エピローグ

 放課後の音楽室で、私は一人でピアノを弾いていた。


 瞳君とのデートで生まれたお気に入りのラブソングが、誰もいない音楽室に虚しく響く。


 この日、私は心愛ちゃんから『アイドル部』のルールを初めて聞かされた――『アイドル部』は恋愛禁止なのだ、と。


 瞳君はみんなの王子様であって、私一人だけの王子様じゃない。

 アイドルはファンのみんなの宝物であって、私一人だけの宝物じゃない。


 そんな当たり前のこと、分かっていたはずなのに――。


 音楽室に射しこむ赤い夕陽に沈みながら、私は心をなぐさめるようにピアノを弾く。


 やっぱり、私にはまだラブソングは早いみたい。

 恋もまだよく分からないし、瞳君への気持ちをどう表現していいのかも分からない。


 寂しい音色が私の胸を切なく締めつける。


 声を乗せて歌ってみると苦しさがますます募って、まるで私の音楽が色を失ったように弱々しいものへと変わっていく。


 私の心の中はぐちゃぐちゃで、少しも整理がつかなくて、気づけば歌声も涙でにじんでいた。


「乙羽さん。やっぱりここにいたんだ」


「……瞳君?」


 私は目尻に浮かんだ涙の粒を指の背でぬぐい、瞳君へと視線を移す。


 瞳君は走って来たのか、額に汗を浮かべながら、私を見ると安心したように微笑んだ。


「びっくりしたよ。乙羽さんが急にいなくなったって聞いたから」


「ごめんなさい。なんだか今日は部活をお休みしたい気分だったから」


 瞳君は私の元へと歩み寄り、それから私に言い聞かせるように優しく話しはじめた。


「乙羽さんも知っている通り、僕はアイドルを目指している。だから、当分は恋愛もできない」


「うん……」


 瞳君からはっきり告げられ、胸がチクリと痛み出す。


「だから、乙羽さんとのデートは僕にとっても特別だったんだ。あの日だけは乙羽さんの彼氏になれたからね」


 私たち二人だけの思い出を愛おしむように、瞳君が目を細める。


「乙羽さんと一緒に過ごせて、すごく楽しかった。それに、どうやら僕と乙羽さんとは波長が合うらしいことも分かった。乙羽さんの歌に僕はいつも勇気をもらってきたし、不思議と実力以上のパフォーマンスを発揮できたから」


 瞳君はそこまで言うと、片膝をつき、私へとうやうやしく手を差し伸べる。


「浅井乙羽さん。今の僕には君が必要だ。いや、きっと今だけじゃない。乙羽さんは僕の運命の人だよ。だから、どうか僕の許嫁になってください」


 そして、うろたえる私にあれこれ言葉を重ね、さらに願い出る。


「僕は乙羽さんを誰にも渡したくない。どうか永遠に僕のそばにいてください」


「ふえぇ……っ」


 まるでお砂糖でコーティングしたような甘い言葉の数々を浴びせられて、私はとまどうばかりだ。


 瞳君はさらに私を諭すように言う。


「さっきも言った通り、僕はしばらく恋愛はできないかもしれない。だから、乙羽さんの彼氏にはすぐにはなれない。でも、僕は絶対に乙羽さんを手放したくない。――だったら、乙羽さんを許嫁にするしかないでしょう?」


「……それって、もしかして、私のことをずっとキープしておきたいってこと?」


 瞳君がいたずらっぽく笑う。

 まるで王子様が優雅に戯れるかのような、屈託のない無邪気な笑みだった。


 私はくすっと笑い、すねたように声を返す。


「それは都合がよすぎるんじゃないかなぁ」


 けれども、私の胸の奥は春の日差しに包まれたみたいにぽかぽかと温かくて。


 瞳君が差し出す優しい手に、私もまた吸いこまれるかのように手を伸ばす。


 すると、瞳君が強引に私の手を取って――。


「つかまえた。もう、ずっと離さないよ」


 どうやらアイドル志望の王子様には私が必要みたいです。





【完】

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ラブソングにはまだ早い~どうやらアイドル志望の王子様には私が必要みたいです~ 和希 @Sikuramen_P

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