第4話 出会い
「小さい頃、家族でデパートに行った時、すごく良い香りがしていて、その香りの出処が知りたくて、一人でトコトコ歩いたら、コーヒー豆売場に辿り着いたんだ。その焙煎されたコーヒー豆の香りの芳しさはまるで魔法のようで。親にねだって試飲コーヒーの味を見させてもらうまでに数年かかった。子どもには苦さしかないよと言われたけどちっともそんな事なく、普通に深い味わいに感動したよ。とにかく初めて芳しい香りの出処を知った幼い日の事が今でも素晴らしい夢みたいでさ。
もちろんいつもコーヒーの事ばっか考えてたわけじゃないよ。でも修学旅行の時もお土産売場でコーヒーカップが気になったりで、ある種コーヒーオタクかな。だからと言ってすぐに職業に結び付けようとは思わなかった。でも大学卒業して大きな外食産業の会社に就職したのはどこか意識してたのかな。店を自分で開きたいっていつの日からか、頭のどこかで構想を練り始めてたから」
「そっか。音楽と直接関係はなかったんた」
「音楽はね、子どもの頃一家でアパートに住んでた時、裏の家の人が外国のレコードをよくかけてて、夕暮れ時とかその音楽に魅せられ、一人で窓から夕焼け空を見てたりしてた。
幼い頃コーヒー豆売場に辿り着いた時と同じで、今でもその時の音楽を聴いていた自分の姿を映画のように思い出すんだよ」
「奥さんと出会ったのは?」今度は暁絵がきいた。
「それがまた、バカな話なんだよ。高校時代、軽音楽部の夏の合宿に行くという朝、僕は朝寝坊してしまって。それまで優等生だっただけに、妙に焦ってしまって。もう祭りの後というか、取り残された気分。そしたら一人の女子部員がなぜか待ち合わせ場所に残っててくれてたんだ。
目立たなくて痩せっぽちの冴えない女の子だった。同じ軽音楽部でも、話もした事さえなかった。でも彼女は落ち着いて行動した。だからこそ一緒に電車とバスを乗り継いで、みんなの待つ合宿の施設まで行けたんだ。それが将来の妻になった。妻は、入学の頃からこっちを好いてくれてたみたいだ」
「ステキな話」
「それも映画のように思い出す?」
「ああ、そうだね。上映ができそうだ。萌香珈琲店の三部作」
「もしかして三つとも僕達の年齢より若い頃の話じゃ?」
「そう言えばそうだな」
また、泣きそうな顔になる暁絵。
「あの、何かもっと後から出会ったものってないの?」焦った俺がきく。
「え? そんなに焦らなくっても、今話した出会いの話だって、別にそれ以降ずっとコーヒーや外国音楽や恋ばかりの生活じゃなかったから。イメージとしては、箪笥の中に大事にしまってて時々出して眺めては、幸せな気分になって、いつの間にか大切な何かに変わってた感じ。初めて付き合ったのだって妻以外の女性だったしね。若い時は色々他にも興味あって、引き返して、の繰り返しだったよ。ずっと出会ってて後から好きな事に気が付く時もあるし」
「好きな事に後から? 例えば?」
「自分探しでイタリアを
「そうなんだ。そういう事もあるのね。私の良さも後から開花するのかな」
「いやいや、だからそんな焦らなくていいよ、暁絵ちゃん。別に時代を先駆けた孤高の画家じゃないんだからさ。これからは、好きだって思って慌てて追いかけなくてもいいんだよ。自分の箪笥に仕舞ってて、時々出してみるんだよ」
「自分の箪笥かぁ。そう言えばこれまでの出会いは良い予感ばかり先走ってて、そんな映画みたいな出会いじゃなかった気がする。これからは今までみたいにあまり焦って追いかけないようにしようかな」
今日、いつになくか細かった暁絵の声は、普段通りの元気で明るい声に戻っていた。
「そうだよ」
「そしたら私にもいつか、後から映画みたいに振り返られる出会いがあるかなぁ」
「きっとあるから。さ、二人ともどうぞ。ホットカフェオレとアイスカフェオレ、クリーム入り」
「いただきます!!」
暁絵はもういつもの笑顔でうれしそうにクリームをすくってる。
きっと暁絵の未来に、心待ちにしていた出会いがあって、大人の女性になってる頃には、俺も用無しになってるんだろうな、と寂しい未来を予感した。
正直、フクザツだった。なぜなら暁絵は憶えてもないみたいだけど、自分にとっては、隣にアイツが引っ越してきた時の事はやっぱ映画のようによみがえるから。俺にとっては、箪笥の中に隠せない位の大切なもの。
でもまだ可能性があるとしたら、マスターの言ってたほうれん草の胡麻和えみたいな存在になって、いつか見直される事くらいかな。
始まりをこれからいくつ数えた頃にそれは訪れるのだろう。
カフェオレのほろ苦さが心の中に広がった。
〈Fin〉
始まりをいくつ数えた頃に 秋色 @autumn-hue
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