ディア マイ ヒロイン

衣草薫

第1話

「かすみ、今月のプチパイン、見た!?」

 そう言ったのは、ぐるぐるにマフラーを巻きつけたアイちゃん。

 教室に入って来るなり、忍者みたいな足取りで私の席にやって来る。

 あ、アイちゃん、本屋さん寄ってきたんだなって、すぐわかった。だってその目はらんらんとしていて、隠しているけど背中に隠しているものが見えてる。それが可愛くて、もうとっくにチェック済みなのだけど、わたしはあえて「ううん、まだなんだ」と答えた。

 それを聞いたアイちゃんは鼻の穴を膨らませ、もったいぶった感じで、その雑誌を私の前に掲げる。

「じゃあーーん!」

「あ、今日発売のやつ!」

「八時から開いてる本屋さんあってさ。朝イチで買ってきた!」

「すごい! うわ、読ませて読ませて!」

 表紙には可愛くポーズを決めた女の子たち。プチパインは、いま女子中学生の間では知らぬものはない、大人気のファッション誌で、私、雪宮かすみも愛読している。

 実は近くに早売りをしてる本屋があって、この号もおとといには入手し、すでに読破している。これを読めば、トレンドのファッションもメイクもエンタメもすぐにわかる、いまやJCのマストアイテムなのだが、私がこれを読んでいるのはそれだけが理由ではなくて。

「やっぱさあ、アヤメちゃん、可愛すぎるう~」

 そう、三人の女の子でのうち、真ん中でほほ笑む、専属モデルの榎本アヤメちゃん。彼女はなんと、私たちのクラスメイトなのだ。クラスで、いや、学年で、いいや、この学校で一番の美少女。高校は芸能コースがあるところを受けるらしいとか、イケメンアイドルグループの誰かと付き合っているとか、いろいろな噂が絶えない有名人。

 入学式の日、初めてアヤメちゃんを見たとき、可愛くて可愛くて、ひっくり返るかと思った。米粒かと思うほどの小顔に、ぱっちりしたアーモンドアイ。足の細さなんて私の半分くらいしかないのではないか? と思うほどのスタイル。私にはないものをいっぱい持っている彼女がモデルのオーディションに受かったのは一年前、中一の秋。それから私は毎月欠かさず、おこづかいでプチパインを買っている。

「でもさ、あの噂ってほんとかなあ?」

 ふとアイちゃんが、まだ人の少ない教室で、声をひそめて言う。

「うわさ?」

「アヤメちゃんが、高野くんとつきあってるって」

「ええっ⁉」

 私が大きい声を出したので、アイちゃんが慌てたようにシーッ、と口に手を当てた。

「そんなの……初めて聞いた」

「だから噂だって。でもさ、お似合いだと思わない?」

 確かにそうだ。私は半分納得した。というのも、高野くんも同じクラスメイトで、この学校ではアヤメちゃんに負けず劣らずの有名人だから。人気アイドルだって裸足で逃げだすようなルックスに加えて、怒ってる顔なんて見たことないくらい穏やかな性格は、リアル王子様と言っても差し支えない。

「入学して一週間で、学年の女子の半分以上から告白されたらしいし」

「そうかあ……でもまあ、お似合いだよね。美男美女だもの」

「高野くんもそのうち、芸能活動とか始めそうだよね、うわさによると、もう何社かスカウトが来てるらしいよ」

 どこから仕入れてくるのか、週刊誌の記者ばりにゴシップネタに目がないアイちゃんは、いつもこんなふうに情報を教えてくれる。いつもは正直半信半疑なんだけど、この話については、そこそこ信ぴょう性はあると思う。顔だけじゃない、それだけ二人の存在感はとびぬけているのだ。二人並べばそこだけ空気が違うみたいに華やかで、他人を寄せ付けない雰囲気があった。

「歌もダンスもうまいんだって。うちのクラスから二人も芸能人出たらやばくない?」

 私はぼそ、とため息をつきながら言う。

「そりゃ、かっこいいもん。背も高いし、運動もできるし、何より……優しいし」

 だから絶対言わない。私も高野くんが気になっているなんてことは。間違っても口に出したらいけないのだ。こみ上げてきた思いを飲み込んで、いちファンを演じて見せる。そんなふうに推しトークをアイちゃんと繰り広げていると、ふと頭上から声が降ってきた。

「ちょっと、そこ邪魔なんだけど」

「ああ、ごめんなさい……」

 アイちゃんが慌てて、通路側から私の方に身を寄せる。その人は私たちを一瞥し、何も言わず、ぶすっとした顔で私たちの横を通り抜けた。

「何よアイツ、感じ悪! もっと空いてる通路あるだろ~」

 そのまま教卓の前の席に着いた彼を見て――天野くんという――アイちゃんが眉をひそめる。

「だから友達いないんだよ」

 天野くん。中一のころからクラスは同じだけど、話したことは数えるほどしかない。それも多分、

「先生が呼んでるよ」

「わかった」

 くらい。記憶を呼び起こしても、びっくりするくらい関わりがない。というのも、天野くんが極度の人間嫌いなのだ。多分。話しかけたって、ぎろ、とヘビみたいな鋭い目で睨んでくるし。それは男女問わず、生徒とか先生とかも関係ない。

 それでも「ぼっち」ではなく「一匹狼」と言われるのは、彼にもまた、独特な存在感があるからだろう。

「顔はまあまあいいけど、性格がアレじゃあね」

 アイちゃんが肩をすくめる。人が増えてきて、なんとなく話を続けにくくなったから、二人で占いコーナーのページを開いた。

 私は十月生まれ。なになに、今月は恋愛運マックス? 今月は男子と仲良くなるチャンス! 意中の人がいるなら積極的に! カレも答えてくれる、かも……!?

「かすみ、高野くんと付き合えたりして」

 アイちゃんの真ん丸の頭を軽く小突く。まったく、彼氏持ちだからって余裕だなあ。

 やがてアヤメちゃんと高野くんが揃って登場したときは、教室内で小さな悲鳴が上がった。ざわつく教室、つきんと針で刺されたみたいな痛みを押し殺して、私は数学の教科書を鞄から取りだした。


「それじゃあ今決まったメンバーで集まって」

 肝っ玉母さんみたいな雰囲気の担任の先生が、教室を見回して言った。

 でも、わたしはくじ引きでひいた紙を見つめ、呆然とするほかなかった。目の前が真っ白なのか、真っ暗なのかわからない。え、なにが起きた? なんで、どうしてこんなことになるわけ? 恐る恐る顔を上げたら、そこには恐ろしく形の良い目や鼻やくちびる。いつもは下ろされているつやっつやの髪の毛は、いまはポニーテールになって揺れていた。

「雪宮かすみちゃん……だよね? よろしく」

 プチパインの紙面に載っていたのと同じ笑顔がいま、自分に向けられている。

「おれも、よろしくね、雪宮さん」

 流れるようなウインクをできる人なんて、一人しかいない。

「……」

 最後の班員は、いつも通り不機嫌そう。「う、うん、よろしくね」――私はなんとか頬の筋肉を動かして、必死に笑顔を作って見せる。どうしてこんなことに。よりによってなぜ、このメンツ? ある意味、クラスのオールスター集結だ。同情か嫉妬かはたまた好奇か、とにかく周りの視線が痛い。アイちゃんを見たら、口を抑えて笑っていた。まったく、自分は彼氏と一緒の班になれたからって浮かれてるらしい。そんな中、のん気な声でプリントを配りながら先生が言った。

「修学旅行の醍醐味は、二日目の自由行動日よ~。二週間後、観光会社の方にみなさんのプランを見てもらうから、それまでに計画票を完成させてね」

 近くの席に座りながら、プリントを四人で囲む。

「二週間後かあ。放課後とか、時間決めて集まろうか?」

 ああ、高野くん、声までかっこいい。ちょっとハスキーで掠れる感じ。聞きほれていたら、アヤメちゃんがそれに答える。

「あたし、放課後はお仕事あったりするから……明後日なら大丈夫だけど」

「ああ、明後日は俺が部活だわ」ううん、と高野くんが腕を組む。「それじゃあさ、分担しない?」

「分担?」

 私とアヤメちゃんの声が重なる。

「そう。とりあえず行きたいところをピックアップして、2・2に別れて調べようよ。それで最後に、つなぎ合わせてルートを作ればいい」

 私が口を出す前に、アヤメちゃんが「それいいじゃん!」と手を叩いた。

「それなら時間の都合も付きそうだし。ね?」

 私は素直に頷いた。でも横の一匹狼は、やっぱりむすっとした顔でそっぽを向いたまま。

「ま、じゃあそれで決まりね」高野くんが苦笑する。「それじゃあ、どういう組み合わせでやるかだけど……」

「男女の方がいいと思う、男子はサボりがちだから~」

 アヤメちゃんが口に手を当てて、ケラケラと笑いながら言った。

 ああ、アヤメちゃん、笑い方も可愛い……。

 じゃなくて!

 も、もしかして高野くんとペアになれるかもしれないってこと!?

 心臓がさらに早く、大きく鳴りだす。

 二人っきりで図書館とか行く? いや、まさか、そんな。でもどうしよう、どうしよう、どうしよう。そんなことになったら、絶対に心臓が持たない。やばい、やばすぎる。もしかしたらこれは、十四年間の人生の中で、一世一代の大勝負かもしれない。

 グーとパー、どっちを出すか。こぶしを握り締めて頭をフル回転。

 ところが。

 アヤメちゃんが、ふいに高野くんの方を向いて言った。

「うち、高野くんと家近いんだよね」

 その言葉に、ぴた、と思考が停止する。

「たしかに、おれとアヤメが組んだ方が効率いいかも」

 え。

「でしょでしょ?」

 え、え。

「うん。じゃあうちと高野くん、雪宮さんと天野くんにしよ」

 この間、ほんの十数秒。

 期待と妄想が、ガラガラと音を立てて崩れていく。でもお天道様みたいにきらっきらの笑顔を向けられて、私はまたもや、こくりと頷かざるを得なかった。

 がっかりした、なんて顔に出してはいけない。そんなのバレたら恥ずかしい。まさか、私ごときがこの二人の間に割り込めると思っていたの? 顔が熱くなるのを、自分に悪態をつくことで誤魔化す。だから「私もそう思う!」という顔をして、何度も首を立て振って見せた。

 不満なんかないよって。わきまえてるから大丈夫。

 じゃあ決まり! 高野くんのその言葉で、ペア決めの話は終わった。それからは行きたいところを各々挙げて、その場所について、何があるかとか、交通機関とかを調べてくることになった。どう考えても、四人で考えたほうが早くない? という言葉は、最後まで口にすることはできなかった。

 だがそれより、心を騒めかせるものがある。高野くんと組めなかったこともそうだけど、それだけじゃなくて。私は心の中でため息をついた。隣には相変わらず、腕を組んだまま、ヤンキーみたいに目元にしわを寄せている人物。二人が早々にペアになったのは、このクラスの問題児と組みたくなかったからではと邪推してしまう。

「あ、天野くん、よろしくね……」

「……めんどくせえ」

 だめだこりゃ。

 プチパイン、ファッションやメイクは参考になるけど、占いはそうでもないらしい。


 高野くんを好きになったのは、半年前、同じクラスになったその日のこと。

 珍しく始業式の日まで桜が咲いていて、私はテンションが高かった。私は手芸部に入っているのだけど、どんな後輩が来るのかな、とか、クラス分けはどうなってるのかな、とか。そんなことを考えながら通学路の商店街をスキップしていたら、横道から出てきた人にぶつかって転んでしまった。そりゃもう盛大に。今でも鮮明に覚えてる、それがお花屋さんの前だったことや、近くのサラリーマンに憐れみの目で見られたこととか。たぶん、顔は真っ赤になっていただろう。平謝りで立ち上がろうとしたとき――そう、彼が声をかけてくれたのだ。

「ごめんね、大丈夫?」

 心配そうな顔で差し出してくれた手を、忘れることはできない。たったそれだけ、たぶん高野くんからしたら、ただの日常の一ページ。でも私にとっては、人生の表紙になるくらいの出来事だったのだ。

「おい、聞いてるのかよ」

「あ、ごめん!」

 声をかけられてはっとした。赤くなった鼻をすすりながら、天野くんがジトっとした目で見てくる。私は慌てて、PCの画面に目を戻した。いま私たちはいろんなホームページを見て、京都の観光情報を探している最中だった。

「で、なんだっけ」

「清水寺と金閣寺が離れてるって話だよ」

 ぎし、と背もたれにがっしりした背中を預けて、天野くんが言う。意外にも、天野くんは二人になるとそこそこちゃんとコミュニケーションが取れた。会話が成り立つことに感動し(失礼)、私はうんうん、と隣のPC画面を覗き込む。

「たしかに……。十六時までにホテルに戻ってこれるかな」

「クソ、あいつらもちゃんと考えているんだろうな」

 思わず苦笑いした。行き先を決めるとき、アヤメちゃんが清水寺と金閣寺に嵐山にいきたいと主張して、それがそのまま採用された。その時は何とも思わなかったけど、いざ調べてみると結構な弾丸旅行になりそうだった。私たちが嵐山を、アヤメちゃんと高野くんが金閣寺と清水寺を担当することになったのだけれど(これはジャンケンできめた)、自由時間自体がそこまで長くないので、行き来だけで時間を食ってしまう感があった。

「先に順番決めて、それから細かく決めてくべきだったね……」

 ちょっとやばいのではないか? というムードの中、なんとかアヤメちゃんの希望通り、嵐山で美味しいお昼を食べられるところを探し、渡月橋とか竹林とか天龍寺とか、その他の名所をリストアップしておいた。それから他の場所へ向かうルートや時間配分も、なんとなく考えておく。それでも、土地勘のない場所での、効率の良い計画を作るのには骨が折れた。

「ま、とりあえずこんな感じかなあ」

 下校を促す放送が流れたころ、ようやくそれっぽい計画が出来上がった。あとはアヤメちゃんたちが調べてくれた清水寺や金閣寺の情報と合わせて、四人で完成させればオッケーだ。どうなることかと思いきや、なんとか形になったことにほっとする。それは天野くんが細かいところに気が付く人で、私が考えた案に、「順番はこうがいい」とか「それじゃバスの時間が間に合わない」とか、的確な意見をくれた部分が大きいのだけれど。

 何度も書き直したルーズリーフはちょっと汚いから、また清書することにしよう。関節がぼきぼきと鳴ってしまうくらい疲れたけれど、頑張ってよかった。

「ありがとう。天野くん」

「……」

 PC室を出たら、いつもの無口な天野くんに戻ってしまった。でも、いつもはガチガチに張られているバリアが少し薄くなった気がする。話しかけてみようかな。口を開きかけたとき、天野くんが私とは反対方向を向いて、盛大なくしゃみをした。今日、ずいぶんと咳やくしゃみが多かったこと思い出し、私は天野くんの顔を覗き込む。

「花粉症?」

「ちげえよ」

「なんでわかるの? 秋にもなるやつあるよね、ブタクサとか」

「……うち花屋だから。花粉症になんてなるかよ」

 花屋だから花粉症にならないという論理の是非は置いておいて。

「ええ!? お花屋さんなの⁉」

 そのコワモテで!?

 と、随分失礼なことを考えてしまった。お花の繊細なイメージと、無骨な天野くんが、どうしてもリンクしない。

「そ、そうなんだ……」

「……」

 学校を出て、街灯がともり始めた商店街を歩く。夕方と夜の境目に、閉まり始めた商店街はちょっとさみしい。

 会話が途切れて私たちの間には、通行人の話し声とか、どこかのスピーカーから流れてくる音楽だけになる。商店街も半分を過ぎたあたりで、ふと、天野くんが足を止めた。

「うち、ここだから」

 あっ、と声を上げた。

「そっか、天野くんのうち、ここだったんだ」

 そこは商店街で唯一の花屋。なんてったって半年前、この店の前ですっころんだ。見上げた看板には、「フラワーショップ・アマノ」。なるほど、まったく気づかなかった。

「あ、カスミソウ売ってる」

 ハロウィンが近いからか、お店はオレンジや黄色の花に、怪しげな紫の花を中心にディスプレイしていた。ガーベラやカーネーション、アヤメにシクラメン。そのわきに、白いカスミソウもある。ちなみに私の「かすみ」という名前は、ここからきている。

「じゃあ、またあしたね」

 無言だったけれど、天野くんが小さく頷いたのを、私は見逃さなかった。

私は思った。たぶん天野くんは、そんなに怖い人じゃない。足取りが軽くなる。スキップしたら転んでしまうから、駆け足気味に。

 寝る前、ベッドに寝転んで、本棚からプチパインを取りだして広げる。なんだか夢みたい。高野くんと同じ班になれるなんて。もちろん、そういう関係になりたいわけじゃない、だけどシンプルに好きな人が近くにいるのは嬉しい。

 天野くんとも、上手くやれる気がする。それに……アヤメちゃんとも友達になれるかもしれない。

 ああ、なんだか修学旅行楽しみかも。

 その日はなんだかワクワクして、遠足前の子供みたいに眠れなかった。

 

 でも、ことはそう上手くはいかない。

 あの日以来、なんと天野くんは熱を出して四日間学校を休んだ。

「インフルになった」と短いメッセージ。「大丈夫?」って聞いたら、「別に」と返ってきた。やれやれ――そう思っていたら、「お前は?」と続いた。「私は大丈夫!!!」とビックリマークをいっぱい付けて返す。なのに、「あっそう」とだけ。もはやそんなそっけなさすら、面白く感じてる。

 問題は、明日の自由行動日の計画発表だ。天野くんがいない四日間、待てども待てども、アヤメちゃんたちからなにか言ってくることはなかった。最終的に全員で計画をすり合わせないといけないのに。便りがないのは順調に進んでいる証。そう自分に言い聞かせるけど、さすがに前日になっても何の音沙汰もないと不安になる。

 私たちの担当部分は、しっかりと清書して、交通機関の情報や、予定時刻なんかも書き込んである。天野くんとやり取りしながら、私が完成させておいたのだ。

 連絡してみようかと、インスタを開いては閉じ、開いては閉じ、結局打ち込んだ文字列を消すのを繰り返した。そのうち状況を察して、しびれを切らした天野くんが、

「おい、お前らの担当分は進んでんのかよ。金曜のホームルームまでに計画まとめんだぞ」

 とグループトークに投稿する。だが、私以外反応がない。結局私は重い腰を上げ、発表前日、ホームルームが終わったあと、おずおずとアヤメちゃんに話しかけた。

「アヤメちゃん、その、修学旅行のプランのことなんだけど……」

「ん? ああ、忘れてた! ごめんごめん、ちょっと待ってね」

 アヤメちゃんは私越しに、「天野くーん」と呼んだ。

「修学旅行のやつ。ルーズリーフに描いたじゃん、あれ持ってる?」

「ああ、ちょっと待って」

 天野くんが、ガサゴソと鞄を漁る。一枚のファイルを取りだし、はい、と私たちに見せた。

「……え?」

 私は目が点になった。そこに書いてあったのは、

『嵐山いく(ここでゴハン!)→清水寺行く→ギオン見る→金閣寺行く→銀閣寺行く』

 の、一行。

 え?

 目が点になった(たぶん)私に、キラキラスマイルのアヤメちゃんが、顔の前で手を合わせて言った。

「ごめん、かすみちゃん。うち忙しくて、あんまり調べられなかったの」

「そ、そうなんだ……」

「実は今日もモデルのお仕事があって……」

「あ、うん、」

「申し訳ないんだけど、計画票、完成させておいてもらってもいいかな?」

 いいかな? いいかな? いいかな?……その言葉がリフレイン。

 数秒フリーズ。いやいや、そんな理不尽な! 私が言葉を失ったのを見て、高野くんが間に入る。

「ごめんね、雪宮さん」

 それはいつもの優しい笑顔。あの時と同じ、やさしい顔だ。

「アヤメ、雑誌で単独のコーナー貰うことになって、その準備で忙しいみたいなんだ。だから……今回は、助けてもらえると嬉しいな」

 そうなんだ。じゃあしょうがないよね。私が全部、やっておくよ。

 二人はきっと、私がそう言うと思ってる。

「た、高野くんは……?」

「おれ?」

 意表を突かれたみたいに、一瞬、真の抜けた顔になる、でもすぐにいつもの王子様フェイスに戻ってこう言った。

「えっと、おれは今日部活あってさ」

 だからごめんね。

 そこに会ったのは優しい拒絶。私はうんと頷いた。これもいつも通り。二人は謝りながら、さっさと教室を出て行く。

「……」 

 走り書きのルーズリーフ。持っている部分が、汗でしめった。

「あれ、かすみ、どうかした? 早く部活行こ?」

 掃除を終えたアイちゃんが、話しかけてきたことで我に返る。私は虚空を見つめながら、アイちゃんに謝った。

「ごめんアイちゃん。今日、部活、出られなくなっちゃった」

心配そうなアイちゃんに、「大丈夫、ごめんね」とだけ言って、私はとぼとぼとPC室に向かった。

 しょうがないよ。だって、お仕事だもん。

 じわりとこみ上げる涙を拭いながら、私は自分に言い聞かせる。

 だってそうでしょ。アヤメちゃんは、他に変えられない仕事。アヤメちゃんにしかできないことをしに行くのだ。サッカー部のエースだってそう。一方私は、部活を休んだところで、大した問題も起きない。だったら、これが一番じゃん……。

 友達になれるかもなんて、仲良くなれるかもなんて、おこがましかった。二人の眼中に私は入っていない。少しでも調子に乗った自分が空しい。カスミソウは主役にはなれない。そんなこと、わかっていたはずなのに。

 首を振って、頭の中のモヤモヤを端っこに追いやる。いまはやらなきゃいけないことがある。すぐに終わるよ、しっかり準備しておいたじゃん。

 でも、改めてもらったルーズリーフをよく見て、私は固まった。

「銀閣寺⁉」

 想定外の文字に、涙も引っ込んだ。ちょ、ちょっと待って。ただでさえ一杯一杯なのに、ここに銀閣寺を入れるとなると……。金閣寺との距離はバスで言っても三十分、滞在時間を考えると厳しい。でも、書いてあるからには入れないと、あとで何を言われるかわからない。

 結局家まで持ち帰って、ああでもないこうでもないと試行錯誤。寝る直前まで考えて、なんとか銀閣寺をねじ込んだが、自分でもかなり無理のある計画だとわかる。

 それからは心臓に重りがついているんじゃないかと思うほど沈んだ気分だった。ダメといわれたらどうしよう、でもこれじゃどうしようもない……。


「うーん、これじゃちょっと詰め込みすぎかなあ」

 アドバイザーとしてやってきた観光会社の人は、眉毛をハの字にしながら言った。言葉を選んでいるのがよーく伝わってきて、いたたまれない気持ちになる。他の班は全員、一発オッケーか、ちょこちょこっと直せば済む話だったというのに、うちの班だけ、完全にボツを食らってしまった。

「まずは一つか二つ、場所を減らした方がいいかな。銀閣寺を止めるか、それか順番を変えて……」

 さすがプロ、穴だらけのプランを埋めるように、的確な意見を出してくれる。私は一つ一つ、必死にメモを取った。でもそれは多分、二人の顔を見るのが怖かったから。

「……って感じかな。今日中なら校内にいるので、出来上がったら見せに来てください」

「ほんとうにすいません……。みんな、十七時までには終わらせて持ってきなさい。いいわね」

 腰に手を当てた先生が、私たち四人を見回す。想像通り、改めてプランを提出することになってしまった。しかも今日中に。そんな中、アヤメちゃんが静かに手を挙げた。

「先生、うち仕事があって、早く帰らないといけないんですけど……」

「ええ? 今日? 榎本さん、今日仕事があるの? そんな届け出見てないけど?」

 先生が怪訝な表情になる。

「あ、えっと、」

「仕事のある日は、ちゃんと書類を出すって約束よね?」

「それは……」

「届け出なしに仕事はできないはずよ。どうなの?」

「あ、すいません。勘違いでした」

 手帳をぱらぱらとめくり、アヤメちゃんがごまかすように笑う。「もう、今日の十七時までだからね」と念を押して、先生が去って行く。無言。重苦しい雰囲気、顔を上げられない私。みんな席に戻って、と先生。各々が席に戻る中、アヤメちゃんが、ぼそっとつぶやいた。

「もう、頼んだことくらい、ちゃんとやってほしい……」

 それに続いて、誰かの失笑。それが高野くんのものだなんて、思いたくなかった。

 だって、あんなに優しくて、王子様みたいに穏やかな高野くんが、そんなことするはずないもん。

 なのに。現実は、とっても冷たい。

「おれらにこんなことやらせんなよな」

 もうちょっと頑張ればよかった。徹夜でもすればよかった。一つじゃなくて、いくつか案を出せばよかった。そうだ、もっと努力すればよかった……。

 後悔が涙となって、こぼれそうになったとき。

 ドン!!

 天野くんが、座っていた机を、思いっきり叩いた。

 教室が一斉に静まり返る。

「ちょっと、どうしたの?」

 でも天野くんは、先生の声も無視して、高野くんの胸ぐらを思いっきりつかみ上げた。「うわあ」という高野くんの、情けない声が漏れる。

「ちょ、ちょっと、何してるの!」

 天野くんは黙って、至近距離で高野くんを睨みつけている。アヤメちゃんは両手を口に当てて目を白黒とさせていたが、天野くんにギロリと睨まれると、びく、と肩を震わせた。

「お前ら」

 天野くんが舌打ちをする。

「調子乗ってんじゃねえぞ」

「え、な、なにが、」

 天野くんが突き放すように手を離したので、高野くんは派手に尻もちをついた。小さな悲鳴が上がる。

「修学旅行の準備なんて、人気者の僕たちがやることじゃあありませんってか? ぜんぶ雪宮に押し付けて、挙句の果てにちゃんとやれだと?」

「いあ、その……」

「ちょっと、辞めなさいって言ってるでしょう!」

 先生が体を張って、間に入る。だが天野くんは、二人を交互に見て、ボツを食らってしまった計画票を先生に突きつけた。

「一から十まで、これを作ったのは雪宮なんだよ。こいつらは一切協力しないくせして、雪宮に全責任を負わせてる。それにキレることが悪いことなのかよ、先生」

「ちょっと、それ、本当なの?」

「それは……」

 教室中から視線を浴びて、アヤメちゃんはもじもじと下を向いた。高野くんは気圧されたのか、いつもの王子様然とした振る舞いはどこへやら、真っ赤になって震えている。彼らの沈黙がなにより、「そのとおりだ」と言っていた。

「てめえら、自分が特別だとでも思ってんのか? いいか、お前らレベルの人間なんて吐いて捨てるほどいんだよ。こんな狭い世界で人気者気どりとか、マジでしょうもな」

 最後のトドメとばかりに、天野くんが鼻で笑う。

「言っとくけど……お前らが思ってるほど、お前もお前も、大したことねえから」

 そして、くる、私の方を向いた。

「だから、お前も泣くな。お前はなにも、悪くねえ」

 そこで初めて、天野くんが、私のために怒ってくれたのだと知る。笑ってる顔なんて見たことない、でも、高野くんよりずっと熱い彼の視線を感じたら、泣くなと言われても、緩んだ涙腺はどうにもできなかった。


「ありがとう」

「別に」

 いつもの商店街、辺りはまだ明るい。買い物帰りの人たちで賑わう通りをゆっくり歩く。

 あの後、教室は騒然となった。アヤメちゃんは泣き出してしまったが、みな遠巻きに見ているだけ、そして私も泣いているから、なんともカオスな空間となっていた。だけど、天野くんが事の成り行きを暴露していたから、天野くんとアヤメちゃんは先生から「二人だけで完成させなさい!」とお叱りを受けた。今ごろ計画づくりに四苦八苦していることだろう。

「かっこいいところあるじゃん!」アイちゃんが帰り際、天野くんの背中を叩いていた。「いいねえかすみ、一途に想われて」なんて耳元でささやくから、困ってしまった。二メートル先を行く天野くんの背中は、私より少し大きい。

「ねえ、天野くん」

「……なんだ」

「どうして、私がやったって分かったの?」

「見りゃわかる。全部お前の字だったし。今朝、あの女が昨日の撮影が~ってドヤッってたし。どうせお前に押し付けたんだろうって、簡単に想像つく」

 そっか。そう言って俯いたのは、恥ずかしさと嬉しさが混じって、どんな顔をすればいいかわからなかったから。

 見てくれてたんだ。ずっと。

「ずっと見てた」

「え?」

「日直が書き忘れた日誌を、お前が書いて提出してたのも、よくだれかの掃除当番を代わってあげてるのも、給食当番の時、ていねいにおかずをよそうのも、生き物係が放置してる鳥の世話を、毎日してるのも」

天野くんの、後ろから見える耳が赤い。それが夕日を伝って伝染するかのように、私の頬も熱くなる。

「全部見てた」

 生きている世界が違う。見ている世界も違う。私はいつも、自分に言い聞かせてた。そうすれば楽なのだ。無条件に見上げていれば済むから。あちらとこちらは別世界。だから私は、プチパインを毎月買っていたのかもしれない。叶わないって白旗を上げれば楽だから。そうすれば、自分がどんなに粗末な扱いをされても諦めがつくから。

 そうやって予防線を張る。でももう、そんなことしなくていいのかもしれない。

だって、そんな世界の境目を、天野くんがぐっちゃぐちゃに壊してくれたから。私が勝手に作りあげた心の壁ごと。

 言ってみようかな。私がずっと、思ってたこと。

「私、自分の名前、あんまり好きじゃなかったの」

「……」

「いつもだれかの引き立て役。カスミソウは主役にはなれないって」

 沈黙が続く。

「でもね……今、違うって思った」

 天野くんが立ち止まり、こちらを振り向いた。

「カスミソウのブーケ、見たことあるか?」

 私は首を振った。

「真っ白で……すごい綺麗だ。そこにだけ雪が降ってるみたいで」

 いつもの天野くんらしくない、所々閊えながら、でも、そう言ってくれた。

「雪……」

「だから、お前にぴったりの花だろ」

 そう言って、また前を向いた。

 ありがとう。すごくうれしい。

 たぶん、頬っぺただけじゃなくて、顔が全部真っ赤に違いないけど、天野くんにそう伝えないといけない。

「ちょっと待って、天野くん」

 私は駆け足で、前を歩く彼の隣に並んだ。


『フラワーショップ・アマノ』。

 そこでは店の一番目立つ場所に、カスミソウが堂々と咲いている。

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