第4話



 




 


 




 店内居るのは正装姿で佇むラズハイドだけ。

 そんな彼は、真っ赤になっているだろう私の顔を見て全てを理解したらしい。

 だけど、私は知らないことが多すぎる。


「……鳥族代表ってどういうことよ。警備隊の隊長じゃなかったの」

「間違いじゃないさ。俺が族長の息子なのと、外の国に詳しいからそういう立ち回りをよくまかされるだけだ」

「知らなかったわ」

「知っていたら君は逃げるだろう?」

 

 あまりにその通りで、私は唇を引き結ぶ。

 警備隊長ですら私は引け腰になったし、初めの頃はここまで優しくするのは、不審な人間の監視だったんじゃないかと思って警戒していた。

 ……そのあと髪結いを喜ばれているだけだと信じさせられたし、ほだされてしまったのだけど。

 

 きっと先に言われていたら、私は彼の言葉を国からの圧力としか感じなかっただろう。

 私が考えたことぐらい、ラズハイドはお見通しだ。

 肩をすくめるラズハイドに、私は髪から羽を引き抜いて見せつけた。


「じゃ、じゃあ、この羽は一体どういう意味なの!?『俺の都合』ってどんな都合よ。私が意味を知らないってわかってて揶揄っていたんじゃ……」

 

 羽を持った手を、ラズハイドに握り込まれた。

 彼の表情は笑っていなかった。


「からかうために渡すことは絶対ない」

 

 痛くなる寸前の強い力で押しとどめられる。

 私の心臓がどくんどくんと鼓動を打ちはじめる。


「俺の都合は、文字通りだよ。あんたが羽を持っていれば、他の男はよって来ないからな。俺が準備を終えるまでの時間稼ぎだ」

「別に、そんなことをしなくても、人間の私なんてかまわないでしょ」

「犬っころに求愛されて卒倒しかけたのは誰だい?」

 

 ぎくりとした私に、ラズハイドは目を細める。


「君は自分の魅力に自覚がなさ過ぎる。そのうえとても慎重だし、保守的だ。鳥族の羽の重要性を理解しているのに、俺が君に渡す意味を知ろうとしなかっただろう? 薄々気づいていても、人間というしがらみに縛られて、好意をまっすぐに受け止めようとしない」


 そうだろう? というラズハイドのまなざしから逃げようとしても、いつの間にか距離を詰められていた。

 私が丹精込めて手入れをした黒髪が、私を閉じ込める。

 逃げ場がない。


「だから、君が考えるだろう懸念事項を全部排除した。俺が族長の息子だろうと、鳥族の男だろうと、あんたが俺を信じざるを得ないようにな」

「懸念事項って……」

「人間と獣人の婚姻はたしかに多少の障害がある。族長の息子である俺は、多少は相手を選ばなければいけない。だが、今日の会合で鳥族の古い連中は君の腕を認めた。君が人間だからと反対する者はいない。言わば君は君の力で状況を打開したわけだな」

 

 まさか今日の髪型のオーダーがそんな大事な会合に出るためのものだとは思わなかった。

 唖然としていると、飄々とした鳥族の野郎は、にいっと笑って見せる。


「君がハイデ王国に置いてきた悩みの種も、さっきのやりとりで綺麗さっぱり解消できただろう? 君は国民権を得られる上に、もう帰る必要はない。もし父母が気になるのであれば、鳥族との優先貿易権をわたせば変わるだろうな」


 ラズハイドに、どうだ? と言わんばかりに解決策を蕩々と語られて、私はむむむと形容しがたい気持ちを抱えるしかない。

 たしかなのは、私がぐるぐる悩んでいたものを綺麗に払拭してくれてしまっているのだ。


「……それ、逃げないように囲い込んだ、とも言うんじゃないの?」   

「だが、ここまでしないと、君は俺を見てくれないだろう?」

 

 私の手からすっと羽を取り上げたラズハイドは、その羽を改めて私に差し出している。


「さて、マチルダ。鳥族と人間としての壁も、他国民としての垣根もなくした今、この羽を受け取ってくれるかい?」


 吐息が触れそうなほど近くで、じっと見つめられる。

 私の知らない場所で、知らない部分で、彼は用意周到に私を逃がさないように立ち回っていた。

 翡翠色の瞳は柔らかくとも、そこに灯るのは熱く燃えるような感情だ。

 触れたら焼けてしまいそうな強くほの暗い色に怯みそうになる。

 心臓がうるさい。自分の瞳が熱くなる。

 滲んだ視界のなかで、ラズハイドが戸惑うのが見えた。

 

「マチルダ? どうして泣いてる?」

「……わたし、は、鳥族じゃ、ないわ。人間、なのよ」


 ぼろぼろと制御できない涙が頬を伝う。

 勝手にやったことに腹立ちがあっても、ラズハイドがこれ以上ないほど愛情表現をしているのはわかっているのに。

 羽を渡されることが愛情だとしても、信じられないのだ。

 悔しい。悲しい。怖がる自分がいる。

 だって――……


「あなたから、言葉をもらっていないものっ。でなければわからないわ!」

 

 私は目を丸くするラズハイドの手にある羽をむしり取ると、ぎっと睨む。


「こんなに沢山のことをされて、好きにならないわけがないじゃない! あなたを飾るのは私だけがいい。一番側にいるのは私でいたい。でも私には、あなたにあげられる羽がないの……っ」


 こぼれる涙が邪魔だ。袖で乱雑に拭う。


「私が鳥族になれないように、あなたも、人間にはなれないわ。だからあなたが欲しい物が、私にはわからない。人間のことが、わからないあなたに、私は、不安になるの。それでも、あなたは、答えて、くれるの」


 自分の引きつる声が酷くて、嫌気がさす。 

 涙は次から次へと流れてきてしまって、前が見えない。

 これはもう仕方がない。だって私が一生懸命強がっていた殻をラズハイドがご丁寧に1枚1枚はがしていってしまったのだ。

 ふっと目の前が暗くなったと思ったら、力強く抱きしめられていた。

 硬い胸板に体が押しつけられる。


「愛してる」


 ひゅっと息を呑んだ。

 私が涙が引っこんで顔をあげると、ラズハイドと目が合う。


「好きだ。君だけがいい。君が俺を見てくれるようになるのなら、どんなことでもするさ。だが君の言うとおり、俺は人間の愛情表現には詳しくないから、他にどんなことをするんだ?」

「なんでそんなに、嬉しそうなの」

  

 あっけなく、ずっと欲しかった言葉が手に入り戸惑うしかないのに、ラズハイドは心底嬉しげに笑うのだ。


「あんたが初めて俺を求めてくれたんだぜ? ずっとずっと欲しくてたまらなかった女が手の中に落ちてきて、舞い上がらない男がどこにいるよ」


 ラズハイドは私が羽を持つ手を、愛おしげになぞる。なぞられた箇所からぞくぞくとした甘い震えが広がった。


「マチルダ、他になにが欲しい?」  


 もう完敗だ。

 この美しい鳥に捕まってしまったことを認めた私は、彼の体に身を預ける。


「……あなたの羽を、私につけて」

「それから?」

 

 すっと、頭に羽が挿されたあと、私は顔を上げて背伸びをする。


「キスをして」


 ラズハイドは目を細めて言うとおりにしてくれた。





 ハイデ国の大使は、大人しく国へ帰ったようだ。

 お父様から届いた手紙では、領地は平和だという知らせと共に、大量のじゃがいもが送られてきた。

 自分ではマッシュポテトにして食べて、お世話になっている人達に配ったら喜ばれた。

 私の美容院は今日も盛況だ。

 

 タリィも相変わらず常連でいてくれる。

やっぱり、「羽を褒める」ことは口説き文句の定番だったようで、彼女が初対面で照れた理由がようやくわかってすっきりした。

 ラズハイドに口止めされていた彼女も、女しか知らない鳥族事情をこっそり教えてくれるようになった。

 

 イステラも頻度は減ったけれど、来てくれていた。

 ただ、私の髪に常に飾られている青とオレンジの羽を見るたびに、泣きそうになるのはちょっとだけ申し訳ない。 

 最近増えた品の良い鳥族のお嬢さんやご婦人の客も、私が付けた羽を見ると曖昧な笑みを浮かべる。

 どう思われているのか想像はつくのだけど、これは慣れなきゃいけないことなんだろう。 

 今日のお客さんである桃色と黄色が愛らしい羽をした鳥族のお嬢さんは、三つ編みをたいそう気に入ってくれたようだ。

 けれど、それよりも興味津々なのは、私の髪飾りらしい。

 

「店主さん、あの、あの、そのラズハイド様の番なのですよね。ラズハイド様ってどのような……」 

「あーえーっと」

 

 期待の籠もった目で迫ってくる彼女に私がたじたじになっていると、ずっしりと肩に重みがかかる。

 予想がついた私が半眼で見上げると、背中から腕を回したラズハイドが小首をかしげていた。

 ラフな姿は明らかに寝起きの寛いだ様子で、けだるげな様がどこかなまめかしい。


「俺の番になにか用?」

 お嬢さんは顔を赤らめて、そそくさと去って行った。

 私はのしっと体重をかけてくる彼を睨む。


「お店に降りてくるのなら、きちんとした格好でってお願いしたはずだけど?」

「きちんとするために降りてきたのさ。マチルダ、髪を結ってくれ」

 

 ラズハイドは離れぎわに、私の頭頂部へ唇を落とす。

 たしかにキスをしてって言ったけど! ことあるごとにキスをしてくるようになって心臓がもたない。

 嬉しくないわけじゃない。衆目の前だと恥ずかしいだけで。

 毎日髪を結ぶのは、以前と変わらないけれど、彼が私の家を帰る場にしてくれたことで、知らなかった部分も沢山知ることができた。

 今でも、信じられないような気持ちだ。


「いつもと同じでいい?」

「ああ」

 

 私はラズハイドの美しい黒髪を手に取って、梳き始める。

 ふと視線を感じて顔を上げると、鏡越しにラズハイドと目が合った。


「今日の羽も良く似合うな」


 鳥族流の褒め言葉に、私はありがとうと返そうとしてちょっと苦笑する。

 見下ろすのは、今も彼の背にある青とオレンジの美しい翼だ。


「やっぱり、私にもあなたに贈る羽が欲しかったわ」

「そうかい? あんたが俺の髪を結うことがその代わりだと思っていたが?」

 

 まさにそのつもりで結んでいたから、私は気まずく視線をそらす。


「それに、俺は君に翼がなくて良かったと思うぜ」

「なぜ?」


 なくて良いとはどういうことか、戸惑う私に、にんまりと笑ったラズハイドは、鏡越しではなく振り仰いだ。


「あんたが飛んで逃げていく心配をしなくてすむ。ま、あったとしても全力で追いかけるけどな!」

 

 からっと笑いながら、とんでもないことをのたまうラズハイドに、私はタリィが教えてくれたことを思い出す。


『人間のあなたは不安だろうけど、鳥族はこれ! と決めた人と一緒になれたら、死に別れるまで離さないし、何でもしてみせるから。浮気はほんとうにやめてね』


「……あなた、つくづく私を離す気がないわねえ」

「もちろんさ。だから君色に染めてくれ」

 

 無防備に髪と翼を晒すのは、無条件の好意の証し。

 

「ええ、わかったわ。あと、お願いがあるのだけど……」


 私が言い出した途端、期待に満ちた目を向けてくるラズハイドに私は囁く。


「鳥族の愛情表現の仕方を教えて」

 

 身をかがめて、瞬く彼の唇をかすめ取る。

 浮気は、するつもりはないし、そもそも人を好きになることだってもうないだろう。

 私が恋をしたのは、美しくて独占欲がだいぶ強い、頑張り屋の鳥族だから。


 いつもよりもだいぶ時間をかけて仕上げた髪で、ラズハイドは心底上機嫌で仕事に行った。


《了》

 

 

 

 

  


   

 

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追放されて獣人の国に来た令嬢ですが、鳥族のイケメンがやたら羽をくれる。 道草家守 @mitikusa

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