エピローグ

三年後、ワーネイア城──


「ルドヴィーク様、いらっしゃい。髪も大分伸びましたね。」

謁見の間の玉座にて優雅に微笑むのは水色の巻き毛を王冠で纏める若き女王。彼女が出迎えたのは、燃えるような赤い髪を豊かに肩に流す男装の麗人だ。

「エミューナ姫はどう、政務は慣れた?」

「戦後処理は大変ですが、わたくしがしっかりしないと。」

仕事の話をされて、エミューナは少し困ったような笑顔を見せる。しかしルドヴィークは知っている。彼女がこうやって微笑めば、我先にと解決策が人材資材を抱えてやってくると。それはこの半分平民の血を持つ女王の天性の才能であり、彼女はその見返りに、いつもありがとうございますと言うだけで良かった。最初はハラハラさせられたが、旅の中で観察眼が開花したのか、今のところ変な輩には引っ掛かっていないようだ。まあ、何かあれば駆けつける所存だが…などと思うあたり、自分も結構エミューナにやられているんだよな、と彼女は内心苦笑して、エミューナの言葉に頷いた。

「ワタシもけっこう大変だけど…」

「やっぱり、『ワタシ』ですか?」

エミューナが面白そうに口を挟む。

「女の子だもんねー。」

「国民もおどろくでしょう。」

「三年もたてば慣れるよ。女の子にもてるんだよー、これがまた。」

ルドヴィークがそう自慢すると、エミューナは何故かちょっと口を尖らせる。

「そうですか。モーチェスさんは?」

「フィルドゥーシーさんのお墓参りって、セルジュークまで行ったけど、今日は来るはずだよ。」

「クリウスさんもそろそろ来ますよ。」


三年前、偽神の混乱にまきこまれた世界は、神の徹底的な和親策と各国の努力により、何とか平和をとりもどしはじめていた。

五人は、気付いた時には皆、ワーネイアにいた。彼らが憶えていたことは…いなくなってしまった人は決して戻らない、ということだけだった。

そこからは皆自分の国を助けるために、必死に働いた。クリウスはルドヴィークにネヒティアの統治をまかせ、ネヒティアはすぐ後、独立を取り戻した。

皆必死で、でも何かを忘れているような、そんな喪失感を各々の胸に抱いていた。そこで、その時の五人で集まることを決めた。それが、そう、ちょうど三年後の今日だった。



ウイニア国王クリウスが到着したと先触れがあった。クリウスは和親策に転換した神の熱心な信者となっており、噂ではこのまま誰とも結婚せず神父への道を歩むのではないかと言われている。ちょっと勿体ない気もするが、相手になるかと言われれば遠慮しておきたいエミューナだった。

謁見の間にクリウスが入ってくる。

「遅くなってごめん。こいつをさがすのに手間どって。」

クリウスの後に続いて入ってきたのは、実は東国の最高権力者である将軍だった──ということになった──立浪ソウだ。

「久しぶりだ。」

エミューナは立ち上がって東方風の礼をした。

「いつかは、大変お世話になりました。そちらの国のとりなしがなかったら、戦いもうまくは終わらなかったでしょう。」

「いやいや。礼には及ばぬ。拙者もあれが本意だった。」

ソウとエミューナが挨拶を交わす隣で申し訳なさそうな顔をするクリウスに、ルドヴィークが肩をすくめる。

「モーチェスもまだ来てないしね。」

その言葉の途中で、モーチェス神父が入ってきた。否、今はモーチェス神官長だった。偽神による混乱に、正しき神は他にいると宣言し、和親派の急先鋒となったのが彼だ。その功績が神に認められ、神官の一族出身ではない異例の神官長となっている。

「…すいません。私が最後のようですね。」

「はるばるごくろうさまです。」

エミューナが彼に微笑む。ルドヴィークはちょっと目を逸らした。エミューナとモーチェスが仲良くするところはなるべく見ないようにしておきたかった。特に、理由はないけれど。

「…全員集まったね。さっそく…あの場所へ行かない?」

クリウスが提案し、ソウが頷く。

「我々が目ざめた場所、か。」

「何が一番大事なこと、ワタシたち忘れてるよね?」

ルドヴィークが真剣な顔で皆に確認した。それに応えてモーチェスが優しく微笑んだ。

「きっと、見つかりますよ。」

一同はワーネイア図書館の隠し通路へと向かい始めた。



神は極北からその様子を遠見術で眺めて首を横に振った。

「どうしてなの。もうみんな忘れたんでしょう?みんな努力してうまくやったじゃない、私なんかいなくても大丈夫よ。もう、もう…」

おっさんが彼女の隣に現れて、彼女の遠見術を覗き込む。

「記憶は消えても、何かが残っているようだ。」

「あなたは…。私はつらい。全てを忘れてくれれば楽なのに。私が望んでこうなったのに…世界が平和になってしまえば戻りたくなってしまう…。ひどい利己心。」

おっさんは可笑しそうに少し笑った。

「だれだってそうさ。帰りたいのか?」

「…。許されることではありません。」

神は眉をひそめ、唇を噛んだ。

「…。休暇をやろう。お前が死ぬまで。永遠の命は、生まれかわってから享受してもらう。お前の人生を、生きるがいい。世界の混乱をおさめたことへの褒美だ。」

神がハッとして大いなる者の顔を見る。

「でも、その間…」

「私がここにいよう。ヒトの一生なんて、私にはまばたきするような間なのだから。」

大いなる者は頷いた。神は思わず涙を流した。この神が人前で涙を流すなど、ヒトであった頃から滅多にないことだった。

神は、アンゼは、もしかしたら物心ついて以来…初めて、自分のためだけに、涙を流すことができた。大いなる者はそれを見て良しとした。

「ありがとうございます。」

「生まれかわったら、ちゃんと働くのだよ。」

大いなる者が指を鳴らした。



五人が隠し通路の魔法陣の前まで来た時、魔法陣が強く輝いた。

「あっ…」

誰ともなく声が上がる。

そこに現れたのは、忘れるはずもない、忘れようがないはずなのに、無理矢理に忘れさせられていた、

「ただいま、遅くなったわ。」

──ワーネイアの宝石のような、愛情深く美しく高貴で聡明な女性。


「あの時、ひとつだけ言い忘れたことがあるの…

ありがとう。」


世界を共に救ってくれて。

愛する人たちを守ってくれて。

──別れをいやだと言ってくれて。


「お帰りなさい、アンゼ様。」

彼女の妹が、笑顔のまま彼女の手を取る。

アンゼ、と呼んで。

もうひとつのワーネイアの宝石が、すみれ色に潤んで輝く。


「ずっと待ってた。」

懐かしい声。いつの間にか、彼が隣にいるだけで安心できた。

「遅いんだから、三年も。」

ルドヴィーク様は大人になったわね、

「また、話をききたいものだ。」

ソウには私も聞きたいことがいっぱいあるの、

「では、行きましょうか。」

モーチェス神父。神に仕えてくれて、ありがとう。

アンゼはどれも、言葉にできなかった。お礼の次は、何から言えば良いのか分からなかったのだ。

まあ、焦ることはないでしょう。だって今からはまた、アンゼの人生が始まるのだから。

隠し部屋の外へと戻り始める皆の背中を見て、彼らを信頼しきっている自分に気付いて、アンゼはこっそり微笑んだ。

くるり、とクリウスだけがこちらを向く。


「ひとつだけ、僕も言えなかったことがある。あなたは僕の…」

「あなたは私の、大切な人よ。」


アンゼが勝ち気な笑みを浮かべると、クリウスは瞠目して、それからふふっと笑い出した。

「こんなときまで、人のセリフをとらないでも…」

アンゼは知っている。彼が自分と同じ思いであることに。

「それが、私らしいでしょうに」

アンゼがそう返事をすると、クリウスは言葉の代わりに、

少し屈んでアンゼに口づけをする。


間一髪、直後に隠し部屋の扉が再び開いて。

「二人とも、早く来てくださいっ」

エミューナの声。

「あ、はーい。」

アンゼは思わず普通に返答してしまい、口づけのことをクリウスに何か言ってやる機会を、永久に失ったのだった。




─完─

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Jewels of Werneia 千艸(ちぐさ) @e_chigusa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ