湯煙に包まれて、喪失のベクトルが俺の胸を貫いていく

ホラーである。
ホラーの怖さは、くり返しと連鎖、主人公自身が危機に陥るところにある。
本作はその点がよく書けていて、上手い。
だから怖く感じる。

書き出しがいい。
温泉特有の湯気が立ち込める状況。
いつなのか、場所はどこで、どんな様子で、誰が主人公で、ほかには誰がいるのかなど、短い一文でテンポよく書かれている。
普通の温泉地でもみられる日常的な風景でありながら、すでにホラー世界に主人公は入り込んでしまっている両方を兼ねた書き方は、素晴らしい。

同僚が亡くなったのはわかるが、それが誰かは明かされていない。
死んでいる隆文にとって、一週間前に亡くなったのは後藤。
生きている湊からすれば、一週間ほど前になくなった同僚とは、隆文に違いない。

「俺は頭の中にも湯気がかかったような気持ちになって、曖昧に返事をした。正直今は、何も考えたくなかった」
思考停止、もしくは思考を自ら放棄している。
だから湊は、死んでいる隆文と違和感なく、会話ができたのだろう。