甘露
「月島課長? ネクタイが曲がってますよ?」
チームの部下を連れて、ひと息休憩を取りに行こうと社内ラウンジに向かっていた所、秘書を連れた社長とすれ違った。ただその社長、僕みたいな一課長ごときに足を止め、そう話しかけたのだ。
「――彼女さんは見てくださらないの? 部下にも素敵な女の子がいるみたいですけど?」
「いやあ彼女たちにそんなことをさせるワケにはいかないでしょう。――少々暑かったもので……気をつけます」
言うだけ言うと、社長は去っていく。
僕の部下の女の子たちも深々とお辞儀をする。
「真琴社長、素敵~~~」
「カッコイイなァ」
「うん、それに凄かったよね……」
うちの社長は最近、胸が張って苦しいからと、いつものようなスーツではなくトップスは伸縮性のあるナイロンやニットを着るようにしていた。ただ、いつもならふわりとした柔らかさのある
「課長もニヤけてないでネクタイくらいちゃんと締めてください」
「課長もさすがに真琴社長くらいになるとニヤけるんですね」
「あれ? でもネクタイそんなに曲がってませんよね?」
「ああ、いま自分で直したから」
もちろんネクタイが曲がっていたわけでは無い。あれはたぶん欲求不満と嫉妬が入り混じったタダのいいがかりだ。僕のチームには女の子が多い。いや、そもそもデザインだとか、あと海外取引のチームには、社長に憧れて入ってきた女性社員が多いと聞く。別に僕に人事裁量権があるわけではないのだから勘弁してほしい。
◇◇◇◇◇
ペコ――ラウンジで休憩を取っていると、大樹からのメッセージが届く。
「ああ、悪いんだけどみんな、午後は少し任せてしまってもいいかな?」
「構いませんよ。課長が居なくても今の時期は回りますから」
「またですかぁ? 社内でイケナイ事してませんよね?」
「うち、不倫とかには厳しいって聞きますよ。課長も気をつけてください」
「いやいや、メッセージの相手は男だから」
「そういう
違うから――と誤魔化しつつ、ラウンジを出てエレベータを使い上階へ。
役員のみが出入りできる階へ向かい、無人のドアの前で社員証を通して中に入る。
「おっ芳潔くん、来たんだ。真琴さん、
ラーメンのおかもちを下げた小柄な女性とすれ違う。彼女は大樹の奥さんの一華さん。今はこのビルの上階に大樹と住んでるんだけど、仕事は隣のビルに入っているラーメン屋『バチクソラーメン』での仕事を未だに続けている。父親の店での仕事が好きなんだそうだ。その彼女が指で頭に角が生えたみたいな仕草で僕を脅した。
「何にもしてないんだけどなあ」
その場は苦笑いで誤魔化した。
◇◇◇◇◇
「おっ、来た来た。被告人、登場~」
冗談と共に出迎えてくれたのは裕也。あいつにはまだ僕の気持ちなんかわかるまい。
「やめてくれ。まだ有罪と決まったわけじゃないでしょ」
部屋の右手奥にはたくさんのお酒が並ぶバーカウンターが目立つ。
部屋の中央には革張りのソファーとローテーブル。
奥の壁はガラス張り。ただ、その向こうはビルの外ではなく上下の階からの吹き抜けでプールになっている。プールからガラスを隔てた向こうは海まで特別目立つ建物は無い。どこからみつけてきたのか、こんなビルの上階をオフィスにしたがったのは大樹だ。
「ん、いらっしゃい」
ズズズ――と髪を耳に掛けながら、ラーメンを食べるには場違いなローテーブルで麺を啜っていたのは和美。さすがにソファーに座ったままで食べるのは無謀だったのか、パンプスを脱いでラグの上に座り込んで食べている。
「何やってんの。会社の役員でしょ? バチクソまで食べに行けばいいのに」
「いやいや、社員の昼を邪魔しちゃいかんし」
そう言ってバーカウンターから声を掛けてくる大樹。カウンターの上には既に空になっているであろうラーメンどんぶり。
「まあ、遅い昼食には同情するよ」
「あいや、昼はちゃんと食べた。なあ?」
「まあな」――と裕也。
「それよりもお前、真琴さんが機嫌悪いぞ」
「そうそう、芳潔が若い女の子に囲まれてて羨ましいって」
「それ、裕也の感想が混じってるでしょ」
「てゆっかさ、社内もそうだけど真琴さんに同行して行く先行き先でもう男の目がヤバいの」
「オレなんかこの間仲のいい外資系の役員から聞かれたもん。――おいタイキ、あれはシリコンか? ナチュラルか?――ってマジ顔で! だから俺は言ってやったんだ。――オレはナチュラルだと聞いているが、たとえお前んトコのビルを売ったとしても、あの胸を拝んでそれを確認できるのはこの世でただ一人。ダンナだけだ――ってな!」
そう言って大笑いする大樹と裕也。
「お前のジョークはよくわからん」
「笑い事じゃないわよ。大変なんだから、本人は」
上の階から降りてきた晴臣がそう言う。
ラーメンを食べ終えた和美も続く。
「――ただでさえ大きくて肩がこるのに、お乳を出すために張ってカップも大きくなるし、何よりすごく痛いんだから」
「和美も確かに大きくなったよね。お得感があった。大樹のとこもそうだったろ?」
「いや一華はその……なんだ……どこに母乳が詰まってるのか謎だったわ」
「それは…………残念だったな」――と裕也が肩に手をやり慰める。
「それで? 真琴は?」
「ああ、いま下のプールに居る。水の中が楽なんだと」
「お腹もさすがに目立ってきたしね」
ガラス張りの部屋の奥まで行くと、プールでのんびり浮いている真琴がいた。
僕が手を振ると彼女も振り返す。
以前までは二人だけの時にしか彼女はプールに入らなかったのだが、お腹が大きくなってきた今は僕たち旧友の間でだけ、水着を解禁していた。
◇◇◇◇◇
「あなた……よかったの? お仕事の方は?」
タオルを羽織ってプールから上がってきた真琴。髪はまとめ、キャップを被っていたのでそれほど濡れてはいない。
「部下の子たちに任せてあるよ。責任だけ持ってあげれば若い子は育つし」
「そうだけど……ずいぶん信頼してるのね?」
真琴にしては少しだけ棘がある。廊下でのこともそうだが、彼女のこういった態度は珍しかった。
「よ、芳潔!」
「なに? 大樹」
「す、すまん。マジですまん、真琴さんで催してきた!」
そう言ってトイレに駆け込む大樹。
真琴はマタニティ用のセパレートの水着を着ていたが、トップスの合うものが無かったので上は普通のビキニをつけていた。今まで水着姿を見せなかったこともあって、大樹には刺激が強すぎたのだろう。
「うっわ、最低」
「中学生かよ」
「よく今まで捕まらずに生きてきたな、あいつ」
「大樹のそういうところが僕には安心できる」
「どこが!」――と和美。
「――けど、それなりの意味はあったのよね。これだけ体を磨いてきた意味が」
「そうだね。真琴は綺麗だよ」
僕にとっては大樹の素直な反応は、真琴を独占していることの、つまりは僕の自尊心を支えてくれている。これだけ羨まれる真琴を好きにできるのは僕だけだという自尊心を。
「あ、あの、あまり見ないで……」
そう言いつつも胸を張りこそすれ、隠そうとはしない真琴。僕らの間ではそういうプレイでこの何年かを過ごしてきたし、それ以前の五年間も彼女はそうしてきた。
「ごめんごめん、つい見とれちゃって」
「晴臣もあとで怒られるぞこれ」
「そうね、お仕置きが必要ね」
「あなたも……その……私……」
ごめんなさいと言いたいのだろう。だけど僕は彼女にその言葉を禁じていた。
「嫉妬してくれたんだね。ありがとう。でも部下の子たちとは何もないよ」
「ううん……」
首を振る真琴。
部屋は暖かかったが、僕は彼女の身体を心配してローブでくるんであげた。
「さてそれで? どうして芳潔は真琴と
おそらく今回の集まりの本題であろう内容を問い詰めてくる和美。
真琴のこのところの欲求不満はおそらくそれが原因。
「いや、それは……確かに最初の頃はしてたよ。その、
「ん、まあ……詳しくは言わないでいいわ。それで? 最近ずっとご無沙汰って聞いてるけど」
「なんというか……」
「なに?」
「真琴の身体か
「はい?」
「その、産科で指導を受けたんだよ」
「ああ、出産のビデオとか見せられて衝撃だったってこと?」
「違う違う。ほら、赤ちゃんが咥えやすいように先っちょを引っ張って伸ばす? そういう準備をしておいてくださいって言われるでしょ?」
「どうだろ? 病院に依るかな」
「まあとにかく言われたんだよ。旦那さんも協力してあげましょうねって。要はその……」
「吸ってあげてたわけね」
「まあ、そう……。そしたらさ、出るようになったんだよ。お腹が目立ち始めた頃から」
「ああ、そういうこともあるかもね」
「甘いでしょ、あれ」
「甘いみたいね」
「無茶苦茶甘いぞ、あれ」
「そうなのか。大人が飲んだら腹壊すとは聞いたけど」
「そうなんだ? まあとにかく、止まらなくなったんだよ」
「それは聞いてる。ベタつくから困るけど、まだ本格的じゃないからパッドでなんとかしてるのよね? で?」
「その、
「あー」
「あれは結構衝撃だよな」
真琴は羞恥に耐えきれず、両手で顔を覆っていた。
さらにはいつの間にかトイレから出てきていた大樹が、再び引っ込んでいった。
「何と言うか、その光景が大きくなったお腹もあって、あまりに神々しくて…………生命の神秘に触れたというか、真琴が女神か何かに見え始めて……」
「それでできなくなったって言うの!?」
「フラッシュバックどころじゃないな。反動で逆方向まで飛んでった感じか」
「いや孕ませたのは芳潔でしょ?」
「そうよね、芳潔以外居ないんだから――オレが孕ませてやったんだ!――くらいに思えないの?」
「いや和美、さすがにそれは芳潔も引くよ」
「少し前まで芳潔は真琴さんを自分の中で持ち上げようとしてたから、その勢いもあったんだろうかな」
どうしたものかと皆で悩んで途方にくれていると大樹が戻ってきた。
「ふぅ、オレにいい考えがある!」
――そう、トイレの賢者様は
◇◇◇◇◇
まあ、確かにやったことが無いわけではなかった。ある意味倒錯的なプレイを。ただあまり直接的な快楽に繋がるわけでもなし、ちょっと真琴にも申し訳なかったのもあって数えるほどしかしていない。
「ごめんね、目に入った?」
「ん、大丈夫……」
僕はその日の夜、真琴を穢した。
たぶん、この行為にそれほど大きな意味は無いのだろう。大した解決法でもない。ただ、触れるにはあまりに痛々しいほどに張り詰めた双丘から流れ出る甘露は、神話からの時代を感じさせる神秘的な飲み物に思えたし、皮膚を張り詰めさせている子宮の収まるお腹もまた、同じく神秘的な寝所に思えた。
「――さすがにちょっと……このままは恥ずかしいのですが……」
申し訳なさそうにそう言った彼女は脚を開いたまま待っていた。僕のものを浴びることで神秘性を穢され、僕の元へ
◇◇◇◇◇
「んきゅぅ…………」
声にならない声を上げる真琴。赤黒いほどに真っ赤になったその顔は、想像を絶する痛みと苦しみに耐えているのがわかる。
僕は真琴が力まないように隣で呼吸を合わせていた。ともすれば僕の方が動揺しそうな状況だったが、お互いに強く手を握りしめ合う。
昨日の夕方に陣痛が始まって真琴を病院に連れてきた。まだ時間がかかるからと僕は一旦、家に帰り、連絡を待つ。夜も眠れなかったが、酒を飲むわけにもいかない。遅くまで大樹を相手にネット上でくだらない話をしていた。空が白み始めたくらいにうつらうつらとし、いつの間にか眠っていたが、朝、破水したとの連絡を受けて病院へ。
そこからは慌ただしかった。立ち合いのために待たされ、中に入ると落ち着いた表情の真琴。ただ、我慢していたのかすぐに表情は崩れた。力まないようにと看護師さんに何度も声を掛けられ、僕はその補助をする。やがて――力んで――と声を掛けられる。――痛いけどちょっとハサミで切るね――と声がかかりバチンという音。どこを切ったのかと、男の僕には想像もできないくらい痛々しい。そして――。
産声をあげる僕たちの子供。
娘さんですよ――と声を掛けられ、すこしだけ抱かせてもらう。似ている? とか似ていない? とかまだ全然わからない。ただ赤い。赤ちゃんというだけのことはある。そしてしわしわ。
娘は処置を終えた真琴の
あれほど真っ赤になって苦しんでいた真琴は、今や女神のような笑顔を湛えていた。
僕は彼女の額の汗を拭う。
「ありがとう。真琴、ありがとう……」
「ん…………ありがと…………」
声を発するのも辛そうな彼女が掠れそうな声でそれだけ言った。
その後、真琴は順調に回復し、娘と一緒に退院できた。
晴臣のところは一人目がひと月も早い早産だったため保育器からなかなか出られなかったらしい。ただいずれにせよ、僕らはどちらも元気な子供を授かることができた。
浮気をした女性は汚らわしいという人が居る。実際、僕も最初はそんな感覚に襲われた。ただ、子を産み、乳を与えるという大役を授かった彼女らは、本質的に女神様と同等の神秘的な存在だ。僕ら男の役割なんて、それに比べると小さなものだ。そんな小さな役割を大勢でせめぎあって勝ち取っただけ。良くてマーキング程度の達成感だろう。
だけど彼女たちはそれ以上の達成感を得ている。生命の神秘、神代からの偉業。真琴の妊娠と出産を通じてそれらを感じ取った。もしかすると真琴は僕よりもその偉業にこれから従事するかもしれない。だけどそれでもいい。こんな素晴らしい体験をさせてくれたのだから。
「芳潔、あいしてる」
--
芳潔のフラッシュバックを完全に消してくれた体験でした。
寝取られには巨乳がよい あんぜ @anze
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