第9話 どうして何もしないのか


 エツェルニダス領の人たちは本当に親切だ。

 今日も使用人の一人が私にとリゾートエリアのカフェで新発売されたフラペチーノを恵んでくれた。

 別にサキスムニアの屋敷でも使用人に頼めば買ってきてもらえるだろうが、ここの人たちからは誰かのために何かをしようと言う気概を感じる。


 快適すぎる。

 やっぱり永住したい。


 部屋に籠ってばかりだと不健康だと心配されてしまうことが唯一の難点である。

 家でずっと寝転んでいるのは楽なのに。



「まさか、本当にここにいるとは」



 前述通り、部屋にばかりいると心配されてしまうので自主的に外のベンチでフラペチーノを飲んでプチピクニックを楽しんでいると、聞き覚えのある声の男が現れた。


 黒い髪の紅い瞳。

 昨日私がつまずいた殿方だった。


 ハビエルさんも一緒にいる。相変わらず気配もない静かな人だ。目が合うと会釈をしてくれた。



「ごきげんよう。昨日はごめんなさい。お加減はいかがでしょうか?」



 こんな明るくて周りも人通りがある時間で音がある。

 そんな中で頭痛は大丈夫なのか。


「ああ、もちろん。それより君はどうなんだ――サキスムニア伯爵令嬢」



 バレていたらしい。

 まあ、隠してはいないんだけど。ここではお忍びで来ている王族・貴族もいることからわざわざ身分を敬称に含める人は少ないため久しぶりの感覚だ。


 どうやら私のことを知っているらしい。

 私自身ブリアンテと言う名前に聞き覚えは無い。ここに来ている以上偽名という可能性はある。


 黒い髪に紅い瞳は西の隣国の方――それも血のような濃い紅は王族の特徴だ。

 会ったことがあっても不思議ではない。



「…………まあ、見ての通り療養しながらわが身の愚かさを悔いている最中ですわ」



 “愛”とやらを侮っていた私の落ち度である。



「愚かさねぇ、か?」

「ええ。『人生の伴侶となる女が言葉と態度で愛を示さない』というのは大きな障害となります。愛さない相手に愛を感じるのは難しい」

「ロマンチストの考えだな。そんなに愛が欲しいなら小説でも読んでおけばいい。側室でも代替可能だ。フォルティス王子にと両親が与えたのは王妃であって恋人や妻じゃない」

「私もそう思っていたのですが、殿下はそうではなかったというだけです」

「下半身で物を考える卑しい生物だな」

「…………あら、貴方様は違うのですか?」


 一応、一応、婚約破棄されたがミレニオガレス王国の一人として国を代表する王族の悪口は聞き捨てならない。

 もう一言追い打ちを掛けようとするとハビエルさんが咳払いをし「ブリアンテ様、女性に対して失礼です」と言った。

 とうの本人は鼻で笑っている。



「で、お前はいつまでここにいる気だ?」

「できることならいつまでも」

「正気か?」

「素敵な土地ですもの。ここが気に入りました」


 心からの本音である。

 療養地だけでなくリゾート地も兼ね備えているがゆえに世俗からの乖離のある風土はとても好ましい。



「確かここの侯爵にはお前と同い年の息子がいたな。そいつと結婚する気か」

「…………」



 その発想は無かった。

 そうか、でもそうすればイーリスは義妹だし、ここにも住める。女主人として夫のことを支えればいい。ヴィエルムなら交渉次第で一週間ずっとと言わないまでも、週に何回かは引きこもる日をもらえるかもしれない。

 普通なら第一王子に振られたオワコン女はお呼びじゃないだろうが、幸いにもヴィエルムは頭がおかしいし侯爵家の人たちは私に友好的だ。


 いや、いや、いやいやいや――――



「お前ともあろう者が言葉に詰まるとはな」



 鼻で笑われた。自分の今後について真剣に考えていただけなのに。

 『お前ともあろう者が』とはご挨拶である。そんなに親密な仲ではないだろう。



「どうして、何もしない」



 呟くように彼は言った。どうやらこれが本題らしい。



「お前の噂はこちらの国にも届いている。次期王妃でありながら妾を受け入れる甲斐性もなく、いじめ倒した挙句、自らは男を誑かして遊んでいる悪女だと」


 酷い話だ。根も葉もない。


「悔しくないのか。お前がそんなことをするとは思えない。する意味がない。であれば、あちらが己の欲望を成し遂げるために嘘をついていると考えるのが普通だ。大体、お前の噂でうやむやにされたが婚約破棄の手順としても無茶苦茶だった」

「そうでしょうね」


 なんせ当事者だったのだ。全て知っている。


「お前にすべての責任を押し付けて、丸く収めようとしている。幸せになろうとしている。これ見よがしに悪者にし、民衆の娯楽にし、自分の責任から逃れようとしている――――あんな卑怯者をどうして許せる?」


 卑怯なのだろう。普通に考えると。

 正々堂々と公衆の面前で宣言したと言えば聞こえがいいが、普通なら、婚約を決めた両親に、私と私の両親に事情を説明するべきなのだ。


 殿下は逃げたのだ。


 正式に自分の両親と私と私の両親に話すことから。


 人生のかかった大一番にも関わらず。


「共に同じ方向へ歩んでいると思っていたのは私だけだった――それだけのことです。卑怯も何もありません。私が勘違いをしていたのです」


 人間は完璧ではない。

 そして、夫婦には愛が必要だ。しかし永遠の愛は無く、愛とは不断の努力の下で育まれるものなのだ――――おそらく。


「もうよろしいですか? そろそろ子どもたちが来ると思うのですが? あと1、2時間すれば日も落ちますし、用があるなら早めに終わらせることをお勧めいたします」

「いや、これが最大の用だから問題ない」

「…………」


 面倒な男だ。

 まさかとは思っていたがわざわざそんなことを聞くためだけに私を探していただなんて。



「もう一度言うが、悔しくはないのか? 復讐したいと思わないのか?」

「嫌です。面倒です」


 

 残念ながら、今の悠々自適な生活を送ること以上の魅力は感じない。まあ、ずっとこの調子は無理だろうが、流刑なり出家なり沙汰は降りるだろうが私が積極的に動くことは何もない。


「面倒だと? 自分の人生を狂わされてか」

「ええ」


 面倒は失言だったかもしれない。興味を持たれてしまった。



「ではこのまま何もせずに黙っているのか?」

「先ほどから、そう言っております」

「黙っていれば誰かが助けてくれるとでも思っているのか? 同情を買えるとでも?」

「そう思って頂いても構いません」

「呆れたことだ。何もしないとはどこまでだ。結婚は?」

「父が決めることです」

「学園は?」

「父が決めることです」

「…………弓術は?」

「それは――」


 驚いた。確かに昔、弓を引いていたが、どうして知っているのか。やはり、この人は他国の王族で、どこかで会ったことがあるに違いない。


「――もうとっくの昔にやめました。王妃になろうとしてこうなったのがいい例です。きっと私は何もすべきではありません」

「……誰かが傷ついてもか? 人が死んでも?」

「それは話が別ですが」



 彼の言葉から感じられるのは怒りである。

 殿下といい、イーリスといい、この人といい、みんなやりたいことを積極的にして悪い結果を招いたことが無いからできるのだ。



「ですからもう私のことは――」

「クロンヌ様!」


 放っておいて――と言う前に男の子の声が聞こえてきた。

 いつも遊んでいる子の1人である。他の子達もあとから走ってきている。

 全員とても焦っていて、泣きそうだ。泣いてる子もいる。


「マリーがいないんだ!」

「ちょっと遅れるから先行っててって言われたけど、待ち合わせ場所にずっと来ない!」


 一大事だ。

 この平和な街で子どもの誘拐は起き無さそうだけど、迷子くらいはあるかもしれない。

 迷子になったのは奇しくも今日お世話になったルベルティ医師の娘である。


 ああ、もう、次から次へと。


「何もしないは無理になったな」


 他人事のように彼が言った。


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婚約破棄された公爵令嬢は悪女とか言われてるけど引きこもり生活がしたいだけ。 はちがつ @yuriiruy

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