番外編:待ちに待った日
フェーンベルグ公爵家──王都でその名を知らぬ者はいない。由緒ある家柄ということもあるが、現在の当主が若く有能だからだ。
その当主の名は、ルイス・フェーンベルグ。夜空に煌々と輝く月明かりのように美しい銀髪を持ち、凛々しい瞳は澄んだ海のように美しい青色をしていた。その整った容姿は数多くの女性を魅了してやまなかった。
そんな彼が突然の婚約を発表したのは、およそ一年前のこと。お相手の名は、セシリア・ヴェルナーという。伯爵家の令嬢なのだが、今まで一度も社交界に出たことのない女性であった。
紆余曲折あったが、二人は想いを通わせ合い、明日ついに結婚する。
◆◆◆◆◆
「今日は何としてでも早く帰ってくるよ」
「あまり無理はしないでくださいね」
「優秀な部下がいるから大丈夫だ。それに、さすがに式を明日に控えて遅く帰るのもな」
「ふふっ、それもそうですね」
そう言って花がほころぶようにふわりとセシリアが笑う。その愛らしさに、思わずルイスは口元を片手で覆った。
──今日も俺のセシリアが最っ高に可愛い!
叫びだしたい気持ちをグッと堪える。セシリアの前では、かっこ悪いところなど見せたくない。
手の内で秘かに深呼吸をしてから、ルイスは最愛の婚約者を抱き寄せた。そして、その瑞々しい赤い唇へと唇を寄せる。
「──っ」
驚きに震えた唇すら愛おしい。ついつい調子に乗って深く唇を重ねると、鼻にかかった少し苦しげな吐息が聞こえてきた。あまり無理をさせるわけにはいかないと、名残惜しさを感じつつもセシリアを解放する。
「では、行ってくるよ」
真っ赤になって唇を押さえるセシリアは、可愛すぎてずっと見ていられる。その姿を目に焼き付け、ルイスはいつものように職場へと向かった。
ルイスは国軍に所属し、第二部隊の隊長を任されていた。第二部隊の仕事内容は少々特殊で、主に国敵の調査など公には出来ないような案件を担当している。少数精鋭の部隊は常に忙しさに追われていた。
執務室へと入れば、既にほとんどの者が仕事に精を出していた。ルイスが入室するなり、全員が立ち上がる。それに片手を挙げて挨拶をし、今日の業務を指示していった。
「以上だ。では、各自仕事を始めてくれ」
部下達が各々動き出すのを確認したあと、ルイスは己の机へと座った。他の者より大きめの執務机は、いつもなら山となった書類がある。だが、今日はそれがない。
──この日のために頑張ったからな。
目を伏せて、ここ数ヶ月の努力を思い返す。
愛しいセシリアが自分の妻となる待望の日。ルイスは大事な結婚式のために休みを申請した。しかし、諸事情で三日が限界と言われてしまった。
結婚式当日はもちろん休むとして、夫婦となって初めて迎える日は、何が何でも休みを死守したい。というか、一晩でセシリアを愛でるのは時間が足りない。堂々といちゃつけるのだから、その翌日も休みをとっておきたい。
しかし、そうなると計算上、結婚式前夜は仕事となる。何が何でも定時で上がるべく、ルイスは仕事そのものを絶つ考えにいたった。
少しでも怪しい芽があれば根こそぎ薙ぎ払い、積極的に街の治安向上に乗り出す。他の部隊からはいろいろ言われたが、全てはセシリアとの結婚式のため。
──定時で帰ったら食事を共にして…そうだ、セシリアと今までの思い出話をするのもいいかもしれない。
ルイスの頭はもうすっかり浮かれモードだ。
仕事では冷酷な魔王とまで称されるルイスが、にやけながら素早く書類を片付けていく様子は少々不気味でもある。ここで緊急の案件が入ろうものなら、間違いなく魔王が降臨する。頼むから今日一日…いや、ルイスが休暇をとる三日だけでも平和であってくれ。
しかし、そんな部下たちの切なる願いはあっさり破られることとなった。
それは午後のことだ。この日は第二部隊のみで鍛錬が行われていた。汗ひとつかかず、部下たちの指導を終えたルイスの元に慌ただしい足音がやってきた。
「隊長! 第四部隊から応援要請です! 傷害事件の犯人が人質を取り、立て籠もっているとのこと」
「第一部隊からも応援要請です! 殿下が護衛を撒いて王都に行かれたそうです」
同時に舞い込んだ応援要請に、ルイスは僅かに眉目を寄せた。
しかし、よくよく要請内容を聞けば、そこまで長引くような案件ではない。部下達の力量ならすぐに片がつくだろう。瞬時に最適な人員を判断したルイスは、今しがた鍛錬を終えた部下達へ向けて声を張り上げた。
「ジャン、ロイド! 第四部隊の応援には、お前達が向かえ」
「はっ、承知いたしました」
「は、はい!」
「殿下の捕縛はディルク──」
お前が向かえ──そう言おうとしたルイスは、我が目を疑った。つい先程までディルクがいた場所には既に誰もいなかったのだ。
「あ、あの…副隊長でしたら走ってどこかへ──ひっ!」
それを聞いたルイスからゆらりとした殺気が立ち上る。魔王光臨を察した部下達からは小さな悲鳴が上がった。
「あいつ…勝手に第四部隊の応援に行きやがったな…」
ディルクは実戦を非常に好む。あいつの性格からして、第四部隊の応援へ行ったに違いない。
ルイスとしては、慇懃無礼なディルクであれば、相手が王太子殿下であろうと問答無用で捕獲してくれると思っての人選だった。実力的にはジャンやロイドでも問題ないのだが、彼らは真面目すぎて殿下に強くものを言うことが出来ない。
出動準備を整えたジャンがおそるおそるルイスへと声をかける。
「た、隊長…俺とロイドは第一部隊の応援に行った方がいいですかね?」
「……いや、二人ともそのまま第四部隊の応援へ向かえ。ディルクが逃亡する可能性があるから捕まえてこい」
「しょ、承知いたしました。第一部隊の応援の方は…」
「俺が行く」
そう言ってルイスは手にしていた木剣を近くにいた隊員へと渡す。
「あのお気楽殿下め。簀巻きにして連れ帰ってやる!」
王太子を簀巻きにするのはいかがなものか。誰もがそう思ったが、今のルイスに声をかけるのは恐ろしい。部下達は大股で去っていくルイスを黙って見送るしかできなかった。
それから数時間後、立て籠もり事件も無事解決し、王太子殿下も速やかに捕獲された。だが、間の悪いことにその後も次々と応援要請が入った。
ルイスがそれらをこなして屋敷へと帰ったのは、日付が変わるころだった。
「おかえりなさいませ」
げんなりした表情で帰宅したルイスを出迎えたのは執事のモーリスだ。いつもはセシリアも出迎えてくれるのだが、さすがに今日はいない。
──そうだよな…起きてるはずがないよな。
ルイスの心の内を読んだのか、モーリスが望む情報を教えてくれた。
「セシリア様は既にお休みです。ルイス様のお帰りを待ちたいとの事でしたが、明日は早いのでエマが説得いたしました」
「そうか…」
ルイスの脳裏にその時の様子がありありと浮かぶ。健気なセシリアのことだ、結婚式当日である明日が忙しいと分かっていても、遅くまで待っていてくれたのだろう。「早く帰る」と言ったのになんてざまだ。
「お部屋に軽食をお持ちいたしますね。ルイス様も早めにお休みください」
「ああ、分かった」
「……それと、明日は結婚式ですので、くれぐれも怪我はしないでくださいね」
そう言ってモーリスは去っていった。
なにを言っているんだと思った時、強烈な殺気が近付いてきた。自然と体が警戒態勢になる。
殺気の元を辿るように見上げた瞬間、シャンデリアの光を反射する何かが視界に入った。それがナイフだと察したルイスは、横へと飛んで攻撃をかわす。
しかし、それだけでは終わらなかった。二つ、三つと次々にナイフが飛んでくる。避けるのは余裕だが、着地点をしつこく狙ってくるあたりに相手の本気度が垣間見える。
「何のつもりだ、エマ」
攻撃の手がゆるんだところで二階にいるエマを睨みつける。エマは怒気をはらんだ目でこちらを見下ろしていた。
「結婚式の前夜だというのに残業だと。この、ろくでなしっ! セシリア様はお前の帰りを待っていたんだぞ」
「ぐっ……そ、それは……」
「死ね! 死んで詫びろっ!」
「だから何でそうなるっ!」
問答無用とばかりに、エマが再びナイフを構える。
エマの口調がこうなった時は要注意だ。特に今日はかなりブチ切れている。二階にいるエマにどう近付くか──そう思った時であった。
「はいはーい、そこまで~」
のんきな口調で現れたのはアシュトンであった。
エマの手を掴み、いつの間にかナイフも取り上げている。エマに気を取られていたとはいえ、ルイスですら気配を察知できなかった。
「ルイス様、すいませんね~。エマは俺が宥めておきますんで」
「くそっ、離せ!」
「はいはい、エマはちょっとお兄ちゃんとお話ししような。まったく、明日の主役にナイフ投げるなんてアカンでしょ」
そう言うなりアシュトンは、エマを小脇に抱えて去っていった。じたばた暴れるエマをものともしない。さすがはスーパー庭師だ。
大きな溜息をついたルイスは、どっと疲れが増した体を引きずるように部屋へと戻った。部屋のテーブルには、モーリスが用意してくれたらしいサンドイッチが置いてある。
「………なんだこれ?」
皿の横にあったのは小さなメモ書き。名前はないが、流麗な文字には見覚えがあった。
『明日は忙しいので先に休ませていただきます』
メモを読んだルイスは、しばし動きを止めた。主に対するにはかなりドライな対応だ。
どうやらいつも通りに見えたモーリスも怒っていたらしい。まぁ、普通に考えて結婚式前夜に深夜帰宅などあり得ないだろう。それは自分もよく分かっている。
ルイスはサンドイッチを詰め込むように平らげると、手早くシャワーを済ませ、ベッドへと横たわった。
あと数時間後にはセシリアとの結婚式だ。どれだけこの日を待ち望んだことか。明日は何としてでもセシリアと朝食をとろう。そして、今日のことを謝らねば。そう思いながら目を閉じた。
◆◆◆◆◆
そして、結婚式当日。ハレの日だというのに、ルイスは朝から不機嫌であった。
その原因は寝不足だからではない。では、なぜこんなにも不機嫌かというと、セシリアと会えないからだ。
現在、花嫁であるセシリアは、ルイスの母であるレベッカを中心に朝から準備に追われていた。朝食も部屋でとったらしく、姿すら見かけていない。耐えきれずに、会いに行ったところ、レベッカやアメリアに「邪魔!」と一喝されてしまったのだ。
「式の前に少し顔を見るくらいいいと思わないか?」
「セシリア様のスケジュールは事前にお伝えしましたよね? 花嫁は準備が大変なのですよ。ゆっくりできるのは昨夜が最後でしたのに」
「ぐっ…。だが、朝の挨拶くらい──」
「アメリアいわく、整えた髪や化粧を乱されては困るとのことです」
キッパリと答えたモーリスにルイスは完全に言葉を詰まらせた。
確かに着飾ったセシリアを見たら、挨拶だけで済む自信は無い。だが、キスの一つくらいはいいではないか。
「……待てよ。そうなると、セシリアとは式本番まで会えないということか?」
「そうなりますね。何か問題でも?」
「大ありだ! 昨日のことも謝れてないんだぞ」
「大丈夫です。セシリア様は怒ってなどおりませでしたよ。さあ、ルイス様は会場の最終確認をお願いいたします」
待て。なぜ新郎である俺が会えなくて、お前がセシリアと会っている。
そんな気持ちでつい睨んでしまう。しかし、モーリスの目が「新郎は暇なんだから働け」と無言の圧力を放っていた。
結婚式はフェーンベルグ別邸の庭園で行われる。いわゆるガーデンウェディングというやつだ。使用人達にも参加してもらいたいというセシリアの願いを形にしたものだ。
そう言うわけで、ルイスはモーリスにせっつかれながら会場である庭へとやってきた。この日のためにアシュトンが手入れした庭は、花やリボンなどで華やかに装飾されていた。
だが、何だか様子がおかしい。なにやら使用人達が地面に這いつくばって何かをしている。
「ノーマン、何か問題があったのか?」
「うぉ! ル、ルイス様!」
「なんだ? ジーン、転んだのか?」
ルイスが声をかけたのはシェフのノーマンであった。よく見ると、ノーマンの前には、ジーンが突っ伏している。ジーンはルイスを見た途端、目に大きな涙を浮かべた。
「ど、どうした!?」
「うぅ……うえぇぇんっ!」
「お、俺かっ!? 俺が泣かせたのかっ!?」
「落ち着いてください。…まぁ…なんというか…ちょっとトラブルがありまして…」
「トラブル?」
気まずそうな顔をするノーマンについ身構える。
この様子からするとジーン絡みのことだろう。ジーンには指輪を運ぶリングボーイの役を頼んでいた。本人は張りきっていたが、緊張して嫌になったのだろうか。
そう思っていると、ノーマンがポツリポツリと話し始めた。
「いや…その…本番前にリングボーイの練習をしてたんですよ。そしたら……」
「そしたら?」
「見事に転びまして……あー…指輪が…」
「指輪が?」
「あー…あの通りです……」
そう言って指を指された先には、地面に転がるリングピロー──もちろん、その上にはなにもない。
「っ!」
指輪の紛失──予期せぬトラブルにルイスは青ざめた。式まではもうあと僅かしかない。
「ひっく…ごめっ……ごめんなさいっ」
涙で顔をくしゃくしゃにしたジーンが地面に突っ伏したまま、何度も何度も謝ってくる。動揺している顔を見せたらジーンは責任を感じてしまうだろう。もちろん、わざとではないのだから怒るつもりなどない。
ルイスは平静を取り繕うと、ジーンを抱き起こした。
「そんなに泣くな。顔を洗って替えの服に着替えてくるといい」
「…ぐすっ…でも…」
「大丈夫だ。指輪はすぐ見つかるかるさ。それよりも、セシリアに指輪を運ぶ役を頼まれてるんだろ?」
「……うん…」
役目を思い出したのか、ジーンがようやく泣きやんだ。
「ノーマン、ジーンの準備を頼む」
「えっ、いや…しかし…」
「問題ない。指輪はこちらで何とかする」
ノーマンは息子であるジーンのミスに責任を感じていたが、雇い主であるルイスにここまで言われれば、渋々室内へと戻るしかなかった。
そんなノーマン親子と入れ替わるようにやってきたのは、アシュトンだ。今のやり取りの間にモーリスが連れてきてくれたようだ。
「ルイス様、連れて参りました」
「俺、庭師なんすけど…」
と言いながらも、アシュトンはものの数分で指輪を見つけ出した。ルイスを含め、全員が安堵したのは言うまでもない。
それから準備は滞りなく進み、ジーンも無事落ち着きを取り戻していた。会場では、招待客が花婿と花嫁の登場を今か今かと心待ちにしている。
──やっと…やっとだ。いろいろあったが、ようやくこの時を迎えられる…!
控え室でセシリアを待つルイスは、感極まって拳を強く握る。
初めてセシリアを目にしたときのこと。浮かれに浮かれた婚約生活。セシリアが生死を彷徨い、記憶を失ったこと。記憶を取り戻して好きだと言ってくれたこと。──たくさんの出来事が次々と思い起こされる。
そんな時、控え室の扉がコンコンと鳴った。
「ルイス様、セシリア様のご準備が整いました」
そう言ってアメリアが横にずれる。
そこには純白のドレスに身を包んだセシリアがいた。そのあまりの美しさにルイスは瞬きすらも忘れて動きを止める。
純白のドレスはセシリアの清純さをより際立て、可憐で清楚な雰囲気はそのままに女神のような神々しさを醸し出していた。繊細なレースのヴェール越しから、キレイな紫色の瞳がこちらを向いているのが分かる。
「それでは、音楽が鳴りましたら入場してください」
そう言ってアメリアが退出する。二人きりとなった室内は、シンと静まりかえっていた。
「………あ、あの…お疲れではありませんか?」
あまりにもルイスが静かだったからか、セシリアが遠慮がちに声をかけてきた。昨夜遅く帰ったうえに、何の反応もないから疲れていると思ったのだろう。
「いや、大丈夫だ。セシリアがあまりにも美しすぎて見蕩れていた」
「え…あっ…えっと…」
「まるで女神が舞い降りたのかと思ったよ。とてもキレイだ」
「ル、ルイス様の方こそ…とても素敵です…」
照れながらもそう言ってくれるセシリアがたまらなく愛しい。可愛すぎてヤバイ。俺の嫁、マジ天使。いや、女神だった。
抱きしめたくなり、堪らずに手を伸ばす──が、なぜかその手がセシリアへ触れることはなかった。
今さっきまで、目の前にいたはずのセシリアが遠くにいるのだ。しかも、セシリアの隣には見知らぬ男が立っている。
──なんだ…? これは、どういうことだ!?
なぜか声が出ない。セシリアを取り戻そうとするも、体が石のように重く動けない。
セシリアが笑いかけるのは自分ではなく見知らぬ男。二人は腕を組むと、微笑みあいながらヴァージンロードへと歩み出した。
──だめだ! 行かないでくれ!
「────っ! セシリア!」
「きゃっ…!」
次の瞬間、ルイスは自分の寝室のベッドの上にいた。伸ばした右手が宙を彷徨っている。
ベッド脇を見れば、おろおろしているセシリアが目に入った。その姿は、純白のウェディングドレスではない。
「も、申し訳ありません。モーリスさんに頼まれて、起こしに来たのですが…」
「……夢?」
「どうかなさいましたか?」
心配そうに見つめてくるセシリアに、先程までのことが全て夢だったと悟る。
なんという夢だ。途中まで最高の夢だったのに、最後にあんなどこの野郎とも知らない奴がセシリアとヴァージンロードを歩くなど。
「ルイス様? …きゃっ!」
気付いたらルイスはセシリアを抱き寄せていた。
「あ、あの…ルイス様?」
「夢を…見ていた」
「夢、ですか?」
「ああ。君との結婚式の夢だ」
起き上がろうとするセシリアを引き止めるように優しく抱きしめる。
夢で抱きしめられなかった分を思うと、このまま堪能しても罰は当たらないのではないか。そんな邪な考えが頭をよぎった時、スパーンと頭を叩かれた。
「このケダモノ。朝から何をやっているのですか」
「モーリス…お前…」
「連日仕事にお忙しいルイス様へ癒しをと思えば。御覧なさい、セシリア様が困っているではないですか」
その言葉でセシリアへと視線を向ける。可愛い未来の妻は、顔が真っ赤になっていた。
「あなたという方は。今すぐセシリア様を解放なさい」
「……ちっ」
モーリスが遠慮なく頭をバシバシ叩くものだから、ルイスは渋々ながら手を放した。こいつにはあとで面倒な仕事でも押し付けよう。そう心に誓う。
「セシリア、すまない。驚かせてしまったな」
「い、いえ……」
眼福だ。真っ赤な顔でベッドから下りようとするセシリア。朝からとても良いものを見た。
自分も身を起こそうとした時であった。モーリスが目を離した隙を狙って、セシリアが小さな声で耳打ちをしてきた。
「わ、私も…結婚式がとても待ち遠しいです」
そう言うなりセシリアは足早に部屋を出て行った。
「…………」
「どうかしましたか?」
「いや……破壊力が……」
セシリアのあまりの可愛さに両手で顔を覆う。モーリスから胡乱な視線を向けられるが、それどころではない。
──くっそ、俺の嫁が世界一可愛いっ! なんていう口説き文句だ!
結婚式までは、あと一ヶ月。
記憶喪失令嬢と公爵様の婚約生活 すず @suzu0508
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