Bad Boys Symphony【BadシリーズⅠ】

鐘古こよみ

【三題噺#12】「笛」「彗星」「アイス」


 7年生の時に作ったテラリウムを来週持ってこいと言われて、俺は唖然とした。

 水槽の中に鉄と酸素と砂とマグネシウムを混ぜてギュッと圧力かけて、我らが母星である地球は、93%がこの4つの物質からできています。ってやった、あれか?


「また使うなんて言ってなかったじゃん。ひでぇ」

「いや言ってたよ。おまえ、先生の話ちゃんと聞いてなかったのかよ」


 呆れ顔のカミユが頭を振ると、髪色が青から緑、黄、赤へと流れるように変化した。さすがは遺伝子デザイナーを母に持つ男だ。構造色ヘアかっけぇ。


「もしかして、捨てたのか?」

「ちげーよ。ちゃんと取ってあるよ。ただ、その……」


 俺はもごもごと口ごもり、何の面白みもない茶髪を掻きむしる。


「あー、まっずいな。あいつら、まだまだ寿命ありそうだしな……」

「えっ、もしかしてジル、例のやつ育ててんの?」


 目を輝かせたカミユは、制服を脱いでからうちへ遊びに来ることになった。


 <Vega2>は、地球と月の重力が釣り合うラグランジュポイントに建設された、第2の宇宙居留地スペースコロニーだ。外側から見た姿はぐるぐる回る巨大なドーナツで、移住者のほとんどは建設関係者とか、宇宙関連の研究者とその家族ってパターン。うちもカミユんちもそんな感じだ。


 俺たちの住んでいるアドニス地区は「緑豊かな郊外風住宅」をテーマに売り出しているから、庭付き一戸建てペット可の物件がずらずらと並んでいる。合間にホログラム噴水のある公園とか、バーチャルリアリティー V  R で舞台芸術を体感できる劇場なんかもある。


 コロニー内にはもっと先進的なコンセプトの街区もあるけれど、古き良き地球と近い環境で子育てすべきだというのが、俺たちの両親の考え方なのだ。


 お陰で俺たちは毎日制服を着て学校へ行き、AIではなく生身の教師から対面式の授業を受け、同年代のクラスメイトたちとグループセッションを行うことができる。

 人数が集まればサッカーやバスケもできるし、俺もこの方式は気に入っている。


 困るのは、たまにこういう、「去年使ったあれを持ってこい」という指示が出ることだ。使い終わったものは大抵、無重力倉庫の天井付近に投げっぱなしにしている俺にとって、こんなに捜索の苦労を強いられる課題はない。

 今回は倉庫にしまっているわけではないけれど、ある意味、もっと困る。


「お邪魔します。あれ、執事バトラーAI故障してんの?」


 近所に住むカミユは、俺がまだ着替え終わらないうちにやって来て、勝手に玄関を開けて入ってきた。


「うるさいから切ってるんだよ。手を洗え制服を着替えろ間食は何キロカロリーまでとかさ。メディカルチェックなんて、日に何度もしなくていいし」

「わかる。けど、うちには小さい妹がいるからな」

「ああ、そりゃ切るわけにいかねーな」


 喋りながらリビング内の階段を上り、2階の自室へ向かう。来客の種別を把握した“思考する壁インテリジェンスウォール”がラベンダー色からライトグリーンに変わり、密林の樹木めいた陰影を浮かび上がらせた。小川のせせらぎや神秘的な鳥の鳴き声まで聞こえてくる。


「テーマはジャングルの冒険?」

「この家、俺たちのこと、いつまでもガキだと思ってるよな」


 肩をすくめてみせたものの、実際、その雰囲気は嫌いじゃなかった。

 俺の部屋はさながら、伝説の宝物が眠る古代遺跡だ。ちらほらと金銀水晶の覗く岩肌の投影テクスチャが、床から天井までの壁をまるで洞窟に変えている。

 実際に宝箱があるとしたらここだなって位置に、問題の水槽が置かれていた。


 ケースの中の地球テラリウム

 7年生の最後に理科の授業で制作した、母星を模した小さな大地だ。

 原始の地球を再現しているから、実際の組成分とほぼ同じ物質を使って混ぜ合わされた土の上には何もなく、丘や窪みといった地形の変化がある程度。


 水槽の開口部には蓋の代わりに、シャボン玉の膜によく似たものが張られていた。空気を通さず、断熱性があり、ゆっくり圧力を加えるか逆に早いスピードで接触させれば固形物を通すという、高機能弾性素材エラストマーだ。

 水槽内の大気は原始の地球同様、メタン、アンモニア、二酸化炭素が主成分で、酸素はない。


 興味津々といった顔つきで、カミユが水槽を横から覗き込んだ。


「どこ? いるんだろ? 小さくて肉眼じゃ見えない?」

「いや、見えるよ。カラフルだからすぐわかる……ほら、これ」


 少し盛り上がった土の陰を指し示すと、カミユは眉根を寄せて凝視してから、歓声を上げた。


「本当だ! 小さくてカラフルな毛玉、ちょっとカビっぽいな!」


 カミユが見つめる先には、薄ピンクのフワフワした毛玉があった。大きさはキウイの種くらい。見えないわけじゃないが、よく目を凝らさないと見逃してしまう。


「俺は綿毛どもって呼んでる」

「確かに、タンポポの綿毛に似てる。いいなあ、俺も育ててみたいって、ダメ元でジルの親父さんに頼んでみようかなあ」

「おい、わかってると思うが、親父には……」

「わかってるよ。秘密だろ? それにしては、油断してるけどな」


 にやりと笑ってカミユが、顎で部屋の隅を示す。視線を追った俺は肝を冷やした。紙製の筒型容器が転がっていたのだ。急いで駆け寄って拾い上げると、表面に書かれたシンプルな字体の商品名が目に飛び込んできた。


 “ホムンクルス・キット”

 その下に少し小さな文字で、「遊べる・学べる・生命の仕組み」とある。


 とうの昔に捨てたものと思い込んでいたその容器を、俺は今度こそ慎重に真空ゴミ箱の中へ入れた。蓋を閉めた途端、紙筒の圧縮される鈍い音が耳に届く。


 うちの親父は分子生物学の研究者だ。

 どういう学問かっていうと、細胞以下のレベルで生命現象を説明しようとしているらしい。つまり、命はどうやってできてるかってこと。


 数年前に親父は、科学系の知育玩具を開発している企業から、生命誕生のプロセスに興味を持てる子供向けの知育玩具を開発したい、と相談を受けた。

 結果、去年のクリスマスシーズンの発売を目指し、プレゼント需要を見越して大急ぎで開発に漕ぎつけられたのが、この“ホムンクルス・キット”だった。


 ホムンクルスというのは、太古の昔に錬金術師たちが生み出したとされる、伝説の人造小人のこと。

 フラスコの中でしか生きられないけれど、生まれながらにして全ての知識を持っていたとか、眉唾物の伝説があれこれ残っているらしい。

 このキットを使えば誰でも簡単に、何もない密閉空間の中に単純な生命を生み出すことができる。そういう触れ込みの知育玩具だ。


「お、青と緑も見つけた。目が慣れると結構見つかるな。てか、たくさん出てきた。何これ、地面の穴にでも住んでんの?」

「そうみたいだな。壁の色が変わったり誰かが部屋に入ると、一時的に引っ込むんだよ。でも、しばらくすると出てくる」

「水槽の外の変化がわかるんだ。てことは、飼い主も見分ける?」

「まさか。ただの反射だろ」

「でもさ、刺激に反応してるうち、そのうち本当に知性も生まれるかも」

「やめろよ。そんなことになったら、永遠に売り出せないかもしれないだろ」


 俺は溜め息を漏らした。

 この“ホムンクルス・キット”の発売が無期限延期になってしまったのは、まさに知性の有無が問題になったからなのだ。


 最後の商品チェックに参加した複数の社員から、「このホムンクルスには知性がある」と報告が寄せられたらしい。それを企業倫理委員会が問題視した。


 子供が遊び半分に生命を生み出し、それが知性を持っているなんてとんでもない。扱い方によっては思わぬ方向に進化を遂げる可能性もあり、残酷だし危険だ……と、良識ある大人たちは考えたらしい。


 アミノ酸に毛が生えた程度のものだと親父は主張したけれど、それを証明して企業倫理委員会の納得が得られるまでには、時間がかかるのだそうだ。


 親父いわく、こうした問題は100年以上前から続く、動物愛護精神と政治的駆け引きがミックスされた闘いなのだとか。

 子供の俺にはよくわからんが、親父は真っ当な開発をしたにも関わらず、細かいところでケチを付けられて、当たり前の報酬を得ることができずにいるんだな、ということは理解した。


 やむなく発売の無期限延期となって、もう10ヶ月ほど経つだろうか。

 その間に親父も改良を進めてみたり、いろいろと工夫をしているようだけれど、他の仕事のスケジュールもあるから、あまりスムーズではないみたいだ。


 家の無重力倉庫には、試作品の詰め込まれたコンテナボックスが無防備に浮かんでいた。学校からテラリウムを持ち帰った俺は、その中から1つを失敬して封を開けた。キットの説明に「密閉空間なら、酸素がなくてもOK」と書かれていることを知っていたから、原始地球のテラリウムは育てるのにぴったりだと思ったのだ。

 思いついたらやりたくなる。男子ってそういうもんだろ?


「どうするんだよ、ジル。こいつら水槽から出せるのか?」

「無理。密閉空間で育てることが前提だから、最初に“ホムンクルスの素”を投入した容器から出したり、空気を半分以上入れ替えたりしたら、死ぬ」


 うっかり外に逃がしてしまった場合、在来の生命体と交雑させないための安全装置だ。これに関しても、残酷な仕組みではないかという意見が出たらしいけれど、生身で大気圏外に出られない人間と同じ条件だろと俺は思う。

 俺より頭のいい大人がこんなことに気付かないとは思えないから、やっぱり発売延期には何か、子供には想像のつかない裏の事情が働いている気がするんだよな。


「じゃ、一緒に学校へ連れてくしかないよなあ」

 

 綿毛どもはこちらの苦悩をよそに、コロコロわらわらと大量に姿を現し、丘を上って反対側から滑り落ちたり、小さな窪みに入って揉みくちゃになったり、一列に並んで同じ方向にひたすら進んでいたりと、精力的に活動している。


「まあ一応、手がないわけじゃない」

「本当かよ」

「見ろよこれ。キットに付属の笛なんだけどさ」


 俺は小指の大きさほどの、細長い銀の笛を取り出してカミユに見せた。

 唇に当て、息を吹き込む。何も音は聞こえないが、水槽の中で綿毛どもが一斉に反応して、瞬く間に地面の中へと消えていった。


「この笛、人間には聞こえないけど、こいつらには聞こえる音が出るんだ。いろんな吹き方をしてホムンクルスの反応を見てみようって、説明には書いてあった。まだそんなに試してないけど、とりあえず普通に吹くとこうなる」

「つまり、学校ではそれを吹いて乗り切るつもりだな?」

「ご名答。っていうか、他に手がない」

「まあいいか。問題は実験の内容だよな。綿毛たち、外に出しただけで死ぬくらいなら、環境の変化に弱いってことだろ。パンスペルミア実験なんて大丈夫かな」

「……は?」


 カミユがさらりと言った単語を聞いて、俺は小首を傾げた。


「なんの実験だって?」

「いやだから、パンスペルミア……」


 言いかけて、俺の何もわかっていない顔つきに気付いたらしい。

 カミユはため息をつき、大げさに肩をすくめた。


「おまえってほんと、先生の話ちっとも聞いてないのな」


 パンスペルミア説。

 簡単に言うと、地球の生命の素は宇宙からやって来たんじゃないか、という説だ。


 たとえば彗星の破片が地球に飛来し、大気圏に突入しても燃え尽きずに隕石となった場合、そこに付着した宇宙由来のアミノ酸がタンパク質を作り、生命の起源になったんじゃないか、というわけ。


 この他にも生命の起源にはいろんな由来があるとされているけれど、学校で原始地球のテラリウムを使って実験を行う上では、この説を採用するのが一番簡単だ。

 水槽内で雷を起こしたり、海底の熱水噴出孔を再現するわけにはいかないから、そりゃそうだよな。


「今回は宇宙由来のアミノ酸じゃなくて、地球由来の微生物を使うらしいけど。

 地球から運んできた土を氷球にまぶして、まだ生命が発生していないはずのテラリウムにぶち込む。それで、苔か黴でも生えないかなって観察するらしい」


 実験の内容について、カミユが詳しく教えてくれた。


 彗星の主成分は塵の混じった氷で、「汚れた雪玉」なんて言い方をされるくらいだから、氷を核として使うのは理に適っている。

 理解してみれば、納得の実験だった。7年生の終わりに突然テラリウムを作らされたのは、ここに繋げるためだったのか。


「いや、どうすんだこれ。地球由来の微生物なんかぶち込んだら、ていうか抗菌処理してない土なんか入れたら、絶対に病気になって死ぬだろこいつら」


 自分が綿毛どもに愛着を持ってしまっていることに、俺は気付かされた。

 単純な動きしかしないけど、それが結構、見てて飽きないんだよな。


「実験の日だけ休めば?」

「たぶん、後から先生とマンツーマンでやらされるぜ。それだとかえって誤魔化しがきかないし……」


 腕組みをして答えながら、俺は自分の言葉にピンときた。

 ということは、1人でやらなければ、誤魔化しがきくってことだ。


「ふっふっふ。閃いたぞ、カミユ」


 突然笑い出した俺を、カミユが気味悪そうに眺めた。

 氷、そしてダスト

 ポイントは、模擬彗星を作るのに必要な材料が、その2つってとこだ。


     *


 教室の皆の机には各々の水槽が乗っている。

 なぜか既にうっすらと苔の生えているものや、潔く草ボーボーに生やして英国風庭園を造り上げている猛者もいて、先生にきっちりと叱られている。

 

 俺はといえば、綿毛どもが油断して顔を覗かせるたび、拳に握り込んだ笛を鳴らして引っ込めさせるお仕事の真っ最中だ。結構気が抜けない。


 皆が立ち上がり、彗星の材料を受け取って席に戻ってくる。その波に俺も乗る。


 渡されたのは、キンキンに冷えて周囲の水蒸気を白く煙らせている氷の塊と、袋に入れられた地球の土だった。この氷が濾過済みの純水から作られた飲食用の市販品だということは、事前に質問して確認済みだ。


 抗菌処理していない地球の土は、菌と微生物のパラダイスだろう。

 綿毛どもにとっては毒も同然の土の代わりとして、俺は制服のポケットに、ココアパウダーを忍ばせていた。

 ココアなら大丈夫という保証もなかったけれど、成分表を見る限り、少なくとも微生物よりはマシに違いない。


 先生の目を盗み、土とココアパウダーの袋をすり替えて、氷にココアをまぶす。


 カミユに目配せをし、奴が先生の気を逸らしている間に、実験用のガス銃じゃなくて手で、蓋代わりの高機能弾性素材エラストマーにぐりぐりと押し込んだ。

 粘性の分子が固体に密着しながら隙間を開けてくれるお陰で、気密性を保ちながら個体だけ通すことができるのが、この素材の売りなのだ。


 入った。

 デザートのアイスみたいなココア味の氷が、原始の地球に到達した。

 同時に先生が振り返り、上機嫌に教室を見渡す。


「みんな終わったみたいね。それじゃ、水槽は後ろの棚に並べておいて、これからどうなるか、しばらく観察していくことにしましょう」


 先生の言葉を聞いて、俺は肩の力を抜いた。とりあえず今日のところは、なんとか乗り切れたようだ。

 明日以降は誰よりも早く登校し、笛を吹いておくようにすれば、きっと大丈夫。

 俺もカミユも、ほとんどそう確信していたのだが。


     *


「えっ、何してるんだ、こいつら!?」


 翌朝。

 誰よりも早く教室に着いて水槽を覗いた俺とカミユは、思わずのけぞった。


 水槽の中でカラフルな綿毛どもが、全体で輪になっている。

 ぐるぐると一定の方向に動いたり、止まって少し輪を広げたり、狭めたり。

  

 よく見れば輪の真ん中には、濡れた土とココアの塊がある。

 氷が溶けて大地を濡らし、残ったココアが湿って塊になったのだろう。

 その周囲を綿毛どもが、規則正しくぐるぐると巡っているのだ。


「俺、こういうの、見たことあるなあ」

 カミユが、どこか放心した調子で呟いた。

「確か歴史の授業で、古代の祭りを映像で流した時に……」

「わかる」


 俺も放心して頷いた。

 廊下の足音を聞き、ハッとして、急いで笛を吹いた。

 綿毛どもはたちまち散っていく……かと思いきや、なんと。


 二手に分かれた。


 多くは今まで通り、素早く地下に逃げ込んだ。

 ところが一部の、なんとなく他より大きいんじゃないかと思われる個体が、ココアの塊の周囲に集まって、そこから動かなくなったのだ。

 さながら、宝物を守る戦士のように。


 焦って俺は、二度三度と笛を吹いた。

 けれども戦士は、その場から決して動こうとしない。


「まずいよジル、みんな来る」

「おい、隠れろったら!」


 人感センサーが作動してドアがスライドし、クラスメイト達が教室内へ踏み込んできた。俺は背中を水槽にくっつけてその場に立ち尽くす。

 ぎこちない挨拶を交わす合間に、カミユが布を被せようかと耳打ちし、それも変だろと小声で返す。互いにすっかり動揺している。


 ついに先生がやってきた。みんな席についてと言われ、仕方なく水槽から離れる。

 どうか気付かれませんように。

 願い虚しく、先生はさっそく水槽に目をやった。


「さて、テラリウムの観察をした人はいるかしら? 昨日の今日だから、見た目に何も変化はなくて当然だと思うけれど、ミクロの世界では――」


 コツコツと靴音を響かせて教室後方の棚へ歩み寄った先生は、話を続けながら並ぶ水槽に目をやり、そしてある場所で立ち止まった。

 身を屈めてその水槽を覗き込み、目をこすり、ん? と声を出す。


 俺とカミユは顔を見合わせ、ふっと諦めの笑みを交わした。


     *


 親が校長室に呼び出しを食らうというのは、<Vega2>建設以来、初の事件だったらしい。母さんは「前代未聞よ!」とヒステリックに頭を振り、親父は苦笑いして鼻の頭を掻いていた。


 早く解放されるために、俺は大人しく神妙な顔をしているつもりだったのだけれど、校長先生の言葉に一度だけ、反論めいた発言をしてしまった。

 正式に製品化されていない商品を教室に持ち込んで、何か事故があったらどうするんですか、危険でしょう……と窘められた時だ。


「危険じゃない」


 俺は足元を見つめたまま、ぼそりと呟いた。

 だって、こんな俺でも育てられるんだぜ?

 綿毛どもが俺を認識してなくても、俺はあいつらを死なせないために、ない頭で考えた。これって良識ある大人たちが好きな、情操教育ってやつじゃないのかよ。


「親父が開発した商品です。危険でも残酷でもありません」


 言った瞬間、なぜだか鼻の奥がツンとして、顔を上げられなくなった。

 俺はたぶん、企業ナントカの奴らにも、ずっとこれを言ってやりたかったんだ。


 その後、校長先生は俺抜きで親と話して、実際に危険はなかったということで、厳重注意だけで家に帰されることになった。


 仕事の忙しい時に抜け出してきたという母さんは急いで職場に戻り、家には親父と俺が残される。

 研究室に籠っていることの多い親父とこんな風に二人になるのは、久しぶりのことだった。普段は研究のことで頭がいっぱいで、それ以外に関しては抜けたところのある親父だけど、さすがに今回は説教されるだろう。ただでさえ扱いの難しい開発中の商品を勝手に使って、問題を起こしたのだから。

 そう覚悟していた俺の予想に反して、親父が発したのは、思っていたよりもずっと普通の声だった。


「甘いものを与えると急激に進化し、社会性や知性らしきものを見せるようになる。商品チェックに参加した社員から上がったのは、そういう声だったんだ」


 家に持ち帰らされた水槽の中を覗きながら、親父はそう教えてくれた。

 糖分はエネルギーの塊だから、単純な生物に劇的な変化をもたらすのかもしれない。今回のココアでも同じことが起こったのかもしれない、と。

 

「大量のエネルギー源に出会った時の単純な行動選択として、マーキングのために一部を残したのかもしれない。パターン化した運動が知性に見えることもある。

 たとえば地球の在来種である粘菌は、脳を持たない単細胞生物であるにも関わらず、意思のある集団行動を起こしているように見えることがある。

 サッカースタジアムのサポーター達のように綺麗な渦巻き状のウェーブを起こしたり、迷路の最短通路を見つけることでも有名だな」


 親父の表情が思ったよりも明るく穏やかだったから、俺はホッとした。


「怒ってないのかよ」

「怒る? まあ、開発中ということになっている試作品を勝手に使うのは、もちろんいいことではない。だけど父さんはあれを、子供に遊ばせようと思って開発し、完成させたつもりでいたんだ。その通りになったからと言って、怒る気にはなれないな。

 それに、危険がないとわかっていたから、家の倉庫なんて簡単な場所にしまってあったんだよ。これで何か事故が起きたとしたら、それは父さんの責任さ」


 そう言って親父は片目を瞑り、なぜかニヤリと笑った。


「ちなみに父さんは、カフェロワイヤルってやつをやってみたくて、お前のじいさんが大事にしていた100年もののブランデーを勝手に開けたことがある。

 ブランデーを染みさせた角砂糖をスプーンに乗せて、火をつけてコーヒーに入れるんだ。普通のスプーンでやったら転げ落ちて、服に穴が開いてなあ」


 涼しい顔でそんなことを言うから、思わずまじまじと見つめてしまう。

 どうやら親父は、俺が思っていたよりずっと、悪ガキだったらしい。


「もし何か悪いと思っているなら、将来おまえの子供がヘマをした時、今回のテラリウムの話をしてやれ。それで帳消しだ」

「……もしかして親父も、じいちゃんに同じこと言われた?」

「ああ。じいさんも、ひいじいさんにな」


 なんだよ、悪ガキの家系じゃん。

 口元がむずむずして、俺は親父から目を逸らし、水槽の綿毛どもを見た。


 丘からコロコロ転がったり、窪みにはまったり。いつも通りの行動をしている奴もいれば、まるで遊園地のピエロから風船を配られるのを待つように、ココアの周りに行列を作っている奴らもいる。


 クラスの連中は目を丸くして、すっげぇを連発していた。

 すっげぇ、俺も育てたい。私も。丸くてフワフワで可愛い。どうして販売しないの? 次のクリスマス、絶対にこれを頼むのに!


「ああ、そうそう。おまえに1つ、いいニュースを伝えなくちゃならん。

 この10ヶ月間で、密かに内部調査が進んでいてな。

 企業倫理委員会の社外委員が、ライバル会社から多額の報酬を受け取っていたことが発覚したんだ。

 そのライバル会社は、“ホムンクルス・キット”と同じコンセプトの商品を開発している途中だった。遅れを取らないために、こちらの発売を可能な限り延期させたかったと見える。事情が明るみに出て、晴れて懸念は払拭されたというわけだ。

 “ホムンクルス・キット”は今年のクリスマスに、今度こそ発売されるぞ。

 おまえは確か、学校で大々的に宣伝してくれていたな。広報宣伝の対価は適正に支払わなけりゃならん。

 さあ、クリスマス、一体何が欲しい?」


 俺は息を呑んで親父の顔を見上げた。

 親父はまるで、昔の悪ガキだった頃みたいな顔で、実に楽しそうに笑っていた。


     *


 12月。<Vega2>の内部にも伝統的なイルミネーションが輝き、赤い服を着た白髭の爺さんが街区を隔てる“思考する壁インテリジェンスウォール”を乱舞するという、お馴染みの季節がやって来た。

 キリストってのはクリスマスを作った偉大な人なんだろ? 知らんけど。


 俺は一足早く、クリスマスプレゼントをもらっていた。

 カミユが苦笑しながら、気分上々の俺の頭を見る。


「本当に良かったのかよ、構造色ヘアの遺伝子なんか取り入れて」

「いいに決まってんだろ。おまえのその孔雀みたいな頭、かっけえってずっと思ってたんだよ。でも、全く同じなのは気持ち悪いから、俺は赤ベースにしてもらった」

「まあ、いいけどな。母さんも喜んでたし」


 俺は少し長くなってきた髪を振ってみせる。自分では見えないのが悔しいけれど、毛の根元の方は既に構造色が発現しているはずだ。

 俺の願いを聞いて保守的な母さんは渋っていたけれど、親父がなんとか説得してくれた。俺と親父はあれ以来、親子というより悪ガキ仲間のようになりつつある。


「親父も喜んでたぜ。おまえがクリスマスプレゼントに“ホムンクルス・キット”を頼んだって知って」

「当たり前だろ。ずっと欲しかったんだよ。校長先生も買ったって噂、知ってるか? 校長室で密かに育ててるらしいぜ。」

「嘘だろ? じゃ、確かめに行かないと」

「呼び出し食らえば校長室に入れるんだっけ」


 次は何をやらかす? 声が被って俺たちは噴き出した。


 俺が将来結婚してパートナーと子供を作るとしたら、まず最初に、遺伝子デザインを考えることになるだろう。

 でも、相手が何を言おうと、親に従順な良い子ちゃんの遺伝子なんか、絶対に入れないって決めている。

 そうじゃなきゃ、テラリウムの話ができないだろ?



<了>

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