⑤一生どころか永久に

 翌朝、アリスはクッキーを焼いていた。

 そして、メフィストが最後の別れを告げに来たとは知らずに、クッキーを差し出して言った。


「おはようメフィスト。お菓子を焼いたからもらってくれる?」


 なるべく自然に別れを切り出すため、モーニング・ティーの準備をしていたメフィストは、紅茶をカップから溢れさせてクッキーを見つめた。


「お、俺にくださるのですか……?」

「うん。あと、私に何かして欲しい事はない? メフィストのして欲しい事、なんでもしてあげる」


「んん?」と、メフィストは首をひねった。「別れの朝」を想像していたのに、何か変だ。


「あ、あの、アリス。昨日ジラという悪魔から、俺の事を聞いたのですよね? 俺にお怒りで、いなくなれと思わないのですか?」

「ううん。メフィストにずっと側にいて欲しいよ。だけど家は貧乏だから代償が払えないの」

「んん……? 貧乏……?」


 メフィストの戸惑いの声に、アリスは悲しそうにうなずいた。


「でも私考えたの! お金以外でお返しをさせてもらうのはダメかな!?」

「ア、アリス……ちょっと待ってください」


 アリスは首を振って、強引に話を続けた。ここで意見を言わないと、メフィストがアリスの考えに「NO」と言いそうで怖かったのだ。


「私、メフィストの喜ぶ事をたくさんするから、それで”おあいこ”にならない!?」

「ぶはっ!」


 メフィストが笑い出した。

 どうやら、ジラの悪だくみは失敗のようだ。と、彼は安心していた。

 涙を流して笑うメフィストを、アリスは心配そうに見て聞いた。


「笑っちゃうほど、無理な相談?」

「いいえ。ふふ――それでは代償分のお願いをさせていただいても?」


 アリスは夢中で頷いた。

 そんなアリスの手を取って、メフィストは幸せそうに願いを口にした。


「出逢った時にも言いましたが……一生おそばにいさせてください」


✾ ✾ ✾


 それから、何十年という年月が流れた。

 アリスは、すっかりお婆ちゃんになっていた。


 とある天気の良い日、お婆ちゃんになったアリスは側にいる赤い燕尾服を着たお爺さんに言った。


「あなたのお陰で、とっても幸せだったわメフィスト」

「俺もですよ、アリス」

 

 お爺さんはそう言ったあと、美少年の姿になった。そして、愛しそうにアリスのシワシワの頬を指先ででた。


「アリスにひとつ、嘘をついていました」

「まあ、なあに?」

「俺が求める代償は、俺の魔法で願いを叶え、死んだ者の魂です」

「魂? お金ではないの?」

「はい。しかし、怯えないでください。俺は魂を奪った事がありません。お恥ずかしい話ですが悪い魔法が使えないので、断られたら奪えないのです」

「そうだったの」


 メフィストらしいわね、と、アリスは笑った。


「あの日、つい本当の事を隠してしまいました。本当は、アリスは俺に何もしなくてもよかったのです。魂の代償は断れますので……」

「悪い事が出来たわね」


 アリスが悪戯っぽく言ったので、メフィストは困ったように笑った。


「メフィストは、どうして魂が欲しいの?」

「え? そうですね。そういう悪魔に生まれた……としか説明出来ないのですが……もしも魂を手に入れたら、とても満たされるような気がしています」

「そう。じゃあメフィスト。私の最後のお願いを聞いて」

「おや、なんでしょうか?」


 メフィストが、アリスの顔を覗き込んだ。

 アリスはいつまでも変わらない、彼の優しい赤い目を見つめて言った。


「私の魂を奪って」


✾ ✾ ✾

 

 二人を結びつけた凶星は今、魔界の空で輝いている。

 その下では、悪魔が少女のそばを片時も離れず、溺愛しているのだった。


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凶星の下に生まれたら悪魔に溺愛されました 梨鳥 ふるり @sihohuuka

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