峠の狼(前編)

 ――深夜2時 多代戸峠


 暗闇に包まれる峠に、甲高い音が近づいていた。暴力的なエキゾーストサウンドは夜の静寂を破り、煌々と光るヘッドライトは闇を払う。ガングレーメタリックのクーペボディにリアウィング、そして栄誉の証である赤いRのバッジは満月の光を受けてほのかに光輝いていた。急なコーナーも、ヘアピンカーブも高い運動性能により難なく高速でクリアしていく。その車が残していく光の筋は、まさしく峠と夜空を区切る稜線であった。


 運悪く――いや、運良くこの車と出会い、戦いを挑み敗れたドライバーは皆口々にこう言った。


「あれは、まさしく峠の狼だ」






 


「峠の狼……ですか?」


 聞き慣れない言葉に首を傾げるセブン。


「そう!毎週火曜日に峠にやってくるヤツなんだけどよ、ソイツが超速くて誰も歯が立たないんだ!」


「ボク達も何度か遭遇して勝負を挑んだんだけど全員ボロ負けしたんですよ」


「ありゃあ本当に狼だったっス!」


 興奮気味な男3人――タカシ、ヨシキ、エイタの話をセブンは書類を整理しながらいつもの無表情で聞いていた。彼らは店の近くにある多代戸峠を拠点としている走り屋チームのメンバーであり、この店の常連客だ。


「それで……なぜ私にその話を?」


「ソイツを是非セブンちゃんとエリックさんが倒して欲しいんだ!」


チームリーダーのタカシが真剣な表情でセブンに頼み込む。


「私がですか?」


「俺達のチームは全員歯が立たなかったんだ。この峠で速いヤツって言ったら二人しかいねえ……頼む!このままじゃこの峠を攻める走り屋達のメンツがズタボロになっちまう!」


 3人は必死になって懇願するがセブンは相変わらず無表情のまま書類の束をまとめている。


「オレ達の頼み、どうしても聞いてくれないのかい?」


「何もメリットがありませんので」


「そっか……なら、メリットがあるなら聞いてくれるってことだよな」


 するとタカシはジーパンのポケットから一枚の赤い紙を取り出した。


「もし頼みを聞いてくれたら、この四川軒特製麻婆豆腐食べ放題チケットをあげるって言ったら……?」


 その瞬間、書類をまとめていたセブンの手がピタリと止まった。









 ――深夜1時 多代戸峠


 峠の入口近くにあるコンビニに赤いスポーツカー――三菱 ランサーエボリューションⅤが停まっていた。WRC世界ラリー選手権を制するために作り上げられたセダンボディーは、まるでアスリートの引き締まった筋肉のような印象を放つ。そしてリアには巨大なリアスポイラーが装着され、フロントには大きなフォグランプが輝いている。大げさに見える装備の数々は、この車においては全て意味のあるものなのだ。


 車の周りには三日前に店を訪れていた男性3人がジュースを飲みながらセブンの到着を待っていた。


「お、きたきた」


 特徴的なロータリーサウンドとともに二人が乗るメタリックグレーのRX-7がやって来た。ランエボⅤの横に停車すると、コンビニの照明に照らされボディーとともに銀狼のステッカーが光り輝く。


「二人とも待ってたぜ」


 しかし、降りてきたのはセブンただ一人だけだった。


「あれ、エリックさんは……?」


「今日は四川軒で麻雀の約束があるから来れないと」


「なああ……マジか……」


「私だけでは役不足ですか?」


 落胆するタカシにセブンは自信に満ち溢れた声音で語りかける。その顔はどこか笑みを浮かべているように見えた。


「……そうだな、すまん。セブンちゃんだけでも来てくれて嬉しいよ」


「これからどうするんですか?」


「最初はウォーミングアップも兼ねてヒルクライムとダウンヒルを交互にやりながら軽く流していく。途中でヤツが来たらそのままローリングスタートで勝負をかけていくつもりだ。ああ、二人は入口と展望台で待って一般車を見ていてくれないか?」


「任せてくださいッス!」


「二人は安心して勝負に集中してください」


 一通りの説明を終えるとエイタは入口付近で、ヨシキはタカシとともに展望台へと向かい一般車のチェックにまわった。


「最初はダウンヒルだ」


「はい。お願いします」


 その後、セブンとタカシはウォーミングアップへと取り掛かった。深夜ということで一般車の往来はほぼなく、たまに走り屋と思しきスポーツカーとすれ違うぐらいだった。


「あの……さっきからパンパンうるさいです。なんなのですか?」


 見ると先頭を走るランエボⅤのマフラーから銃声のような音とともに炎が吹き上がっていた。


『これがオレの秘密兵器"ミスファイアリングシステム"さ。コイツがありゃコーナーでもターボラグが起きずに速く走れるんだぜ』


「でもやっぱりうるさいです」


『ガーン……』


 そんなこんなで時刻は深夜2時に差し掛かろうとしていた。二人は4回目のヒルクライムに臨もうと準備をしていると、突然セブンが何かに気づき顔を上げる。


「セブンちゃん、どうした?」


「スポーツカーのようなエンジン音が聞こえてきたのですが」


 タカシとチェック役のエイタは耳を傾けたが、彼らには何も聞こえなかった。


「何も聞こえないっすけど……」


 その直後、タカシとエイタの耳に荒々しいエンジン音が微かに入ってくる。音の主はこちらに向かっているようで徐々に大きくなってきていた。


「このエンジン音……急げセブンちゃん!ヤツが……が来るぞ!!」


 二人はすぐさま車に乗り込み、エンジンを空吹かしながら峠の狼がやってくるのをじっと待っていた。ドライバーの額にはじんわりと汗が滲み出ており、心臓は警鐘のように鼓動している。


 そして、バックミラーに煌々と光るヘッドライトが映った瞬間、2台は爆音を上げスタートする。


 ガングレーメタリックのクーペボディから甲高い咆哮を撒き散らすRB26DETTエンジン、フロントには炎のようなデザインをしたSのエンブレムが怪しく光り輝く。


 その名前と赤いRのバッジは許された者のみに贈られる栄誉の証。2代目から16年の時を経て、再び栄光の名を冠した車――日産 スカイラインGT-R NISMO(R32)が二人に襲い掛かる。

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カスタマイズショップ13Bの日常〜凶界の吸血鬼短編集〜 管理人 @Omothymus_schioedtei

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