爽籟(そうらい)~風の名前~

小烏 つむぎ

タエの嫁入り

 昔々あるところに暴れ川と言われる大きな川がありました。大雨の度に川は洪水を起こし、近隣の村や田畑を水浸しにして人々を困らせておりました。そして多くの死人を出してやっと架けた橋を何年かに一度流してしまうのでした。


 その年は特に冷夏だったうえに大風が何度もやって来て、この地方の田んぼは雀もやって来こないほどの不作。年貢ねんぐを取られたらもう食べるものがありません。これで川が暴れたら、村が全滅してしまうと

村の大人たちは心配しておりました。


 今年は暴れないようになんとか川の神様にしずまっていてもらわなくてはいけないと近隣の村長むらおさたちが話し合い。出た結論は、「人身御供ひとみごくう」。いえ、いつものことなのです。大昔から、そうやって村持ち回りで娘を差し出して神様をなだめてきたのです。


 今回白羽の矢が立ったのは、川の西の村。

竹細工を生業なりわいとしている家の娘タエでした。

タエの母親は


 「この子は今、赤不浄つきのもので。とても神様のところへやるのは!

どうか、ご容赦ください!」


と泣いて頼みましたが、長たちは


 「かまわぬ!

立派な川神様の子を産めるというものだ。」


と、取り合ってくれませんでした。


 タエはその日のうちに白絹の花嫁衣裳に着替えさせられ、川上のほこらのあるふちに沈められました。



  ◇ ◇ ◇



 「もうし。お嬢さん。」


 タエはそう声をかけられて周りを見回しました。


 「ここです。足元です。」


 見ると足元に沢蟹がタエを見上げておりました。


 「こちらへ。」


 沢蟹はハサミで招くような仕草して進み始めました。


 「どこへいくのですか?」


 タエが不思議に思って聞きますと


 「ここへ流れ着いたお嬢さんが行くべき所です。」


 そう言いますので、タエは素直に沢蟹の後をついて行きました。


 案内されたのは開けた明るい場所。遠くに山々を望み、川は広く滔々と流れ、川の曲がり角には鎮守ちんじゅの森がありました。鎮守ちんじゅの森を囲むように青々とした畑と黄金色にそよぐ田んぼが広がる、それはタエの暮らしてきた村によく似ていました。


 そこに一軒だけ庄屋のような大きな家があり、沢蟹はそこへ行くようにと言って用水にポッチャリと消えていきました。


 タエは沢蟹に言われた通り、そのお屋敷を訪ねていきました。


 「おや、にえの娘か?」


 扉を開けたのは穏やかな顔つきの壮年の男でした。隆々とした体躯をもち、逆立つような髪を一纏めにして、なぜか手には火吹の筒を持っています。

 

 「ちょっと手が離せんのでな。

とりあえず中へ入れ。」

 

 案内されたのは広い土間でした。

くどには大きな釜が乗せられ、ちょうど火を起こしていたようです。水瓶の側の大きなまな板に山盛りの菜が切られ、板間にある囲炉裏いろりでは10本ばかりの串に刺さった魚があぶられ、自在鉤じざいかぎに下げられた鍋ではなにかくつくつと煮えている音がしています。


 「あの、あなた様はどなたで、ここはどこでしょう?

お忙しそうですが、お客様が来られるのですか?」


 タエは遠慮がちに尋ねました。


わしか?

わしは、お前らが『川の神』と呼んでいるものだ。」


 『川の神』と名乗った男はニコニコと笑いながら答えました。


 「客、客なぁ。

まぁ、客かもしれん。」


 男は板間の先の板戸を引き開けると、そこには10人ばかりのタエと同じ白無垢を着た女たちが座っていたのです。


 タエは驚いて『川の神』を声もなく見つめました。


 「みな、お前と同じように生け贄としてここに来た娘たちだ。

これらは村人の手で手足を縛られておってな、わしにはほどくことも切ることも出来ぬのだ。」

「まぁ!」 


 タエは自分と同じ身の上の女に目をやりました。一番端の見慣れぬ衣裳を着けた娘は顔に丹色にいろの線を画き、髪を頭の上でまとめて何かの花を差しています。そうして娘の輪郭はうすボンヤリとしていました。


 「この娘は、そろそろ魂が消える。やっと常世とこよから離れられる。」


 『川の神』はそう言うと、消えかけた娘の頬を愛おしそうに撫でました。撫でられた娘はそれは嬉しそうに微笑んだあと、けるように見えなくなりました。


 「さて、飯にするか。

タエ、お前は食べてはならぬ。

食べればここに居続けなくてはならぬ。」

「でも、『川の神』様。

わたしは、今年は暴れないでくださいとお願いに参ったのです。」


 『川の神』は手足を縛られて座っているしかない娘たちの口元に、魚や汁や握り飯を運びながら言いました。


 「暴れるなと言われてもなぁ。

元から暴れるつもりはないのだが、わしに抱え切れないほどの水がやって来たら致し方あるまい。」

「そんな。」

「それならタエ、水を無闇に流すなと谷の龍神に頼むがいい。」  



 タエは再び沢蟹の案内で谷の龍神様の祠を訪ねて行きました。 ほこらの脇の滝では、切り立った岩肌を束ねた白糸のように水が流れ落ちて行きます。滝壺は青く澄み、多くの魚影が見てとれました。沢蟹が祠を叩くと、白銀の長い髪を風になびかせた美しい若者が現れました。


 「生け贄なら足りてるよ。

もうこれ以上いらない。

お前たちの魂を生かすために、毎日ボクの滝壺のイワナを三匹ずつ食わさなきゃいけない。川下みたいに豊かな土地ではないんだ。

これ以上来られたらイワナが消えてしまう。」

「あの、神様は召し上がらないのですか?」


 不機嫌そうにしている美しい若者にタエは恐る恐る尋ねました。


 「ボクたちは水が流れていれば存在していられる。

食べ物を必要以上に欲しがるのは人間だけだ。」


 怒ったようにそう言うと『龍神』は、大きな水滴となって滝壺に消えていきました。


 タエは行き場を失って途方にくれました。

今年は洪水を起こさないで欲しいとお願いに来たのに、頼むことすら出来なかったのです。

  

 『洪水のことは山の小僧に言え。

ボクが貯められる以上の水を寄越してくるのはアイツだ。』


 龍神の声とともに小さな白い蛇が現れて、山道をスルスルと進みタエを振り返りました。タエはその蛇について険しい山道を進みました。


 途中見晴らしのいい場所からは、『川の神』の屋敷も見えました。タエはあの屋敷にいた手足を縛られた娘たちを思い悲しくなりました。今まで何人の娘たちがふちに滝壺に沈められたのでしょう。



 険しい道を上り木々が少し開けたところに、大きな岩がなんとも危なっかしく立っていました。今にも斜面を転がり落ちそうです。道案内の白蛇がその岩を尾でトントンと叩きました。


 「おお、蛇よ。呼んだか?」


 現れたのはタエの十になる弟とさほど変わらぬ年格好の子どもでした。小さな背中に獣の毛皮をつけ、手足には白い布を巻き付けています。この子どもが山の神であろうかと思い、タエは口を開きました。


 「山の神様であられますか?

お願いがあります。

どうか、今年は滝の龍神様、川の神様の抱えることが出来るより多くの水を流すことはお止めください。」


 子どもはふふんと鼻を鳴らすと、タエに言いました。


「俺もな、流したくて水を流しているわけではない。

お前ら『人』がこの山の木々を伐ってしまうものだから、降った雨を抱いていられないんだ。」


 そう言うと子どもはさっと手を振りました。


 するとタエの目の前に木を伐られ丸裸になった山が現れたのです。しかもそこかしこに山が崩れた跡が見てとれました。


 「木を失って水を抱けなくなってな、崩れてしまった。

それで俺はこんなに小さくなったんだ。」

「なぜ?なぜこんなに?」

だ。

向こうの山肌に煙が出ている小屋があるだろう。

あやつらがこの山の木を奪ってしまった。」


 タエは『たたら』というものが何か分かりませんでしたが、山ひとつの木をみんな伐り倒さねばならないと言うのはなんという恐ろしいものだと驚きました。そしてそれは『人』がしたことだと言うのです。


 「山の神様、申し訳ありませんでした。

我が村が水で苦労する元々の理由が、人によるものだとは。

なんとお詫びしていいやら。」


 タエはなんとも申し訳なく身の置き所がないような気持ちになりました。


 「水の眷属けんぞくが水が流れないと存在出来ないように、俺も山から木を失うとここにはいられない。」


 タエは驚いて顔を上げました。神様が消えた土地は神様の加護がなくなるのです。


 「なにか!何か出来ることはありませんか?」 


 山の神はタエの瞳を見ると言いました。


 「木を植えよ。

杉ではない。あれは『人』が自分たちのために植えたものだ。

杉では水を抱ききれん。

実のなる木を植えよ。

山の獣たちが飢えぬような木を。

木々を育てる土となる、冬に葉を落とす木を。」


 タエは大きく頷きました。



 ◇ ◇ ◇ ◇



 「もし、娘さん。」


 声をかけられてタエは目を上げました。そこには炭で汚れた顔の実直そうな若者が心配そうに覗き込んでいました。若者は背中の籠にたくさんの苗木を背負っています。


 「こんな山奥で濡れた白無垢など着て、誰かから逃げてきたのかね?」


 タエは首を振りました。


 「ふもとの村が洪水にあわぬよう、山に木を植えに来たのです。

あなたは?」

「向かいの山で炭焼きをしている与平という。

山のこっちがずいぶん丸裸になったのでな、山が寒かろうと思って少しばかりだがブナとかしくぬぎの苗を持ってきた。」

「わたしも手伝わせてもらえませんか?」


 タエのその申し出に、若者は人の良さそうな顔を綻ばせました。


 それから二人は何年もかけて丸裸になっていた山にたくさんの木を植え、二人の孫の代にはそれは豊かな山となったということです。


 いつしかかその山は妙ヶ岳たえがだけと呼ばれ、この山に雲がかかるとしばらくして里に雨が降ると言われています。



       爽籟(そうらい) ~タエの嫁入り~

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爽籟(そうらい)

物悲しく響く秋の風。

風が物にあたって発する響き。


籟(らい)

穴が三つある笛

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