とうめいな銃がわたしを生き返らせる
藤原くう
ReReRe:Start
乾いた音が操舵室に響く。
それと前後して、影がかずみの前へと立ちふさがった。その大きな大きな人影がビクンと大きく震える。
何かの衝撃を受けたかのように、人影がかずみへと近づいていく。そうすると、光の加減で暗くなっていた顔がよく見えた。
その女性は、かずみと非常によく似ていた。かずみを大人っぽくしたような感じだ。そんな女性が、かずみに対して弱々しい笑みを投げかけた。あまりにも美しくて儚げな表情に、かずみは息を呑む。
胸から零れ落ちる血液に、小さな悲鳴が上がった。
だが、女性は鮮血を気にしない。真紅の液体で服を汚し、したたり落ちた鉄臭い液体で床を汚しながら、かずみへと一歩また一歩近づく。その足取りに、いつもの力強さはなかった。
今まで見たことのない女性の姿に、かずみの脚は地面に縫いつけられてしまったみたいに動けなかった。
宇宙船『サンライズ』の船長を務めていた彼女は、竹を割ったような快活な女性だった。それに豪快だった。そうじゃなければ、海賊稼業なんてやっていられるわけがない。彼女の下に集っている船員たちは、宇宙の無機質さを気にしないだけのタフさがあった。そんな船員を従える彼女もまた力強かった。
だが、今の彼女からは、そういう力強さや威厳は全く感じられない。
女性は、かずみの鼻先までやってきて、倒れこむように抱きついた。
鉄臭さと花火の後のような匂いがした。
そして、冷たかった。生きているのかわからないほどに、女性の体は冷たかった。女性の体に開いた穴からは、流れ出る血とともに体温までもが流れ出ているかのよう。
イース。
かずみは、目の前で荒い呼吸を繰り返している女性の名前を呼ぼうとした。でも、できなかった。声が震えて、辛うじて発することのできた言葉は意味を成したものではなかった。
「――――」
イースが何かを呟いた。
その言葉は――少なくともこの時のわたしには――聞き取れなかったようだ。かずみは、この一か月余りともに、広大な星海を旅した彼女の容体の方が心配だった。
ささやかな笑い声が、かずみの耳をうつ。それは、イースが発したものだったが、いつもと違いすぎる声に、かずみはすぐにはわからなかった。
イースの手が、かずみの小さな頭を撫でる。その手つきはガシガシと荒っぽかったが、だんだんと弱くなっていって。
その手が、頭から滑り落ちる。糸の切れた操り人形のようにだらりと垂れ下がった。
その大きな体がぐらりと傾く。その拍子に、海賊帽がイースの頭から落ちた。
イースがかずみへともたれかかっていく。弛緩したその体を、かずみは両手で受け止める。重い。まるで魂が抜けてしまったかのよう。
かずみは、信じられないというようにイースの顔をのぞき込む。
その顔には、銃撃されたとは思えないほど穏やかな表情が浮かんでいた。だが、そこに、命の輝きは見受けられなかった。
死んだ。
――わたしはまた、人が死ぬところを見てしまった。
あの時と同じように見ていることしかできなかった。
かずみの頭の中で、光が浮かび上がる。その光は、宇宙船内を優しく照らす人工的な光よりもずっと強く、技術的には劣るもの。
うんざりしてしまうほど強い夏の日差しが照り付ける街。かずみにとっては、何度も夢に見て見慣れてしまったトラック。そのトラックの進む先には小さな男の子――。
つんざくようなブレーキ音がこだまする。図書館で借りてきたばかりのSF小説を見せびらかすようにしながら、かずみの前を駆けていた男の子がトラックに撥ねられていく。
脳内にフラッシュバックした映像とともに、かずみの口から絶叫が飛び出していった。それは、操舵室の外、宇宙船全体へと響き渡るほどの大声で、かずみ自身、そして、イースを殺した女性の鼓膜を揺らした。
服をイースの血で濡らし、涙を流していたかずみの頭の中を占めていたのは、ただ一つ。
目の前にいる、イースを撃ったやつを殺したい。そんな明確な殺意しか、頭にはなかった。
その強い感情がかずみの記憶を刺激し、ずっと忘れていたことを思い出させた。思い出すと、どうしてずっと忘れていたのか、かずみ自身わからなかった。だが、そんなこと、今はどうでもよかった。
その銃が、今、手元にある。その事実だけが彼女にとっては必要だった。
かずみは銃を構える。その小さな手の中には、何もないように見えた。だが、そこには確かに銃が存在している。見えない銃があって、その銃口を、銃を撃った相手へと向けた。
そこには、銃を構えた人間が立っている。スーツ姿の女性。かずみの顔に似た女性は、宇宙海賊などを取り締まっているスパコという宇宙刑事。だが、彼女は今まさに刑事という仕事を捨てたばかりだった。
スパコは自分の目的のために動いている。イースに対する復讐のため。
裏切った元バディを殺すため。
スパコにも――見ているだけしかできないわたしにだって――かずみが握る銃は見えていない。だが、相手の女性に浮かぶ表情は驚きと恐怖にゆがんでいる。
まるでそこに銃があるかのような、いやそれ以上のものが存在しているかのような怯え方。
スパコは、かずみの手の中にある銃――銃の形をした力――を知っているのだ。そもそも、見えない銃を追っているのはスパコも同じなのだ。
しかし、そこには何もないのだ。かずみが握っている銃も、スパコが恐怖を覚えている銃も。
かずみはイースを抱きしめたままの格好で、見えない銃の引き金を引いた。
彼女の心の中に、ためらいは微塵もない。撃てないのではないか、という不安もまたなかった。
そこに、銃はある。
バン。
引き金を引くと同時に、ただ一言、かずみは呟いた。静かに冷酷に。
その瞬間。
見えない弾丸が、起こされていた撃鉄によって叩かれ、火薬が炸裂する。それらのことが一瞬で行われ、かずみの腕は跳ね上がった。まるで、拳銃による射撃が行われたかのよう。――実際、そのような現象は起きたのだ。ただ、そこに銃が存在していなかったというだけで。
何かがはじけたような音とともに、赤い液体が飛び散った。
スパコの手が、自らの胸へと伸びる。そこに開いた五円玉ほどの穴を確認し、目が大きく見開かれた。本当に打たれるだなんて思っていなかった、とばかりの驚愕の表情を貼り付けたまま、その細い体が倒れて行った。
どうと音がする。崩れるように倒れたスパコを、しばらくの間、かずみは睨みつけていた。
かずみは、すぐには動けなかった。心臓はバクバクと脈動し、目はちかちか、頭は酸素が足りていないのかくらくらした。まるで、準備運動をしないで短距離走をしたときみたいに。
強いだるさが遅れてやってきた。膝がカクンと折れて、気が付けばかずみはへたり込んでいた。
支えを失ったイースの体が、かずみへと覆いかぶさる。生気を失った、冷たい物体。心のなくなった物体は、穴が開いただけだというのに、かずみはひどく不気味なもののように感じて仕方なかった。
右に傾いたイースを見れば、イースの顔がかずみの方を向いていた。彼女の満ち足りたような表情を見ても、かずみの心は何も感じない。恐怖も喜びも、憎しみも悲しみさえもそこにはなかった。
復讐を果たしたかずみの心の中には、ただ、空虚なものが浮かんでいるだけだった。
かずみは、構えていた腕を下ろす。見えない銃を持とうと力を込めていた腕に、だるさとじんじんとした痺れを感じた。でも、それだけではなく、銃をぶっ放したことによる反動の影響が大きかった。イースから銃を構え方を教えてもらっていたとはいえ、本当に撃ったのはこれがはじめてだったのだ。
先ほどのは、夢でも幻でもない。
かずみは、自身の手のひらを見つめる。そこに、銃は見えない。もう片方の手で触ろうとしても、指が物体をとらえることはない。
だが確かに、弾丸は発射された。
見えない銃は――そう呼ばれている権限は、今やかずみの手の中にあった。
どんな願いでもかなえてくれるという力。それは、かずみがこの世界へとやってくる前から、イースが追い求めていたもの。それも、目の前に倒れているイースを裏切ってまでしてだ。
世界を破壊するために。
それは、宇宙警察が掲げている、世界の保護、とは真逆の目標。だからこそ、イースは警察を辞めて、海賊になったのだ。
そこまでの話は、イース当人から聞かされていたからかずみは知っていた。
この世界を破壊する。そんな荒唐無稽なことできるはずがないと、かずみはずっと思っていた。
だが、力を手にした今、そんなことは造作もないということがかずみにはわかった。
どうして、イースは世界を破壊しようとしたのだろう。
考えてみたが、わからなかった。
かずみには理解できなかった。
彼女の視線は、二度と目を覚めることのないイースへと注がれる。
世界を破壊してしまったら、イースがこのままではないか。
イースと二度と話ができないなんて。
――それに、とわたしは思う。
今思えば、それは本心ではない。あの時のわたしは、本心だと思っている。でも、わたしからすれば、本心とは決して思えない。
直後にあの子の脳裏をよぎったのは、目の前で轢かれた男の子の亡骸なのだから。
かずみが、頭をぶんぶん振る。またしても思い出してしまった光景を振り払うように。
そして、気が付いたのだ。
手にした力で願いが叶うのであるならば、何でもできる。
イースを生き返らせることもできるはずだ。
だって、なんでも願いをかなえてくれるのだから。
かずみは震える腕で、見えない銃をしかと握りしめる。銃口の先にあるのは、冷たくなったイースの死体。
直視する目が、ぼやける。とめどなく涙がこぼれてきて、止まらない。動かないイースをかずみは見ていられなかった。思い出が頭の中を駆け巡り、視界の中に浮かび上がってくるかのよう。涙はますますひどくなったが、見ないことには照準を付けられない。
手の甲で涙を必死にぬぐう。見えない銃口を、こめかみに強く押し付けた。
イースから意識をそらすように、願いを一心に繰り返す。
――イースを生き返らせてください。
願いに反応するかのように、かずみの手元で音がした。見えない拳銃の撃鉄が上がったのだ。
後はトリガーを引くだけ。
かずみは撃った。
先ほどよりもはるかに強い衝撃が、かずみを襲う。肩が外れてしまうのではないかと思われるほどの力に、細い腕が跳ね上がり、びりびりと振動した。
拳銃から不可視の弾丸が飛び出す。それがイースを貫いたかと思えば、電気が落ちてしまったみたいに、世界が真っ暗になった。
落ちる。真っ暗な世界を、かずみの体は落ちて落ちて落ちていく。
落ちる先には、真っ白な光が輝いている。闇に囲まれた、行き場のない光。
閉じられた世界。
そこへ向かって、かずみは落ちていっている。
力を失った手から、拳銃が零れ落ちる。見えない銃は存在しない。かずみが、撃つと思えば、弾丸が飛び出していくのだ。だが、薄れゆく意識の中で、かずみはその存在をはっきりと感じていた。
拳銃は権限だ。権限だから、形はない。この世界のルール――かずみの知っていることで構成された世界――では、なんでも叶えることのできる銃、という形を持っていた。
それは、この世界を生み出しているかずみだけしか持っていない力。
だがそれも、その存在を忘れてしまえば、なかったのも同じ。記憶がなくなると、拳銃も消えた。そして、意識もぼんやりして、やがて消えた。
そうやって眠るように意識を失ったかずみを、わたしは見下ろしている。わたしは、彼女を見送ることしかできない。わたしともう一人のわたしは別の道を行っているし、そもそも干渉することはできない。
わたしは、過去のわたしがやったことを後から見ているにすぎないのだから。
かずみは何回も世界を繰り返している。
何を目的として、世界を繰り返しているのか、わたしにはわかる。過去のわたしがやったこと、わたし自身の過去は、世界がリスタートするたびリセットされてしまうから記憶があるわけではない。でも、ほかでもないわたしのことだ。考えていることは大体想像できる。
だが、だからといって、わたしから言えることがあるわけでもない。
だってそうだろう。イースが死なないように頑張れと言えばいいのか。――いや、それはまったくの的外れだ。
わたしはそんな目的で、世界をやり直していたわけじゃない。
思い出したくもない事実から逃げるために、この世界に閉じこもっていただけなのだから。
落下を続けていた小さな体が、わたしの目の前を通り過ぎていき、光の中へと沈んで見えなくなった。
光が明滅し、世界が脈動する。
すべては再び繰り返される。
とうめいな銃がわたしを生き返らせる 藤原くう @erevestakiba
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます