#7「密談」
「――遅い」
やっぱりシカトすれば良かった、と後悔しつつ俺はため息を噛み殺した。
「これでもわりと急いだつもりだったんだが……」
「私が来てと言ったら三〇秒以内に来なさい」
「俺はお前の犬か何かか?」
「え、違うの?」
「ちげぇーよ」
屋上へと続く階段の踊り場。屋上は立ち入り禁止のため、仕方ないとばかりに伊波は階段に腰を下ろし長い脚を組んでいる。
目上に対する態度とは思えないほどふてぶてしい。
歌恋に見せる外面とはまるで正反対で、さながら女王様のようである。
人によってはご褒美だと思うかもしれないが、あいにく俺はノーマルなのだ。
会ったばかりの下級生にこんな態度を取られたら流石にムカッとする。
「てかお前、人使い荒いんだよ。一応先輩なんだけど、俺……」
「でもちゃんと来たじゃない。使われる方も使われる方じゃない?」
「……まぁ、それはそうだな」
思わず納得してしまった。
別に「来い」と言われたから来たわけでも、「殺す」と言われたから来たというわけでもないが、結局来ているのだからコイツの言い分にも一理あるだろう。
まぁ、俺がここに来た理由はコイツを野放しにしていたら何をしでかすか分からないから様子を見に来たというだけだが。復讐だのどうの、と言っていたのを思えば歌恋に何か被害が降りかかる可能性があるし、それを幼馴染としては見過ごすわけにいかない。
「で、何の用だよ?」
「ええ。私はこれから
「するわけねぇーだろ」
これまた物騒な提案だった。
「なに、私が気を引いている間にグサッとするだけの簡単なお仕事よ」
「俺が実行犯なのかよ。トンズラする気満々じゃねぇか!」
「あら、よく分かったわね」
「バカでも分かるよ、バカ野郎」
やはり様子を見に来て正解だったかもしれない。
下手すると死人が出ていたところだ。
すると、伊波は恨めしいとばかりにチッと舌打ちする。
「今ばかりは法律が憎たらしいわね……」
「法律よりまず倫理でジャッジしろよ。道徳通ってねぇのかよ」
「はぁ……うるさい男ね。ジョークじゃない」
「目が冗談には思えないんだけど……」
完全に悪い奴がする顔をしていた。
しかし、本当に冗談だったらしく伊波は落胆するようにため息を吐くと、不機嫌全開でコツコツと貧乏ゆすりし始めた。
「……気に入らないわ」
「何がだよ」
「なぜ、どこの馬の骨とも知れない男に歌恋の可愛い手を握らせてあげなきゃいけないのよ。私だってちゃんと握ったことないのに。暗殺っていくらから依頼できるのかしら……?」
「すぐ殺そうとするのやめろ。てか、握ろうとすればいつでも握れるだろお前」
同性であれば、さして難易度が高いとも思えないが。
しかし、伊波は胸の前でぎゅっと拳を握り頬を赤く染めた。
「む、無理よ。緊張するし……」
「あー、作用ですか……」
急に乙女出すのもやめろよ、対応に困るだろ……。
俺が軽くため息を吐くと、不意に伊波が眉間にしわを寄せ睨み付けてきた。
一転、空気が変わる。
「あと、アナタのこともすごく気に入らない」
底冷えするような冷たい声音が響いた。
その端正な顔立ちで睨まれると、より威圧的に感じてしまう。
伊波はこちらを覗き込むよう睨み上げた。
「アナタ……この期に及んで、まだ『自分は違います』とでも思っているのでしょう?」
唐突に矛先を向けられ、俺は何も言い返せなかった。
「自分を騙して、自分は違うと顔を背けて、いつかは諦められると期待する。惨めな人ね。本当は気付いているでしょうに、自分がどんな人間かなんて」
「惨めなのはどっちだよ……」
「ええ、そうね。でも同じ惨めなら私は抗う方を選ぶのよ。自分を騙すなんてまっぴらなの。私は歌恋が好き、愛してる。だから絶対に認めてなんてあげないの」
「……なんだよそれ」
ある意味、コイツは凄いなと思った。
それが良いか悪いかは別として、こんなにも自分の欲望に忠実で醜い部分を躊躇なく曝け出せる人間はそう多くいないだろう。復讐なんて過激な思想に至らなければ、それはもしかしたら美徳になりえたかもしれない。
どちらにしても、それは俺には出来ないことだ。
きっと俺は自分を押し込めて、隠して、そしていつしか諦めて受け入れることしかできないのだろう。それが一番良い結果だと騙し、妥協して、いつか後悔する。
全部コイツの言う通りだ。
きっとそれが普通なのだ。皆が皆、伊波のようだったらどれほど楽だっただろう。
でも、俺はそれを良しとすることは出来ない。
理性が彼女を認めない。
けどそれは誰かのためなんかじゃない。
俺は誰かのためと言いながら、結局は弱い自分を守ることしかできない最低の人間なんだ。
自分の醜さを受け入れるのが怖いだけなんだ。
気付けば、伊波は階段から立ち上がり、俺の目の前に立っていた。
「改めて聞くけれど、アナタは歌恋にどうしてほしいの?」
昨日と同じ問いかけだ。
あの時は教室に戻ってきた歌恋に遮られ、結局うやむやだった。
俺はなんと答えようとしていたのだろう、詳しく思い出せない。
けれど、『アナタも、私と同じ独占欲の怪物なのね』――その言葉が嫌というほど脳裏を反芻している。
――俺は……。
「俺は……歌恋を応援したい。アイツが幸せになることを願っているし、もし協力してくれと言われたらなんだってやってやる。それが俺の答えだ」
「……つまらない答えね」
「俺はお前とは違う。異常なんだよ、お前は……。自己中心的で歌恋のことなんて何も考えちゃいない。お前は自分が良ければそれでいいんだ。ホント、気持ち悪いよ……」
面と向かって誰かに対しこんなにも酷いこと言ったのは生まれて初めてだった。
まさか、それが年下の女子に向かってだなんて思いもしなかった。
そのせいか、罪悪感が胸を締め付ける。
「そう」
だが、伊波はたいして気にしていないと言うように不敵に笑うだけだった。
そこにどのような感情があるのかは分からない。
それから伊波は踵を返し、階段を降っていく。
しかし、途中で足を止めるとこちらに振り返った。
「やっぱりアナタ、みっともないわね」
言って、部室の方へと行ってしまった。
去り際の言葉に、俺は思わず笑ってしまう。
「みっともない、か……。ホントその通りだな」
昨日、幼馴染に彼氏ができた。 更科 転 @amakusasion
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