第3話 萌香珈琲店

 俺はマロンを家に連れて帰ると、すぐに暁絵と目的地に向かった。

 萌香珈琲店は、俺の母さんの従兄弟がマスターをしている近所の喫茶店だ。今どきっぽい軽い感じのカフェとはひと味もふた味も違う、本格的なコーヒー専門店。

 中でかけられている音楽も、有線やヒーリングミュージックでなく、マスター自ら選んだ、古いLPレコードの曲というこだわりよう。訪れる度こういった外国の曲が初めて流れた、はるか昔に思いをはせる。

 少し照明を抑えた店に入ると、瞬間に鳴るベルのカランカランという音。その深い音からして、何だか心地良い。そんなわけで個人的にお気に入りの店だ。暁絵にとっても、子どもの頃から親に買い物の後、連れて来られた楽しい思い出の店。と言っても、暁絵の場合はそこで食べるホットケーキやアイスクリームが目当てだったみたいだけど。ちなみにここはホットケーキや焼き菓子、アイスクリームはオーケーだけど、他の匂いの強いメニューは、コーヒーの香りに影響するのでNGだ。


「いらっしゃいませ、紬生に暁絵ちゃん。今日もカフェオレでいい? ホットにする? それともアイス?」


「僕はホットで」


「私はアイスでクリームをつけて下さい」


「了解。あれ、今日は暁絵ちゃんはおめかししてるんだね。紬生は普段着なのに」


 泣きそうな暁絵の顔を思い出して、慌てる俺。それでも暁絵は包み隠さず告白する。


「私、デートがドタキャンになったんです。前に告白した先輩がいるって言ったでしょ? やっぱり私の事ムリみたいです」


「なぁんだ。そんな事で浮かない顔してるのか。暁絵ちゃんのような可愛い子を振るような男はこっちから願い下げだって言ってやればいい」


「そんな、お父さんみたいな事、言わないで下さい。大人から可愛いって言われても、同年代からは違うんです」


 そんな事を言われてもマスターも困るだろう。慌てて俺は言う。


「いえ、暁絵がもうフラフラせず地に足をつけたいって言うから。特技を見つけたり、両思いになったり、どうやったらそんな事ができるのか知りたいって言うから、じゃあその道の先輩に秘訣を聞こうって話になってここまで来たんです」


「つまり僕に秘訣を聞こうと?」


「ええ」


「はは……。面白いね。そんなに若いのに地に足をつけたいなんて。若い時はフラフラと憧れ、あれこれ試してみるもんだよ。それに僕は別に大した事が出来るような、能力の備わった人間でもないからね」


「そんな事ないはずです。ねぇ、紬生つむぎ。だってここ、イートログでも五つ星だもん」


「え、そうなの? マスター」


「まぁ、そうだな。でもあんなの、お金で何とでもなる世界だし。って言ってもカネなんか出してないよ」


「そう言えば純喫茶事典にも出てた。一度は訪れる価値のある名店だって」

 俺も思い出していた。母さんがインテリア販売の仕事をしていて、この本を仕事のために買っていた。純喫茶事典の作者はツイッターもやってるけど、すごくこだわりがあって自分の意見を曲げたりしない。決して損得勘定で、店を褒めたりしないだろう。長年、美味しいコーヒーの挽き方に身を捧げてきているんだから、そりゃあ大御所にだってなるさ。


「いつから、どうしてコーヒーを仕事にしようと思ったの? 何かきっかけがあったの? 好きな音楽と関係あるとか?」

 それは、俺の素朴な疑問だった。運命が生まれる瞬間の事を知りたかった。


「それから奥さんとの出逢いの話も聞きたい」

 暁絵は前から、「マスターの奥さんって感じ良くてステキだな」とよく言っていた。


「まぁ、きっかけが無かったわけではないな」

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