金が引かれる。銃声はやっぱりしない。おもちゃの拳銃で、子供が遊んでいるような。

 けれど、効果は確かにあった。目の前に迫った矢は粉々になり、飛びかかろうと体勢を立て直したひとりが崩れ落ちた。少しの差で、奥の木の上から何かが落ちる。


「これで、ご満足かな?」


 硝煙の匂いもなく、霞のように消え去った銃を持っていた手で私の頬をひと撫でして、その手は残りの男を指差した。

 くそったれ! 見たって何にもわかりゃしない!!

 同じように呆けていた私たちだったけど、僅かに先に我に返った方が生き残った。

 振り返れば、庭の花を愛でるようなのんきな顔で、男爵が窓枠に肘をついて手を振っている。


「さあ、お茶にしよう。のどが渇いた」


 してやられたような気がする。

 最悪だ。メイドなんて。人に仕えるなんて。小器用に何でもこなす自分が恨めしい。

 こうなったら、いつかきっとアイツの秘密を暴いて、軽やかにおさらばしてやるんだから!




🎩落ちぶれ男爵とワケありメイド・終🎩

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