赦された苦しみだけを注いだら、残った度数で確かめる夜

 思わず即詠してしまった。まず読み終えて、「とても良く計算されているな」と思って、けれどそれは計算外の要素も含めて、計算されているせいか、不思議と気にならない計算高さだと思った。というのは、本作は「何も無い」筋をストレートで飲む感覚で、けれど薄氷の上を踏み歩くような、静かな物語だからだ。その計算だと思う部分について以下に述べたい。

「好きなものと嫌いなもの、人生を形作るその二つを同時に訊いてくるなんて、今の問いかけだけで人生が完成されてしまう。」

 完成する、ではなく、完成してしまう、と言うところが巧い。好き嫌いを規定する危うさと受容する対象の難しさがこの一言に詰まっていて、入った店を「当たり」と表現するところに主体の『引き』の姿勢が見える。恐らく彼女にとって、マスターは人間より少し低い温度の、もっと言えば機械人形に近い部類のひとを好んでいて、コミュニケーションというよりは「形式」だけで進行する会話の単純さを求めているのだと感じた。これは、建前として一応出されたチェイサーを好意的に受け取っているところ、さらに「違うんだけど、違うとわざわざ言うのも面倒だ。」という中盤の心情からも読み取れる。彼女は言葉を扱うことに過度に慎重で、だからこそバーに行く時は『引き』の姿勢に自覚的なのかもしれない。

「束の間の逃避行って感じで。」

 逃げたい、とははっきり口にしない。けれど蝋燭が灯るわずかな瞬間に、意思が生まれる。逃げたい。拒絶が自然と行間から溢れる。

「私は苦手なのだ。男の人のネイルが。」

 ここでも、拒絶が吐露される。なぜかは後に続く。

「私がネイルをしている男が好きちゃうんは、理由があって、元カレは、よーネイルをしてはった。」

 彼女が饒舌になった光景が目に浮かぶ。関西弁に切り替わった部分が、彼女にとって反発する内的な興奮とやり場のない感情を発散する唯一の手段であるかのように感じた。それも彼女の控えていたはずの、「言葉」を用いて、だ。お酒の力を借りたと言えばそれまでだが、けれど彼女は冷静に努める。嫌悪感を出さないよう、唐突に義務感を帯びてしまった一杯──一緒に飲む相手に「意味」を見出すことのない関係を持続したまま──それを、飲み干す。

「ちょっと心がグラついた。色んな好きなものと嫌いなものが頭の中を巡っていたから。」

 読んでいて、ずっと目隠しをされているような気分だった。それは誕生日ケーキの蝋燭を吹き消した後に訪れる闇に似ていて、なぜなら祝われた後に急に潮が引いていくような、世界の中で一人ぼっちの感覚、失くした誰かの輪郭をもうなぞることが出来ないような、アルコールの残留感と、吐いた後の徒労感、真夜中の残尿感、その全てが思い起こされるからだ。だから、好きになれない。それは、きっと自爆テロを起こす人の心理に似ているからだろう。好きになれないなら壊すしかなくて、自分ごと無くなっていくような、溺れるような体験を手軽にできるのが酒で、彼女にとってのバーだったから。

 手放しに赦すことのできない感情は、限界まで希釈することが許されていない。だから、ストレートを飲むしかない。

 もう一度、詠んでみる。本作の魅力をこの歌にすべて置いてきたから。

赦された苦しみだけを注いだら、残った度数で確かめる夜

 乾杯をしよう、もう二度とこないと決めたこの店で、私しか思い出すことない彼にまつわる記憶を持って、ネイルが剥げることだけを祈りながら、ロンリコを飲む。度数なんか、この際気にしない。

「きみの瞳に?」

乾杯。