焦がれる羽虫
多賀 夢(元・みきてぃ)
焦がれる羽虫
「『ゆるりん』さんですよね!」
声をかけられ振り返り、私はわずかに顔をしかめてしまった。
「どちら様ですか」
どちら様もなにも、私は相手を知っている。私のハマってる位置情報ゲームの嫌われ者、『GEN』。プレイヤーと思しき通行人を見るや、誰彼構わず声をかける。違えば強引にゲームに勧誘し、違わなければアカウントの交換をにこやかに強要する。そしてSNS上で彼らにハイテンションなコメントを連投しつづけ、その狂気じみた言動に多くの人が彼から逃げた、らしい。
何も法的には悪くない、だけどあの態度は怖い。友人は揃ってそう答えた。
私も今日、とうとう彼とエンカウントしてしまった。
「いつもSNS見てます!!時々食べてるクレープ、●●町のイチゴ亭ですよね!!僕、あそこのクレープぜーんぶ食べたんですよ!!ゆるりんさんも、もう新作のマスカットチョコたべましたよね?!?!」
彼は名乗ることすらもせず、初コメントと同じ狂った勢いで謎の自慢をしている。聞きしに優るこの勢い、ごめんなさいもう逃げたい。
「……いや」
本当にそうしか言えないでいると、彼はその顔にべっとり張り付けた笑顔で、ずいっと私に身を近づけた。
「えー!!食べてないんですか!!嘘でしょ!!あれは食べましょうよ!!てか、僕なんかが先に食べてるなんて思いませんでしたよ、僕なんかが!!」
度を越した卑下、全力で作った嘘の表情、感情はないのに欲が浮かぶ瞳。
――ああ、既視感。すんごい既視感。
私の記憶が、はるか昔の闇に飛んだ。
子供時代の私は、嫌われていた。
どうしてかは分からなかった。だけどあまりに寂しくて、どうしても好かれたかった。周りにひたすら笑顔を向けて、時には派手に泣いて見せた。回りの大人の言動を真似て、笑われようと頭の悪い振りもした。
だけど周囲は余計に離れていった。同級生も先生も兄弟も両親も、私を次第に乱暴に扱い始めた。
願いと逆になっていく状況に、私はもっともっとと卑屈に笑った。正直、楽しかった記憶などない。好かれたいという単純な願いは、これ以上嫌われたら生きていけない、そんな切迫した状況に変わっていった。
無視するクラスメイトに最敬礼で挨拶して。
兄弟より少ないお小遣いにも喜んで見せて。
意味もなく殴ってくる父に、笑顔でビールを注いで。
全部の感情を封印して笑い続けた私は、ひたすら堕ち続ける絶望の中で気づいたのだ。
――ここまで媚びて、私はどうなりたいんだ。
一番の友達にしてと懇願されたい。
姉貴は世界一素敵だと憧れてほしい。
お前は誰よりもいい娘だと溺愛されたい。
だれもかれもが私を称えて、私を慕って私を頼って、私なしではいられないと心からすがって……
私は、やっと目が覚めた。
こんなにも欲まみれだから、私は嫌われているのだと。
私だって、こんなに醜い私など気持ち悪いと。
その時から、私は好かれようとするのをやめた。
「そうそう!!せっかくだし、お友達申請しましょう!!今度一緒にミッションしましょう!!」
彼を見て自分を振り返っていた私は、眼前に迫る彼を見て現実に戻った。
「あー、すいません。もう行くので」
意味はないが腕時計を見る。こうすれば、なんか用事があるように見えるだろう。
しかし相手は引かなかった。
「すぐ済みますよ!五分です、いや三分です!」
私の前に立ちはだかる彼は、正直怖かった。これはきっと、嫌われている自覚はかなりあるはずだ。だからこその特攻である。
私はその気持ちを理解しながらも、心を鬼にすることに決めた。
「いいです。私ソロなんで」
「いやでも!!このゲームは協力した方が絶対!!いいんですよ!!」
とてつもなく明るい声。だけど脅迫と同じ勢い。
――そういう、マウント取るような媚びが一番嫌いだ!
「じゃかあしいわ、こん不審者が!!」
私が育った土地の方言で叫ぶと、相手は隙をつかれたのようにひるんだ。私も自分にびっくりした、卑屈な人間ってこんなにムカつくものなのか。
私は黙り込んだ相手を放置して、さっさとその場を離れた。なんかSNSに書かれるんだろうとは思ったが、気にしてもしょうがないので忘れることにした。
その夜。真っ暗な部屋の中、ベッドでまったりしていると友人からDMが届いた。
『これ、ゆるりんのことじゃないの?変な事書かれてるけど大丈夫?』
貼られていたリンクをスマホからタップすると、GENのSNS投稿だった。なんだか、私がコミュ障のかわいそうな人間として書かれている。
「ま、間違ってはないわな」
そう吐き捨てるように呟いたが、なんだか胸がもやもやした。涼しい風に当たりたくて、スマホの明るさを頼りにベランダへの窓を開けた。
マンションの中ほどにある部屋からは、一戸建ての家々に灯る光が見下ろせた。同時に、そこに群がる羽虫も。
――光に魅かれるとこが、あいつみたい。あと、昔の私か。
好かれようとするのをやめてしばらくしたら、私にも友人が何人もできた。そんな私を陽キャという人もいるが、私は特に変わらない。好かれたい気持ちを捨てたまま、きままに群れずに生きている。それが、案外心地いい。独りはどこまでも自由で気楽だ。
「あいつもこっち側にくればいいのに」
そう言ってはみたものの、すぐに私は首を左右に振った。人はそれぞれ違った法律、違った世界に住んでいるのだ。私にとっての幸せは、きっと彼から見れば不幸せ。
私は暗い自室に戻った。
誰もいない、何もない。だけど最高に気持ちいいベッドがある、誰にも邪魔されない部屋。私の手で作った、私のためにある世界。
焦がれる羽虫 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki
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