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「兄さん、やめておいたほうがいいよ」

 立ち寄ったアイスクリームのキッチンカーでアルバイトの少女からそう忠告された。



 朝に宿を引き上げて無愛想な主人に料金を支払い(ハルカは結局値引き交渉をしなかった)、俺たちは隣国へ向かう列車に乗った。

 洗い立ての気持ちよい朝日に背を向けて一時間、最寄りの駅より手前で降車したのは、寝坊して朝食を食いはぐれたハルカが空腹を訴えてうるさかったからだ。

 こいつはいつも何かを食べている。呆れる俺に構いもせずにのっぽの食いしん坊は見つけたアイスクリームの看板に直行した。

 朝イチでアイスってどういうことだ! 俺は声高に叫びたい。考えただけでも胸焼けするのは、こればかりは年齢のせいだけではないと思うのだ。自分が二十代の頃だって、この男のように朝からアイスだのケーキだのは食べなかった。

 ともかくハルカはピスタチオとショコラの小洒落た二段重ねを買って、その場でちまちま舐めながらカウンターの少女と世間話をし始めた。


「やめたほうがいいって?」

 俺はカゴの中で小さくなって二人の会話を聞いている。

「街の方に行くんでしょ。あのあたり、最近魔物がよく出るようになって危ないそうよ。支部が近いから所属の写真家とか調教師とかがすぐに捕まえてくれるんだけど、地元の人もみんな怖がって出歩かないみたい」

「それは怖いねえ」

 相変わらず緊張感のない声で、しかし表情ばかりは困ったように奴は相づちを打っている。夏の装いとそばかすがいとけない少女は「だからお客さん減ってオーナーがぴりぴりしてるの」と小声で愚痴をこぼす。

「しかもね、あたしの学校の子も魔物見ちゃったらしいよ。目の前で人が頭打って大怪我しちゃって、まあ駆けつけたのが写真家だから無事だったみたいだけど、ショック受けて学校来られてないんだって」

 写真家が『なかったこと』にできるのはあくまで肉体や建物への物理的被害だけだ。痛みを受けた心的外傷や被害を目の当たりにした記憶は消えてくれない。


「ぼくらも気をつけなきゃ」

 コーンに垂れてきたアイスを舐めとりながらハルカはまた口を滑らせる。

「ぼく”ら”って?」

「あっ、ええと、ぼくと君」

 相変わらず学習しないしそのフォローも下手だ。ハルカの誤魔化しをどうとったのか、少女は少し頬を赤らめてえへへと照れた。

「兄さんは何してる人なの? 出稼ぎ?」

「そんなとこ」


 それからしばらく雑談は続いた。ハルカは自分の出自について込み入っていない部分をかいつまんで話し、少女の学校での噂話を楽しそうに聞いてやっていた。支部周辺の地域に出たという魔物についてもう少し情報を得たかったのだが、黙っていてこの男に頼みが通じるはずもない。俺はじりじりしながら二人の立ち話が終わるのを待つはめになった。

 アイスが食べ尽くされ、密かな期待がちらつく雑談が微笑ましくも恋人の有無や好きなタイプの内容に逸れ出したところで、ハルカは話を切り上げて少女と別れた。


 空気は読めないのに機微には敏い男で、しかもお人好しのくせに妙に慣れた対応だった。そのあたり詳しく突いてやりたい可笑しさに駆られたが、鬱陶しがられるに決まっているので堪えて事務的なことだけ囁く。

「魔物についてもう少し情報を集めてくれ。時期と頻度、被害の大きさと、解決の具合まで」

「了解。ところで何ニヤニヤしてるの? 気持ち悪い」

 若者は辛辣だ。



 途中で列車を降りたため想定より長く歩かせることとなった。ハルカは西へ西へ進みながら思い出したようにすれ違う人へ声を掛け魔物の情報を聞き出していく。

 半年ほど前からその出没は増えているらしい。それまで多くても三月に一度ほどだったのが、三月に二度、一月に一度となり、この頃は毎週のように出ているのだとか。


 魔物の生態について分からないことはまだ多い。広く研究が進められているにも関わらず、例えば発生原因だとか、何故人を襲うのかなど、解明されていなかった。

 魔物は急に現れる。山から降りてきたり海からのぼってきたりするわけではなく、ある日突然そこに出る。


 高頻度のゲリラ的破壊に日々脅かされた街は確かに全体から暗く沈んだ様子だった。

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ヘリオスの光条 綾乃 @night_and_day

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