最終話「星の名残り」

 すべてを話し終えた時、不意に喉の渇きを覚えた。話し過ぎていたらしいと気づくと、黒コートの探偵がペットボトルを差し出してきた。


「すみません、ありがとうございます」

「いや」


 私はベッドに、探偵は丸椅子に腰かけていた。夜も更けてきて、かすかな陽光が窓から差し込んできている。


 自分のことをここまで話すというのはなかなかない。気恥ずかしくて、それでいて不思議とすっきりしたような気になる。


 探偵は組んだ両手の指を回し、それから私を見据えてきた。


「それで、お前の夢は叶わなかったのか?」

「いいえ、叶えました。自力でね」

「ならばどうしてここにいる?」

「祖父が亡くなったのを機に、色々と考えてしまったのですよ」

「色々、か」

「ええ。色々、です。夢を叶えた先のことを、私はこれっぽっちも考えていなかった。行く先が見えなくなったというのは、なんとも心苦しいですね」

「他の目標を見つけるという手はなかったのか」

「確かに、それはありました」


 私は父から受け継いだ、聖書風のハードカバーを着けた花の図鑑を見下ろした。


「けれど、疑問に思ってしまったのです。これでいいのだろうかと。こんなことを言ってしまうのもなんですが、夢を叶えた後に私はもう満足してしまったのです」

「満足……」

「もういいや、他にもやることがあるという具合に。他者から見れば羨ましく、嫉妬を買うような話なのでしょうけれど」

「この際、他人のことなど関係ないだろう」

「そうですね。諦めたわけではなく、かといって渋々選んだわけでもない。この役割を務めていること、今は普通に受け入れているのです」

「…………」

「ところで、いつまでもここにいていいのですか?」


 探偵は腕時計をちらりと見、「そうだな」と立ち上がった。


「興味深い話だった。特にあの庭に関してはな」

「願い事をするつもりは?」

「くどいぞ。今の話を聞けば、余計にしたくなくなるだろうが」

「それもそうですね」


 苦笑を漏らすと、探偵は戸口に立った。


「今は一人なのか?」

「ええ。私が務めることで、父も母も役割から解放されましたから」

「お前はそれでいいのか」

「さぁ……もしかしたら今後、気持ちが変わるのかもしれませんがね」

「よく言う」


 探偵は部屋から出ていった。


 急速に部屋が冷えついたようだった。より陽光を取り入れようとカーテンを開け、その明るさに目が眩む。月も見えず、そして星も――夜闇と共に消え去ろうとしている。


 しかし、耳元で何かがささやいていた。


 これから誰かが来ることを〈星見ほしみの庭〉は教えてくれている。見に行けばおそらく、また花が生え変わっていることだろう。


「さて、今日はどなたがいらっしゃいますか……」


 一人ごち、朝食を取るべく、私は部屋を後にした。


     ☆


「とにかく金持ちになりたいんです!」

「再生回数稼ぎたいから、ここを映させてくんない?」

「あの女が憎いの。徹底的に痛めつけてやりたい……!」


 毎日のように、〈星見の庭〉を訪れる者は後を絶たない。彼らは一人ひとりそれぞれ願い事を持ち、半信半疑で祈る。その後でどうなるかについては、〈星見の庭〉が気まぐれに教えてくれる。


 幸福を手にしたか、あるいは不幸を掴まされたか。


 後者の場合、海老名えびな早人のように再度ここに来て、怒鳴り散らかすというケースもある。しかし、そういった人々の大半は警察沙汰になるようなことをしでかしており、その前に逮捕されるのが落ちだった。


 そして前者。幸福を手にした者の場合——


「ありがとうございました、おかげで子供が助かりました。本当に、感謝をしてもし足りなくて……」

「手がまた動くようになったんだ。実はスランプで、自分で手をやってしまったんだよ。だけど今は前よりも、筆がよく進むようになったんだ。あれだけ悩んでいたのが嘘みたいに」

「お父さんとお母さんが仲直りしたの。リコン? っていうののお話もなくなったみたい。神父さん、ありがとう」


 感謝を告げに来る者たちは、大抵は善良で正直な者たちだ。しかし中には何度も願い事を叶えてもらおうとする者もいる。幸福の味を知ってしまい、目が眩んだ人たちが。


 そういった者たちに対し、〈星見の庭〉は特に何かをするわけではない。不幸に突き落とすでもない。


 しいて言えば、「見放す」と言った方が近いだろうか。幸福を手にした者は更なる幸福を求めて——それこそ、藁をも掴む気持ちで——ここに来る。それが破滅の始まりと気づかず。


 私は〈星見の庭〉の仕組みは希望をちらつかせているに過ぎないのではないかと考えている。夢を追いかけていた頃から、ずっとだ。


 しかし今では、やや考えを改めている。


「妻を生き返らせたいんです。出来ますか……?」

「それは不可能です。それは神にしか出来ない行いで、神でもおいそれと行うことは出来ません。この世界の理に反しますから」


 三十代の男性は私の目の前で、がくりと肩を落とした。


「ただ、手がないわけではありません」

「そ、それは!?」

「例えば毎晩、あなたの想い人と夢の中で出会えるように、ということならば出来ます」

「あ、え、えっと……」

「不服でしょうか?」

「……なんとも言えないです。僕は妻と共に、歳を重ねていくことを夢見ていました。夢の中で出会えるといっても、現実にいるわけじゃない。夢から醒めてしまった時、また……今みたいな気持ちになるんじゃないかって」

「では、やめておきましょうか?」

「いえ! あ、その……もう少し、考えさせてもらっても?」

「大丈夫ですよ」


 男性は長い時間考え込み、時おり私に訊ね、懊悩していた。「生き返らせることは、出来ない……」と呟いた姿が印象的だった。


 そして男性は祈った。夢でもいいから、妻に会いたいと。


 それから彼がどうなったかについては、私には知る由もない。願い事の行く末は〈星見の庭〉しか知らない。


 一度だけ、私は〈星見の庭〉に訊いてみた。曰く、「彼は想い人と出会うことは出来たんでしょうか?」と。


 葉がざわめき、花が揺れる。風が吹き、空気中に心地よい匂いが混じる。


「なるほど」と私は口にした。それだけで十分だった。


     ☆


〈星見の庭〉とは、なんだろうか。


 り人を務めるようになって数年経つ。この庭のことについては祖父も父も全て把握しきれていない。私もそうだ。


 だが、それでいいのかもしれない。そういう場所なのだ、と知っているだけで。


 深入りを避けている自覚はある。しかし、祈るだけで願い事が叶うような場所に、常人が納得のいくような理由と目的があるだろうか。


 私にはわからない。


 私はただ、守り人を務めるだけ。


 ここに訪れる数多の人々の運命を、〈星見の庭〉と共に見届けるだけ。

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星見の庭 寿 丸 @kotobuki222

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