番外編:家族

 それは、とある日の夕食後の出来事だった。


 ダイニングルームを出たセシリアは、ルイスと共に自室へと向かっていた。いつものように食後のティータイムをするためだ。記憶喪失中に習慣となったティータイムは、今でも続けられている。今日の出来事を話しながら二人で笑い合う時間は、セシリアにとって大切なひとときだった。


 自室のある二階へ行くため玄関ホールまでやってきた時、どこからか子供が泣きじゃくる声が聞こえてきた。


「あら、どうしたのかしら?」


 セシリアは足を止め、辺りを見渡した。ルイスも泣き声に耳を澄ましている。


「使用人部屋のほうか?」

「あの…様子を見に行ってもいいですか?」

「もちろんだ」


 二人は泣き声のする方へと進路を変えた。この屋敷に幼い子供といえば一人しかいない。セシリアもそれを知っているからこそ様子を見に行きたいと言ったのだ。


 廊下を突き当たりまで行き、角を曲がると、その先は使用人部屋だ。フェーンベルグ家の使用人は、屋敷内に部屋を与えられていた。使用人達のプライベートに配慮してください、普段はルイスもセシリアも足を運ぶことはない。


 辿り着いた場所では、アメリアと数名のメイドが廊下にしゃがみこんでいた。よく見れば、しゃくり上げながら泣きじゃくるジーンもいる。


「まぁ! ルイス様、セシリア様!」

「も、申し訳ありません。騒がしくして……」

「構わない。何かあったのか?」


 ルイスの言葉にアメリア達は気まずそうに顔を見合わせた。それから、ちらりとジーンへ視線を向けたあと、アメリアが口を開いた。


「本日はノーマンが港まで買い付けに行っていて不在なのです。それで私共がジーンを預かったのですが…」

「……うええぇ……お父さん……ふぐっ……」


 父の名を聞いた途端、ジーンの鳴き声が一層大きくなる。


 これを見たルイスとセシリアは状況を把握した。昼間は元気に遊んでいたジーンも、寝るときになって寂しくなったのだろう。なにせまだ四歳の幼子なのだ。ジーンはぼろぼろと涙を流しながら、ひっくひっくとしゃくり上げ、息をするのも苦しそうだ。


 見かねたセシリアは、ジーンのそばへ目線を合わせるようにしゃがみこんだ。俯いていたジーンが僅かに顔を上げる。赤くなった目からは、ぼろぼろと涙が溢れていた。


「ジーン、今日は私のお部屋にお泊まりしましょうか?」


 以前ジーンは『セシリア姉さまのおへやにおとまりする』と駄々をこねた事があった。もちろん、ルイスとノーマンに却下されていた。あの時の願いを叶えてあげれば、少しは寂しさも紛れるのではないかと考えたのだ。


 しかし、セシリアの一言にアメリア達が血相を変えた。いくらセシリア本人がいいと言っても、使用人の子が未来の公爵夫人と共に寝るなどあってはならないからだ。


「セシリア様、いけませんっ」

「ジーンは私共が寝かしつけますわ」

「大丈夫よ。ね、ジーン。ご本を読んであげるわ。なんの本がいいかしら?」


 ジーンはイヤイヤと頭を振って泣くばかりであった。眠さもあって余計ぐずっている様子だ。


 セシリアはそんなジーンの頭を優しく撫でながら、もう一度問いかけた。


「私の部屋でお泊まりしましょう。ノーマンさんが帰ってくるまで私が一緒にいるわ」

「ふぐっ……うえぇぇん………ひっく」


 ジーンは泣きながらセシリアにぎゅっと抱きついた。セシリアは、その小さな背中をあやすように撫でてあげる。それから、アメリア達へ視線を向けた。


「と、いう事なのでジーンは私の部屋で寝かせますね」

「ですが……」


 困ったアメリア達は、助けを求めるように屋敷の主人たるルイスへと視線を向けた。


 全員の視線が集まり、ルイスは仕方ないとばかりに苦笑した。さすがのルイスも、父が恋しくて泣く幼子を邪険にはできない。


「セシリアもこう言っている事だし構わない。ほら、ジーン。抱っこしてやるから来い。セシリアの部屋に行くんだろ」


 いつもなら子供のようなケンカをする二人だが、ジーンは大人しくルイスの方へ行くと抱っこを要求するように両手を挙げた。眠くて仕方なかったのだろう。そんなジーンをルイスが軽々と抱き上げる。


 ここまでされればアメリア達も口出しをするわけにはいかなかった。渋々ながら三人を見送った。


「ジーンも重くなったな。ほら、そんなに泣くな。部屋に行ったら顔も拭こうな」

「……っく………ぐすっ」


 ジーンが肩口に顔を埋めているので、ルイスの服は涙と鼻水がくっついてしまっている。それでもルイスは気にする素振りはなかった。片手でジーンの背中をさすってあやしてあげていた。


――ルイス様は、きっと良い父親になるわね。


 そんな事を考えてほっこりしているが、ルイスが父親になるなら母親は自分だということまでは思い至っていない。


 そうして部屋へとやってくると、両手の塞がったルイスにかわりセシリアが自室の扉を開ける。閉めるときも眠そうなジーンを気遣って、なるべくゆっくり閉めた。


「ほら、セシリアの部屋に着いたぞ。顔を拭くタオルを取ってくるから、一旦離してくれるか」

「……うっ…………うわあぁぁん」

「わかったわかった。セシリア、悪いがタオルを取ってきてくれるか?」

「は、はい!」


 ジーンはルイスが離れようとするとまたも大泣きしてしまった。もしかすると父親に抱っこされているのと同じくらい安心感があるのかもしれない。


 やむを得ずルイスは、ジーンを抱っこしたままベッドの縁に腰を下ろした。その間にセシリアがタオルを取りに行く。


「ルイス様、持ってきました。ジーン、おねむなのにごめんなさいね。さぁ、お顔をきれいにしましょう」


 ルイスの隣に腰を下ろしたセシリアは、ジーンの涙や鼻を拭いてあげた。眠さから嫌そうにぐずるジーンを宥めながらきれいにしていく。もう一枚のタオルでルイスの濡れた肩口も拭いておいた。


「ほら、寝るなら布団で――」

「うわあぁぁん………ふぇぇ………うぅ……」

「…………ダメだな、これは」


 ルイスがまたも布団に寝かせようとするが、ジーンは泣きながらしがみついて離れる気配がない。珍しく困った顔をするルイスに、セシリアはクスリと笑った。


「ジーンが寝るまでルイス様も一緒に横になってあげて下さ…………あら」


 セシリアがタオルを片付けるために立ち上がろうとすると、ジーンの手がそれを引き止めるようにドレスを掴んだ。今度はルイスがクスリと笑う。


「セシリアも御指名みたいだな。仕方ない、三人で横になるか」

「そうですね。これ以上泣かせてしまったら可哀想ですし」

「………ひっく………っ……」


 しゃくり上げながらもがっしりと二人の服を掴んだジーンを刺激しないよう三人で横になる。ルイスがジーンの背中をトントンと叩いてあやし、セシリアが寒くないように布団をかける。


 背中を叩くリズムが心地いいのか、ジーンはすぐに寝息を立て始めた。おそらく大分前から眠たかったのだろう。


「……寝たか?」

「まだ眠ったばかりですし、もう少しそのままでいてあげて下さい」

「そうだな、起こしてしまっても可哀想だ」


 ジーンを見るルイスの目はとても優しかった。あやし方も上手だったし、子供が好きなのかもしれない。そんなルイスにセシリアは小さな声で話しかけた。


「こうしていると何だか家族みたいですね」


 セシリアの言葉にルイスは、はたと我に返った。今、自分はセシリアのベッドの中……というか、共に一つの布団の中にいる。


 すぴすぴ鼻を鳴らして眠るジーンを見れば、普段の小生意気な姿はなりを潜めている。セシリアの言う通り、家族に見えないこともない。


「そうか…セシリアとの子供が産まれたらこんな感じなのかもな」


 先程のジーンのあやし方から見ても、ルイスはきっといい父親になるだろう。子供が男の子なら一緒に遊んであげ、女の子なら本を読んであげたりするのかもしれない。


「………男の子も女の子もどちちらも欲しいですね」

「っ!!」


 ポツリと呟かれた一言にルイスが目を見張った。セシリアもすぐに我に返り、羞恥心に顔を赤く染める。


 そんなセシリアを見てルイスはとてもにこやかに微笑んだ。愛しいセシリアの願いならぜひとも叶えてあげなくてはならない。


「そうか、それなら結婚後は励むとしよう」


 ルイスの幸せそうな笑顔は、とつてもない色気を放っていた。自分の言った事がいかに大胆だったか思い知らされたセシリアは、耐えきれずに目をつぶって聞こえないふりを決め込んだ。ジーンがドレスを掴んでいるので背を向けることも出来ない。


「おやすみ、セシリア」


 セシリアの初心な反応にルイスは目元を和らげた。しばらくして、うっかりそのまま眠ってしまったセシリアをルイスは愛おしそうに眺めるのであった。

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