何処か遠くで、鐘の音が鳴っている。

少し冷たくて湿気の混じる空気、上から差し込む日差しが顔に当たって眩しかった。

なずなは、固くて冷たい地面に倒れていた。


「う……、わたし…」


目が覚めたわたしは、慌てて起き上がって辺りを見回した。石で作られた地面に、同じ材質の壁が建物の中を覆っている。中世時代の外国にありそうな、古めかしさを感じる。


「…そうだ、さっき車に…!」


気を失う直前に交通事故に遭ったことを思い出した。体に怪我がないかを確認してみたが、特に怪我も痛みもなかった。

おかしいな、と思う。

確かにあの瞬間、事故に合っていたはずなのに……?

なら、ここは天国……なのか?

それにしてはリアルな感覚がするのは、気のせいだろうか。


「……つか、ここはどこ?」


あのスーツの人達に捕まえられた……にしてもおかしい。縛られていないどころか、放置されているなんて。

ハッとしたわたしは、バッグからスマホを取り出した。

とにかく誰かに連絡をしなくちゃ、と電源スイッチを押してみる。


「は、圏外?」


……ここは電波が飛んでない場所のようだ。しかも、スマホの画面の日時と時間が上手く表示されなかった。肝心な所で壊れてしまったのかもしれない。

うわぁ。壊したのバレたら怒られる。お母さんのガチギレおっかないんだよね……

考えたらちょっと寒気がした。

……じっとしていても、仕方ないよねと思ったわたしは、バッグを背負って立ち上がろうと、壁に手をついてみる。

すると、


「……?」


わたしの頭の中に誰かの声が流れ込んできた。しかし、遠すぎてよく聞き取れなかった。


「……誰か、いる?」


思わず、問いかけてみる。

けれども、返ってくるのは外から流れる風の音と沈黙のみだ。

誰もいないのかな?と思ったが、やはり気になったので、謎の声に集中してみる。

暫くそうしてみたが、全くわからなかった。

わたしは息を吐いてから辺りを見回した。少し先に、階段が見えた。

謎の声は、下の方から聞こえてくる気がする。


「……階段を下りてみるか…」


用心の為に様子を伺ってみるが、やっぱりと言うか、人の気配は無さそうだった。

こつこつ、とゆっくり石畳の階段を降りていく。冷たい空気と少し湿気を帯びた臭いが流れてくる。

暫く開けてないのか、ちょっとカビ臭い。家の倉にある本を開いた時みたいだ、となずなは思っていた。

なんだか、少し非日常みたいだなとか思ってしまうのは、いけないことだろうか?


階段を下りていく内に段々と空気が寒く、白くなっていく気がした。薄暗い中を進むのに目が慣れてきた頃、階段の終わりと共に奥の空間が仄かに光っているのを感じた。

そこに、巨大な氷の柱が天井に突き刺さっていた。

周りの空気が冷えているせいか、白い霧が漂い、少し見えづらいが…

氷の中に人の影が写っていた。


「…人がいる」


氷の柱に近寄ってよく見てみると、氷の中に人が入っていた。

この光景は見たことがある。

昔から見る夢と全く同じ。氷の中で眠る少年が…目の前にいる。

そんな馬鹿なと、わたしは自分の頬っぺたをつねってみた。


「……いたた……夢じゃない?」


結構強めにやったのに、普通に痛い。

夢の中が現実になるなんて、おかしい。

でも……それなら交通事故に遭ったわたしが怪我一つなく生きているのも、おかしい。

もしかして、氷の中の彼は何かを知っているかも知れない。


「……」


なずなは、そっと氷に手を触れた。

ここはどこか、知りたくて。

(お願い、教えて)

すると、その呼び掛けに呼応するように。氷の中が淡く光った様な気がした。


『君は……』


通じた!となずなは思った。

どうやら心の声は日本語でも訳されるみたいで、問題なく通じるようだった。


「初めまして、でいいのか?わたしは、なずな。あなたの名前は?」

『僕は、ロクショウ。ロクでいい。僕に語り掛けているのは君の力かい?』


と、穏やかに話す少年…ロクショウ。

見た目よりも大人びている話し方だと思った。


「うん、そう。ロクはどうしてその中で生きているの?」


こんなに寒い中だし。普通だったら寒すぎて生きていられない筈なのだ。


『僕は、訳あってこの搭に封印されているからね』

「ふういん…?」


封印されるもの、と言うと何となく悪いもののようなイメージがして、わたしの頭の中で疑惑が浮かんでいた。……ロクはパッと見、無害そうな見た目をしているが。

それが伝わったらしい、ロクは


『うん。なずなの疑問は半分合ってるし、半分違うな』

「なにそれ……?」

『僕はこの中で悪い神サマを癒していてね、ようやく神サマの力が落ち着いて来たんだけれど…彼に好かれたみたいで、今度は僕がここから出してもらえなくてね』


人が神サマと言うやつに好かれてしまった、という話は古今東西よく聞く話。

それと、神サマはお気に入りの人間を神隠しにして囲ったり…割とメンヘラな気質な方も少なくないし。

…神サマ基準ではそうするのが普通なのかも知れないし、人間の基準では測れないところなんだけどさ。


「それで、夢に出てきて助けてって……?」


でも、どうしてわたしだったんだろう?


『ずっと、この時を待ってたんだ。僕の大切な友人にそっくりな君に』


どこか浮世離れしたその声を聞くと…

今まで言われた記憶は無いのに、わたしは少し懐かしさを感じた。


『僕を、ここから出して欲しいんだ』


ただ、戸惑うしか出来なかった。

夢の中のなずなは、少年を助けるつもりで、ずっと色々考えてきた。


「そのつもりでわたしを呼んだの?」

『…事故にあう瞬間、白昼夢を見たよね。それで異世界の君と繋がる事が出来た』

「……まあ、いいけど。ここってやっぱり異世界なのか」


君からすれば、ファンタジーの世界かも知れないね、とロクが笑う。

さっきから神サマとか封印とか言っているし……ロクを包むこの氷柱も、魔法の産物なのかもしれなかった。


『搭の中は自由にしていいよ。氷を壊せる武器もあるかも知れないから』


そう言われたら、色々とうろつきたくなる。なずなの中の好奇心が沸き上がっていた。

夢の中のわたしは、確か棒で氷を砕こうとしていたけど……あ、落ちていた。

何となく試しにそれを手にして、氷柱にむかって振りかぶってみた。


がんっ、と言う衝撃が棒から腕に伝わってじーんと体が響いた。もちろん、氷は無傷だ。


「……ですよねぇ」


やっぱり、探しにいかなくちゃ駄目ですかね。

やってみるしかないか。



………………

………。


明くる日。

搭の一室で休んだわたしは(ロクが使っていいよと言ってくれた)、搭の探索を始めた。


あれからロクに話してみたところ。

この世界は三神世界と呼ばれている異世界だと聞いた。三柱の世界の神がいて世界を見守り、彼らの補佐をする神々がいるのだそうだ。

ロクが封印している神サマは、その補佐をする神々の中の一柱だそう。

わたしは特定の神様を信仰していないから信仰心は薄い。

けれど、日本の古来からの考え方で、あらゆるものには神様が……八百万の神々がいるという思想は良く聞いていた。


「…この部屋には、っと」


搭の中には階層ごとに部屋が作られている……と言っても、階段と階段の間の踊り場、みたいな感じ。ここには、小さなナイフが落ちていた。


「ナイフ…」


手に取ってみる。軽くてわたしでも振り回せそう。

これで氷を削りとったら……んー、助けるのにものすごい時間がかかりそうだ。

うーん。いっそ、一回氷が割れるかパンチをしてみたい。…でもそれはロクにもダメージが入りそうなんだよね。

他に氷を壊せそうなものはないかな、ときょろきょろと部屋を見ていると、変な物体が目に入った。

黒っぽい色をした…蝙蝠なんだろうか?

床に倒れてぐったりしている。お腹が空いているのだろうか。


「……蝙蝠って、何を食べるんだろう」


気軽に血を上げるわけにもいかないし。

休んだ部屋から持ってきたパンだったら食べるだろうか…。

少し悩みつつ、わたしはバッグからコッペパンを千切って蝙蝠の目の前に差し出した。

パンの匂いが分かったのか、蝙蝠の目がカッと開く。


『……た、食べ物?!』

「まじか。この世界は動物も喋るんだ…」

『は?ニンゲン…?』


蝙蝠はわたしのまじまじと見て、何でお前が?と言う顔をされたが、蝙蝠はパンにかぶり付いていた。

やっぱりお腹空いていたんじゃんか。


「誰も取らないから、ゆっくり食べなよ」

『うるへー…ふがっ!』

「お水もあるよ」


近くにあったお皿に水を注いで近くに置くと、慌てて飲んでいる。

何だか、口が悪いなあコイツ。個人的には少し親近感がわくかも。

蝙蝠はパンを食べた後、落ち着いたようだった。


『はー。助かった助かった。ありがとうよ、ニンゲン』

「ニンゲンじゃなくて、わたしはなずなだよ」

『…なずな?変な名前だな、お前』


…ここは異世界。わたしの名前は、馴染みのない語感かもしれないが、それにしてもコイツの言い方…失礼なやつなのか?


「は?……蝙蝠くんは名前何て言うの」

『俺はスオウってんだ。いかした名前だろ?』

「そうだね、いいんじゃない」


はいはい乙。わたしは気持ちの籠ってない言葉で返事をする。

ところでさ、とスオウはわたしに問いかけた。


『なずなは、何でこんな辺鄙へんぴな所にいるんだ?』

「んー。頼まれちゃったんだよ。この搭の奥の氷柱を壊さないといけなくて」


スオウもあの氷柱を目にした事があるのか、あからさまに顔をしかめていた。


『……はあ?それって……ヤバイ圧を放ってるあれ?』

「ヤバイ圧、放ってるの?」

『あー、そっか。俺ら悪魔にしかわからないのか』


ん?悪魔?

蝙蝠のモンスターとかじゃなくて?


「……スオウは悪魔なのか?」

『んだよ。世の中色んな見た目の悪魔がいるんだよ。猫や魔神にハリネズミ姿の悪魔もいるんだぜ』


どういう悪魔だよ。それじゃあ、悪魔というよりも魔物みたいだなとわたしは思った。

と、いうよりも。わたしは、不思議に思ったことを相手にぶつける。


「この世界の悪魔は、羽と尻尾ないのもいるの!?」

『なんださっきから……まるで別の世界から来たみたいな口振りだな』

「あ、うん。そうだよ」

『うっわ……嘘ついてない、だと…?』


スオウは少しの間、考えるような仕草をすると…わたしにこう言った。


『異世界のニンゲンか。何か面白そうだ、俺と契約しないか?』


続けて『もちろん主はあんただ、安心しな』

と告げたスオウ。まるで、お昼食べにいくかーと言う軽いノリで言ってきた。

まってまって。すぐに「はい、いいよ」と言えない事を聞くんですか。流石に初対面で言われたら、警戒するでしょ。


「悪魔と、契約…?何か対価を取られたりしない?」

『あー別にいらねぇけど……たまに、さっきみたいにご飯を分けてくれればそれでいい』


そんなのでいいの?と思っていると、スオウは『仮にもいい大人が、子供から対価を取ってどうすんだよ。馬鹿か?』と吠えていた。

見た目分かりにくいけど、大人だったのか……動物だからかな。


「じゃあ尚更、わたしが主でいいの?」

『なんつーか。お前さん、異種族の俺を前にしてビビらないし、そういうモノに慣れている感じがするんだよな』


ぎくり、と体が強ばった。

確かにね。ある理由からわたしは、人じゃないものを見慣れているし、ちょっとのことでは驚かない。

見抜かれていたってことか。スオウは勘が鋭いみたいだ。


『んじゃあ契約。っても、なずなにこれを渡すだけだけどな』


スオウはわたしとハイタッチをすると、指輪を渡してきた。それは、小さな赤い宝石がはまったシンプルなものだ。


「なにこれ」

『それをはめると、一時的に俺とパスが繋がる』


困惑しつつ、スオウから指輪を受け取ってしまった。着けたら呪われたり…しないよね、これ。


「一度付けると、外せなくなったり…」

『しないから!お前の世界の悪魔ってそんなに信用ない種族なのかよ!』


……うん、悪魔は人を堕落に導く存在と言われてるし。考えてもあまりいいイメージ、ないよね。


『ま、持っているだけでも変身は出来っけどな』


スオウの周りが煙に包まれていく。

わたしがぽかんとしているうちに、煙が引いていく。そこには、割と逞しいお兄さんが目の前に立っていた。


「うわっ、思ったよりおじ……お兄さんだ」

『失礼だなマジで!』


スオウの背中には、赤い色をした鳥の羽が生えている。人の姿は悪魔じゃなくて、天使っぽいなと思ったのは、スオウには秘密だ。





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しがらみ少女と囚われの塔 相生 碧 @crystalspring

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