第55話 いつだっておまじないをかけてあげるから

 すー、と静かな寝息が聞こえる。自分のもの、ではない寝息だった。霞掛かった思考の片隅で誰かいるのかと考えたがすぐに掻き消える。何も考えず、無を漂っていると急に誰かの声が聞こえてきた。


「朝だよ〜! ミツミ……ちゃ、ん」

「……?」


 目を開け扉の方を見れば、ノウゼンの姿があった。何故か呆然としており不思議に思っていると、ミスティちゃん。と呟く。それにベッドから起き上がって目を擦りながら見れば、ミスティがいた。全裸で。


「……あの、ミツミちゃん、その……」

「あ、はい」

「なんでミスティちゃん裸なの?」


 その言葉に、ミスティは眠る時は大体裸だしな。と考え至ったが、この状況を鑑みて一瞬で意識が覚醒した。


「違います! 何も! 何もありませんでした! ミスティ眠る時いつも全裸なだけです! 私は服着てます!」


 ほら! とTシャツを掴んで主張するが、ノウゼンの反応から絶対ミスティと何かあったのではと疑われている。というかなんでミスティ私の寝泊まりしてる部屋に居るんだよ。


 床を見ればミスティの服が散乱している。余計混乱する。


 昨日、昨日は酒をしこたま飲んだのだ。それは覚えている。店を出る時も覚えている。家に帰り着きベッドに入ったのも覚えている。その時は絶対にひとりだったはずだ。と言うことはこいつはそれ以降に私の部屋に侵入してきた訳だが。ベッドサイドに置いてあった言語補助デバイスを二つ取り、片方を私の耳に、もう片方をミスティの耳に急いで詰め込む。


「ミスティ! ミスティ起きて!」

「……ん」

「寝るな!」


 一瞬薄らと目を開けたが再び閉じた。がたがたと揺り動かしなんとか起こす。


「うっさいなあ……何よお。……あんた何で私の部屋に居るの?」

「ここは私があてがわれた部屋だよ!」

「あのう、そのう、ミスティさん?」

「あ、おはようございます。ノウゼンさん」

「私には挨拶ない癖に何だ貴様」

「何よう。……私裸だわ。ま、まさかミツミ」

「ちげーよ馬鹿! 何もねえって!」


 ミスティまでもが何かあったのではと勘繰り出し、私は頭を抱えた。とりあえず服を着ろとミスティに告げて私はベッドで胡座をかいて待つ。


「ノウゼンは見た」

「いいですからノウゼンさん。そう言う寒いネタは」

「ん? ネタって何?」

「なんでもないです」


 とりあえず三人で部屋に入り扉を閉めて現状の確認をすることになる。主審はノウゼンだ。


「ミツミさん。あなたは何もなかったと誓えますか?」

「誓います」

「ミスティさん。あなたも何もなかったと誓いますか?」

「覚えてないのよね〜」

「役に立たねえやつだ」

「ああん?」

「やめて、俺、女の修羅場怖い」


 ミスティを睨め付けると睨み返される。が、今は話を進めるべきだろう。


「ここは私の部屋です。あなたの部屋ではありません。お分かり?」

「あー、確かに違うわ」

「ミスティ昨日の夜何してた?」

「……本当に覚えていないのよ」


 その言葉にノウゼンが私を見る。本当に何もしていませんよ。


「酔って私の部屋を自室だと間違えたんじゃないの?」

「え〜? そんな間抜けしないわよ」

「どうだか……、でも私には着衣の乱れはない訳ですよ。主審、どう思われますか」

「まさか……ミツミちゃんはタチ……!?」

「なんでそうなるんだ」


 私は女性を泥酔した女性を襲う性的嗜好は全くない。頭を抱えていると、ノックの音がした。次いでヒューノバーの声も。


「兄ちゃん居る〜? ばあちゃんが朝飯早く来いって言ってる」

「ヒューノ! 来るな!」

「はあ?」


 ノウゼンが扉に駆け寄りノブをがしりと掴み、ヒューノバーの入室を阻止しようとしている。


「お前には見せられないんだ!」

「何言ってんの? ミツミとミスティいるでしょ?」

「おま、なんで知って!」

「夜中トイレに起きたらミスティ吐いてて、介抱してたらミツミの部屋入って行って服脱ぎ出しちゃってそのままにした」


 ……やっぱりミスティ、部屋間違えただけじゃねえか! とミスティをじとっと見ると、顔を逸らす。


 ノウゼンがノブから手を離すとヒューノバーが入ってきた。


「あ、起きてる。大丈夫だった? 昨日結構吐いてたみたいだけど」

「……大丈夫よ」

「ああそうだねえ大丈夫そうだなあミスティさんよお」

「……ご、ごめんて」

「早く来てよ〜。エリト食べ始めちゃってるし」


 ヒューノバーが去ったことによりこの場は無に包まれていた。なんだろうこの虚無感。


「とりあえず、飯を食いましょうか」

「そうだね。うん」

「ミスティ、間抜けとは君に似合いの言葉のようだぞ」

「……ぐう」


 ミスティにぐうの音を上げさせたところで、三人揃ってリビングへと向かう。ダイニングテーブルに一同揃っており、おはようございます。と挨拶をして席に着いた。


「遅かったが、何かあったのかね?」

「いえ、これと言って」

「ノウゼンの叫び声が聞こえてきたけれど」

「いやばあちゃん何でもないの本当」

「まあとりあえずいただこうか」


 朝食を開始し、私とミスティとノウゼンはお通夜ムードであったが、他の面子は歓談しながら食事をしている。


「なんか……ごめんねミツミ」

「いや……うん」

「俺も騒ぎ立ててごめんね……」

「いや……はい……」

「三人とも二日酔い?」


 ヒューノバーの純粋なる心配に、そうだね……。と雑に返答をしつつ食事を終え片付けの手伝いをし、一旦自室に戻って着替える。首都への帰省は今日だ。エトリリワタリガニが無いか確認してから帰ろうと酒の席で話していた。荷物などを纏め終え、一旦リビングに向かうとヒューノバーの祖父と祖母がコーヒーを飲みながら休んでいた。


「お祖父様、お祖母様、短い間でしたがお世話になりました」

「いえいえそんな。ミツミさん、またいらっしゃってください。年寄りの話し相手にでもなってくださいな」

「楽しかったですよ。普段二人きりなのですもの。孫やひ孫にも会えたし、ヒューノバーとも久方ぶりに会えましたから」

「ありがとうございました。また機会がありましたら、伺わせていただきます」

「……ヒューノバーも、良い方と出会えたものだ」


 祖父が目を細めて笑みを浮かべる。どことなくヒューノバーに似た笑みだ。


「喚びビトの方と結ばれるかもしれないと聞いた時は、大丈夫だろうかと思っていたのですよ。昔ヒューノバーは、ヒトを傷つけてしまった時がありましたからね」

「……幼い頃の話でしょうか」

「ヒューノバーからお聞きに?」

「……はい」


 ヒューノバーに心理潜航をした時の話だろう。エンダントとは関係は修復出来たようだが、確かに孫という少し遠い関係ならば、親以上に不安に思うところもあったのかもしれない。


「幼い頃はあの子は活発な子でしたからね。私どもの不安なんぞ杞憂に終わりましたが、再び同じことが、というのは考えてしまっていましたからな。あなたとヒューノバーの関係の上で、無くはないのではと不安が芽生えてしまったのは事実です」

「私は人間しか居なかった時代から来た人間ですので、獣人の事情は分からないのですが」

「ええ」

「例え何があっても、私はヒューノバーを嫌うことはないんじゃあないかと思っています。まだ短い時間しか過ごしては居ませんが、それでも彼は誰よりも優しいヒトだと思っています。だから、大丈夫です」

「……そうですか。それを聞き安心しました」


 祖父がそう目を伏せて告げた。祖母も笑みを浮かべて私を見ている。


「本当に良い方に出会えたようですね」


 その言葉に少し気恥ずかしくなっていると、リビングの入り口からミスティが入ってきた。


 私と似たような挨拶をし、ヒューノバーを待ちつつ談笑を開始し始め、ノウゼンとエリトも加わり賑わってきた辺りでヒューノバーがまだ来ないことが気になり、リビングを出てヒューノバーの部屋へと向かった。


 ノックをすれば返事が帰って来た。扉を開けるとヒューノバーがベッドに腰掛けて私を見た。


「どうしたの? ミツミ」

「遅いからなんか手間取ってるのかと」

「ああ……昔さ、この部屋で寝泊まりしてたなと思って、ちょっと懐かしくて」

「エンダントの件だよね」

「そういえば、心理潜航で見たんだったね」


 ヒューノバーの隣に腰掛けて、隅に置かれている学習机を見ているヒューノバーに話しかける。


「そんなに長い期間じゃあなかったんだけどさ。ここに居たの。でもなんでだろう。すごく懐かしくて」

「……ひとりきりだったんだよね」

「うん。友達とはオンラインで遊んだりはしていたけど、エンダントとは中々話せなかったんだ」


 怖くて。とヒューノバーが呟いた。


「私でも、友達傷つけたならさ、落ち込むと思うし、怖いと思う。おかしなことでもないでしょ」

「そうかなあ」

「だってさ。……仕方ないよ。まだ子供だったんだもの」

「そうだね。子供だった。だからこそやっちゃいけないことだったんだよ。あの傷、結局エンダントの腕に残っちゃってるんだ。……それ見る度に、なんか、もやもやしてしまうんだよ。エンダントはさ、良いやつだから格好いいだろ。って笑うんだけど」


 人間を傷つけてしまう事故は獣人の子供には多いのだそうだ。子供の頃の傷は残りやすいと言われるらしく、傷を見る度に罪の意識に苛まれるのだと。


「ヒューノバー」

「なに」


 立ち上がってヒューノバーの顔を胸に抱え込んで抱きしめた。ヒューノバーの息が一瞬止まるのを感じる。


「大丈夫だよ」

「ミツミ……」

「ヒューノバーがいいやつだってさ。エンダントだって分かってる。故意じゃなかったのもきっと。だから友達続けられているんだから」

「うん」

「もしね。ヒューノバーが私を傷つけたとしてもね。……私ヒューノバーから離れて行ったりしないよ」

「……うん」

「この先何があるかなんて分からない。確約出来る訳でもない。でも、それだけは大丈夫って私、思っているんだ。ヒューノバーが本当に優しいヒトだって、私もう知ってるから。……ずっと抱えていくの、しんどいよね。でも、それを抱えて生きる覚悟があるヒトってそんなに居ないよ。すごいことだよ。ヒューノバー」


 ちゅ、とヒューノバーの額に口付けを落とした。


「おまじない。大丈夫だよっていうおまじないだよ」

「……うん。ありがとう……」


 最後にヒューノバーの頭をもしゃもしゃと撫でくりまわして体を離す。


「もう大丈夫そう?」

「うん」

「お祖父様とお祖母様に挨拶してから出ようか。ノウゼンさんたちにも」

「そうだね。最後に漁港の市場でお土産も買わなきゃだしね」

「そうそう! 運良くエトリリワタリガニ居るかもよ!?」


 ヒューノバーと共に部屋を出る。扉を閉める直前、あの幼い頃のヒューノバーが座っていたベッドを見た。……きっと、これからだって思い出さないことはできない。けれど、私が側に居れば、寄り添うことくらいはできるだろう。


 またね。と呟いて扉を閉めてヒューノバーの背を追った。

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異星に召喚され、芽生えた異能を使い心に潜り秘密を暴く使命を与えられました。ついでにもふもふ虎獣人と番になるのも使命だそうです〜スフィアダイバー「心理潜航捜査官」〜 塩谷さがん @Shiotaniex

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