消えた私の婚約者はどうやら魔女に会いに行ったらしい

夕山晴

消えた私の婚約者はどうやら魔女に会いに行ったらしい

 

 恋人が消息を絶って、一ヶ月が過ぎようとしていた。

 ヒルデは街中、行方を聞いて回った。彼の友人、知人に話を聞いてわかったことがある。いなくなる少し前、彼は魔女のことを聞きたがったらしい。彼──ハーロルトは、魔女に会いに行ったのだ。




 ヒルデとハーロルトはもうすぐ結婚する約束をしていた。

 何の欲も出さず、不安も飲み込んで、ただ相手だけを見て、そのまま結婚すればよかったのに。ヒルデはまだしてもいない結婚後の不安を口にした。


「本当に、ハーロルトと結婚していいのかしら」

「何が? いいに決まってるだろ」

「でももし、結婚した後に、後悔したら? 他に運命の人が現れたら?」

「なんだそんなこと。後悔しないよ。俺が後悔なんてさせないから」

「でも」


 ひたすらに明るく笑うハーロルトをただ信じればよかったのに。

 ヒルデは不安に取り憑かれていた。


「後悔なんてさせるつもりないけど。でももし、ヒルデに運命の人が現れたら、その時にまた考えればいいさ。俺だって諦めるつもりはないけど、ヒルデがどうしてもっていうならその運命の男とやり直せばいい。まあ、俺が運命だと言わせたい気持ちはあるけどな」

「私の考えすぎだっていうのは……それはわかってるの。あなたのこと、好きだから結婚したいと思ったんだから」


 いつまでも目を逸らしたままのヒルデだが、ハーロルトは愛想を尽かさないで聞いてくれる。


「ああ、わかってる。変わるのは、怖いよな。別に君の気持ちを疑っちゃいない。でも、そうだな、不安を取り除いてやれる何かがあればいーんだよなあ」

「何それ」

「ほら、迷いの森にいる魔女なら何かそういうの作れそうだろ」

「ええ……? あんなの迷信でしょう」


 街から少し歩いたところにある森。迷いの森と言われるそこには、魔女が住んでいるという言い伝えがあった。

 ただ、会ったという人の話も聞かないし、いつからある言い伝えなのかもわからない。魔女なんて存在しないのかもしれないし、大昔の話なのかもしれない。

 ただ事実なのは、迷いの森に入って無事に帰ってはこれないこと。

 文字通り戻ってこないときもあれば、大怪我して帰ってくることもある。そのため、小さな子供が近づかないように脅かす必要があったのだと思う。


 だから、「迷いの森の魔女は人の心を操る」なんていうのは、ただの作り話で。


「いやいや、あの誰も近づかない森から出てくる人影を見たって奴がいるんだ。きっとそれが魔女なんだよ。頼んでみるのもいいかもなあ」

「やめときなさいって。魔女がいるかもわからないんだし、あの森って昼でも夜みたいに暗いんでしょう? 私の小さな不安なんかのせいで、ハーロルトを危ない目に会わせられないし」

「うーん。でもヒルデには何の心配も不安もない結婚を俺としてほしいんだよなあ」


 その言葉だけで、不安が綺麗さっぱりなくなればよかったのに。

 ハーロルトはヒルデの心を見透かして、「心配すんな。俺に任せろって」と笑ったのだ。




 ◇◇◇




 ハーロルトが本当に迷いの森に行ったとして、一緒に探してくれる人がいないかとヒルデは街を彷徨い歩いた。幼い頃から聞かされた魔女の言い伝えの効果か、誰一人、ヒルデとともに森に入ってくれる人は見つからない。

 ならば、とありったけの食料と水を大きなリュックに詰めて、一人で森に入ることにした。

 ランタンに入った光は、辺りを照らすライトになり、暖も取れる優れものだ。


「よしっ。誰も一緒には来てくれなかったけど、むしろ止められたけど……今行くからね、ハーロルト」


 背負ったリュックの肩紐を握りしめて森へと一歩踏み出した。

 そのとき。


「そこのお嬢さん。どうしたんじゃ。この街の娘なら、森は危ないと知っとるじゃろう? 可愛いお嬢さんがくるような場所じゃねえなあ」


 暗闇にぽつんと現れた人影が、ヒルデを引き留めた。


「でも、中に、大切な人がいるかもしれなくて」

「なあに、そいつも普通の人間なら中にはいないじゃろう。ほら、一歩踏み入れただけで真っ暗闇じゃ。今なら後ろを振り返れば戻れる。ほら、光のほうに向かって足を出せ。なあワシも今から街へ戻るんじゃ、どうじゃね一緒に」


 老人だった。口調は穏やか、ただ有無を言わせない様子でヒルデを森の外へ引きずり出した。


「ほら、お嬢さんには明るいところが良く似合うのう」


 そう言われて、ヒルデは森を振り返った。そこにはただの漆黒の闇があって、どっと汗が出た。我に返った。

 あの森の中は生きた心地がしなかった。光の下に戻ってきて、わかる。あれは別世界なのだと。


 ヒルデの姿を上から下まで見つめて、お爺さんは、優しそうににかりと笑った。


「危なかったぞ。ワシがいたからよかったものの。闇に引き摺られると戻れなくなるらしい。気を付けるんじゃな」

「あ、その、ありがとう、ございました」


 ハーロルトを見つけに行くことはできなかったが、一歩入るだけで頭がおかしくなりそうだった。そんな森に、彼はいないだろう。

 そう思えた今、自分が光の中に立っていることは、感謝してもしきれないほどだった。


 手を合わせてしきりに感謝を示したヒルデに、老人は少し考えて言った。


「なあお嬢さん。こんなワシに感謝してくれるというなら、一つ頼みがあるんじゃがの」

「なんでしょう。私にできることでしたら!」


 恩返しができると目を輝かせたヒルデだったが、すぐにぽかんと口を開くことになる。


「ワシに、愛しとる、と言ってくれんかね」




 ◇◇◇




「お嬢さん、お嬢さん。次は何を買うんじゃい」

「次は、そうね。お爺さんの服かしら」

「ありゃあ、あるもんでいいんじゃが」

「もう、あるものなんて、ないの! お爺さんの体形に合う服なんてないんだから」

「そりゃ悪かったの」


 ヒルデはお爺さんと一緒に買い物に来ていた。

 というのも、お爺さんの願いを叶えてあげることができなかったからだ。


 ”愛している”と言ってほしい。

 些細な願いだった。恩人の頼みだからと、ヒルデは戸惑いながらも言ったのだ。「アイシテルワ」と片言で。

 もちろん気持ちなんて込めていない。会ったばかりの見知らぬ人間に込められるはずもなく、ただ言っただけだった。しかし、それではお爺さんは納得してくれなかった。


「願いを叶えてあげられなかったんですから。けど、代わりに、いきなり数日泊めてほしいっていうのはなかなか図々しいんじゃないですか」

「ほっほう、悪かったとは思っとるぞ。じゃが、お嬢さんは泊めてくれると言うじゃないか」

「まあ、私は、たまたま部屋が空いていたというか……絶対に他の人には言っちゃダメですからね! 不審者扱いですよ! 下手したら捕まりますよ!」

「わーっとる、わーっとる。助かるが、正直叶えてくれるとは思っとらんかったのじゃ。ワシが言うのもアレじゃが、お嬢さんこそ気を付けろ。誰でも泊めるんじゃないぞ。どんなやつかわからんからの」


 どの口がそれを言うのか。

 今まさしく泊まろうとしている分際で。

 呆れた顔にもお爺さんは機嫌を悪くすることもなく、ただ心配そうに見つめるだけだった。


 ヒルデは必要なものを買い揃えていった。

 自分一人では気にならなかったが、今はお爺さんという客がいる。

 久しぶりに料理をしようかと少しだけ奮発もした。


 青果店に寄ったときだった。青いリンゴを見かけて、手に取った。

 よくハーロルトが欲しがった果物だ。青リンゴの中に彼の顔が浮かんだ気がして、かぶりを振った。そっと棚に戻そうとして、背後から声がかかる。


「おおう、青リンゴじゃ。ワシ、好きでの、これが」

「ええ? これですか? 赤い方が美味しそうじゃないですか?」

「何を言う。これもまたさっぱりした味わいで美味いじゃろ」


 ヒルデは喉を詰まらせた。

 それはまるでハーロルトのような言葉だ。彼もまた青リンゴのさっぱりした後味が好きだと言っていた。


 ぽろりと、思わず涙が溢れた。


「な、お嬢さん、どーしたどーした」

「すみませんすみません、何でもない、んです」


 手の甲で涙を拭って、何でもないを繰り返した。

 ハーロルトが消えてから一度も泣いたことはなかったのに。

 せきを切ったように次から次に涙が流れ落ちる。


「大丈夫か。ワシで良ければ聞こうかね」


 とんとんと背中を叩く優しさに、とうとうヒルデは声を上げて泣いてしまった。


「私の、婚約者が、いなくなってしまって……っ」


 店を出て、人の目が少ない通りに移動した。ここなら誰の迷惑にもならないだろう。


 誰にも弱った姿を見せていなかった。何か事件に巻き込まれたのかも、と強い意志でハーロルトを探すことばかりに時間を割いた。探すことをやめてしまえば、喪失感で立っていられなくなりそうだったから。


「森に探しにきた、大切な人じゃという?」

「そうよ」


 ヒルデは、話し始めた。ハーロルトのこと、結婚のこと、不安なこと。会ったばかりのお爺さんによく話せたものだと思うけれど、知らないからこそ話せたのかもしれない。


 鼻を啜りながら話し終え、ヒルデはぼんやり空を見た。ずっと心に溜まっていたわだかまりが、幾分か和らいでいた。

 長い間留まっていた暗闇から一歩進んだ気がした。


 気を遣ってくれたのかいつの間にかお爺さんはそばにいない。落ち着け、と自分の両頬を叩いた。


「よし。がんばれ、わたし。絶対見つかる」


 そう言って頷いたとき、目の前に一本の花が差し出された。戻ってきたお爺さんだ。


「可愛いお嬢さん。プレゼントじゃ」


 差し出されたのはピンク色のチューリップ。ありふれた花だが、思い出深い。

 これはハーロルトが初めて贈ってくれた花だ。

 お爺さんの優しさと、ハーロルトとの思い出がヒルデを慰めてくれた。


「ありがとう。ちょっと元気出た」


 ありがたく受け取って、帰路に着く。自然と涙は乾いていた。

 ハーロルトとは全然違う身長差に少し寂しく思いつつ、隣を歩いた。




 家に帰ると、一度ソファで寛いだ。

 が、すぐにお爺さんは席を立つ。


「何か作ろうかの」

「え、そんな私やりますよ」

「いい、いい。ワシが泊めさせてもらうんじゃ。このくらいさせとくれ」


 お爺さんはキッチンに立った。いくつかの戸棚を開けて鍋と調味料を取り出した。

 慣れた様子に少し安心して、甘えさせてもらうことにした。森にも行って、買い物もして、わんわん泣いて、正直疲れていた。


 それでなくともハーロルトがいなくなって一ヶ月。探し回っていたのだ。ろくに睡眠も取れていない。


 誰かがキッチンに立つ様子を見るのは、久しぶりだった。

 似ても似つかない、髭はぼさぼさ、髪は白く、腰が曲がったその姿が、なぜだかハーロルトを思い出す。

 このキッチンに立つのはこれまでハーロルトしかいなかったから。


 トントントンと刻んだ野菜を鍋で煮込む。ぐつぐつと煮えたる音も白く上る湯気も、においも。

 しばらく聞いていなかった日常の音が、何もかも懐かしく、目を瞑る。ほっとした。


 まるでハーロルトが帰ってきたように思えて、目を開く。

 立っているのはもちろんお爺さんで。現実を思い知らされ、ぐ、と唇を引き締めた。


 ああ、あのとき、心から、心のままに笑って、伝えられていたなら。

 ハーロルトがいなくなることなんてなかったはずなのに。


 涙で視界が歪んだまま、ぽつりと言った。何もかも今さらだ。


「……愛してるわ、ハーロルト」


 鍋を回すお爺さんの背中が、びくりと震えた。

 聞こえてしまっただろうか、余計な心配はかけられないと慌てて涙を払った。


 お爺さんは振り向いた。これまで見た中で、一番優しく笑っていた。


 次の瞬間──ヒルデは、夢が現実になる瞬間を見た。

 振り向いたお爺さんの顔からは髭が消え、白髪に色が混じり、時を遡るように皮膚の皺が伸びる。


「え?」


 茶色の髪、しゃんとした背中。徐々に見慣れた姿に変わり、顔も声も同じく。


「ヒルデ! 君はやっぱりすごい」


 満面の笑みを向けてくれたのは、探し続けたハーロルト。


「え? ハーロルト?」

「そうだよ! 俺さ! よく俺だってわかったね! やっぱり俺とヒルデは運命だと思ったんだよなあ!」


 会ったばかりのお爺さんが消えた驚きと、探し続けたハーロルトが目の前にいる喜びを同時に味わう気分を考えてみてほしい。

 追いつかない心のまま、にこにこと笑う久しぶりのハーロルトにこれだけ言った。


「おかえり。──愛してる、結婚しよう」




 ◇◇◇




 ハーロルトは、迷いの森に入ったらしい。

 あの暗闇の中、どうやって進んだのか聞いてみたが、愛の力かなと言われて脱力した。

 ただ、真っ直ぐに進んで行くと、どこからか声が聞こえたそうだ。


『どうしてこの森に入った、侵入者め』

「魔女か? もし魔女なら、俺に力を貸してほしい」

『はは、わたしに何を望む。くだらぬことならば帰れなくしてやろう』


 ハーロルトは馬鹿正直に答えたのだそうだ。


「俺の恋人が、俺との結婚に臆病になってる。不安を取り除いてほしい。そういうの、得意なんだろう? 魔女は」


 空を覆い隠す葉がざわざわと大きく鳴り、一瞬間があく。その後、魔女の笑い声が響き渡った。


『はははは! 面白いな、面白いぞ。そんなくだらぬことのために、こんな闇の中を迷いなく進んできたか。実にくだらない』

「ちょっと、俺は真剣なんだって」

『ははは、よい。ははっ、こんなに笑ったのは久方ぶりだ。ここに来る奴らは、戦争やら金やら政治やらで頭がいっぱいの奴らばかりだった。身の程もわきまえず強大な力が欲しいと私欲にまみれていたが、はは、お前は阿呆だな。些細な願い過ぎて、少々心配になるほどだ。どれ、お前に少し、力を貸してやろう。手を出せ』


 出した手のひらの上に丸薬が一粒落ちてきたのだと言う。


 ヒルデは痛くなってきた頭を押さえ、話すハーロルトを遮った。


「え、待って待って。まさかとは思うけど、それ飲んだんじゃないでしょうね」

「飲んださ。もちろん」

「何考えてるのよ! そんな得体の知れないもの!」

「だってせっかく魔女がくれたんだ。君の不安を消せるようにって。何のために迷いの森まで行ったと思ってるんだよ」

「よしなさいって言ったじゃないの!」

「まあ、それで、おじいさんになっちゃったんだけどさ。薬を飲んだらどんどん皺だらけになって、驚いたわ」


 元に戻ったハーロルトの顔であっけらかんと言う。


「戻らなかったらどうするつもりだったの!」

「まあそのときはそのとき考えようかなって」

「馬鹿なの!?」


 ハーロルトの両肩を掴み揺さぶった。

 ここまで考えなしだとは思っていなかった。どれだけ心配したと思ってる。どれだけ他の人に心配をかけたと思ってるの。


「魔女がさ、言ったんだ。その姿で”愛している”と心から言ってもらえたらその愛は永遠だ、って。ヒルデの不安や心配もなくなるって。俺はさー、自信あったわけ」

「何の」

「そりゃあ、ヒルデに愛されてる自信。だからさ、”愛してる”も絶対言ってくれるって思ってた」


 子供のように純粋な目を向けられたものだから、少し絆されそうになる。


「ま、ヒルデって名前も、ハーロルトって名前も、俺と君が恋人だってことも喋られなくなるとは思ってなかったんだけどさ。ちょっとだけ焦ったね。いつの間にか一ヶ月も経ってたみたいだし」


 やっぱり阿呆の間違いだ。

 呆れたように片眉を下げれば、それも見越していたようでハーロルトはふはっと笑う。むうっと頬を膨らませた。


 けれど、またこの笑顔を見られることにヒルデは安堵する。


「でもヒルデから結婚しよう、って言ってくれたんだから、俺も苦労した甲斐があったってもんだ」

「私もけっこう苦労したんだけど」

「まあまあ、いいじゃないか。不安、なくなったんだろ」


 そうなのだ。むしろずっとついていてあげなくちゃと思うようになったというか。


 手を繋いだヒルデとハーロルトは白く真っ直ぐな道を進み、檀の前で止まった。

 向かい合って、そっと口付けをする。


「末永くよろしく、ヒルデ。愛してるよ」


 ヒルデの心はもう揺らがなかった。

 神父の前で堂々と、生涯愛することを誓ったのだった。





おしまい

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