ナイフ

* *



 小さな飛行機がくるくる飛んでいる。


 娘たちがキャアキャアと騒ぎながらそのラジコンを操作している。季節はいつだったか、よく晴れていて、濃い花の香に空気まで甘いようなそんな日和だ。

 俺はぼうっとベンチに座って遠く子供たちを見守っていた。その隣、同じベンチに座るその人は煙草をふかしている。煙は不思議に白くて苦かった。


「平和ね」

 妻が微笑む。

「こういう光景って何にも替えがたいものだと思うの。子供たちが何の憂いもなく笑って元気でいる」

「そうだな」俺は慣れたふうに頷いた。

 妻のララは出会った頃からよくこういったことを口にして俺にその理想を聞かせてくれた。病や怪我は恐れを呼び、未来への不安となる。だからそれらに怯えなくていい世界を作りたいのだと。

 確かにその通りだと俺は思っていたし、彼女の情熱と高潔な志を尊いものと仰いでいた。

 生まれつき体の弱かった俺たちの一人娘も、ララの治療と研究の甲斐あってみるみる元気になっている。自分の足で立って自由に駆け回ること以上に幸福なものがあるだろうか。娘の笑顔の他にこの世に望むものがあるだろうか。


「私、もっと頑張るわ」

 目を伏せ、ララは強い声で宣言する。背筋のしゃんとした希望に満ちた声だった。

 俺は彼女のほうへ顔を向け「無理はするなよ」と短く言った。それだけでは不足と思って何か付け加えようとしたとき、娘の泣き声が聞こえてきた。立ち上がってそちらに駆け行く。


 数歩のところで振り返る。木の根元、木漏れ日を浴びた古いベンチの上に妻の姿はどこにもなかった。

 娘の泣き声が呼んでいる。


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